谷川俊太郎「こころ」再読(2)
谷川俊太郎は、「意味」を固定しない。詩のなかに、違った「意味」というか、対立するもの、矛盾するものを用意している。
「こころ1」「こころ2」とはまったく調子が違う。
ここには「耳年増」のことばがない。--言い換えると、すべてが谷川の「体験」に根ざしたことばのように見える。猫を見て、詩を思いついたのだ、という感じがとても強い。
で、私が今回の詩で書こうとしている「意味の違い」(対比)も、
という具合。
そうか、谷川は真剣に考えたんだなあ。
何を?
その直前のことを。つまり、猫が去っていって、そのあとに「見えない何か」が残っている。見なないものって、なんだろう。「こころ」。
そうかな?
そうなのかもしれない。で、こころがどこかに残ったままだと「心もとない」ということが起きる。最後の行に書いてあることだね。
この詩は「心もとない」ということはどういうことか--それを「定義」した詩なのかもしれない。そういう意味では「意味」の強い詩だ。
ということよりも、私がほんとうに書きたかったのは。
実は、私はこの行を「誤読」して、
それは猫の「顎」だろう、と読んで、とってもおもしろいと思ったのだ。猫は伸びをしたのであって、あくびをしたのではないのだが、私は伸びとあくびをいっしょに考えているのだろう、その、あくびのときの広がった顎がまぼろしのようにそこに残っている。残像になっていると思い、あ、いいなあそういう残像をみたいなあ、と思ったのである。
でも、違ったね。
違ったのだけれど、その残像というものは、実は猫が残したものであっても、猫だけでは成立しない、その残像を受け止める「こころ」がないと成立しない。
そう考えると、
あれっ? 私と谷川はどこで交錯しているのだろう。
谷川俊太郎は、「意味」を固定しない。詩のなかに、違った「意味」というか、対立するもの、矛盾するものを用意している。
こころ3
朝 庭先にのそりと猫が入ってきた
ガラス戸越しに私を見ている
何を思っているのだろう
と思ったらにやりと猫が笑った
(ように思えた)
これ見よがしに伸びをして猫は去ったが
見えない何かがあとに残っている
それは猫のあだごころ?
それとも私のそらごころ?
空はおぼろに曇っている
猫がこれから行くところ
私がこれから行かねばならないところ
どちらも遠くではないはずだが
なぜか私は心もとない
「こころ1」「こころ2」とはまったく調子が違う。
ここには「耳年増」のことばがない。--言い換えると、すべてが谷川の「体験」に根ざしたことばのように見える。猫を見て、詩を思いついたのだ、という感じがとても強い。
で、私が今回の詩で書こうとしている「意味の違い」(対比)も、
それは猫のあだごころ?
それとも私のそらごころ?
という具合。
そうか、谷川は真剣に考えたんだなあ。
何を?
その直前のことを。つまり、猫が去っていって、そのあとに「見えない何か」が残っている。見なないものって、なんだろう。「こころ」。
そうかな?
そうなのかもしれない。で、こころがどこかに残ったままだと「心もとない」ということが起きる。最後の行に書いてあることだね。
この詩は「心もとない」ということはどういうことか--それを「定義」した詩なのかもしれない。そういう意味では「意味」の強い詩だ。
ということよりも、私がほんとうに書きたかったのは。
それは猫のあだごころ?
実は、私はこの行を「誤読」して、
それは猫のあごだろ?
それは猫の「顎」だろう、と読んで、とってもおもしろいと思ったのだ。猫は伸びをしたのであって、あくびをしたのではないのだが、私は伸びとあくびをいっしょに考えているのだろう、その、あくびのときの広がった顎がまぼろしのようにそこに残っている。残像になっていると思い、あ、いいなあそういう残像をみたいなあ、と思ったのである。
でも、違ったね。
違ったのだけれど、その残像というものは、実は猫が残したものであっても、猫だけでは成立しない、その残像を受け止める「こころ」がないと成立しない。
そう考えると、
あれっ? 私と谷川はどこで交錯しているのだろう。
自選 谷川俊太郎詩集 (岩波文庫) | |
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