今井義行への質問
03月19日に今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』(らんか社、2018年03月31日発行)の感想を書いた。
フェイスブックに今井が、その感想のリンクを紹介し、こう書いている。
書き込み時間はわからないが、私は次のようにコメントした。(03月22日)
これに今井が、コメントを追加している。(03月23日)
フェイスブックで対話をつづければいいのかもしれないが、対話の出発の文章がここが書いたものなので、ここで書く。
私がいちばん問題にしたのは「シャローム」ということばである。
どんなふうに詩の中に登場するか。
今井が自己紹介したのに対し、アルコール依存症のひとたちが歓迎のあいさつをしている。そこにはじめて「シャローム」が出てくる。
このことばを、今井がどういう「気持ち」で受け止めたのか、私にはわからない。どこに「気持ち」が書いてあるのか、わからない。
だから、今井の「気持ち」を考えずに、「シャローム」が、この詩(あるいは、この集会)でどのようにつかわれているかを考えた。読み取ろうとした。
今井は、「*」をつかって「註釈」の形で「*シャローム/ヘブライ語で「平和」」と書いている。
私はまず、ここに疑問を持つ。この「註釈」は「辞書に書かれている意味(定義)」ではないのか。そこに「気持ち」はあるのか。
私は作者の「気持ち」は気にしないが、「ことばの気持ち」はとても気にする。
あいさつのときの「シャローム」はほんとうに「平和」なのか。私はヘブライ語を話す人と会話したことがないから断定はできないが、それは「平和」という「名詞」としてつかみとるだけでいいのか。
「あなたが平和でありますように、あなたに平和が訪れますように」かもしれない。また「世界が平和でありますように」。「あなたが平和でありますように」を短縮したものであるとして、その「平和」とは何だろう。戦争がないこと? 死に直面せずにすむこと? そうではなく精神的なこと?
「*シャローム/ヘブライ語で「平和」」では、まったくわからない。
逆な言い方をしてみよう。
日本語なら(日本人なら)、こういうとき「こんにちは」とか「はじめまして」「ようこそ」と言うだろう。その「こんにちは」を、たとえば英語を母国語とする人が「「こんにち」は日本語でtoday 、「は」はテーマを指し示すことば」と説明したとする。辞書、あるいは文法的にはそうなのかもしれないけれど、変ではないだろうか。
ことばは「辞書」に書かれている「定義」を超えてつかわれている。そこには、それこそ「気持ち」がふくまれている。
今井はどうかは知らないが、私は「こんにちは」を「こんにちは(きょうは)、ごきげん(体調/仕事)はいかがですか?」というような「気持ち」でつかう。
もちろん嫌いな人間には、ただ機械的に「こんにちは」というし、親しい友人でも喧嘩したあとなら冷淡に「こんにちは」という。そして、そこからまた、「なんだ、いまの言い方は」とけんかしたりもする。
ことばはいつでも「気持ち」といっしょにある。
今井の「*シャローム/ヘブライ語で「平和」」という言い方は(説明の仕方)は、今井のことばを借りて言えば、それこそ、「短時間で読み飛ばし、短時間で書き飛ばすような、粗雑な」、「対象(ことば)に対する愛がごっそりと抜け落ち」ている説明ではないだろうか。
「シャローム」がテーマではない、と今井は言うかもしれない。
何がテーマであるか(何を書きたいという気持ちであるか)ということを、私は気にしない。詩は「テーマ」ではなく、「書き方」だからである。
「シャローム」ということばをはじめて聞いたとき、今井はどう感じたのか。それを受け入れたとき今井はどうかわったのか。その「変化」が一篇の詩の中で書かれているとは、私には感じられない。そのことばに出会うこと(そのことばを書くこと)によって、どんな新しい今井が顕れたのか、それが私にはわからない。
そのことについて、私は疑問を書いた。
私は目の都合もあり、どの感想も「短時間(40分)」で書いているのはそのとおりである。しかし、どこを「短時間で読み飛ばし」たのか、具体的な指摘がないのでわからない。
「シャローム」ということばについて、今井は、どこに「時間をかけて、ていねいにせつめいをしているか」。その具体的なページと文言を教えていただきたい。
今井は「こころを突き動かされた詩集に時間を使っていただきたい」とも書いている。私は「こころを突き動かされた」から書いた。
「こころを突き動かす」には二種類ある。「不満(これはおもしろくない)」と「満足(これはいい)」である。
「シャローム」の語彙の説明の部分はぜんぜんおもしろくない。けれど、「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)Part2」にはおもしろい部分がある。(64ページ)そのことははっきり書いている。今井は読みとばしたのかもしれないが、そこで展開されることばの運動と、他の作品のことばの運動との比較も書いている。
