詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天皇生前退位

2017-06-02 10:20:08 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇生前退位
               自民党憲法改正草案を読む/番外81(情報の読み方)

 天皇の生前退位法案が衆院委で可決された。
 読売新聞2017年06月02日朝刊(西部版・14版)の1面に次のくだりがある。

 菅氏は、特例法案で退位の対象を今の天皇陛下に限った理由について、「将来の政治・社会情勢や国民意識の全てを網羅した要件を定めることは困難」と説明した。その上で「(特例法案の)作成プロセスや基本的な考え方は、将来の(天皇の退位の)先例となりうる」との見解を示した。

 「見解」ということばがくせものである。菅個人の「見解」か、安倍政権の「見解」か。だいたい憲法を「解釈」で変えてしまう政権に「見解」というフリーハンドをあたえておいていいのか。
 「将来の政治・社会情勢や国民意識の全てを網羅した要件」というようなことを言い出せば、あらゆる法律が成り立たない。「現在の要件」から出発し、必要があれば改正するしかないのが法律というものだろう。
 「先例となりうる」ではなく、「先例とする」ということだろう。
 「先例」とした場合、どういう問題が出てくるか。

 また、菅氏は「天皇の意思を退位の要件とすることは、天皇の政治的権能の行使を禁止死する憲法との関係から問題がある」と指摘した。

 今後の天皇の「退位」については、特例法案が先例になる。ただし、天皇の意思表明は前提としない。前提としないことを明確にするために、天皇の意思によるものであるという文言は特例法案に盛り込まなかったということらしいが。
 私は逆に読む。
 天皇の退位の意思表明がないと天皇を退位させられないのであれば、不都合が生じるかもしれない。「意思」には「したい」という意思と、「したくない」という意思がある。天皇が「退位したくない」と表明したときはどうするか。それは「天皇の政治的権能の行使を禁止」に抵触することはないのか。
 「天皇の意思」がどういうものか、問わない。「天皇の意思」そのものを排除するために法案がつくられた、ととらえるべきだろう。「天皇の意思」とは無関係に、政権が政権に都合のいい天皇を生み出すためにつくられた法案である。
 政権の「意思」で天皇を自在に交代させるということを防ぐために、法案はどういう項目を設けているのか。そのチェックはおこなわれたのか。
 「先例化」は自民党が民進党の主張に譲歩した結果であると読売新聞は報じている(4面)が、民進党は安倍・菅に利用されているだけである。天皇を天皇の意思に反して交代させる(退位させる)ということが起きたとき、「民進党が先例化を求めた。だから、その意向に沿って、天皇を交代させる根拠にした」と言われるだけである。

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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「前川抹殺事件」その3

2017-06-02 09:47:30 | 自民党憲法改正草案を読む
「前川抹殺事件」その3
               自民党憲法改正草案を読む/番外80(情報の読み方)

 読売新聞2017年06月02日朝刊(西部版・14版)の4面に小さな記事が載っている。

加計学園問題で首相、前川前時間を批判/現役時「反対なかった」

 安倍首相は1日、ニッポン放送のラジオ番組収録で、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画を巡り、早期開学を「総理の意向」とした文書が存在していたと明言した前川喜平・前文部科学次官について、「(現役時代に)なんで反対しなかったのか不思議でしょうがない」と批判した。

 この記事には驚くべきことが書かれている。
 読売新聞が安倍の発言を知ったのはいつか。「1日、ニッポン放送のラジオ番組収録で」「批判した」とある。放送はいつか。まだ放送されていない内容が、読売新聞に書かれている。「1日のニッポン放送によると」ではない。
 これは、とてもおかしい。ニッポン放送が放送前の情報を読売新聞に提供したということだ。報道機関がこういうことをするのは異常ではないだろうか。突発事故が何か起きて、収録したけれど放送されない番組もある。放送に先立ち、新聞が内容を伝えるのでは、放送の意味がないだろう。ニッポン放送は「詳しくは読売新聞の報道を読んでください」とでもいうのだろうか。
 「なぜ反対しなかったのか」ではなく、「なんで反対しなかったのか」と口語そのままを再現しているところをみると、ニッポン放送は「収録音源」を読売新聞に提供している。「収録音源」を読売新聞に提供するという「了解」をとって取材したのだろうか。
 報道機関というのは、それぞれ独立しているはずである。同じ事件でも報道機関によってとらえ方が違うということがある。だからこそ複数の報道機関が存在する意味もある。同じ「意味」、同じ「解説」では、複数存在する存在理由がない。ニッポン放送は、自らの首を絞めている。

