今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』(らんか社、2018年03月31日発行)
今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』は横書きである。私は横書きの本が苦手である。左目が悪く、左から右へことばを追うとき文字がつかみきれない。焦点をあわせにくい。また「たましい(魂)」ということばも苦手である。多くのひとは「魂」ということばをつかうが、私は自分からはつかわない。なじめない。私の家では、だれも「魂」ということばをつかわなかった、ということもひとつの理由だと思う。
だから、あまり親身(?)には読むことができない。私は、私が聴きなじんだことば以外は信じない人間である。
「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)」はアルコール依存症の人たちの集いに参加したときのことを書いている。実際の体験を書いているのか、創作なのか、判断はできない。「事実」であるか、「虚構」であるかは別問題として、私は、
というような「呼びかけ」がおこなわれるような集いには加わりたくないと思う。ぞっとする。「シャローム」はヘブライ語で「平和」という意味らしい。註釈がついている。この註釈は、ここに書かれている集いが「ヘブライ語」を話す共同体ではじまったということをあらわしていると思うが、日本にいるのに、日本語であいさつしないで、いったいどうするのだろうか。この集いで依存症から抜け出すことができたとして、それはほんものの自分なのか。「シャローム」というあいさつが「仲間うち」でしか通じないのだとしたら、今度は「集い依存症」になるだけだろう。
それは結局、「たましい」が「ある集団」でしか存在しないということにもなるだろう。「し」も「しあわせ」も。こういうことは、「不満」を書いてもしようがないのかもしれないが、嫌いなものは嫌いと書かないと、次にすすめない。
「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)Part2」にこんな行が出てくる。(64ページ)
この五行はおもしろいと思う。「存在」が「存在」ではなく「ことば(比喩)」として動く。「比喩」はさらに「比喩」を誘い出す。どこまでも「比喩」が拡大していくとみせかけて、「現実」にもどってくる。「認識」というものが、ふいに、洗われる。洗われて、新しく現われる。
そういえば、巻頭の「汚れた言葉と奇麗ごと」は、こうはじまっていたな。
「洗い落とす」という動詞。
「比喩」が「比喩」とぶつかり、「比喩」として増えていくとき、「存在」の「名前」が「洗い落とされ」、「名前」以前の「存在」が現われる。これは「顕れる」かもしれない。隠れていたものが「露顕する」、あるいは「顕現する」。
ことばに、そういう「洗い落とす」(顕現させる)力があるのだとしたら、そしてその力を解放するのが詩だとしたら、やっぱり、
というような、日常はつかわないことばを頼りにしてはいけないと思う。
自分がいつもつかっていることばを、自分のつかっていることばで突き破っていかないと、ほんとうに何かが「顕れた」ということにはならないのではないか。
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「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
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目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』は横書きである。私は横書きの本が苦手である。左目が悪く、左から右へことばを追うとき文字がつかみきれない。焦点をあわせにくい。また「たましい(魂)」ということばも苦手である。多くのひとは「魂」ということばをつかうが、私は自分からはつかわない。なじめない。私の家では、だれも「魂」ということばをつかわなかった、ということもひとつの理由だと思う。
だから、あまり親身(?)には読むことができない。私は、私が聴きなじんだことば以外は信じない人間である。
「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)」はアルコール依存症の人たちの集いに参加したときのことを書いている。実際の体験を書いているのか、創作なのか、判断はできない。「事実」であるか、「虚構」であるかは別問題として、私は、
「シャローム。はじめまして、“イマイ”!!」
というような「呼びかけ」がおこなわれるような集いには加わりたくないと思う。ぞっとする。「シャローム」はヘブライ語で「平和」という意味らしい。註釈がついている。この註釈は、ここに書かれている集いが「ヘブライ語」を話す共同体ではじまったということをあらわしていると思うが、日本にいるのに、日本語であいさつしないで、いったいどうするのだろうか。この集いで依存症から抜け出すことができたとして、それはほんものの自分なのか。「シャローム」というあいさつが「仲間うち」でしか通じないのだとしたら、今度は「集い依存症」になるだけだろう。
それは結局、「たましい」が「ある集団」でしか存在しないということにもなるだろう。「し」も「しあわせ」も。こういうことは、「不満」を書いてもしようがないのかもしれないが、嫌いなものは嫌いと書かないと、次にすすめない。
「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)Part2」にこんな行が出てくる。(64ページ)
「コップ」が「薄ら陽」と遭って「風鈴」という言葉になった
「風鈴」に「ミルク」を注ぐと「乳白色の夏」へと変った
「ロールパン」に「バター」を塗ると「萌黄の綿」へと変った
「ヨーグルト」に「種無しプルーン」を載せると、
「すこしだけ職なしのおとこ」へと変わった
この五行はおもしろいと思う。「存在」が「存在」ではなく「ことば(比喩)」として動く。「比喩」はさらに「比喩」を誘い出す。どこまでも「比喩」が拡大していくとみせかけて、「現実」にもどってくる。「認識」というものが、ふいに、洗われる。洗われて、新しく現われる。
そういえば、巻頭の「汚れた言葉と奇麗ごと」は、こうはじまっていたな。
手垢にまみれた「愛」「平和」
そんな言葉はまだ
世界にさらされてよいのか
はい よいのです
いかに汚れた「愛」「平和」でも
汚れているのは
表面だけなので
それらの汚れは
わたしたちそれぞれのこころで
洗い落とせば綺麗ごとになる
「洗い落とす」という動詞。
「比喩」が「比喩」とぶつかり、「比喩」として増えていくとき、「存在」の「名前」が「洗い落とされ」、「名前」以前の「存在」が現われる。これは「顕れる」かもしれない。隠れていたものが「露顕する」、あるいは「顕現する」。
ことばに、そういう「洗い落とす」(顕現させる)力があるのだとしたら、そしてその力を解放するのが詩だとしたら、やっぱり、
シャローム
というような、日常はつかわないことばを頼りにしてはいけないと思う。
自分がいつもつかっていることばを、自分のつかっていることばで突き破っていかないと、ほんとうに何かが「顕れた」ということにはならないのではないか。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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