また「このような取り扱いに対し、気持ちが動揺したりはしませんが、書き始めたばかりの若い詩人たちにとっては、可哀想な文言を突きつけられることとなるでしょう。」というのは、何を言いたいのか私にはまったく理解できない。
今井の書いている「シャローム」ということばについて疑問をもつこと(疑問を書くこと)が、どうして「若い詩人たちにとっては、可哀想な文言を突きつけられることとなる」のだろうか。
「若い詩人たち」とはだれを指しているのかわからないが、私の書いた感想が「若い詩人」に対して「可哀想な文言を突きつけ」ているのだとしたら、それは、私の書いたどの文章を指しているのだろうか。
具体的に教えてもらいたい。
*
フェイスブック以下のコメントがあったので、追加しておきます。私の書いた感想と、伊天井への質問に関する、大谷良太さんからのコメントです。
私は、以下の返信をコメントしました。
*
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マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
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03月19日に今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』(らんか社、2018年03月31日発行)の感想を書いた。
フェイスブックに今井が、その感想のリンクを紹介し、こう書いている。
詩人・評論家を名乗る人が、作者の詩作へ込めた気持ちを、これほどに浅く、薄く、取り扱ってしまっているということに唖然とせざるを得ない。このような詩〈集〉に対する行ないは、もうこれ以上、続けてほしくない、とわたしは思います。あまりにも、幼過ぎる……詩人・評論家である。
書き込み時間はわからないが、私は次のようにコメントした。(03月22日)
シェアと批判、ありがとうございます。
私は、詩は「作者の詩作へ込めた気持ち」を読み取るものとは思っていません。
「作者の詩作へ込めた気持ち」を中心にして読めば、どの詩も「作者の詩作へ込めた気持ち」をあらわしているという結論になってしまいませんか?
これに今井が、コメントを追加している。(03月23日)
〈私は、詩は「作者の詩作へ込めた気持ち」を読み取るものとは思っていません。〉
どのようなスタンスで詩を読んでいただいても、基本構わないとはわたしは思います。それは、執筆者の自由です。
ただし、短時間で読み飛ばし、短時間で書き飛ばすような、粗雑な執筆態度には、まず対象に対する愛がごっそりと抜け落ちています。
そうであるものを、わざわざ俎上に上げる必要は無いとわたしは思います。もっと、こころを突き動かされた詩集に時間を使っていただきたい。
わたしは、このような取り扱いに対し、気持ちが動揺したりはしませんが、書き始めたばかりの若い詩人たちにとっては、可哀想な文言を突きつけられることとなるでしょう。
フェイスブックで対話をつづければいいのかもしれないが、対話の出発の文章がここが書いたものなので、ここで書く。
私がいちばん問題にしたのは「シャローム」ということばである。
どんなふうに詩の中に登場するか。
「連続飲酒30歳代後半から 退院後 アルコールデイケア通所中
本来家に1人で居ることが好きでやりたいこともあるのでそれが
断酒に結びつくと考えているのですが入院していた病院から患者
がどのように生活していくかの指針として同じ病気を持つ人たち
のミーティングへの参加をつよく促されて 今回 参りました」
「シャローム。* はじめまして、“イマイ”!!」(参加者)
*シャローム/ヘブライ語で「平和」
今井が自己紹介したのに対し、アルコール依存症のひとたちが歓迎のあいさつをしている。そこにはじめて「シャローム」が出てくる。
このことばを、今井がどういう「気持ち」で受け止めたのか、私にはわからない。どこに「気持ち」が書いてあるのか、わからない。
だから、今井の「気持ち」を考えずに、「シャローム」が、この詩(あるいは、この集会)でどのようにつかわれているかを考えた。読み取ろうとした。
今井は、「*」をつかって「註釈」の形で「*シャローム/ヘブライ語で「平和」」と書いている。
私はまず、ここに疑問を持つ。この「註釈」は「辞書に書かれている意味(定義)」ではないのか。そこに「気持ち」はあるのか。
私は作者の「気持ち」は気にしないが、「ことばの気持ち」はとても気にする。
あいさつのときの「シャローム」はほんとうに「平和」なのか。私はヘブライ語を話す人と会話したことがないから断定はできないが、それは「平和」という「名詞」としてつかみとるだけでいいのか。
「あなたが平和でありますように、あなたに平和が訪れますように」かもしれない。また「世界が平和でありますように」。「あなたが平和でありますように」を短縮したものであるとして、その「平和」とは何だろう。戦争がないこと? 死に直面せずにすむこと? そうではなく精神的なこと?
