詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

菊池祐子『おんなうた』

2018-03-27 11:03:38 | 詩集
菊池祐子『おんなうた』(港の人、2017年12月20日発行)

 菊池祐子『おんなうた』は「幸せの鳥」の一連目が印象的だ。

あなたは 心臓のように
わたしを 胸に抱いている

海よりも もっと遠い永遠の場所を思って
わたしは どきどきしながら 目を閉じています

 「心臓のように」「胸に抱く」。「心臓」は「肉体」の内部にあるので、これを「抱く」ということはできない。不可能なのだけれど、この不可能は、とても「強い」。ふつうに抱くのではない、ということを強く感じさせる。「力を込めて」とか、「やさしく」とかではない、「特別な」抱き方だ。「特別」ということがつたわってきて、ほーっと思う。
 つづくに連目の「海よりも もっと遠い永遠の場所」というときの「海」は、どこだろうか。たとえば長野県や岐阜県のような海に隣接していな場所なら「海」そのものが「遠い」。けれど、ここに書かれている「遠い」は「海から隔たっている」「海が隔たっている」という「遠さ(距離)」ではないだろう。岸に立って見える海でもない。岸に立って海をみつめながらも、なお、そこからは見えない「遠い海」だ。それは「思い描く」海だ。
 「思い描く」から、「心臓」にもどろう。
 「心臓のように」「胸に抱く」というのも「思い描く」光景である。「抱く/抱かれる」が現実であっても「心臓のように」が「思い描く」のだ。「思い描く」ことで、「わたし」は「心臓」になる。
 「遠い永遠の場所」としての「海」。それも「思い描く」とき、「私」は「遠い海」そのものになっている。
 「思い描く」とは「わたし」が「わたし」でありながら「わたし以外」になることだ。
 そういうふうに読んでいって、

古い帆船が わたしたちの横に そっと着いています

不幸せも 幸せも
孤独 という言葉さえ知らず
ひとり佇んでいる少女 だから
あなたがすき

 あ、「あなた」と「わたし」が「思い描き」のなかで入れ代わった、と感じる。
 「あなたは 心臓のように/わたしを 胸に抱いている」は「思い描いた」情景である。そして、思い描いていると、「わたしは 心臓のように/あなたを 胸に抱いている」にかわる。「心臓」は「少女のわたし」(少女時代の思い出)である。「思い出の少女」だから、それは「胸に抱く」ことができる。
 「少女」はいつか、こういうときが来ることを知っていた。「少女」は、いつかおとなになって、「少女だったわたし」を「思い出し」、思い出すことで「胸に抱く」。同時に、そのとき「少女」が「大人のわたし」を「抱く」ということも起きる。「少女」が、いま、ここにやってきて、「大人のわたし」を抱いている。そうなることを、「予感」していた。このとき「いま/ここ」とは「心臓(こころ)」であり、「思い描く」という「動詞」でもある。

 センチメンタルかもしれない。けれど、センチメンタルもいいなあ。美しいなあ。

*


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目次

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河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(43)

2018-03-27 08:56:45 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(43)(創元社、2018年02月10日発行)

 「音楽の前の……」に、私は違和感をおぼえた。

この静けさは何百もの心臓のときめきに満ちている

 読んだ瞬間に、「なぜ静けさなのか、なぜ沈黙ではないのか」と思った。「この静けさは」と書き出されているが、詩のタイトルとつづけて「音楽の前の、この静けさは」という意味だと思う。
 「音楽」と拮抗しているのは「沈黙」ではないのか。これまで詩を読んできて、私は、そう感じている。「静かさ」と向き合うのは「自然」である。
 だから、

この静けさに時を超えた木々のさやぎがひそんでいる

 の「木々」は「静けさ」には似合うし、「静けさ」をそっと招き寄せる感じもする。ただし「時を超えた」となると、やはり「沈黙」の方が「美しく」見えると思う。
 「説明」できない。ただ「直感」で、そう感じるだけなのだが。

 最終連は、こうなっている。

この静けさに音は生まれ この静けさに音は還る
この静けさから聴くことが始まりそれはけっして終わることがない

 この連の「静けさ」は「沈黙」が似つかわしい。完全な「沈黙」からひとつの音か生まれ、「音楽」として宇宙の果てまで響いていく。それは宇宙の中心にある「沈黙」に還る。

 と、ここまで書いて、ふっと違うことを思った。
 私の書いていることは「抽象的」すぎる。
 私は「音楽」と書きながら、「音楽とは何か」と問い、その「答え」を探していた。「思考」していた。「思考」のなかでは、確かに「音楽」と「沈黙」は向き合うのだが。
 だが谷川は、ここでは「音楽とは何か」を問うてはいない、と気づいた。
 「音楽の前の……」というのは、「抽象的な音楽(音楽とは何かと問うときに浮かび上がるもの)」ではなく、「具体的」なものをさしている。
 谷川は「音楽」を考えているのではない。「音楽」を「待っている」。この詩は「ホール」で書かれている。音楽がはじまる(演奏される)前のホール。その「ざわめき」のなかにいる。

この静けさは何百もの心臓のときめきに満ちている
この静けさにかけがえのないあの夜の思い出がよみがえる

 こう書き出されるとき、そこには何百人ものひとがいる。「ホール」で、ひとりひとりが「あの夜」を思い出している。そのために「こころ」がざわめいている。「ときめき」が共鳴し合っているのを聴きながら、自分の中の「ざわめき」をおさえる。つまり「静かに」させる。自分でつくりだす「静かさ」の中にいる。
 「音楽」を「聴く」ために。
 自分の中の「音」を「静かに」させて、これからはじまる「音(音楽)」を受け入れる。そういう「具体的」な時間が書かれている。
 タイトルの「音楽の前の……」は

「音楽のはじまる前の、」この静けさ「という時間のなか」は何百もの心臓のときめきに満ちている

 ということになる。「時間」を共有している。

「音楽のはじまる前の、」この静けさ「という時間のなか」に音は生まれ この静けさ「という時間のなか」に音は還る
「音楽のはじまる前の、」この静けさから聴くことが始まり「、」それ(この静けさ「という時間」)はけっして終わることがない

 「時間」は、人間の「聴く」という「動詞」と一緒にはじまり、動く。「聴くこと」を「始める」。いつでも「始める」ことができるから「終わり」はない。
 この「時間」の共有の中に、「音楽を奏でる」ことで「始まる時間」が重なる。それが「ライブ」ということになる。

 「音楽とは何か」ではなく、そういう「問い」は封印し、「音」を聴く。「音楽」は「沈黙」と拮抗して輝くもの、生まれてくるものだとするならば、ひとは「音楽」を「聴く」とき自分の中に「静かさ」をつくりだし、「音」を「待つ」。「音」を受け入れる「準備」をする。「沈黙」と自分の中の「静けさ」が近づくとき、「音」は「音楽」になって「聴こえる」。その「聴こえる」を「聴こえる」ではなく、「聴く」という主体的な「動詞」にかえていくことが「静かさ」をつくること、自分の中の「音」をおさえる(鎮める/静める)こと。
 「静けさ」ということばに、何か「華やぎ」のようなものがあるのは、「聴く」ことへの昂奮があるからだろう。「音楽」が演奏される直前の、「ホール」をおおう昂奮が、この詩には書かれている。
 最初に感じた「違和感」がすーっと消えていった。






*


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