詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

証人喚問報道(基本的な疑問)

2018-03-29 10:10:27 | 自民党憲法改正草案を読む
証人喚問報道(基本的な疑問)
             自民党憲法改正草案を読む/番外199(情報の読み方)

 私は佐川の証人喚問の質疑応答をすべて見たわけではない。一部しか見ていない。それで、実際はどうだったのかわからないのだが。
 2018年03月28日読売新聞朝刊(西部版・14版)の9面に「佐川証人喚問の詳報」(この面は12版)の書き出しは、金子原二郎の質問から始まっている。(1)(2)は私がつけたもので、新聞には書かれていない。

金子氏 (1)財務省の決裁文書14件の書き換えを知っていたか。
    (2)誰が、いつ指示したのか。
佐川氏 (3)捜査を受けている身だ。
    (4)刑事訴追を受ける恐れがあるので答弁を控えたい。

 佐川は(1)についても答えているのだろうか。「知っていたか」という質問は、かなりあいまいである。
 野党の質問者は質問をどう始めたのか知らないが、もっと具体的に質問すべきだと思う。
 たとえば、こんなふうに
①改竄前の文書は見たことがあるのか。
②改竄後の文書は見たことがあるのか。
 ここから「明確」にしないから、佐川を追及できない。
 (1)(2)ともに「ない」と佐川が答えれば、佐川が改竄に関与していたことにならない。別の誰かが指示し、改竄させていたことになる。
 また(1)を「ない」と答えたとするならば、以前の国会答弁は何に基づいていたのかということが問題になる。
 (2)の質問に「ない」と答えたのなら、なぜ佐川が喚問されているのか、なぜ喚問に応じたのかということを問い詰めることができる。
 (1)(2)とも「ある」と答えたとしたら、ここからさらに「具体的」に聴きはじめる。どの部分が改竄にあたると佐川が判断しているか、それを確かめる。
 「特殊」という表現を削除したのは改竄かどうか。
 「昭恵」の名前を削除したのは改竄かどうか。
 「日本会議」の説明を削除したのは改竄かどうか。

 文書が改竄されたことを、国民は知っている。どこが、どう改竄されたかも知っている。だから質問しなくてもいい、ということではない。このときの「知っている」は「国民」の認識であって、佐川自身の認識ではない。
 佐川が改竄と認識しているということを、まず、明確にすべきなのだ。わかっていても、それを「ことば」として残すこと、明言させることが必要なのだ。
 証人喚問の最初に、名前とか職業とかを聴くはずである。それはだれもがわかっている。わかっているけれど、それを本人に語らせる。それが基本。そうであるなら、今回起きたことも、佐川自身のことばで語らせる必要がある。

 (3)についても、
④どこから捜査を受けているか、
⑤いつから捜査を受けているのか
 これを佐川に語らせる必要がある。ほんとうに捜査を受けているかどうか、確認する必要がある。そうしないと、
 (4)がほんとうかどうかわからない。捜査を受けていないのに、「刑事訴追の恐れがある」を口実に、証言を拒んでいるのかもしれない。
 さらに「刑事訴追」を気にするということは、そのあとの「処分」を気にするということだろうから、
⑥「有印公文書偽造」の場合は、どういう「処分(刑、罰金)」があるのか知っているか、
⑦量刑などはいつから知ったか、
 を問うことも大切だ。
 (こういうことは、ふつうの国民は知らない。偽造する機会がないから、そういう法律があることも知らないひともいるだろう。)
 なぜ聞くかといえば、佐川の「認識」を確かめるためである。「認識させるため」と言いなおした方がいいかもしれない。
 質問しなくても、そんなことは「知っているはず」と思ってはいけない。「知っているはずのこと」を「ことば」にさせる。佐川自身に、強く「認識させる」必要がある。
 佐川が何をしたのか、それを「認識させる」手間を惜しむと、どこまでも平気で「証言を拒否」できる。嘘をつける。
 人間の「脳」は非常に「身勝手」にできている。自分の都合のいいことをつないで、「事実」と思い込む。
 野党の追及をかわせたので、自分は「無実」であると思い込むに違いないのである。

