詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(83)

2018-09-29 09:16:55 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
83 老人と犬

ギリシアの冬はきびしい ことに老いた者には
老人は自ら暖まれない 寝床で暖めてくれる者がほしい

 と書いたあと、高橋は「文学」の世界へ入っていく。「現実」ではなく「文学」の世界へ、というのは、たぶん間違った指摘だろう。高橋にとっては「文学(ことば)」こそが現実、ことばになっていないものは現実ではないのだろう。

寄り添ってくれる猫は 古代ギリシアにはまだいなかった
いたのは犬だけ だが犬は厭われ 冥府の番に追いやられた
犬は抗議の牙を剥いて 吠え立てた 老人は犬を叱った
叱りつつふるえていた さみしい老人 さみしい犬

 「きびしい」が「さみしい」に変わっている。「韻」を踏んでいる。(「さびしい」ではなく「さみしい」と音を選ぶことで、「音」が「肉体」のなかへ入ってくる感じがする。「さびしい」だと、「音」が破裂して「肉体」から出て行く。)
 この変化を動かしているのは「ほしい」ということば。「欲する」という動詞が、高橋の「肉体」のなかに蓄積されている「時間(文学のことば)」を掘り起こしている。
 「きびしい」と「さみしい」を入れ替えると、詩は「抒情詩」から「叙事詩」にかわるだろう。感情が寄り添うのではなく、「肉体」がぶつかりあい、物語をうみだすだろう。感傷を書きながら、ひそこにドラマ(悲劇)を夢見ている高橋を思い浮かべた。

ギリシアの冬はさみしい ことに老いた者には
老人は自ら暖まれない 寝床で暖めてくれる者がほしい
寄り添ってくれる猫は 古代ギリシアにはまだいなかった
いたのは犬だけ だが犬は厭われ 冥府の番に追いやられた
犬は抗議の牙を剥いて 吠え立てた 老人は犬を叱った
叱りつつふるえていた きびしい老人 きびしい犬

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする