嵯峨信之を読む(57)
102 こおろぎ 1
最終行の「ナイフ」が何かを象徴しているのかもしれない。それが何を象徴しているかを探すのが批評というものかもしれない。
しかし、私はそれよりも「子供よ」ということばが三回繰り返されているところにこころが動く。なぜ三回も繰り返す必要があったのか。最初は「子供よ」とだけ繰り返され、三回目には長い修飾語がついている。
この「子供」は嵯峨の幼い日の自画像かもしれない。自分に向かって語りかけている。「死」はおとなにとってもよくわからないものだが、子供にとってはもっとわかりにくい何事かである。わかりにくいけれど、子供の方が直観で正確につかみとってしまうかもしれない。
長い堤を走っていたとき、こおろぎが鳴いているのが聞こえた。それは次の日(次の朝、あるいは昼に)来てみれば、もう鳴いていない。
その突然の断絶。そういう「断絶」があるということを、子供は「事実」として受け止めてしまう。「意味づけ」をしない。「意味づけ」できない。
嵯峨は、子供のように、いま、誰かの死と直面した。「意味づけ」できない「断絶」と出会った。そして、その「断絶」の厳しさに、ふと子供だったときのことを思い出したのかもしれない。あの「断絶」をおぼえている子供よ、子供よ、子供よ、呼びかけながら「子供」にもどろうとしている。
そんなふうに読むことはできないだろうか。
このとき「ナイフの切尖き」は「いま/そこにある死」を切り取って(切断して)、嵯峨を子供時代へかえしてくれる「いのり」のようなものを含んでいるかもしれない。「無垢ないのち」をもう一度生きることができたなら、「死」を「無垢な死(意味づけされない死/全体的な存在)」として受け入れることができたならと思いながら、いま/ここにある死と向き合っている。
102 こおろぎ 2
「ころおぎ 1」と対になっている詩なのかもしれない。「こおろぎ」ということばのほかに「夜明け」「太陽」「のぼる(登る)」「死んだ(死んでいた)」ということばが重複する。「鳴いていた」「すすり泣いていた」は似ているが、かなり違う。
「2」の「ぼく」は「1」の「子供」と同じひとだろうか。同じかもしれないが、「年代」が違うと思う。「2」の「車輪の下」はヘッセの小説を思い起こさせる。「ぼく」は思春期。いっぽう「長堤をひた走る子供」はそれよりも幼い。
「子供」は、書いてはないのだが、泣きながら走った。泣きながら、走りながら、こおろぎの鳴くのを聞いた。このときこおろぎは「泣いていない」。子供に同調しない。この「断絶」が「死」を絶対的なものとして受け入れるときの、子供の「許容力(受容力)」を育てていると思う。子供は直感的に「断絶」を認識するのである。
一方、「2」の方でも、「(思春期の)ぼく」が「泣いている」とは書いてはないのだが、こおろぎが「すすり泣いていた」と書かれるとき、そのこおろぎが「泣く」という動詞が人間(ぼく)を引き込んでしまう。「ぼく」は泣いていた。そのためにこおろぎが「鳴く」ではなく、「泣いている」と感じたのだ。「ぼく」と「こおろぎ」は同調している。その同調に「車輪の下」ということばが重なり、同調を強くする。
「2」で「死んでいた」のは「(思春期の)ぼく」だろう。「ぼく」が「こおろぎ」になって「死んでいる」。友の裏切りによって、自分のなかの何か(友情とか、友人を信じる気持ち)が死んでしまう。この「死」は、「1」の子供が感じた「死」とは違って、「ぼく」に接続している。切ろうにも切れない。「断絶」がない。いつまでも「ぼく」についてくる「記憶(感情)」である。
「断絶」と「接続」の違いが「1」と「2」の違い、「非情な(強い)美しさ」と「センチメンタルな(弱い)美しさ」の違いを産んでいるように感じられる。
現実には(これは私の想像なのだが……)、思春期時代の学校の友達とは違って、嵯峨を裏切ることなどなかった無二の親友が死んだ。その死に直面して、嵯峨は自分が経験してきた「子供時代の死(こおろぎ/他人の死)」と「思春期の死(自分の精神的な死)」を思い出し、二つの思い出のなかで、死とはなんだろうかと思いながら友人の死と向き合っているのだろう。そう理解してもなお、しかし、私には「1」の方が絶対的な美しさに触れているように思える。
102 こおろぎ 1
子供よ
子供よ
荒寥とした長堤をひた走る子供よ
夜明けまでそこの草むらで鳴いていたこおろぎは死んだ
太陽がのぼるとともに死んだ
草むらのしげみにナイフの切尖きがするどく光つている
