自民党の「たたき台」を読む(3)
自民党憲法改正草案を読む/番外93(情報の読み方)
21日明らかになった自民党の憲法改正案の「たたき台」(西日本新聞2017年06月22日朝刊)についてもう一点、書いておこう。
「解釈してはならない」という「禁止」は憲法の他の条文と整合性がとれない。
「解釈する」というのは「頭」の仕事である。「理性」とか「精神」という具合に言い換えても言い。「内面」の問題、「思想」の問題である。
「国(権力)」が「自衛隊」を設ける。そのとき、「自衛隊は戦力であるから、自衛隊を設けることは憲法に反する。憲法に反するから設けてはいけない」と、たとえば私が主張する。
「自衛隊は憲法に反する」「憲法第9条は自衛隊を認めていない」と「解釈する」。それを「禁止している」。
何を(どのことばを)どう「解釈する」かは、個人によって違う。その「違い」を自民党の「たたき台」は禁止している。それまで「主語」であった「日本国民」をおしのけて、「日本国民」に命令している。
これをいったん許せば、あらゆる「解釈する」ということが禁止される。
「アベノミクスは失敗した」と「解釈する」ことは許されず、「アベノミクスは道半ばである」と「解釈する」ことだけが許される。「安倍昭恵には公費で秘書がついている。活動に公費がつかわれている。だから公人である」と「解釈する」ことは許されず、「安倍昭恵は私人である」ということが「閣議決定」され、それ以外の「解釈」は禁止ということになる。「そもそもは基本的という意味である」ということが「閣議決定」され、それ以外の「解釈」は禁止される。
これはすでにおこなわれている。いまのところ「閣議決定」は「反論」を禁止してはいない。「解釈してはならない」とは言っていない。「閣議決定」は「こう解釈する」ということを宣言しているだけだが、これは即座に「解釈してはならない」ということにかわる。
何を、どう「解釈する」か。これは「頭」(精神/理性/思想)の問題であるから、「頭」を鍛える「教育」とも深く関係してくる。
今回の「たたき台」では「教育の無償化」は問題としては取り上げられていない。もっぱら「憲法9条」と「自衛隊」が問題にされているが、「教育」についても注意しなければならない。
「無償化」を前面に押し出しながら「思想の自由(どう解釈するかの自由)」が制限される恐れがある。「ある解釈」が「禁止される」ということが起こりうる。
たとえば「教育勅語は、親や兄弟をたいせつにすること、道徳の基本を解いたものである」という「解釈」は許すが、「第二次大戦を遂行するときの思想的基盤になった」という「解釈」は許さない、という具合だ。
政権を批判する、政権のやっていることを批判的に「解釈する」ということも禁じられるだろう。政権のやっていることは「正しい」。それ以外は「間違っている」という「解釈」だけが存在する世界になる。
つまり「独裁」になる。
「解釈してはならない」ということばは、「独裁政権」を推し進める。
すでに「解釈の限定」(こういう解釈はしてはいけない)は安倍によって先取り実施されている。(たとえば「そもそも」の「意味の閣議決定)。それは「笑い話」のように受け入れられ、存在してしまっている。閣議決定の取り消しはおこなわれていない。
そういう「小さい穴」が「大きな落とし穴」になっていく。
現行の憲法は第十九条で、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定している。「解釈してはならない」はこの十九条に違反する。日本国民が、あらゆることに対して、それぞれの「解釈をもつこと(解釈をすること)」は憲法で保障されている。「国(権力)」それを「侵してはならない」と禁止されている。
この禁止を、自民党の「たたき台」は破っている。
「たたき台」だから、今後かわるのかもしれないが、こういう「たたき台」を出してくるところに、安倍自民党の「本音」が隠れている。日本国民が、それぞれの立場でそれぞれの「解釈をする」(考えを持つ、思想を持つ)ということを禁止したいのだ。
究極の「独裁」をめざしている。
安倍が総理大臣のまま「自衛隊」の「指揮監督権」の「最高責任者」になったとき、その「自衛隊」が武器を向けるのは外国からの侵入者である前に、国内の安倍批判をする人に対してであろう。中国で起きた「天安門事件」が必ず起きる。戦争法審議のときは「自衛隊」が出動しなかったから「天安門事件(国会議事堂前事件)」にならなかったが、憲法に「自衛隊」が組み込まれれば、安倍は絶対に「自衛隊」を出動させるだろう。「自衛隊は国の安全を守るためのもの、国の安全が脅かされるときは出動しなければならない」という理由で。そしてこのとき「国の安全」とは「政権の安全」なのである。「国=政権=安倍」という「解釈」以外は、当然、そのとき禁止されている。「国民に主権がある」という「解釈」も禁止されている。
「解釈してはならない」ということばを見落としてはならない。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位
自民党憲法改正草案を読む/番外93(情報の読み方)
21日明らかになった自民党の憲法改正案の「たたき台」(西日本新聞2017年06月22日朝刊)についてもう一点、書いておこう。
