谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(32)(創元社、2018年02月10日発行)
「魔法」に出てくる「音楽」は「小鳥たちは歌い」という部分にある。でも私が思わず傍線を引いたのは「答えはないけれど」ということばである。「答えはない」は「答は聞こえない」であり、「沈黙」である。こう書かれている。
「答えはないけれど」は三行目の「ほんとうの答えを知らない」を言いなおしたものである。「答え」ではなく「ほんとうの」答え。空が青いということなら、太陽の光(青い光)が空中にある小さな粒子にぶつかり反射しているから、という具合に「科学的」に説明はできる。でも、それは「ほんとう」の答えではない。子どもが求めているのは「説明」ではない。
あえて「答え」を探せば「青空は美しい」が「答え」と言えるかもしれない。青空が「ある」。その「ある」が「答え」だと。「ある」が「美しい」なのだと。
でも、こんなふうに「急いで」読んでしまっては、いけないのだろう。
三行目の「誰」という「主語」を借りてくると、「答えはないけれど」は「誰も答えないけれど」ということになる。「誰が」沈黙しているのだろうか。
二連目を読んでみる。
「誰もほんとうの答えを知らない」は「誰も問いかける手だてを知らない」と「対」になっている。「答え(答える)」は「問い(問う)」とで「ひとつ」になっている。「問いかける手だてがわかる」、そして「問いかける」ならば、「答え」は「わかる」ということだろう。「問い」のなかに「答え」は存在しているのだ。
(「問いかける手だて」の「手」に注目すれば、答えは「見えない手」の持ち主なら知っているということになるが、私はここには深入りしない。「見えない手」の持ち主も、「魔法」も、私は「存在」を確かめたことがない。)
「答え」と「問い」が「対」である、「問い」のなかに「答え」があるということろから、詩を読み返してみる。「答え」はたしかに「ない」が、「問い」はないか。ある。子どもが問いかけている。
ここに「答え」がある。「答え」と気づきにくいけれど、かならず「答え」はある。「説明」ではない「答え」がある。
ここでは、ことばが繰り返されている。「青」が二回出てくる。ここに「答え」がある。これが「答え」なのだ。
「青空即青」であり「青即青空」が「答え」。それは「同時」にある。切り離せない。「青空は青いから青空という」。「どうして」かといえば「どうしても」なのだ。「どこまで」かといえば「どこまでも」なのである。そうとしか言えない。
この「そうとしか言えない」は「完全」であるということ。「そうとしか言えない」は「変わることはない」であり、「変わることはない」は「変わらない」であり、「そのまま」である。「あるがまま」にかわらないのが「そのまま」。この「そのまま/あるがまま」を「美しい」と言いなおせば、
になる。「そのまま/あるがまま」が「美しい」。「青空」だけではない。「風にゆれる木」は「風にゆれる」から「美しい」。もちろん風がないとき、ただまっすぐに立っているときも、「そのまま/あるがまま」に「美しい」。
問いかけても答えない。ただ「そのまま/あるがまま」の「ある」に触れる。それが「答え」であると子どもはわかっている。だから「歓びにはじける」。
でも、こうやって、こんなことを書いているのは、「青空はどうしてどこまでも青いの」と問いかけて、それっきり問いかけたことも忘れて笑う子どもに比べると、何もわかっていないことになる。「答え」にとらわれて「答え」をつかみそこねることになる。
詩の感想はむずかしい。
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「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「魔法」に出てくる「音楽」は「小鳥たちは歌い」という部分にある。でも私が思わず傍線を引いたのは「答えはないけれど」ということばである。「答えはない」は「答は聞こえない」であり、「沈黙」である。こう書かれている。
青空はどうしてどこまでも青いの
子どもが問いかける夏の昼さがり
誰もほんとうの答えを知らない
風にゆれる木立がかぶりをふっている
答えはないけれど青空は美しい
子どものこころは歓びにはじける
「答えはないけれど」は三行目の「ほんとうの答えを知らない」を言いなおしたものである。「答え」ではなく「ほんとうの」答え。空が青いということなら、太陽の光(青い光)が空中にある小さな粒子にぶつかり反射しているから、という具合に「科学的」に説明はできる。でも、それは「ほんとう」の答えではない。子どもが求めているのは「説明」ではない。
あえて「答え」を探せば「青空は美しい」が「答え」と言えるかもしれない。青空が「ある」。その「ある」が「答え」だと。「ある」が「美しい」なのだと。
でも、こんなふうに「急いで」読んでしまっては、いけないのだろう。
三行目の「誰」という「主語」を借りてくると、「答えはないけれど」は「誰も答えないけれど」ということになる。「誰が」沈黙しているのだろうか。
二連目を読んでみる。
この今にこうして私たちは生きる
見えない手が始めた時は果てしない
誰も問いかける手だてを知らない
雲間から太陽がほほえみかける
答えはないけれど小鳥たちは歌い
世界は限りない魔法に満ちている
「誰もほんとうの答えを知らない」は「誰も問いかける手だてを知らない」と「対」になっている。「答え(答える)」は「問い(問う)」とで「ひとつ」になっている。「問いかける手だてがわかる」、そして「問いかける」ならば、「答え」は「わかる」ということだろう。「問い」のなかに「答え」は存在しているのだ。
(「問いかける手だて」の「手」に注目すれば、答えは「見えない手」の持ち主なら知っているということになるが、私はここには深入りしない。「見えない手」の持ち主も、「魔法」も、私は「存在」を確かめたことがない。)
「答え」と「問い」が「対」である、「問い」のなかに「答え」があるということろから、詩を読み返してみる。「答え」はたしかに「ない」が、「問い」はないか。ある。子どもが問いかけている。
青空はどうしてどこまでも青いの
ここに「答え」がある。「答え」と気づきにくいけれど、かならず「答え」はある。「説明」ではない「答え」がある。
ここでは、ことばが繰り返されている。「青」が二回出てくる。ここに「答え」がある。これが「答え」なのだ。
「青空即青」であり「青即青空」が「答え」。それは「同時」にある。切り離せない。「青空は青いから青空という」。「どうして」かといえば「どうしても」なのだ。「どこまで」かといえば「どこまでも」なのである。そうとしか言えない。
この「そうとしか言えない」は「完全」であるということ。「そうとしか言えない」は「変わることはない」であり、「変わることはない」は「変わらない」であり、「そのまま」である。「あるがまま」にかわらないのが「そのまま」。この「そのまま/あるがまま」を「美しい」と言いなおせば、
答えはないけれど青空は美しい
になる。「そのまま/あるがまま」が「美しい」。「青空」だけではない。「風にゆれる木」は「風にゆれる」から「美しい」。もちろん風がないとき、ただまっすぐに立っているときも、「そのまま/あるがまま」に「美しい」。
問いかけても答えない。ただ「そのまま/あるがまま」の「ある」に触れる。それが「答え」であると子どもはわかっている。だから「歓びにはじける」。
でも、こうやって、こんなことを書いているのは、「青空はどうしてどこまでも青いの」と問いかけて、それっきり問いかけたことも忘れて笑う子どもに比べると、何もわかっていないことになる。「答え」にとらわれて「答え」をつかみそこねることになる。
詩の感想はむずかしい。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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