「*シャローム/ヘブライ語で「平和」」では、まったくわからない。
逆な言い方をしてみよう。
日本語なら(日本人なら)、こういうとき「こんにちは」とか「はじめまして」「ようこそ」と言うだろう。その「こんにちは」を、たとえば英語を母国語とする人が「「こんにち」は日本語でtoday 、「は」はテーマを指し示すことば」と説明したとする。辞書、あるいは文法的にはそうなのかもしれないけれど、変ではないだろうか。
ことばは「辞書」に書かれている「定義」を超えてつかわれている。そこには、それこそ「気持ち」がふくまれている。
今井はどうかは知らないが、私は「こんにちは」を「こんにちは(きょうは)、ごきげん(体調/仕事)はいかがですか?」というような「気持ち」でつかう。
もちろん嫌いな人間には、ただ機械的に「こんにちは」というし、親しい友人でも喧嘩したあとなら冷淡に「こんにちは」という。そして、そこからまた、「なんだ、いまの言い方は」とけんかしたりもする。
ことばはいつでも「気持ち」といっしょにある。
今井の「*シャローム/ヘブライ語で「平和」」という言い方は(説明の仕方)は、今井のことばを借りて言えば、それこそ、「短時間で読み飛ばし、短時間で書き飛ばすような、粗雑な」、「対象(ことば)に対する愛がごっそりと抜け落ち」ている説明ではないだろうか。
「シャローム」がテーマではない、と今井は言うかもしれない。
何がテーマであるか(何を書きたいという気持ちであるか)ということを、私は気にしない。詩は「テーマ」ではなく、「書き方」だからである。
「シャローム」ということばをはじめて聞いたとき、今井はどう感じたのか。それを受け入れたとき今井はどうかわったのか。その「変化」が一篇の詩の中で書かれているとは、私には感じられない。そのことばに出会うこと(そのことばを書くこと)によって、どんな新しい今井が顕れたのか、それが私にはわからない。
そのことについて、私は疑問を書いた。
私は目の都合もあり、どの感想も「短時間(40分)」で書いているのはそのとおりである。しかし、どこを「短時間で読み飛ばし」たのか、具体的な指摘がないのでわからない。
「シャローム」ということばについて、今井は、どこに「時間をかけて、ていねいにせつめいをしているか」。その具体的なページと文言を教えていただきたい。
今井は「こころを突き動かされた詩集に時間を使っていただきたい」とも書いている。私は「こころを突き動かされた」から書いた。
「こころを突き動かす」には二種類ある。「不満(これはおもしろくない)」と「満足(これはいい)」である。
「シャローム」の語彙の説明の部分はぜんぜんおもしろくない。けれど、「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)Part2」にはおもしろい部分がある。(64ページ)そのことははっきり書いている。今井は読みとばしたのかもしれないが、そこで展開されることばの運動と、他の作品のことばの運動との比較も書いている。
また「このような取り扱いに対し、気持ちが動揺したりはしませんが、書き始めたばかりの若い詩人たちにとっては、可哀想な文言を突きつけられることとなるでしょう。」というのは、何を言いたいのか私にはまったく理解できない。
今井の書いている「シャローム」ということばについて疑問をもつこと(疑問を書くこと)が、どうして「若い詩人たちにとっては、可哀想な文言を突きつけられることとなる」のだろうか。
「若い詩人たち」とはだれを指しているのかわからないが、私の書いた感想が「若い詩人」に対して「可哀想な文言を突きつけ」ているのだとしたら、それは、私の書いたどの文章を指しているのだろうか。
具体的に教えてもらいたい。
*
フェイスブック以下のコメントがあったので、追加しておきます。私の書いた感想と、伊天井への質問に関する、大谷良太さんからのコメントです。
大谷 良太 外野から失礼致します。今井さん、荒らしてしまうようでごめんなさい。
谷内さん、
まず、依存性や自助グループについて、谷内さんご自身で調べてみる必要があったかと思います。詩集内に情報が全て明示される、という前提は、実はないのですから。
それから、日本人や日本語についても、似たようなことが言えるかと思います。詩集一冊で著者の背景を、一般的な日本人と決め付けている点や、日本語のみの使用を前提している点に、偏見、先入観が潜んでいるのではないかと感じました。
果たして、谷内さんがまっさらな心で今井さんの詩集を読めていたのでしょうか。私なら疑います。今井さんの怒る気持ちに、心から共感しました。
私は、以下の返信をコメントしました。
大谷さん、私は今井さんについて何も知りません。
(大谷さんについても同じです。)
大谷さんの文章から推測すると、今井さんはヘブライ語を日常語としてつかっているということなのですね。
それは、私の想像を超えています。思ってもみませんでした。
でも、それが「偏見、先入観」と言われると、とても厳しい。
大谷さんの書いている「まっさらな心」が何を指しているのかわかりませんが、私は今井さんがヘブライ語を日常語として話すと考えなかったことが、「まっさらな心」ではないといわれるのは、納得できません。
何も知らない(知識として、白紙、まっさら)だから、ヘブライ語の注釈に疑問をもったのです。
貴重な情報をありがとうございました。
「依存性や自助グループについて、谷内さんご自身で調べてみる必要があったかと思います。」ということですが、そういうことを調べれば「まっさらな心」で読むことになるのかどうか、私は疑問に思います。
私はどんな時でも、作者の個人情報は、そこに書かれている「背景」については調べません。
私は、「ことばの運動」を読みたいのであって、そこに書かれている「現実」と私との関係を考えたいわけではありません。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
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目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
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