詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-37)

2017-06-06 10:40:46 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「嵯峨信之全詩集/時刻表(1975)」を読む(3-37)(2017年06月06日)

73 *(妻の死を嘆くな)

と 自分にいいきかせるのだが
時刻を宿していないその言葉はぼくには少しも聞きとれない

 「時刻」は「時刻表」の時刻。タイムスケジュール。いつとは決まっていない。いつやってくるのか、わからない。やってこないと思っていると、突然やってくる。驚き(衝撃)が強すぎて、何が起きたかわからない。
 いや、何が起きたかはわかる。
 わかるけれど、受け止められない。
 それを「聞きとれない」と言いなおしている。
 自分の発することばだから「意味」はわかる。しかし「わからない/聞きとれない」ということでしか、その瞬間を生きることができない。

 「時刻表」という詩集のタイトルの意味が、この詩を読むことでわかる。感情には「時刻表」がない。

74 旅の小さな仏たち

何も数えなくてもいい
指は五本ずつある
二つの手を合わせて同じものが十本
それを折りまげずに真つすぐにして 向い合わせて
指の腹と腹 掌と掌とをぴつたりくつつけて両手を閉じる

 「合掌」の形を描写している。描写することで、嵯峨自身が「小さな仏」になる。詩は「その群れにまじつてたち去つて行くおまえに」とつづくのだから、妻の描写と読むべきなのかもしれないが、私は妻の冥福を祈る嵯峨と読む。
 祈ることで、妻と一体になる嵯峨。離れていても一体。一体になるために、ことばが重なる。ことばを肉体で反復するとき、一体であることが「事実」になる。


嵯峨信之全詩集
クリエーター情報なし
思潮社


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