詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

離島有事対策?

2017-06-26 12:42:25 | 自民党憲法改正草案を読む
離島有事対策?
               自民党憲法改正草案を読む/番外94(情報の読み方)

 2017年06月26日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面。

空自F35 空対地ミサイル/導入検討 離島有事に備え/射程 300キロ 敵基地攻撃能力 念頭か

 という見出し。記事には、こうある。

国内の離島有事に備えるのが主目的だが、自衛のために相手国の基地などを攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有を念頭に置いているとの見方もある。

 私は「現実的」にしか考えられない、非論理的人間なので、とても疑問に思う。
 「離島有事」というのは離島が「敵」によって侵攻されたとき、占領されたときということだろう。離島が侵攻、占領されるまでには、領海侵犯があり、海戦があるのでは? 領海侵犯は見過ごしてしまう? 自衛隊には対応能力がない?
 まあ、そうだとして。
 離島が占有されたとして、その離島にいる敵を攻撃するのに、いきなり射程 300キロの空対地ミサイル? ええっ? ちゃんと「目視」して攻撃した方がいいんじゃないの? だいたい離島に「敵」が侵攻してきて、そこに「基地」を造り上げるまで、自衛隊は何もしないのか。
 そんなことはないだろう。
 読売新聞は、こう書いている。

防衛省は南西諸島などの離島防衛に備え、態勢強化を進めている。陸上自衛隊に新型輸送機「オスプレイ」を導入するほか、海兵隊機能を持つ「水陸機動隊」を創設する予定だ。

 離島が侵攻、占領されたら、そこを奪い返すために「陸上」で戦うというのが最初にすること。海兵隊というのはそのためのものだろう。それは「創設」はするけれど、戦わない? 出動しない?  300キロ離れたところから、「敵」の基地建設現場を狙って攻撃する?
 読売新聞は「長距離の空対地ミサイルは、安全な空域から効果的に攻撃を与えることができる」と書いているが、なんだ、これは、と私は怒りだしたくなる。
 もし離島が無人島なら、遠く離れた場所から攻撃するということだけでもいいのかもしれないが、もし人の住んでいる離島なら? 自衛隊は住民を守るために上陸し、戦う。住民を避難させるために動く、ということをしないで、 300キロ離れたところからミサイルを撃つだけなのか。住民が巻き添えにされる可能性は? よく知らないが、空対地ミサイルというのは、住んでいる住民に危害を与えずに、「敵」の基地だけを攻撃できるほど性能のいいものなのか。
 もし、そんなに性能のいいものなら、なぜ、いま起きている世界での「戦争」でつかわれていないのだろうか。(つかわれているのかもしれないけれど。) 300キロ離れた場所しら「敵」の基地だけをピンポイントで攻撃でき、住民に危害がないなら、敵の基地を破壊するのは簡単ではないのか。そして、すぐに「戦争」は終わるのではないのか。
 「戦争」の局面は、さまざまである。「基地」がなくても人は戦う。ベトナム戦争の、いわゆるゲリラは巨大な基地を持たなかっただろう。なれ親しんだ自分の土地に隠れながら、アメリカ兵と個別に戦った。どの局面でそうなるかわからないが、人と人が直接ぶつかり、殺し合うのが戦争だろう。
 そう考えると、

高度なステルス性を備えたF35と、長射程の空対地ミサイルを組み合わせれば、実質的には他国の基地を攻撃するための使用も可能となる。

 というのが、ほんとうの狙いだろう。
 侵攻、占領された離島を奪還するためではなく、他国を攻撃するために配備される。「防衛」ではなく「先制攻撃」をするため、先制攻撃をより有効に展開するための武器ということになる。

射程 300キロ 敵基地攻撃能力 念頭か

 は三本目の見出しだが、これが「本筋」。日本の領土、領空内の敵基地を攻撃するためのものではなく、日本の領土外の敵基地を攻撃するために射程 300キロのミサイルが必要である。しかし、その「目的」を明記すると憲法に違反してしまう。また、明記してしまえば近隣諸国からも猛反発が生じるだろう。日本は侵略戦争をはじめるために空対地ミサイルを配備した、と批判されるだろう。これまでの政府説明にも反する。「自衛」ではなくなる。だから、「自衛」を前面に出して、「本質」を隠すために「離島有事に備え」という理由が捏造されている。

