詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

証人喚問報道(だれが満足したのか)

2018-03-28 17:23:56 | 自民党憲法改正草案を読む
証人喚問報道(だれが満足したのか)
             自民党憲法改正草案を読む/番外198(情報の読み方)

 2018年03月28日読売新聞朝刊(西部版・14版)の9面に「佐川証人喚問の詳報」(この面は12版)が載っている。
 丸川珠代の質問と、佐川の答えの部分。

丸川氏 書き換えで安倍首相の指示はあったか。
佐川氏 ございません。
丸川氏 安倍昭恵首相夫人からの指示は。
佐川氏 ございません。

 この「要約」の仕方に、私は疑問を持つ。
 私は中継を全部見ていたわけではないが、丸川の部分だけは見た。丸川は「安倍総理からの指示はありませんでしたね」というような「念押し」というか、誘導質問のような言い方をしていた。
 そのうえで「首相や総理夫人の関与はなかったという証言が得られました。ありがとうございました」というようなことを言ったはずである。
 私が、「中継」を見るのをやめたのは、今回の証人喚問が、丸川は佐川のやりとりを公開の場でするために仕組まれたものであることが、丸川の質問の仕方でわかってしまったからである。
 「指示はあったか」と質問するのではなく「指示はありませんでしたね」と聞く。「か」ではなく「ね」と聞く。

 それにしても。
 「刑事訴追の恐れがある」という証言拒否に対して、その先を追及できない野党はだらしがない。すでに他の場所で書いたことだが、どうして「改竄前に、改竄が刑事訴追の可能性があるとは考えなかったのか」と聞かないのか。
 「いま、なぜ、刑事訴追の可能性があると考えるのか」と聞かないのだろう。
 財務省の職員全員に「改竄は刑事訴追の可能性がない」という認識が共有されていたのか。いつから「刑事訴追の可能性」を意識し始めたのか。そこから攻めることもできるはずである。誰かひとりでも「改竄は刑事訴追の可能性がある」と考えるならば、指示をしたひとは彼に「犯罪をしろ」と強要したことになる。改竄に加わった人のだれひとりとして「改竄は刑事訴追にあたらない」と考えているのなら、財務省はどういう職員教育をしているのか、という問題に発展する。
 佐川の言ったこと、繰り返したことをこそ、もっと追及すべきなのだ。

 丸山穂高と佐川の最後のやりとりが、これまた、ひどい。

丸山 国民が知りたい真相を解明できたと考えるか。
佐川 実際にどういう経緯で誰がやったのか、については答えられていないので(国民は)満足できていないと思う。

 佐川の言う通りだが、そのあと、こう聞いてほしい。
 「では、今回の証人喚問、佐川の証言で、誰が満足できていると思うのか」
 つまり、「佐川は、誰を満足させるために証言したのか」と問うてほしい。

 丸川は、首相を「満足させる」ために質問した。「答え」を誘導した。そして、首相を満足させる結論「首相や総理夫人の関与はなかったという証言が得られました」を早々と引き出した。
 入念にシナリオを書き、さらに「いい間違えないように」、丸川は「指示はありませんでしたね」と質問した。「指示があったか」と問えば、「指示があった」といい間違える可能性がある。「ありませんでした」なら「おうむ返し」(単なる反復)ですむ。
 誰が書いたシナリオかしらないが、この部分だけは非常によくできている。
 「改竄」だけではなく、「証人喚問」も「誰か」の指示でおこなわれているということだ。






#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー (これでいいのかシリーズ)
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(44)

2018-03-28 12:29:53 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(44)(創元社、2018年02月10日発行)

 「八ヶ岳高原音楽堂に寄せて」は「音楽の前の……」からつづいている詩、「音楽の前に……」の別バージョンの作品なのかもしれない。二連目に、

音楽の始まる前の静けさに抱かれて

 という一行がある。でも、違うかもしれない。直前の作品では、「音楽の始まる前の」
この静けさは何百もの心臓のときめきに満ちている

 と「この」があった。
 「この」とは何か。「この」としか言えない何かだ。だから何度も「この静けさは」と繰り返し、「この」を言いなおしていた。「未生のことば」を生み出そうとしていたのが前の作品である。
 「八ヶ岳」では「この」静けさではなく、違うものが語られている。「木立をそよがす風が」や「木々の緑をホリゾントとして地平をのぞみ」という行もあるが、「静けさ」よりも「音(音楽)」の方にことばの「重心」が移っている。

