詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(59)

2018-09-05 08:24:03 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
59 エロス頌

 「ギリシアの神神の代表」はだれか。高橋は「エロス」という。エロスを定義して、こう書いている。

天地開闢の卵から 孵ったという
恐ろしい鳥のかたちの 異形のもの
この怪生の力によって すべては立つ

 「恐ろしい」は「異形」と言いなおされ、さらに「怪生」と言いなおされる。「怪生」は、自然ではなく、自然を超えた形で生まれるということだろう。
 私たちが知っている自然な「誕生」ではない。超越的な誕生によって存在するもの。
 この「怪生」は、さらに「力」と言いなおされている。「生まれる」という動詞だけでは不十分なのだ。「生まれる力」と、高橋はもういちど「名詞」にもどしてとらえようとしている。
 「生まれる」という動詞を動かしているものに、「力」という名前を与えることで、力をつかみ取ろうとしている。形のないものに「名」を与えることで、存在にしてしまう。
 それ以上に注意を払わなければならないのは「立つ」という動詞だろう。「エロスの怪生の力」によって「立つ」。「生まれる」だけではなく、さらに「立つ」のである。
 「立つ」は立ち上がる。「立つ」は立ち現れる。他のものから抜け出す。違った存在、特別な存在になる。
 「立つ」ことで「名」が与えられるのか、「名」が与えられることで「立つ」(立ち上がる/立ち現れる)のか。
 これは区別がつかない。同時に起こることだろう。

 無からふいに立ち上がってくるもの。それに出会う。そのとき、高橋もまた「立っている」。「立ち/向かう」。戦いと和解。そこに「エロス」動く。




つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社




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