安倍の手口(天皇生前退位特例法成立後の動き)
自民党憲法改正草案を読む/番外88(情報の読み方)
2017年06月18日読売新聞朝刊(西部版・14版)は1面・2面に御厨貴の寄稿が載っている。「上皇・天皇・皇嗣の新時代」というタイトルがついている。
このなかで御厨は、こう書いている。
「天皇御一家三代」とは何か。いま、「天皇-皇太子-愛子」という「三代」がある。「天皇-秋篠宮-真子・佳子・悠仁」という「三代」がある。しかし天皇が生前退位したあとの「上皇(今の天皇)-天皇(皇太子)-皇嗣(秋篠宮)」というのは「三代」か? 私の数え方では「二代」である。これが「三代」になるためには、
にならないといけない。
つまり、
でないと、男子直系の「三代」にはならない。
「皇位継承」ということで「天皇-皇太子-秋篠宮」なら、すでに今の皇位継承順位とかわらないし、そのあとに悠仁を結びつけるなら「四代」にわたって「継承」は決まっている。わざわざ「三代」に引き戻して論理を展開する必要がない。
安倍は口をつぐんでいるが、安倍の選んだ「有識者会議」で「座長代理」をつとめた御厨が、安倍の「意向」を口にしてしまっているところが、なんともおもしろい。
安倍は天皇を生前退位させたあと、皇太子を天皇にするが、それは「仮の天皇」であることがここからもうかがえる。「新しい天皇(皇太子)」を早く退位させ、「秋篠宮-悠仁」を「天皇-皇太子」という形にする、そうすることで「三代」の天皇継承をスムーズにする(?)という狙いが「生前退位特例法」にあったことを、明確に語っている。
「新しい天皇(皇太子)」を早く生前退位させるためには、「定年制」は絶対に設けてはならない条項だったのだ。
興味深いことはいろいろ書いてある。
私は、これを「象徴としての務め」はいまの天皇が勝手に自分ではじめたこと。それをそのまま次代の天皇が引き継ぐ必要はない、といっているのだと読む。
選択してもよい、とは、減らしてもいいということである。減らせば「総量」が減るから「限界」ではなくなる。
というのは、みせかけの論理。
天皇が国民と直に接触する機会を減らし、天皇と国民の密接な関係をなくしたいのである。
「天皇(皇室)」を「皇居」のなかに閉じこめ、発言を封じる。これが安倍の狙っている「独裁」の理想像なのである。
現在の天皇は「護憲派」と見られている。皇太子も天皇の考え方に近いようにうかがえる。秋篠宮は少し距離がある。なんといっても、「皇太子」として教育されていない。意識がちがう。その子供の悠仁は「象徴」につていも、「憲法」についてもまだ明確な考えを持っていないだろう。天皇になるための教育も行われていないだろう。早く悠仁を「摂政」にして、天皇(秋篠宮)を蚊帳の外におき、安倍が「天皇」として権力を奮うということである。
御厨は、その安倍の欲望(意向?)を忖度して、こういう文章を書いたのだろう。
末尾に、御厨はこう書いている。
私は、この部分をこう読む。
「上皇陛下」「天皇陛下」「皇嗣陛下」と「陛下」が三人もいては、「統一」した見解、行動はむずかしい。三人がばらばらな考えを実行に移すようでは国民が混乱する。「多様性」は「混乱」のもとである。だから三人の行動(国民との接触行動)は極力少なくし、安倍の考えだけが国民に伝わるようにする。「独裁」がスムーズに行われるようにするために、三人の行動を制限する。
「独裁」が天皇の生前退位によって加速する、と読む。
こういうことをごまかすために「多彩な彩りを持つ天皇制度が、まもなく開花する。」というような「美しいことば」がしめくくりに選ばれている。
安倍は直接語らない。安倍の「意向」を語ってくれる人を選び、その人間に語らせる。見返りは「優遇」である。御厨がどんな「優遇」をこれから受けるのか(すでに受けているのか)知らないが、私は、そんな具合に「妄想」する。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位
自民党憲法改正草案を読む/番外88(情報の読み方)
2017年06月18日読売新聞朝刊(西部版・14版)は1面・2面に御厨貴の寄稿が載っている。「上皇・天皇・皇嗣の新時代」というタイトルがついている。
このなかで御厨は、こう書いている。
この国は明治150年を迎えて、初めて「天皇御一家三代おそろい」の形での移り変わりを体験する。