宇宙に澄まされる精密な耳は
絶え間ない雑音の中にかすかな信号を聴き取るという
音楽の始まる前の静けさに抱かれて
私たちの鼓膜は見えない指の愛撫を待っている

 「音楽の始まる前の静けさに抱かれて」という行があり、それが「私たちの鼓膜は」とつづいていくので、「主語」は「私たち(聞き手)」のように書かれているが、私はこの詩を「音楽の作り手」を「主役」にして書かれていると読み直す。
 「音楽の作り手」という「主語」を補うと、この連は

「音楽の作り手は」、宇宙に向けて精密な耳を澄ます
「音楽の作り手は」、絶え間ない雑音の中にかすかな信号を聞きとる
(「音楽の作り手は」、そのかすかな信号を音楽に変える/そこから音楽を生み出す)
(私たちは)、音楽の始まる前の静けさに抱かれて
私たちは、「音楽の作り手の」見えない指が私たちの耳を愛撫するのを待っている

 ということになる。
 前の二行で「音楽の作り手」が「私たち(音楽の聞き手)」とどう違うかを書く。主役を「音楽の作り手」にしてことばを動かす。後半の二行で「私たち(音楽の聞き手)」を主人公にすることで、「対構造」をつくりだしている。
 そして、この「対構造」の中心に、

「音楽の作り手は」、そのかすかな信号を音楽に変える/そこから音楽を生み出す

 という「書かれない一行」がある。
 詩はいつでも「書かれるもの」だが、同時に「書かれないことば」を持っている。「書かれないことば」というのは、詩人にとってわかりきっていることなので「書き忘れる」のである。
 「音楽の作り手」という「主語」も「書かれていない」。谷川が「音楽の作り手」について書いている意識が「肉体」にしみついてしまっているので、「主語」としてあらわれてこないのだ。「無意識」の奥でことばを突き動かしているからだ。
 この「無意識」のかすかな「あらわれ」が「という」という「伝聞」のことばであらわされている。

絶え間ない雑音の中にかすかな信号を聴き取るという
 
 この一行は「絶え間ない雑音の中にかすかな信号を聴き取る」にしても「意味」はかわらない。むしろ「強い」印象(断定)になる。けれど「という」を省略し、断定にしてしまうと、谷川が「無意識」と交渉しながらことばを動かしているということがわからなくなる。「無意識」がことばを動かしている、「無意識」にことばが動かされているという感じがなくなる。
 「音楽の前の……」では「この」が繰り返され、その「内部」を充実させながらことばが動いた。この詩では、何かが「意識」されないまま、一回だけ、谷川を強く動かしている。

 「音楽」が「沈黙」と向き合っている。「沈黙」を不可欠な「対」の要素として向き合っているとするならば、「詩」もまた「書かれないことば(沈黙)」と向き合っている。
 私のこの感想は「雑音」のようなものかもしれないが、「雑音」こそが「沈黙」なのである。

絶え間ない雑音の中にかすかな信号を聴き取るという

 「雑音」があるから「沈黙」がある。「沈黙」は「信号」と言いなおされているが、その「信号」は「音楽の作り手」にしか聞こえない音だからである。
 最終行、

無から生まれ出た音楽というもの

 は、「絶え間ない雑音の中にかすかな信号を聴き取る」を言いなおしたものである。「無」とは「雑音の中」の「中」であり、「沈黙」だ。
 「沈黙」を、書かれていなことばを、演奏されていない音を聴く。
 「書かれたことば」と「書かれたことば」、「演奏された音」と「演奏された音」の「あいだ(中)」に「書かれていないことば」を読み、「演奏されていない音」を聴く。
 これが詩を読み、音楽を聴く喜びではないだろうか。



*


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目次

小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

聴くと聞こえる: on Listening 1950-2017
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