監督 グザビエ・ドラン 出演 アンヌ・ドルバル、スザンヌ・クレマン、アントワン=オリビエ・ピロン
私は、カメラがあからさま演技をする映画は好きになれない。この映画ではほとんどのシーンが「正方形」のフレームで描かれる。横長のスクリーンを見なれた目にはとても窮屈である。そして、その窮屈がそのまま登場人物の窮屈を代弁している。
手抜きじゃない?
シネマスコープサイズであろうと、窮屈を感じさせなければ、それは映画として映像が不完全であるということ。
最初にスクリーンのサイズが押し広げられるは、少年がスケートボードで走り、それを母親と向かいの家の母の女友達が追いかけるシーン。少年がスクリーンのわきを、ぐいと押し広げる。少年のこころが広がる様子がスクリーンの大きさに反映される。あまりにもばかばかしい。
次に、少年を入院させるために母親が車を運転するシーン。運転士ながら、母親は少年が行動障害を克服し、大学へ進学し、結婚し……という夢(希望)を思い描く。もし、そうであったなら、彼女のこころはスクリーンのように広いのだ。こころののびやかさがそのままスクリーンに反映されるという点で、最初のシーンと同じ。心象を代弁している。これも、あまりにもばかばかしい。
どうせなら、最後の最後。少年が脱走を試みるシーンをこそ拡大スクリーンで展開すべきなのだ。そうすれば、最初の少年のこころと、次の母親のこころが、最後にひとつになって「自由」を獲得するという、観客の「夢(希望)」と重なる。母親の「愛情よりも希望を選んだ」ということばも、最後の脱走シーンが正方形のままでは、自己弁護になってしまう。「ことば」にこめた思いを「映像」にして見せないことには「映画」とは言えない。
「現実」はあまくない、ということなのだろうが、「架空の法案」をつくって「架空」の話にし、冒頭の施設の「水浸しの廊下」で「架空」を強調しているのだから、(それとも、この法案はほんもの? カナダの事情に詳しくないのでわからない)、これでは「映画」にする意味がない。
「現実」を描くなら、最初からふつうのサイズのスクリーンで、その映像の内部を濃密にしないといけない。母と少年、それから言語障害に苦しむ教師という三人の変化を見せることに徹すればいい。アップの濃密さを正方形に閉じ込める必要はない。三人の力演が、正方形の画面と、それを一瞬だけ拡大して見せるという小賢しい技法のために死んでしまった。
文句ばかり書きながら★3個なのは、主役三人の演技がすばらしかったから。少年がカラオケ歌うシーンなど、周囲の情報をしっかりとりこんでいて(情報量が多いのに、すべて有機的に表現されていて)、とてもすばらしい。これがふつうのスクリーンで展開されていたのなら★5個を超える大傑作。
(2015年05月16日、KBCシネマ2)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
私は、カメラがあからさま演技をする映画は好きになれない。この映画ではほとんどのシーンが「正方形」のフレームで描かれる。横長のスクリーンを見なれた目にはとても窮屈である。そして、その窮屈がそのまま登場人物の窮屈を代弁している。
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シネマスコープサイズであろうと、窮屈を感じさせなければ、それは映画として映像が不完全であるということ。
最初にスクリーンのサイズが押し広げられるは、少年がスケートボードで走り、それを母親と向かいの家の母の女友達が追いかけるシーン。少年がスクリーンのわきを、ぐいと押し広げる。少年のこころが広がる様子がスクリーンの大きさに反映される。あまりにもばかばかしい。
次に、少年を入院させるために母親が車を運転するシーン。運転士ながら、母親は少年が行動障害を克服し、大学へ進学し、結婚し……という夢(希望)を思い描く。もし、そうであったなら、彼女のこころはスクリーンのように広いのだ。こころののびやかさがそのままスクリーンに反映されるという点で、最初のシーンと同じ。心象を代弁している。これも、あまりにもばかばかしい。
どうせなら、最後の最後。少年が脱走を試みるシーンをこそ拡大スクリーンで展開すべきなのだ。そうすれば、最初の少年のこころと、次の母親のこころが、最後にひとつになって「自由」を獲得するという、観客の「夢(希望)」と重なる。母親の「愛情よりも希望を選んだ」ということばも、最後の脱走シーンが正方形のままでは、自己弁護になってしまう。「ことば」にこめた思いを「映像」にして見せないことには「映画」とは言えない。
「現実」はあまくない、ということなのだろうが、「架空の法案」をつくって「架空」の話にし、冒頭の施設の「水浸しの廊下」で「架空」を強調しているのだから、(それとも、この法案はほんもの? カナダの事情に詳しくないのでわからない)、これでは「映画」にする意味がない。
「現実」を描くなら、最初からふつうのサイズのスクリーンで、その映像の内部を濃密にしないといけない。母と少年、それから言語障害に苦しむ教師という三人の変化を見せることに徹すればいい。アップの濃密さを正方形に閉じ込める必要はない。三人の力演が、正方形の画面と、それを一瞬だけ拡大して見せるという小賢しい技法のために死んでしまった。
文句ばかり書きながら★3個なのは、主役三人の演技がすばらしかったから。少年がカラオケ歌うシーンなど、周囲の情報をしっかりとりこんでいて(情報量が多いのに、すべて有機的に表現されていて)、とてもすばらしい。これがふつうのスクリーンで展開されていたのなら★5個を超える大傑作。
(2015年05月16日、KBCシネマ2)
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