谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(24)(創元社、2018年02月10日発行)
「よろい戸の奥」。どこに音があり、どこに音楽があるか。
とはじまり、最終連は
この最終連に「衣ずれの音」が出てくる。
さて、この「音」を聞いている「私(書かれていない)」は、どこにいるのか。よろい戸の外にいるのか。たぶん、そうとらえるのが自然かもしれない。
でも、「よろい戸の奥の暗がり」に「その人」と一緒にいるともとらえてみることができる。「いま/ここ」にいるのだけれど、それを離れた場所から「客観的(?)」にながめている。
そうすると、「どうして恋が生まれるの?」は「あの人」への質問なのか、それとも自分自身への問いかけなのか、わからなくなる。
「こんな時代」、恋なんかできるわけがない。でも、恋してしまう。なぜなんだろう。この疑問は他人に向けられるとき「批判(非難)」になるが、時分に向けるときは「批判(非難)」とは簡単に言いきれない。
それこそ「どうして」としかいいようのない「何か」である。
「わからない」ものに突き動かされて、「いま/ここ」に「ある」。たぶん、「本能」が「私」を突き動かすのである。
この「本能」と「音楽」がどこかで通じている。
というのは、強引な「読み方」。「誤読」になりきっていない。むりやり書いている感想、テストの回答欄に書いたことばみたい……。
一休み。
音楽は「音」と「音」との出会い。その「音」と「音」の間に「沈黙」がある。あるいは「背後」に。さらには、「音」が出会う瞬間に、それまで存在しなかった「沈黙」が生まれる。
人と人は音楽の「音」のように出会うか。
「私」と「あの人(あなた)」は、どう出会うか。
それとは別に、人間には「私」が「私」と出会うという瞬間がある。「私はなぜ、こんなことをしているのだろう」。
自問である。
自問でも「ことば」は動く。「どうして恋が生まれるの/こんな時代に」と。けれど、その「ことば」は他人には聞こえない。自分にだけ聞こえる。
自問の中には「声」と「沈黙」が同居している。
これが「音楽」のあり方に似ているかもしれない。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「よろい戸の奥」。どこに音があり、どこに音楽があるか。
壊れかけたよろい戸の奥の暗がりに
煙草の煙が薄く流れて
そこにいるあの人
とはじまり、最終連は
壊れかけたよろい戸の奥の暗がりに
衣ずれの音がかすかに聞こえて
そこにいるあの人
どうして恋が生まれるの
こんな時代に
この最終連に「衣ずれの音」が出てくる。
さて、この「音」を聞いている「私(書かれていない)」は、どこにいるのか。よろい戸の外にいるのか。たぶん、そうとらえるのが自然かもしれない。
でも、「よろい戸の奥の暗がり」に「その人」と一緒にいるともとらえてみることができる。「いま/ここ」にいるのだけれど、それを離れた場所から「客観的(?)」にながめている。
そうすると、「どうして恋が生まれるの?」は「あの人」への質問なのか、それとも自分自身への問いかけなのか、わからなくなる。
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「わからない」ものに突き動かされて、「いま/ここ」に「ある」。たぶん、「本能」が「私」を突き動かすのである。
この「本能」と「音楽」がどこかで通じている。
というのは、強引な「読み方」。「誤読」になりきっていない。むりやり書いている感想、テストの回答欄に書いたことばみたい……。
一休み。
音楽は「音」と「音」との出会い。その「音」と「音」の間に「沈黙」がある。あるいは「背後」に。さらには、「音」が出会う瞬間に、それまで存在しなかった「沈黙」が生まれる。
人と人は音楽の「音」のように出会うか。
「私」と「あの人(あなた)」は、どう出会うか。
それとは別に、人間には「私」が「私」と出会うという瞬間がある。「私はなぜ、こんなことをしているのだろう」。
自問である。
自問でも「ことば」は動く。「どうして恋が生まれるの/こんな時代に」と。けれど、その「ことば」は他人には聞こえない。自分にだけ聞こえる。
自問の中には「声」と「沈黙」が同居している。
これが「音楽」のあり方に似ているかもしれない。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
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小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
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