詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』

2018-03-19 09:34:20 | 詩集
今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』(らんか社、2018年03月31日発行)

 今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』は横書きである。私は横書きの本が苦手である。左目が悪く、左から右へことばを追うとき文字がつかみきれない。焦点をあわせにくい。また「たましい(魂)」ということばも苦手である。多くのひとは「魂」ということばをつかうが、私は自分からはつかわない。なじめない。私の家では、だれも「魂」ということばをつかわなかった、ということもひとつの理由だと思う。
 だから、あまり親身(?)には読むことができない。私は、私が聴きなじんだことば以外は信じない人間である。
 「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)」はアルコール依存症の人たちの集いに参加したときのことを書いている。実際の体験を書いているのか、創作なのか、判断はできない。「事実」であるか、「虚構」であるかは別問題として、私は、

「シャローム。はじめまして、“イマイ”!!」

 というような「呼びかけ」がおこなわれるような集いには加わりたくないと思う。ぞっとする。「シャローム」はヘブライ語で「平和」という意味らしい。註釈がついている。この註釈は、ここに書かれている集いが「ヘブライ語」を話す共同体ではじまったということをあらわしていると思うが、日本にいるのに、日本語であいさつしないで、いったいどうするのだろうか。この集いで依存症から抜け出すことができたとして、それはほんものの自分なのか。「シャローム」というあいさつが「仲間うち」でしか通じないのだとしたら、今度は「集い依存症」になるだけだろう。
 それは結局、「たましい」が「ある集団」でしか存在しないということにもなるだろう。「し」も「しあわせ」も。こういうことは、「不満」を書いてもしようがないのかもしれないが、嫌いなものは嫌いと書かないと、次にすすめない。

 「Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)Part2」にこんな行が出てくる。(64ページ)

「コップ」が「薄ら陽」と遭って「風鈴」という言葉になった
「風鈴」に「ミルク」を注ぐと「乳白色の夏」へと変った
「ロールパン」に「バター」を塗ると「萌黄の綿」へと変った
「ヨーグルト」に「種無しプルーン」を載せると、
「すこしだけ職なしのおとこ」へと変わった

 この五行はおもしろいと思う。「存在」が「存在」ではなく「ことば(比喩)」として動く。「比喩」はさらに「比喩」を誘い出す。どこまでも「比喩」が拡大していくとみせかけて、「現実」にもどってくる。「認識」というものが、ふいに、洗われる。洗われて、新しく現われる。
 そういえば、巻頭の「汚れた言葉と奇麗ごと」は、こうはじまっていたな。

手垢にまみれた「愛」「平和」
そんな言葉はまだ
世界にさらされてよいのか
はい よいのです
いかに汚れた「愛」「平和」でも
汚れているのは
表面だけなので
それらの汚れは
わたしたちそれぞれのこころで
洗い落とせば綺麗ごとになる

 「洗い落とす」という動詞。
 「比喩」が「比喩」とぶつかり、「比喩」として増えていくとき、「存在」の「名前」が「洗い落とされ」、「名前」以前の「存在」が現われる。これは「顕れる」かもしれない。隠れていたものが「露顕する」、あるいは「顕現する」。
 ことばに、そういう「洗い落とす」(顕現させる)力があるのだとしたら、そしてその力を解放するのが詩だとしたら、やっぱり、

シャローム

 というような、日常はつかわないことばを頼りにしてはいけないと思う。
 自分がいつもつかっていることばを、自分のつかっていることばで突き破っていかないと、ほんとうに何かが「顕れた」ということにはならないのではないか。




*


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目次

小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(35)

2018-03-19 08:19:19 | 谷川俊太郎『聴くと聞こえる』
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(35)(創元社、2018年02月10日発行)

 「「音の河」武満徹に」には、

音楽はいつまでたっても思い出にならない

 という強い一行がある。読んでいて、思わず傍線を引いてしまう。なぜ、思い出にならないか。谷川は、

この今を未来へと谺させるから

 とつづけている。「谺させる」が不思議だ。「谺」は「させる」ものではなく「する」もの、と私は思っているので、不思議に感じる。この「谺させる」という不思議な言い方が、「思い出にならない」の「ならない」と通い合う。ふつうはどんなことでも「思い出になる」。それが否定されている。そして、それは単なる否定ではなく「思い出にさせない」という具合にも読むことができる。「谺させる」の使役の言い回しと、何かが似ている。使役といっても、人が働きかけるのではなく、「もの」自体がもっている力がおのずと「使役」に動く感じだ。
 「音楽」のもっている力が動き、思い出になることを拒む。生きていく。
 「谺」というのは「反響」だが、「反響」の前の、もとの「音」が「反響」を一回で終わらせない。生きていく、という感じだ。

 最終連も大好きだ。

言葉の秩序は少しずつ背景に退いてゆき
世界の矛盾に満ちた暖かい吐息を
ぼくらは耳元に感じる

 「音楽」の前では「言葉」は無力である。「言葉」は「意味(秩序)」に縛られるのに対して、「音楽」は「意味」とは無関係な力を生きるからだろうか。
 こういうことは、あまり考えてはいけない。
 わかっているつもりだが、私は考える。
 「言葉」の「意味」が消えていく(前面から背景へと退いていく)と、「世界の秩序」も消えていく。その結果「矛盾」に満ちてくる。この「矛盾」は「混沌」というものに近いかもしれない。「未生の言葉」が生きている世界だ。
 そう読み取った上で、私は「世界の矛盾に満ちた暖かい吐息を」をさらに解きほぐしていく。「世界の矛盾に満ちた暖かい吐息を/ぼくらは耳元に感じる」で「ひとつ」の文章なのだが、これを解きほぐす。
 「未生の言葉」が生きている「世界」を「主語」にして読み直す。

世界は矛盾に満ちた暖かい吐息を吐く

 さらに、

世界は吐息を吐く。矛盾した吐息を吐く。それは、熱い。

 世界は矛盾に満ちている(矛盾している)、矛盾のなかで世界は熱くなり、吐息を吐く。吐息は熱い。「耳元に感じる」のは「吐息」ではなく「熱さ」そのものである、と。
 「熱さ」とは「熱」。「熱」とは「エネルギー」。
 「世界は矛盾する」、つまり「対立する」。「秩序をなくす」、あるいは「混沌」とする。「未生の世界」へ帰っていく。

 音楽も詩も、形のない「熱」に形を与える。秩序を与えることで「未生」から「生まれる」にかわる。かわるけれど、そこでおしまいではない。生み出されたものがさらに「未生のもの」として動き、新しいいのちを生みつづける。
 その可能性を谷川は「耳」でつかみ取っている。
 そして、これが武満の音楽だと言っている。





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樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
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