 安倍は何としても「戦争がしたい(してみたい)」という欲望を抑えることができない人間なのだろう。なぜ、そんなに戦争がしたいのか。わからないが、簡単に言えば「中国や北朝鮮に対して、頭に来ている」からであろう。あるいは、日本国内で安倍批判が起きることに対して「頭に来ている」から、安倍に対する批判の矛先をかわすために戦争がしたいのだろう。
 「全国に獣医学部を展開する」という方針を安倍は突然発表したが、理由を問われて「加計学園問題を追及されて、頭に来たから」というような発言をしている。「頭に来た」ら、なんでもしてしまう。政策をどんどん変更する。それが「最高責任者」として自衛隊を監督、指揮するというのだから、その下で動く自衛隊員は悲惨である。「頭に来た、ミサイルなんかではダメだ。おまえ、特攻隊員のように爆弾を積んで自爆してこい」と、きっと命令されるようになる。




#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位
 
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東京都民のみなさまへ

2017-06-26 11:46:42 | 自民党憲法改正草案を読む
東京都民のみなさまへ

私は福岡県に住んでいます。東京都議選への投票権を持っていません。東京都の政治に対して発言する権利もありません。でも、お願いしたいことがあります。
 都議選では自民党、公明党の議員へは投票しないでください。
 都議選と国政選挙(国の政治)は別のものですが、都議選直前の国会は異常な形で閉じられました。その後も異常な事態がつづいている。
(1) 加計学園に対する「総理の意向」が政策に影響したのかどうか、未解明。
(2) 共謀罪の審議は途中で打ち切られ、強行採決された。
(3) 野党4党は臨時国会を要求しているが、与党は拒否している。
「総理の意向」によって国政が歪められているかどうかを審議することが、問題の中心にあると思います。
国政が「総理の意向」によって歪められるのなら、都政も影響を受けるでしょう。
その後、安倍は「加計学園に獣医学部を新設することが問題なら、全国に獣医学部をつくればいい」と発言し、なぜそういう発言になったかというと加計学園問題を批判されたことが「頭に来たから」と発言しています。
「頭に来たら」政策を変更する、「頭に来るか、来ないか」によって政策を決めるというのが安倍の姿勢です。そして、それを支持したのが自民党、公明党、維新の党です。
 このことを忘れないでください。
 「共謀罪」は「一般人を対象にしない」と政府は答弁している。けれど、たとえば私のこの発言に対して、安倍が「頭に来た」なら、どうなるでしょうか。一転して、「頭に来たか」から「共謀罪の対象にする」ということが起きるのです。私の意見に対して「そうだ」と同意すれば、そのひとも「共謀罪」の対象になるでしょう。安倍が「頭に来た」といえば、すべてが「犯罪」として処理されるのです。
一方、安倍が「気に入る」なら、どんな罪を犯しても罪に問われない。裁判所が逮捕状を出しているにもかかわらず、逮捕状が執行されないということが起きるのです。
安倍の気に入るか、気に入らないか(頭に来るか)によって、政策が変更され、事実が歪められる。感情による「独裁」がはじまる。
「感情による独裁」、それを支持したのが自民党の議員であり、公明党の議員です。
自民党、公明党の議席が増えれば(あるいは維持されれば)、安倍は「頭に来た」を根拠にした政治をつづけるのです。
憲法にもとづき野党が臨時国会の開催を要求しても拒否する。「しっかり説明する」と口では言うが、絶対に説明しない。「友人」を優遇する政治をつづけることになります。

いま日本の政治を動かしているのは「感情による独裁」です。これを支持することだけは、やめてください。お願いします。

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伊藤シンスケ「罪」、長嶋南子「なわばり」

2017-06-26 09:51:27 | 詩(雑誌・同人誌)
伊藤シンスケ「罪」、長嶋南子「なわばり」(「zero」7、2017年04月30日発行)

 伊藤シンスケ「罪」は、「わかる」けれど「わからない」詩である。ちょんと豊原清明の「シナリオ」に似ている。

オレの秘密の部屋に
髪をまっ赤に染めた女がやってきて
出しぬけにオレの頬に平手打ちをくわせる。
オレは唖然として<痛い>ということばをのみ込み
女の顔を見ようとするが
すかさず女はまた平手打ちを加えてきて
オレは女の顔を見ることができない。
やむなくオレが困惑の表情をすると
女はまたしても平手でばしっとオレの頬を打つ。
とっさにかいま見た女の顔は
ぽっかり穴があいていて--
オレは戸惑い
そして なんだかこれを
ずっと待っていたような気がしてくる

