詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

水野るり子「雨の旅」、長田典子「空は細長く」

2013-07-16 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
水野るり子「雨の旅」、長田典子「空は細長く」(「ひょうたん」50、2013年07月16日発行)

 水野るり子「雨の旅」は外国旅行を旅行したときの作品なのかもしれないが、日本の風景として読むとおもしろい。雨の日のカフェにひとりで座っている。

西の窓の近くに
さっきまで
ゾウが一頭すわっていた

のこされた
かすかな名残の…その足あと
ぬれ方や薄れ方でそれとわかる

決して ひとなれせず
影のように立ち去る、その気配
(たくさんのものたちが そうやって)
もうもどってこない

 「ゾウが一頭すわったいた」という情景は日本では考えられない。それでも、この風景を私は日本だと感じた。日本の風景として読んで、とてもおもしろいと思った。
 なぜ、日本だと思ったのか。
 足跡が残っていて、

ぬれ方や薄れ方でそれとわかる

 この感覚。「わかる」といっしょにある感覚「ぬれ方」「薄れ方」。この「方」が「わかる」というのは、そうしたものによほどなじんでいるときだけである。何度も何度も、それを見ている。そうして、その「何度も」のなかにに違いが少しずつ蓄えられて、それが無意識に識別できるくらいになっている。これは短時間の「海外旅行」ではありえないような「無意識」と「識別」である。
 その「無意識の識別」というものを中心に見ていくと、たとえば、

西の窓の近くに

 この「西」が、やはり「無意識の識別」に近い。長い間、同じところに暮らしていて、東西南北が知らず知らずにわかるようになる。何度も何度も東西南北を意識したことがあって、それが体のなかになじんで、こっちが西、とわかるようになる。知らない街のカフェに入り、その窓が西であるとすぐにわかるのは夕方、太陽がその窓から見えるときくらいであろう。雨の日のカフェに座って、あの窓が西とわかるのは、その街に何度も何度も来たことのあるひとくらいだろう。
 何度か意識したことが「無意識の意識」として肉体になじんでくる。しみついている。そして、それがあるとき、ふっと「わかる」ものとしてあらわれてくる。
 そのなかには、

決して ひとなれせず
影のように立ち去る、その気配
(たくさんのものたちが そうやって)
もうもどってこない

 というものもある。
 このときの「主語」をゾウではなく、古くから知っている知人と置き換えてみると、どうなるだろう。あのひとは「ひとなれしない」(あまりひととはなれなれしくつきあわない)、ひっそりとだれにも迷惑をかけずにひとりで死んでいった--そういうひとが何人かいる。そのひとのことが、なつかしいような気持ちでよみがえる……
 そういう感じで響いてこないだろうか。
 人の記憶、知らず知らずに意識し、無意識の内に肉体のなかになじんでいた知人。
 その人のことは、たとえば「歩き方」「話し方」「黙り方」など、いろいろな「方」のなかにある。「方」は「型」でもあるのだけれど、「方」の方が「型」よりも自分の印象というものに近い。つまり、「方」には、水野の感覚が反映している。「方」には水野の肉体そのものがかかわっている。「型」の方は、その主体(主語)が決定することだけれど、「方」の方には受けての印象が絡んでいる。
 で、そういうことから、

ぬれ方や薄れ方でそれとわかる

 へ引き返すと--それはゾウの残したものというよりも、水野の肉体になじんでいる何かなのだと「わかる」。私の「肉体」はそう判断する。
 私はいま、外国の風景(ゾウのいる外国のカフェ)ではなく、水野の「肉体」と出合っている。セックスをしている気持ちになるのである。

 「方」をセックスとむすびつけると、「方」が「肉体」のなかにあるものということがわかりやすくなる。あ、ここで、こういう感じ方をするのか。ここでこういう反応の仕方をするのか……。そういうときの「方」だね。

 脱線してしまったが、私は、こんな具合にしてあらわれてくる「肉体」というものを信じている。そこに「詩」があると感じている。



 長田典子「空は細長く」のなかに、「肉体」で覚えた美しい行があった。


空は蛇行する川の形に沿って
どこまでも曲がりくねる道のように細長く見えた

 長田の暮らした村の風景であろう。川の蛇行に沿って、細い道が蛇行している。このときの蛇行は蛇行であっても一本道、まっすぐと「意味」はかわらない。それをまっすぐと見る視線が空をまっすぐに見上げる。そうすると、空は道の形のまま細長くのびている。そこにまっすぐな「青」がある。
 長田の書いている「細長く」のあとには「のびる(まっすぐ)」ということばが省略されていて、その「まっすぐにのびる」無意識が、幼い日の記憶とつながるという形(仕方)で、詩が展開する。

水野るり子詩集 (新・日本現代詩文庫)
水野 るり子
土曜美術社出版販売


詩集 清潔な獣
長田 典子
砂子屋書房
コメント (1)
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