詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ギリーズ・マッキノン監督「ウイスキーと2 人の花嫁」(★★★★★)

2018-03-09 21:33:33 | 映画
ギリーズ・マッキノン監督「ウイスキーと2 人の花嫁」(★★★★★)

監督 ギリーズ・マッキノン 出演 グレゴール・フィッシャー、ナオミ・バトリック、エリー・ケンドリック

 あ、この手のタイプの映画は、一番好きな映画だなあ、と見ながら思った。
 何が好きか。
 役者がのびのびしている。楽しんでいる。「作品の意図」というのはどういう作品にでもあるだろうけれど、それはそれとしてそれに縛られない。好き勝手というのではないけれど、こういう「役」はこれくらいでいい、という軽い感じ。「役」を演じると同時に「自分」を解放する。
 ちょっと「堅物」の「大尉」が出てくる。島民に規律を守らさせようとしている。妻が、そこまでしないていい。もっとみんなに溶け込んでほしいと思っている。で、妻からもちょっとばかにされている。いいようにあしらわれている。こういう「役」で自分を出すというのは、なんというか、「ばか」をさらけだすようであまり「特」とはいえないのだが、軽く立ち回っている。
 もちろん、そういう「損」な役以外の人は、もっと楽に演じている。いっしょに「作品」を楽しんでいる。「共同体」をつくっている。ルノワールとか、タビアーニ兄弟の映画には、こういうのが多いなあ。ウディ・アレンの「世界中がアイ・ラブ・ユー」も、そうだなあ。役者と知り合いになった気持ちになる。この人、知っている、という感じ。
 で。
 ウィスキーにまつわる映画で、飲むシーンもとっても多い。それが、とてもいい感じ。いいなあ、飲みたいなあ。ピートの香りの違いが楽しいだろなあ、なんて思うのだが。
 クレジットの最後の最後に、「撮影中は飲んでいません」という註釈が出る。
 えっ、うそだろう。飲んでるから「飲んでいません」というんだろう、とツッコミたくなる感じなんだなあ。
 と、書けば、たぶんこの映画の楽しさがわかる。

 ということとは別に、私がこの映画が好きな理由はもう一つある。
 舞台はスコットランドの島なのだが、海の色がとても美しい。スコットランド(イギリス)やアイルランドの海、空気の感じは、私が育った海の感じに似ている。見ていて、なつかしく感じられる。これが海の色だよなあ、こういう湿気のある空気なんだよなあ、と思う。
 最初の海の色は、氷見沖(富山湾)にある虻が島のまわりの海の色に似ている。ちょうど寒流と暖流が交錯するようなところなのだが、その「寒流」の色に近い。あ、この色、見たことがある、となつかしくなる。
 昼の海も、夜の海も、太平洋や地中海とは違う。
 ものに対する「感性」は、大人になるまでにつくられてしまうんだなあ、と思う。
 この映画の舞台の島の人は、やはり、やっぱりここで「感性」をつくる。ウィスキーを飲まないこどもまで、ウィスキーの「文化」を身につけて育つ。飲み始めてからウィスキーを知るのではなく、飲む前からウィスキーが「いのちの水」であることを知る。
 そして、その「感性」が共有される。
 こういうことと関係があるかどうかわからないが。
 座礁した船からウィスキーを盗み出すとき、島から船を出そうとすると日付がかわり日曜になる。そうすると神父が「日付が変わった。安息日だ。何もしてはいけない」と出港する船を止めてしまう。これにみんなが従う。盗んだウィスキーは神父も飲むのに、「日曜は安息日」ということだけは守るのである。
 この「文化」がおもしろい。「文化」が「感性」を作り上げていく。これが、さりげなく描かれている。
 (KBCシネマ1、2018年03月09日) 


 *

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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(25)

2018-03-09 08:18:09 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(25)(創元社、2018年02月10日発行)

 「なんにもしたくない」の最終行は「歌うたうのももうやめた!」。それまでの行が「歌」になる。

ああなんにもしたくない
カツ丼なんか食いたくない
友だちなんか会いたくない
女となんか寝たくない
話したくない聞きたくない
(略)
ああなんにもなんにもしたくない
お日さまかんかん蝶々ひらひら
どこかで赤ん坊が泣きわめく
いまは三月それとも四月
それとも真夏の昼下がり
歌うたうのももうやめた!

 「したくない」(正確には「たくない」か)が繰り返されている。声に出すと自然にリズムができる。これが「歌」か。「うたう」か。
 「ジャズドのラマー」に、「われわれは人間の肉のリズムを拍ち、それに酔う」ということばがあった。「声」がリズムをもつと、やはり人はそれに酔う。どんどんことばがあふれてくる。
 繰り返しは「したくない」だけではない。「カツ丼なんか」「友だちなんか」「女となんか」の「なんか」。それに「なんにもなんにも」もそうだが、「ないないづくし」の「ないない」「お日さまかんかん」の「かんかん」、「蝶々ひらひら」の「ひらひら」。よく見れば「蝶々」も「ちょう」の繰り返し。(「蝶」単独でも意味は同じだからね。)「それとも」も繰り返し。
 しかし、