最終行の「ナイフ」が何かを象徴しているのかもしれない。それが何を象徴しているかを探すのが批評というものかもしれない。
しかし、私はそれよりも「子供よ」ということばが三回繰り返されているところにこころが動く。なぜ三回も繰り返す必要があったのか。最初は「子供よ」とだけ繰り返され、三回目には長い修飾語がついている。
この「子供」は嵯峨の幼い日の自画像かもしれない。自分に向かって語りかけている。「死」はおとなにとってもよくわからないものだが、子供にとってはもっとわかりにくい何事かである。わかりにくいけれど、子供の方が直観で正確につかみとってしまうかもしれない。
長い堤を走っていたとき、こおろぎが鳴いているのが聞こえた。それは次の日(次の朝、あるいは昼に)来てみれば、もう鳴いていない。
その突然の断絶。そういう「断絶」があるということを、子供は「事実」として受け止めてしまう。「意味づけ」をしない。「意味づけ」できない。
嵯峨は、子供のように、いま、誰かの死と直面した。「意味づけ」できない「断絶」と出会った。そして、その「断絶」の厳しさに、ふと子供だったときのことを思い出したのかもしれない。あの「断絶」をおぼえている子供よ、子供よ、子供よ、呼びかけながら「子供」にもどろうとしている。
そんなふうに読むことはできないだろうか。
このとき「ナイフの切尖き」は「いま/そこにある死」を切り取って(切断して)、嵯峨を子供時代へかえしてくれる「いのり」のようなものを含んでいるかもしれない。「無垢ないのち」をもう一度生きることができたなら、「死」を「無垢な死(意味づけされない死/全体的な存在)」として受け入れることができたならと思いながら、いま/ここにある死と向き合っている。
102 こおろぎ 2
すべての友がつぎつぎにぼくを裏切つていつた
夜明けまで大きな車輪の下ですすり泣いていたこおろぎよ
太陽がふたたび登りはじめたときに
こおろぎは車輪の下で全く死んでいた
「ころおぎ 1」と対になっている詩なのかもしれない。「こおろぎ」ということばのほかに「夜明け」「太陽」「のぼる(登る)」「死んだ(死んでいた)」ということばが重複する。「鳴いていた」「すすり泣いていた」は似ているが、かなり違う。
「2」の「ぼく」は「1」の「子供」と同じひとだろうか。同じかもしれないが、「年代」が違うと思う。「2」の「車輪の下」はヘッセの小説を思い起こさせる。「ぼく」は思春期。いっぽう「長堤をひた走る子供」はそれよりも幼い。
「子供」は、書いてはないのだが、泣きながら走った。泣きながら、走りながら、こおろぎの鳴くのを聞いた。このときこおろぎは「泣いていない」。子供に同調しない。この「断絶」が「死」を絶対的なものとして受け入れるときの、子供の「許容力(受容力)」を育てていると思う。子供は直感的に「断絶」を認識するのである。
一方、「2」の方でも、「(思春期の)ぼく」が「泣いている」とは書いてはないのだが、こおろぎが「すすり泣いていた」と書かれるとき、そのこおろぎが「泣く」という動詞が人間(ぼく)を引き込んでしまう。「ぼく」は泣いていた。そのためにこおろぎが「鳴く」ではなく、「泣いている」と感じたのだ。「ぼく」と「こおろぎ」は同調している。その同調に「車輪の下」ということばが重なり、同調を強くする。
「2」で「死んでいた」のは「(思春期の)ぼく」だろう。「ぼく」が「こおろぎ」になって「死んでいる」。友の裏切りによって、自分のなかの何か(友情とか、友人を信じる気持ち)が死んでしまう。この「死」は、「1」の子供が感じた「死」とは違って、「ぼく」に接続している。切ろうにも切れない。「断絶」がない。いつまでも「ぼく」についてくる「記憶(感情)」である。
「断絶」と「接続」の違いが「1」と「2」の違い、「非情な(強い)美しさ」と「センチメンタルな(弱い)美しさ」の違いを産んでいるように感じられる。
現実には(これは私の想像なのだが……)、思春期時代の学校の友達とは違って、嵯峨を裏切ることなどなかった無二の親友が死んだ。その死に直面して、嵯峨は自分が経験してきた「子供時代の死(こおろぎ/他人の死)」と「思春期の死(自分の精神的な死)」を思い出し、二つの思い出のなかで、死とはなんだろうかと思いながら友人の死と向き合っているのだろう。そう理解してもなお、しかし、私には「1」の方が絶対的な美しさに触れているように思える。
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