 安倍の批判内容はすでに世間に流布しているものと同じである。「(現役時代に)なんで反対しなかったのか」。まっとうな批判のようだが、現役時代に反対できないことはいくらでもある。反対できない事情はいくらでもある。「降格されるといやだなあ、首になると困るなあ」という個人的な事情も入ってくる。「正義のため」という理由だけですべての人が行動できるわけではない。
 現役時代は反対できなかった、反対しなかったが、現役を離れたので、かつての行為を反省し、明らかにする、ということは別におかしいことではない。反省する、反省した過去の過失を明らかにするというのは、批判されるべきことではない。間違いに気づいて、その間違いが過去のことだから言わないという方がおかしくないか。ひとが正しいことをするのに「遅い」ということはない。
 読売新聞の記事はさらに書いている。

 首相は、「前川氏は私の意向かどうか確かめようと思えば確かめられる。大臣と一緒に私のところに来ればいいじゃないですか」とも語った。

 これも、「組織」としては不可能だろうなあ。
 「反対」と言おうとしても、「一緒に」行くはずの大臣が押しとどめるだろう。「きみが直接首相にいうようなことではない」とか。「直属の上司である私に言え。その意見に納得すれば、私が首相に言う」と大臣は言うだろう。
 安倍だって、「その話は直属の上司と十分に話し合え。十分に話し合った結果なのか」と叱り飛ばすだろう。
 だいたい次官が安倍に直接反対を言えるような開かれたシステムになっているのか。
 問われているのは、システムそのものなのだ。個人の意見が反映しなくなっている安倍独裁が問われているのに、「直接言え」というのは問題のすりかえである。

 今回の「前川事件」で問題なのは、菅が情報提供し、読売新聞が書いた前川についての記事が「誤報」ではないということだ。前川が出会い系バーに出入りしていたということは「事実」。前川も認めている。ただ、その「事実」は真相の一部しか伝えていない。前川がそこで何をしたのか。それを読者の「想像力(妄想)」に任せてしまっている。その想像力が間違っていたとしたら、「訂正」すべきは記事ではなく、読者自身の想像力であるという「論理」(屁理屈)が成り立つ。そういうところで、前川批判が動いている。
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-33)

2017-06-02 08:59:15 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-33)(2017年06月02日)

 「旅の小さな仏たち」という章に入る。

65 *(妻よ)

妻よ
日も夜も追いつけないほど遠く行つてしまい

 「日も夜も追いつけない」とはどれだけ時間をかけてもということだろう。昼も追いかけ、夜も追いかける。休まずに追いかける。「何日かけても」も同じ意味だが、「夜」が入ってくると印象が変わる。切実になる。「日に夜をついで」ということばを思い出させる。古いことばを洗い直して鍛える、というのも詩の仕事だ。

66 *(さいごの一枚をめくつても)

さいごの一枚をめくつても
まだそのあとに一枚残つていたカレンダー

 「さいご」と思っていたが、まだ「残つていた」。「思っていたが」が省略されている。「思う」を省略することによって、衝撃が強くなる。「思う」間もなく、「事実」があらわれてくる。「事実」は「思い」を裏切る。

そこに死がこつそりと隠れていた

 妻の死を語る作品群はどれも短い。悲しみが強くて、ことばを持続できない。その不完全さ(?)のなかに美しさがある。


嵯峨信之全詩集
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思潮社

コメント (1)
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