「天皇御一家三代」とは何か。いま、「天皇-皇太子-愛子」という「三代」がある。「天皇-秋篠宮-真子・佳子・悠仁」という「三代」がある。しかし天皇が生前退位したあとの「上皇(今の天皇)-天皇(皇太子)-皇嗣(秋篠宮)」というのは「三代」か? 私の数え方では「二代」である。これが「三代」になるためには、
上皇(今の天皇)-秋篠宮-悠仁
にならないといけない。
つまり、
天皇-天皇の子供(男子=皇太子)-皇太子の子供(男子=天皇の孫)
でないと、男子直系の「三代」にはならない。
「皇位継承」ということで「天皇-皇太子-秋篠宮」なら、すでに今の皇位継承順位とかわらないし、そのあとに悠仁を結びつけるなら「四代」にわたって「継承」は決まっている。わざわざ「三代」に引き戻して論理を展開する必要がない。
安倍は口をつぐんでいるが、安倍の選んだ「有識者会議」で「座長代理」をつとめた御厨が、安倍の「意向」を口にしてしまっているところが、なんともおもしろい。
安倍は天皇を生前退位させたあと、皇太子を天皇にするが、それは「仮の天皇」であることがここからもうかがえる。「新しい天皇(皇太子)」を早く退位させ、「秋篠宮-悠仁」を「天皇-皇太子」という形にする、そうすることで「三代」の天皇継承をスムーズにする(?)という狙いが「生前退位特例法」にあったことを、明確に語っている。
「新しい天皇(皇太子)」を早く生前退位させるためには、「定年制」は絶対に設けてはならない条項だったのだ。
興味深いことはいろいろ書いてある。
(1)陛下は、戦後憲法の定めによる“象徴”としての公的行為の創設者である。
(2)問題は陛下創設の“象徴”としてのお勤めの総量・総体にある。
(3)(宮内庁は、公的行為はこれ以上軽減は不可能、限界であるといっているが)次代の天皇にも同様の限界論が生じる恐れはある。
(4)(専門家のヒアリングでは)次代の天皇が自ら「象徴としてのお務め」を新たに創出していくプロセスで、選択の自由を行使してもよいとの方向性を示唆していた。
私は、これを「象徴としての務め」はいまの天皇が勝手に自分ではじめたこと。それをそのまま次代の天皇が引き継ぐ必要はない、といっているのだと読む。
選択してもよい、とは、減らしてもいいということである。減らせば「総量」が減るから「限界」ではなくなる。
というのは、みせかけの論理。
天皇が国民と直に接触する機会を減らし、天皇と国民の密接な関係をなくしたいのである。
「天皇(皇室)」を「皇居」のなかに閉じこめ、発言を封じる。これが安倍の狙っている「独裁」の理想像なのである。
現在の天皇は「護憲派」と見られている。皇太子も天皇の考え方に近いようにうかがえる。秋篠宮は少し距離がある。なんといっても、「皇太子」として教育されていない。意識がちがう。その子供の悠仁は「象徴」につていも、「憲法」についてもまだ明確な考えを持っていないだろう。天皇になるための教育も行われていないだろう。早く悠仁を「摂政」にして、天皇(秋篠宮)を蚊帳の外におき、安倍が「天皇」として権力を奮うということである。
御厨は、その安倍の欲望(意向?)を忖度して、こういう文章を書いたのだろう。
末尾に、御厨はこう書いている。
「上皇陛下」「天皇陛下」「皇嗣陛下」と三代おそろいで極めて多彩な彩りを持つ天皇制度が、まもなく開花する。
私は、この部分をこう読む。
「上皇陛下」「天皇陛下」「皇嗣陛下」と「陛下」が三人もいては、「統一」した見解、行動はむずかしい。三人がばらばらな考えを実行に移すようでは国民が混乱する。「多様性」は「混乱」のもとである。だから三人の行動(国民との接触行動)は極力少なくし、安倍の考えだけが国民に伝わるようにする。「独裁」がスムーズに行われるようにするために、三人の行動を制限する。
「独裁」が天皇の生前退位によって加速する、と読む。
こういうことをごまかすために「多彩な彩りを持つ天皇制度が、まもなく開花する。」というような「美しいことば」がしめくくりに選ばれている。
安倍は直接語らない。安倍の「意向」を語ってくれる人を選び、その人間に語らせる。見返りは「優遇」である。御厨がどんな「優遇」をこれから受けるのか(すでに受けているのか)知らないが、私は、そんな具合に「妄想」する。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位
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