9条の2 前条の規定は、我が国を防衛するための最小限度の実力組織としての自衛隊を設けることを妨げるものと解釈してはならない。
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有し、自衛隊は、その行動について国会の承認その他の民主的統制に服する。
「解釈してはならない」という「禁止」は憲法の他の条文と整合性がとれない。
「解釈する」というのは「頭」の仕事である。「理性」とか「精神」という具合に言い換えても言い。「内面」の問題、「思想」の問題である。
「国(権力)」が「自衛隊」を設ける。そのとき、「自衛隊は戦力であるから、自衛隊を設けることは憲法に反する。憲法に反するから設けてはいけない」と、たとえば私が主張する。
「自衛隊は憲法に反する」「憲法第9条は自衛隊を認めていない」と「解釈する」。それを「禁止している」。
何を(どのことばを)どう「解釈する」かは、個人によって違う。その「違い」を自民党の「たたき台」は禁止している。それまで「主語」であった「日本国民」をおしのけて、「日本国民」に命令している。
これをいったん許せば、あらゆる「解釈する」ということが禁止される。
「アベノミクスは失敗した」と「解釈する」ことは許されず、「アベノミクスは道半ばである」と「解釈する」ことだけが許される。「安倍昭恵には公費で秘書がついている。活動に公費がつかわれている。だから公人である」と「解釈する」ことは許されず、「安倍昭恵は私人である」ということが「閣議決定」され、それ以外の「解釈」は禁止ということになる。「そもそもは基本的という意味である」ということが「閣議決定」され、それ以外の「解釈」は禁止される。
これはすでにおこなわれている。いまのところ「閣議決定」は「反論」を禁止してはいない。「解釈してはならない」とは言っていない。「閣議決定」は「こう解釈する」ということを宣言しているだけだが、これは即座に「解釈してはならない」ということにかわる。
何を、どう「解釈する」か。これは「頭」(精神/理性/思想)の問題であるから、「頭」を鍛える「教育」とも深く関係してくる。
今回の「たたき台」では「教育の無償化」は問題としては取り上げられていない。もっぱら「憲法9条」と「自衛隊」が問題にされているが、「教育」についても注意しなければならない。
「無償化」を前面に押し出しながら「思想の自由(どう解釈するかの自由)」が制限される恐れがある。「ある解釈」が「禁止される」ということが起こりうる。
たとえば「教育勅語は、親や兄弟をたいせつにすること、道徳の基本を解いたものである」という「解釈」は許すが、「第二次大戦を遂行するときの思想的基盤になった」という「解釈」は許さない、という具合だ。
政権を批判する、政権のやっていることを批判的に「解釈する」ということも禁じられるだろう。政権のやっていることは「正しい」。それ以外は「間違っている」という「解釈」だけが存在する世界になる。
つまり「独裁」になる。
「解釈してはならない」ということばは、「独裁政権」を推し進める。
すでに「解釈の限定」(こういう解釈はしてはいけない)は安倍によって先取り実施されている。(たとえば「そもそも」の「意味の閣議決定)。それは「笑い話」のように受け入れられ、存在してしまっている。閣議決定の取り消しはおこなわれていない。
そういう「小さい穴」が「大きな落とし穴」になっていく。
現行の憲法は第十九条で、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定している。「解釈してはならない」はこの十九条に違反する。日本国民が、あらゆることに対して、それぞれの「解釈をもつこと(解釈をすること)」は憲法で保障されている。「国(権力)」それを「侵してはならない」と禁止されている。
この禁止を、自民党の「たたき台」は破っている。
「たたき台」だから、今後かわるのかもしれないが、こういう「たたき台」を出してくるところに、安倍自民党の「本音」が隠れている。日本国民が、それぞれの立場でそれぞれの「解釈をする」(考えを持つ、思想を持つ)ということを禁止したいのだ。
究極の「独裁」をめざしている。
安倍が総理大臣のまま「自衛隊」の「指揮監督権」の「最高責任者」になったとき、その「自衛隊」が武器を向けるのは外国からの侵入者である前に、国内の安倍批判をする人に対してであろう。中国で起きた「天安門事件」が必ず起きる。戦争法審議のときは「自衛隊」が出動しなかったから「天安門事件(国会議事堂前事件)」にならなかったが、憲法に「自衛隊」が組み込まれれば、安倍は絶対に「自衛隊」を出動させるだろう。「自衛隊は国の安全を守るためのもの、国の安全が脅かされるときは出動しなければならない」という理由で。そしてこのとき「国の安全」とは「政権の安全」なのである。「国=政権=安倍」という「解釈」以外は、当然、そのとき禁止されている。「国民に主権がある」という「解釈」も禁止されている。
「解釈してはならない」ということばを見落としてはならない。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載 | |
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