谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(42)(創元社、2018年02月10日発行)
「夕立の前」。三連目に印象的な二行がある。
「沈黙」と「静けさ」が「宇宙」と「地球」の「対」で語られている。「対構造」が強いので、ぐいと引きずり込まれる。その強さのせいで見落としてしまうのだが、ここにはもうひとつの「対」がある。
「無限の希薄さ」と「対」になったものが、ほんとうはある。そして、それは省略されている。
どういうときでもそうだが、「省略されたもの」が「キーワード」である。「キーワード」は書いている本人にはわかっているので、書く必要がない。書かずにすましてしまう。
(今、日本中で騒いでいる「森友学園文書改竄」も同じである。最初はあったことばを「改竄」し、「削除」する。それでも「わかる」。最初に書かれていたことばは、もう「財務省」のなかにしみついてしまっている。省内では「意図」は通じる。対外的に消してみせただけのことである。)
で、その「無限の希薄さ」の「対」とは何か。
「無限の豊かさ」である。「地球の無限の豊かさ」。
宇宙には空気がなくて(無限に希薄で)、「音」がない。しかし、地球には空気があって「音」が無限にある。
この「無限」は、二連目に書かれている。
「いくつもの」は「無限」に対応している。その「いくつも」は「かすか」という「希薄」の積み重ねである。「音」と言わずに「命」と谷川は書く。「音」が「命(生きること/動くこと)」から生まれているからだ。虻は羽を動かして生きている。せせらぎ(水)は流れることで生きている。草は風に揺れて生きている。無数の「生きているもの(命)」が響きあっている。「生きている」ものを支える「静かさ」がある。
この「静かさ」と「音」との関係は、芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を思い起こさせる。「音」から「音」ではなく、そのとき「共存」している「静かさ」を聞く。芭蕉の句には「蝉の声」とだけ書いてある。一匹の強靱な蝉の声か、無数の蝉の強靱な声か。一匹ととらえた方が「閑さ」が強靱になると思う。「一対一」の迫力。
で、この「静けさ」を引き継いで、三連目、
と書かれている。「無限の希薄」の「対」は「濃密な大気」であり、それは「ぼくらを取り囲む」。「濃密な大気」のなかには「無限の小さな音」が「命」そのものとして「響き合っている」。
このあと、詩は四連目に移り、
という行から「転調」する。複雑になる。
「それ」というのは直前の「静けさ」を指しているととらえるのが、たぶん「学校文法(学校解釈)」の読み方だと思うのだが、簡単には、そう読みきれない。
「声」と「沈黙」と「静けさ」の関係が、一回読んだだけではわからない。自然の命が持っている「音」と「静けさ」、その彼方にある「宇宙の沈黙」との「対」のような「構造」が見えてこない。
「声」は「人間の発する音」。(自然なら「虻の羽音」など。)
それは「沈黙(死=個人の主張が拒絶/排除されること/消されること)」を拒んでいる。つまり「自己主張している」。それは、「うるさい」かもしれないが、そこには「静けさ」が「ひそんでいる」。
この「静けさ」は、これまで書かれていた「静けさ」とは何かが違う。「自然の音/自然の静けさ」は「同居」している。「響き合っている」。
ところが、この四連目には「拒む」ということばがある。「同居/響き合う」とは異質なものがある。
「地下でからみあう毛根」の「音」は聞こえない。そこには「静けさ」ではなく、むしろ「沈黙」がある。「責める声(怒り)」はたいがいは「大声」である。そこには「静けさ」はない。むしろ、「沈黙」のような、「強い」ものがある。(「沈黙」という「漢字熟語」が強さを感じさせる。)「沈黙」していた何かが、自己主張する強さ。「沈黙」させられていたものが噴出してくる「力」がある。
という具合に「死」と「生」、「沈黙」と「静かさ」を入れ替えて読んでみる必要があると思う。
「だがぼくはそれを十分に聞いただろうか」の「それ」は「静かさ」である、あるいは「沈黙」であると相対化、固定化して読むのではなく、ふたつがあわさったもの、ある瞬間瞬間にあらわれてくる「それ」としか呼べないものとして読みたい。
この「音」を支えているのは(この「音」と向き合っているのは)、「静けさ」なのか「沈黙」なのか。「宇宙」と「地上(地球)」、「人間」と「世界」(「私」と「他者」)を「対」にして、私は、この「わからなさ」に立ち止まる。
「わからない」、言い換えれば、読む瞬間瞬間に感想が違ってきてしまう、そういう違いを生み出しながら生きているのが「詩」なのかもしれない。「わかってはならない」もの、その前で立ち止まるしかないものが「詩」なのだと思ってみる。
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「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「夕立の前」。三連目に印象的な二行がある。
沈黙は宇宙の無限の希薄に属している
静けさはこの地球に根ざしている
「沈黙」と「静けさ」が「宇宙」と「地球」の「対」で語られている。「対構造」が強いので、ぐいと引きずり込まれる。その強さのせいで見落としてしまうのだが、ここにはもうひとつの「対」がある。
「無限の希薄さ」と「対」になったものが、ほんとうはある。そして、それは省略されている。