 女が突然やってきて平手打ちをする。女の顔を見たら、顔がなくて穴があいていた。ここまでが「描写」。「いま」ここに噴出してきた「過去」がどこかにある。簡単に言うと、オレは女が殴らずにはいられないことをした。浮気か、暴力か。あるいは金を自分だけで使い込むとか。「過去」は書いていないが、まあ、だいたいのところ、そんなストーリーを思い浮かべる。もしかしたら逆に女を非常に愛していて、女が浮気をしたり、暴力を振るっているのに、それを受け入れ続けたということも考えられる。男のふがいなさに女が怒っているとも考えられる。人間関係、男女関係なので、どんなことだって起きうる。「過去」が何なのかは、読者の想像(妄想)に任せられている。
 そのあとがおもしろい。最初は驚いているので女の顔がよく見えないが、なれてきて(?)女の顔を見たら、顔がない。顔に穴があいている。これは「事実」の描写なのか、「印象」の描写なのか。
 で。
 そのあとが、びっくりする。

ずっと待っていたような気がしてくる

 あ、これがほんとうの「過去」。端折るとオレが浮気をしたにしろ、女が浮気をしたにしろ、それが「過去」ではなく、男は「女が顔をもっていない」ということを知りたかったのだ。いや、ある瞬間からそれを知った。それを「肉体」が「肉体」の奥で覚えていた。でも、それが何かはよくわからなかった。それが「いま」、ぱっと噴出してきて、「わかった」。
 「わからない」ものがずーっと「肉体」の奥に生き続けている。そして、それがぱっと表に噴出してきて「わかる」にかわる。そういう瞬間を、きっと誰もが「待っている」ような気がする。
 「待つ」という「動詞」が「肉体」の奥を揺さぶるのである。



 長嶋南子「なわばり」は、あいかわらず「いいかげん」。読む人に「意味」を押しつけてくる。そして、このときの「意味を押しつける」とは、長嶋が「意味」を説明するというのではなく、逆である。読者が勝手に「意味を解釈する」ということを「押しつける」のである。「あら、私、そんなこと一言も書いていません。それはあなたの妄想でしょ」と長嶋は言うのである。

前の家の奥さん
二階のベランダで裸で日光浴している
布団やシーツでぐるりを囲み
あの家には子どもがいない
からだを黒くして引きしめて
だんなさんを喜ばせる

 この一連目の最後の「だんなさんを喜ばせる」って、どういう意味? その前の「引きしめて」は? 何にも説明しない。読者が「妄想」するのに任せている。
 伊藤は男が殴られる理由(過去)を書かなかったが、長嶋は女と男の「未来」を書かない。書かないけれど、その「未来」は読者の知っている「過去」から生まれてくる。時間がかってに動いて、生まれてくるのに任せている。たの「任せる」を、私は「いいかげん」と呼ぶのである。
 このあとが、詩はこんなふうにつづいていく。

家の二階のベランダには
イヌがいて通るイヌを吠え立てる
からだを黒くしたり引きしめたり
してもイヌは喜ばない

 「家」とは長嶋の家だろう。長嶋のイヌは、前の家の奥さんが「からだを黒くしたり引きしめたり」しても喜ばない。あたりまえだね。さらにいえば、人間と違って「妄想」もしない。関心は女の裸ではなく、家の前を通るイヌである。ひとは(いきものは)、それぞれ関心が違う。
 なのに。

前の家のだんなさん イヌが
うるさいといって怒鳴りこんでくる
昼間奥さんが裸で日光浴していること
知ってますか
お互いなわばりのなかのこと
なにをしたっていいじゃないの

ベランダで家の前を通るひとを
吠え立てているのはわたしです
頭のおかしなおばさんがいる
と近所では評判になった
なわばりのなかのことですけど
なにか?

 この「なわばり」を「家の中」ではなく「頭の中(妄想)」と言いなおすと、どうなるかな? 詩は「頭の中」で動いたことば。「頭の中」を「おかしなことば」が動く。これを「妄想」というのだけれど、「妄想」には「妄想」の「過去」があり、「未来」がある。そして、それは強く結びついている。この「強さ」はどう説明していいかわからないが、地球の「重力(引力)」のように「無意識」である。普通は意識化できないものである。そして、「無意識」であるがゆえに「強い」。そういうことを長嶋の詩は教えてくれる。
 長嶋の詩を読んでおもしろく感じてしまうのは、「無意識の重力のような強さ」がどこかにあるからだ。論理では整理できない「妄想」「怒り」「あきらめ」やあれやこれや。「知ってますか?」は「知らなくても、わかるでしょ、わかってるでしょ」かもしれないなあ。
 「頭のおかしなおばさん」は長嶋だけではないし、「頭がおかしい」のはだれも同じ。意識と無意識が区別がなくなって、その瞬間瞬間、何かが「いま」のなかに噴出してくる。それが「現実」ということなんだろうなあ。
 長嶋の書いている詩は「現代詩」というよりも「現実詩」ということになる。


猫笑う
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