監督 ロバート・レッドフォード 出演 ジェームズ・マカヴォイ、ロビン・ライト、ケヴィン・クライン
ほれぼれしてしまった。スクリーンを見ながらほれぼれしてしまった。--この「ほれぼれ」は、あまり適切なことばではないだろうなあ。ほんとうはこんな具合にはつかわないのだろうなあ、と思うけれど。
何にほれぼれとしたか。ロビン・ライトである。あ、倍賞美津子に似ていると思いながら、そういうば倍賞美津子にもほれぼれとしてしまうんだなあ、と思い出した。
そこに彼女がいる。そうすると、もうそれ以外のことが気にならない。吸い込まれてしまう。その顔に。その顔に刻まれた皺に。目の暗い輝きに。その強さに。
自分の「無罪」は自分がよく知っている。だから「無罪」を主張する。で、その「無罪」に対して軍事法廷は「証拠」を求めてくる。「おまえが無罪なら誰が犯人なのか」と。彼女にはそれが答えられない。わからないからではなく、「わかる」から。「わかる」といっても確証ではなく、そうではないか、というおぼろげな印象である。おぼろげではあるが、それが胸に強くひびく。なぜなら、それが息子だからである。どんなときでも母親は自分の子どもを信じる。そして、守る。その苦しみと、その喜び。喜びというのは、まあ、違っているかもしれないけれど、自分は死刑になるかもしれないけれど、とりあえずいま息子が死刑にはならないということ。それを思うこと。
でも、これって、正しいこと?
あ、これがむずかしいね。
「情念」と「真理(理想)」がせめぎ合う。そのせめぎ合いのなかに「人間の尊厳」のようなものが輝く。そしてロビン・ライトは「事件」の「事実」ではなく、彼女自身、母親としての「事実」に従う。「情念」に従う。「事実」のなかに「真実」があるとは限らない。けれど「情念」のなかには「真実」があり、「真理」があり、「永遠」がある。
これをロビン・ライトは表情と、姿勢の美しさで表現する。具現化する。いやあ、すごい。もともと私はロビン・ライトが好きだけれど、夢中になってしまう。
「北のカナリアたち」の吉永小百合と比較してはいけないのかもしれないけれど、小百合のノーテンキな子どもたちへの信頼と比べると、その「真理=心理」に雲泥の差がある。「北のカナリアたち」を倍賞美津子で見てみたいなあ、とふと思った。
脱線した。
「声をかくす人」にもどると。
このロビン・ライトがたったひとりで表現する「事件の事実」と「こころの事実(こころの真理)」の問題を、ジェームズ・マカヴォイが「事件の事実」と「法の事実(法の真理、理想)」の問題として浮かび上がらせる。
リンカーンが暗殺された。それは事実。そしてその犯人をつきとめ裁かなければならないというのは「法の仕事」である。その「法」のなかに、「事件の事実」以外のものが入り込んでくる。「裁く人間(検察側)の心理」である。その心理は「事実」を追求するという法の理念(法の真理)からはみ出して、「復讐」に傾いてしまう。「われわれのリンカーンを暗殺された。暗殺者には必ず報復をしなければならない」という「心理」が、ほんとうにロビン・ライトが共犯者なのか、その証拠は何かを追求する、真実を追求するということを妨げてしまう。
この問題を、いやあ、ロバート・レッドフォードはうまいなあ、「社会派の正義」を振りかざさず、さらりと表現する。いちばん訴えたいことを、ほんの一瞬でことばにする。軍事法廷でおこなわれているのは裁判ではなく「復讐(リベンジ)」であると、ジェームズ・マカヴォイに一回だけ言わせている。
人は誰でもいいたいことを何回でも言ってしまうものだが、ロバート・レッドフォードは一回しか言わないことで、それを聞き逃す人を逆に糾弾しているのだ。
そして、そこで起きたことをロビン・ライトの表情と姿勢に集約させる。彼女の存在を忘れるな、彼女にしてきたことをアメリカは責任を持ってつぐなわなければならない。それは彼女を忘れない、いつでも思い出すというとでしかつぐなえない。「事実」の「継承」。それを、ロバート・レッドフォードは、ここでしっかりと実行している。
ああ、ロバート・レッドフォードは、ほんとうはこういう映画の、ジェームズ・マカヴォイのような役こそ演じたかったんだねえ。でも、あの金髪と青い目がそれを邪魔している。典型的な美男子に観客は「正義派」を期待しない。人間の苦悩を期待しない。個人的な恋愛の苦悩なら別だけれど……。美形の男優を美形に終わらせず何とか俳優に育てたい--自分のできなかったことを美形の若手に実現してもらいたい、という気持ちで映画をつくっているのかもしれないなあ。
あ、+★の★はロバート・レッドフォードに対してではなく、ロビン・ライトに。彼女の演技がなければこの映画は成立しない。主役のジェームズ・マカヴォイの演技を受け止めながら、その「受け止める」演技で、ジェームズ・マカヴォイの「肉体」のなかから「真実」が芽生え、育っていくのを励ますという、いわば「大地」のような役どころなのだが(実際は彼女の方が守られるべき立場なのだが、それが二人の「こころの成長」のなかでは逆転する)、これがほんとうに「美しい」。ゆるがない。こういう演技にこそアカデミー賞を与えたい。
激情をしぼりこんだような、冷静な映像(カメラ)も、とてもよかった。
(2012年11月10日、KBCシネマ2)
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