どういうときでもそうだが、「省略されたもの」が「キーワード」である。「キーワード」は書いている本人にはわかっているので、書く必要がない。書かずにすましてしまう。
(今、日本中で騒いでいる「森友学園文書改竄」も同じである。最初はあったことばを「改竄」し、「削除」する。それでも「わかる」。最初に書かれていたことばは、もう「財務省」のなかにしみついてしまっている。省内では「意図」は通じる。対外的に消してみせただけのことである。)
で、その「無限の希薄さ」の「対」とは何か。
「無限の豊かさ」である。「地球の無限の豊かさ」。
宇宙には空気がなくて(無限に希薄で)、「音」がない。しかし、地球には空気があって「音」が無限にある。
この「無限」は、二連目に書かれている。
静けさはいくつものかすかな命の響き合うところから聞こえる
虻の羽音 遠くのせせらぎ 草の葉を小さく揺らす風……
「いくつもの」は「無限」に対応している。その「いくつも」は「かすか」という「希薄」の積み重ねである。「音」と言わずに「命」と谷川は書く。「音」が「命(生きること/動くこと)」から生まれているからだ。虻は羽を動かして生きている。せせらぎ(水)は流れることで生きている。草は風に揺れて生きている。無数の「生きているもの(命)」が響きあっている。「生きている」ものを支える「静かさ」がある。
この「静かさ」と「音」との関係は、芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を思い起こさせる。「音」から「音」ではなく、そのとき「共存」している「静かさ」を聞く。芭蕉の句には「蝉の声」とだけ書いてある。一匹の強靱な蝉の声か、無数の蝉の強靱な声か。一匹ととらえた方が「閑さ」が強靱になると思う。「一対一」の迫力。
で、この「静けさ」を引き継いで、三連目、
いくら耳をすませても沈黙を聞くことは出来ないが
静けさは聞こうと思わなくても聞こえてくる
ぼくらを取り囲む濃密な大気を伝わって
沈黙は宇宙の無限の希薄に属している
静けさはこの地球に根ざしている
と書かれている。「無限の希薄」の「対」は「濃密な大気」であり、それは「ぼくらを取り囲む」。「濃密な大気」のなかには「無限の小さな音」が「命」そのものとして「響き合っている」。
このあと、詩は四連目に移り、
だがぼくはそれを十分に聞いただろうか
という行から「転調」する。複雑になる。
「それ」というのは直前の「静けさ」を指しているととらえるのが、たぶん「学校文法(学校解釈)」の読み方だと思うのだが、簡単には、そう読みきれない。
だがぼくはそれを十分に聞いただろうか
この同じ椅子に座って女がぼくを責めたとき
鋭いその言葉の刺は地下でからみあう毛根につながり
声には死の沈黙へと消え去ることを拒む静けさがひそんでいた
「声」と「沈黙」と「静けさ」の関係が、一回読んだだけではわからない。自然の命が持っている「音」と「静けさ」、その彼方にある「宇宙の沈黙」との「対」のような「構造」が見えてこない。
「声」は「人間の発する音」。(自然なら「虻の羽音」など。)
それは「沈黙(死=個人の主張が拒絶/排除されること/消されること)」を拒んでいる。つまり「自己主張している」。それは、「うるさい」かもしれないが、そこには「静けさ」が「ひそんでいる」。
この「静けさ」は、これまで書かれていた「静けさ」とは何かが違う。「自然の音/自然の静けさ」は「同居」している。「響き合っている」。
ところが、この四連目には「拒む」ということばがある。「同居/響き合う」とは異質なものがある。
「地下でからみあう毛根」の「音」は聞こえない。そこには「静けさ」ではなく、むしろ「沈黙」がある。「責める声(怒り)」はたいがいは「大声」である。そこには「静けさ」はない。むしろ、「沈黙」のような、「強い」ものがある。(「沈黙」という「漢字熟語」が強さを感じさせる。)「沈黙」していた何かが、自己主張する強さ。「沈黙」させられていたものが噴出してくる「力」がある。
声には静かさのなかに安住すること(静かさと同居/共存すること)を拒む沈黙があふれていた
声には生の静かさの中に消え去ることを拒む沈黙が隠れていた
という具合に「死」と「生」、「沈黙」と「静かさ」を入れ替えて読んでみる必要があると思う。
「だがぼくはそれを十分に聞いただろうか」の「それ」は「静かさ」である、あるいは「沈黙」であると相対化、固定化して読むのではなく、ふたつがあわさったもの、ある瞬間瞬間にあらわれてくる「それ」としか呼べないものとして読みたい。
はるか彼方の雲から地上へ稲光りが走り
しばらくしてゆっくりと長く雷鳴が尾をひいた
人間がこの世界に出現する以前から響いていた音を
私たちは今なお聞くことができる
この「音」を支えているのは(この「音」と向き合っているのは)、「静けさ」なのか「沈黙」なのか。「宇宙」と「地上(地球)」、「人間」と「世界」(「私」と「他者」)を「対」にして、私は、この「わからなさ」に立ち止まる。
「わからない」、言い換えれば、読む瞬間瞬間に感想が違ってきてしまう、そういう違いを生み出しながら生きているのが「詩」なのかもしれない。「わかってはならない」もの、その前で立ち止まるしかないものが「詩」なのだと思ってみる。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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