劉燕子「チベットの秘密」、松尾真由美「音と音との楔の機微」(「イリプスⅡ」24、2018年03月10日発行)
劉燕子「チベットの秘密」のことばは独特のリズムと響きをもっている。
「玄鳥」「禿鷹」「蹄」は何の比喩だろうか。「白刃」や「辞世」が死を連想させる。そして「轟音」ということばが象徴的だが、ここには強い音がある。ことばにならない音、しかし小さな音ではなく「烈火」のように拡大していく音である。音が音を呼び、「まっしぐら」に動く。「駆け上がる」のか「垂直」に下へ叩きつけられるのか。
しかもその音は「沈黙」とともに「時間」をつくっている。
私はいま、谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』を読みながら感想を書き続けている。ことばと沈黙、沈黙と音楽がテーマの詩集だ。その谷川のことばと比較すると、劉のことばのなかにある「沈黙」と「音」は非常に硬質なものだとわかる。葉紀甫(すゑ・のりほ)の『不帰順の地』を読んだときの印象に似ている。
とても強烈だ。
「意味」というものはいつでも「頭」の先にぶら下がって「頭」を引っ張っていくものだが、劉のことばを呼んでいると「意味(表意文字/漢字)」の奥底から「声」(しかも非常に太い声)が「意味」を突き破って噴出してくる感じがする。
「涙の重さを量るに」の「に」の凝縮された響きも強い。
もう一篇「詩人の逝った日」の書き出し。
*
比較してはいけないのかもしれない、違う視点から読まないといけないのかもしれないが、松尾真由美「音と音との楔の機微」の音は、劉のことばがもっている激しさを欠いている。
ここに「沈黙」はあるか。「耳を澄まし」て聞くとき「沈黙」が聞こえるかもしれない。劉の場合は、激しい音と一緒に「沈黙」が噴出してくる。耳を澄ます必要などない。つまり劉の「轟音」は「雑音」や「濁音」ではなく、「透明」なのだ。「清音」なのだ。
松尾は「弱音」に溺れている。「自分も塵となることできらめとき同化できる」という「視覚」が「聴覚」にかわってしまうところもある。「音と音との楔」と書いているが、その「楔」は「沈黙」でも「音楽」でもなく「視覚の侵入」のように、私には感じられる。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
劉燕子「チベットの秘密」のことばは独特のリズムと響きをもっている。
闇のなかの白刃に
烈火の玄鳥(つばくら)が時間の沈黙を
レバーの塊にする
轟音と寒風でちぎられ
剥がされた禿鷹は
黎明の肺を噎せかえさせる
君の辞世は蹄で
断崖絶壁をまっしぐらに駆け上がり
ぼくの眼球をめがけて
垂直に釘を打つ
「玄鳥」「禿鷹」「蹄」は何の比喩だろうか。「白刃」や「辞世」が死を連想させる。そして「轟音」ということばが象徴的だが、ここには強い音がある。ことばにならない音、しかし小さな音ではなく「烈火」のように拡大していく音である。音が音を呼び、「まっしぐら」に動く。「駆け上がる」のか「垂直」に下へ叩きつけられるのか。
しかもその音は「沈黙」とともに「時間」をつくっている。
私はいま、谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』を読みながら感想を書き続けている。ことばと沈黙、沈黙と音楽がテーマの詩集だ。その谷川のことばと比較すると、劉のことばのなかにある「沈黙」と「音」は非常に硬質なものだとわかる。葉紀甫(すゑ・のりほ)の『不帰順の地』を読んだときの印象に似ている。
涙の重さを量るに中国語が凍てつく
雪が萎えた春の灰燼を燃え上がらせる
とても強烈だ。
「意味」というものはいつでも「頭」の先にぶら下がって「頭」を引っ張っていくものだが、劉のことばを呼んでいると「意味(表意文字/漢字)」の奥底から「声」(しかも非常に太い声)が「意味」を突き破って噴出してくる感じがする。
「涙の重さを量るに」の「に」の凝縮された響きも強い。
もう一篇「詩人の逝った日」の書き出し。
一匹のミミズが窪地の痩せこけた悲しみを測量する
夏の風は禿頭病を患い
隔離病棟に密集し
トマトの薄皮に産卵する
落日は言葉の絶壁から剥がれ隕石のように落下する
*
比較してはいけないのかもしれない、違う視点から読まないといけないのかもしれないが、松尾真由美「音と音との楔の機微」の音は、劉のことばがもっている激しさを欠いている。
やすらぐために耳を澄ましてたたかうために耳を澄まして
微細なものがこぼれることをどうして確信できるのだろう空気中の見えない塵がきらら
きら惹きつけるから自分も塵となることできらめとき同化できる夢をきらら反転展開さ
せるのだほら耳を澄ませ耳を澄ませわたしたちの音をだすなそれは雑音に過ぎず濁音に
過ぎず(略)
ここに「沈黙」はあるか。「耳を澄まし」て聞くとき「沈黙」が聞こえるかもしれない。劉の場合は、激しい音と一緒に「沈黙」が噴出してくる。耳を澄ます必要などない。つまり劉の「轟音」は「雑音」や「濁音」ではなく、「透明」なのだ。「清音」なのだ。
松尾は「弱音」に溺れている。「自分も塵となることできらめとき同化できる」という「視覚」が「聴覚」にかわってしまうところもある。「音と音との楔」と書いているが、その「楔」は「沈黙」でも「音楽」でもなく「視覚の侵入」のように、私には感じられる。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
詩集 独り大海原に向かって | |
クリエーター情報なし | |
書肆侃侃房 |