どこかで赤ん坊が泣きわめく

 には繰り返しがなくて、リズムが変わる。それが「終わり」を予告しているかもしれない。
 ここが、谷川の「本能」のような部分だね。
 黙読していても、はっとするが、朗読ならば黙読よりもはっきりと変化がわかると思う。
 ここに「音楽」がある、と言えるかもしれない。
 「変化」もまたリズムの重要な要素だ。
 「音楽」を知らずに育った私がいうと信憑性がなくなるが、谷川はどこまでも音楽的なのだ。



*


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目次

小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
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読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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谷川俊太郎の『こころ』を読む
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「特殊性」という表現

2018-03-09 07:30:33 | 自民党憲法改正草案を読む
「特殊性」という表現
             自民党憲法改正草案を読む/番外183(情報の読み方)

 2018年03月09日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面に、朝日新聞がスクープした「森友文書」書き換え問題の続報が載っている。
 メインの記事(見出し)は

森友文書/「書き換え」言及せず/野党反発 財務省コピー提出

 財務省は、近畿財務局が作った決裁文書のコピーを4種類提出したが、「書き換え」には言及しなかったというもの。
 気になったのは、その「本記」につづいてい書かれている小さな記事(見出しは1段)。

別の文書には「特殊性」表現

 朝日がスクープしたのとは別の文書には「特殊性」という表現がつかわれていたという。こう書いてある。

 読売新聞が情報公開請求で入手した内部文書(2016年4月作成)では「本件は売買予約契約書を締結しているなど、特殊な処理を行った案件」と記載。

 しかし、これが何を意味するのか、読売新聞の書き方ではわからない。
 考えられること。
(1)別の文書にも「特殊性」の表現があったから、朝日がスクープした文書に「特殊性」があったということは、ありうることである。(森友学園を巡る文書には「特殊性」ということばが頻繁に、あるいは恒常的につかわれていた。)
(2)したがって、文書を整理する際に「特殊性」を省略したとしても問題にならない。他の文書で説明ずみなので、重複表現を避けただけであり、文書の「改竄には当たらない」と言いたいのか。(これは、朝日新聞への「反論」にあたる。安倍よりの主張である。財務省側は、おそらくこういう「言い訳」をするだろう。)
(3)あるいは、別の文書にあったのだから、問題の文書の「原本」にもあった。それを削除するのは「改竄に当たる」と言いたいのか。(これは、朝日新聞のスクープを補足することになる。)
 (2)なのか(3)なのか、読者にわかるように書かないと、記事の意味がない。
 「改竄に当たるのか」「改竄に当たらないのか」ということには触れずに、読売新聞は、こう書いている。

 近畿財務局は学園と土地の貸し付け契約を結ぶ際、将来学園が土地を購入することを前提に、通例は3年間である貸付期間を10年に延ばしており、「特殊処理」と呼んで財務省本省の承認を得ていた。こうした処分方法について「特殊性」と記していた可能性がある。

 この場合、こういう「特殊性」の事例がどれだけあるかが明示されないと意味がない。森友学園以外とでも、同様な「特殊性」をもった契約をしているのなら、この「特殊性」は許容範囲(?)におさまるかもしれない。しかし、森友学園だけに適用された「特殊性」ならば、なぜ森友学園だけに適用されたのかという問題が起きる。
 これは森友学園問題が起きたときから問題視されたことである。
 「特殊な何か」が裏で働いているのではないのか。
 で、ここから考えられること。
(1)読売新聞のこの記事は、もう一度、森友学園問題の「特殊性」を明るみに出すために書かれたのか。
(2)「特殊性」という表現は、「裏で何かが動いている」ということを暗示するものではなく、単に契約が他の契約と違っていた、と言いたいのか。
 読売新聞の書き方は(2)のように読むことができるが、その場合でも(1)の問題、なぜ森友学園だけが「特殊」な処理をしてもらえたのか、という疑問が消えるわけではない。

 それにしても。
 一連の動きの中で麻生(あるいは安倍もか)が繰り返す「大阪知見の捜査に影響を与える可能性があるので、答弁できない(答えられない)」(2日)とは、どういうことなのだろうか。
 私は何かの捜査対象になったことはないので、わからないが、しばしば映画などで見る「証言拒否」は、自分が不利になるから、そのことについては証言を拒否するというもの。不利にならない、あるいは有利になると判断すれば、積極的にそのことを語る。(ときには、捜査を誘導するために積極的に語ることもある。)
 文書が「改竄である」とわかれば、財務省の関係者が逮捕される。だから「改竄である」という「証拠(原本と国会に提出した文書は別のもの)」は出せない、ということなのか。「関係者」が「個人」ではなく「集団」と判明したら大問題になるので、答えられないというのだろうか。
 麻生は、

捜査の最終的な結論が出る前の段階も視野に入れつつ、できるだけ早期に説明できるよう省を挙げて最大限努力したい。(8日)(3面)

 と態度を変化させているが、これはいわゆる「とかげの尻尾切り」(財務省の誰かを処分して、問題を終結させる)ための方向転換か。改竄を職員の「個人的犯罪」にしてしまうことで、「背景」への追及をまぬかれようという狙いがあるのか。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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松井久子監督「不思議なクニの憲法」上映会。
2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
「不思議なクニの憲法2018」を見る会
入場料1000円(当日券なし)
問い合わせは
yachisyuso@gmail.com

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
クリエーター情報なし
ポエムピース
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