詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ロバート・ロレンツ監督「人生の特等席」(★★★)

2012-11-29 10:10:59 | 映画
監督 ロバート・ロレンツ 出演 クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス、ジャスティン・ティンバーレイク

 あ、伏線だなあ、とすぐわかるシーンがある。絵画の前半三分の一(四分の一?)くらいのところ。イーストウッドがドラフトの候補を見に行くシーン。その注目の選手が大風呂敷を広げている。そこにナッツ売り(だったっけ?)が登場する。みんなに取り囲まれている選手が「1個くれ」と要求する。バイトの学生が袋を投げる。「ストライク」。あ、この「無名の男」がこの映画のどんでん返しにピッチャーとして登場するなあ……。
 これは、まずいよなあ。こういう見え透いた「伏線」は、もうほとんどご都合主義。
 イーストウッドがスカウトした投手が酷使の結果肩を壊し、いまはスカウトをしている。でも、スカウトよりも野球放送の仕事に携わりたいなあと思っている。その男が子どもの野球の実況をするというようなていねいなキャラクターづくりをしているのだから、伏線ももっと気を配らないと。
 少なくとも野球場のナッツ売りのバイトではなく、せめて野球そのものにかかわっていないと……。
 さらに、伏線のつもりかもしれないけれど、うーん、ちょっとなあ、というのが、イーストウッドの「補聴器」。目が悪くなっただけではなく、目も悪い? ではなく、野球場の「音」をより正確に聞き分けるため--そして、この「音」を聞くということが、最後のどんでん返しにもつながるのだけれど。これが、ぜんぜんおもしろくないというか、映画の全体を壊している。
 イーストウッドの役どころはパソコンに代表される「機械」ではなく、人間が直接「肉体」で選手と野球に接することで才能を見つけ出すという「仕事」をしているということ。「補聴器」ではなく、裸の耳で音を聞かないと、「意味」がない。
 ほら、選手がカーブが打てない、カーブを打つときひじが流れる--というのを判断するのは娘のエイミー・アダムスの「肉眼」だよね。エイミー・アダムスにビデオを撮らせて、それをあとで分析するというようなことではなく、あくまで、その場での「肉眼の仕事」。そしてイーストウッドは「機械の分析」よりも、「肉体の観察」の方を重視している。「補聴器」では、まずいんじゃない?
 なぜ、「補聴器」を登場させたか。そういう「小道具」をつかったか。理由は簡単。「耳」で、「音」でイーストウッドは野球を分析していたということを「暗示」させるため。「補聴器」はイーストウッドが音を正確に聞き取るための小道具ではなくて、イーストウッドが「耳」(音)で野球を把握していたということを証明する「小道具」。
 うわーっ、いやらしい。
 だから、最後の方、エイミー・アダムスがモテルで帰り支度をしているときに、外から「バスッ」というような音が聞こえてきた瞬間、あちゃー、こんな具合にしてバイト学生が「主役」として登場するのか、と私は想像したのだが、そうしたら、そのとおりになった。
 「小道具」が「小道具」ではなく、「仕掛け」を種明かししてしまっている。「種明かし」の「小道具」になってしまっている。
 これでは、おもしろくない。
 ロバート・ロレンツはイーストウッドの元で働いてきたひとらしい。この映画は、まあ、いってみればイーストウッドがロバート・ロレンツの「デビュー」を手助けするために出演した映画なのかなあ。監督業は教えた。つくってみればいい。出演してやるよ。あとは、自分で歩いていきなさい、ということなのかなあ。イーストウッドらしいなあ、と思うけれど。
 で、こんなにけなしてしまうなら、★がもっと少なくていいのでは、と読んでいるひとは思うかもしれない。まあ、そうなんですけれどねえ。1シーン、気に入ったんです。イーストウッドがひとりでバスに乗って帰っていくシーン。バスのなかからイーストウッドが外を見つめる。そうすると、そこにイーストウッドの顔が半透明に映る。それをイーストウッドが見ている。ほんの一瞬なのだけれど、あ、これはいいなあ。実際にバスの座席からそういう顔がイーストウッドに見えるかどうか、よくわからない。夜ならありうるけれど、昼でもそういうことが起きるかどうかわからないのだけれど、まあ、これは映画。
 それに。
 そこに顔が映っていなくても、そしてイーストウッドが見ているものが、広大な風景だとしても、それはそれで「顔」なのだ。旅から旅へとバスで移動しながら新人を探し回る。そのときイーストウッドが見る「風景」、季節の移り変わり、そういうものすべてがイーストウッドの人生、つまり「顔」。
 一種の敗北のなかで、イーストウッドは、それを見ている。で、何が見えたんだろうねえ。この映画は、そのとき「答え」を出さない。ただ、そういうシーンがあるということだけを、そのままほうりだしている。泣きそうになるねえ、こういうシーンには。
 で、最後の最後、娘と恋人がハッピーエンディング。取り残されたイーストウッドが「バスで帰るか」と歩きだす。ああ、前のバスのシーンは、この「伏線」だったんだねえ。いいねえ、いいねえ、いいねえ。
                        (2012年11月28日、中州大洋1)





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