 「量刑」を知っているということは、
⑧自分のしていることが「犯罪」であると知っているということである。
 また、それが「犯罪」であると「認識」しているということは、
⑨なぜそれが「犯罪」なのか、という理由を知っているということである。
 佐川が「認識していること」を佐川に語らせる。
 私が見るかぎりでは、佐川自身がこの問題を完全には「認識」していないのだ。
 「認識していない」から、平気で言い逃れる。
 「頭」のなかで「認識させる」だけではなく、その「認識」をことばとして引き出す。それが大事だ。
 「ことば」はつないでいくと、「嘘」がある場合、どこかで破綻する。それを探し出すために、野党は連携しないといけない。





#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー (これでいいのかシリーズ)
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(45)

2018-03-29 09:04:01 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(45)(創元社、2018年02月10日発行)

 「音楽の時間」の「時間」とは何だろうか。

鍵盤の上の手を休めて
シューベルトは未来の子どもの眼で
暮れかかる野に目をこらす
子どもよ 君は聞くだろうかこれを
この生まれたばかりの旋律を
太古から存在していたかのように

 ここには三つの「時間」が書かれている。「未来」と「太古」と、ことばになっていないが「いま」。「生まれたばかり」が「いま」を「強調」している。
 未来-いま(現在)-過去(太古)は、一本の線上に書き表わすことが多いが、実際の「時間」のすぎ方(意識の仕方)は、一本の線上をまっすぐに進むというわけにはいかない。
 シューベルトは「いま」から「未来」の子どもを想像し、その「未来」から「いま」を見つめなおしている。そこに単なる「過去」ではなく「太古」という「時間」が書かれている。未来から見たいま(過去)よりも、さらに過去だから「太古」なのか。未来を「いま」と呼ぶとき、「いま」は「過去」になり、「過去」は「太古」になるということか。
 でも、そうではない。未来-いま-過去-太古というような「線上」で時間を割り振ってしまうと、「時間」のあいだを行き来する動きがなくなってしまう。
 シューベルトは「時間」を自在に行き来している。
 ピアノをつかって「旋律」を生み出す、いま。
 未来の子どもになって野を見る、いま。
 未来の子どもになって旋律を聴く、いま。
 旋律を聴きながら、この旋律がいつ生まれたのか、考える、いま。
 「ここ」にあるのは「いま」だけであり、未来も太古も「考え」のなかにあらわれてくる「時間」であり、それは「呼び方」に過ぎない。「ある」のは「いま」という時間だけ。
 そして「いま」しかないのだとしたら「未来」も「過去」も故障に過ぎないのだとしたら、最後の一行は、

未来に存在しているかのように(未来からやってきたかのように)

 と読み直すこともできるのではないだろうか。
 少なくとも、シューベルトにとって旋律は「太古から存在していた」というよりも「未来から」やってきたの方が近いと思う。まだ存在していないもの(存在したことのないもの)が、どこからともなくやってきた。「未知(未来)」からやってきたからこそ、「未来の子ども」はどう聞くかということが気になる。シューベルトにとって、旋律が「太古」から存在していたものとして認識されるなら、「太古の子ども」がどう聞くかが気になるはずだ。「太古の子ども」は旋律が「未来からやってきたかのように」聞くのではないか、と想像するはずだ。
 で。
 こんなふうに感じたことを全部ことばにしようとすると、「未来」と「太古」が交錯する。どちらも「いま」とつながっていて、「未来」と呼ぶか、「過去」と呼ぶかは、何を考えるかによって決まるだけになる。
 「音楽の時間」は「音楽という時間」であり、「音楽」を「時間」で言うならば、どう言い表わせるかを考えた詩(考えさせる詩)と言えるかもしれない。




*


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目次

小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
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