安倍の改憲論
自民党憲法改正草案を読む/番外224(情報の読み方)
2018年09月11日の読売新聞(西部版・14版)の3面。自民党総裁選の開始を受けての安倍、石破の「共同記者会見」を報じている。
9条改正改正をめぐっての安倍の発言について、こう書いてある。(1)(2)は私がつけたものであって、新聞記事にはない。
首相は記者会見に先立つ立会演説会で、多くの社会科教科書が自衛隊違憲論を紹介していることに、(1)「自衛艦の子どもたちもこの教科書で学ばなければならない。このままでいいのか」と述べ、(2)自衛官の「誇り」を改憲理由に挙げた。
(1)と(2)のあいだには論理には飛躍がある。つまり、論理になっていない。
(1)をそのまま展開していけば、結論は自衛官の子どもたちの心情に配慮するために改憲をしなければならない、ということになる。もっと言いなおすと、「自衛官の誇り」ではなく「自衛官の子どもたちの誇り」のために改憲するということになる。
「自衛官の子どもたちの誇り」のためにというのなら、改憲をしなくても、「自衛隊違憲論」を紹介している教科書を否定する(検定で不合格にする)ということで解決できる。
もちろんこの方法は、政治の教育への介入であって許されるわけではない。
安倍の最終的な目標は、教育への介入であることは、これまでの一連の動きから判断すれば明らかである。「道徳教育(家長制度復活を狙った価値観の押しつけ)」ひとつをとってみてもわかる。「教育無償化」という「名目」で教育そのものに介入してくる。反安倍的な学問を追究すれば、即座に「無償化」の対象から排除されるだろう。安倍に従順な人間だけを育てる教育が押しつけられる。
「教科書検定」というわかりやすい方法で「教科書」を排除すれば批判が高まる。だから、そういうことはしない。
「理念」というのは、わかりやすそうで、わかりにくい。安倍は、そういう理念の性質(問題点)を巧みに利用して、「教育問題」を「改憲(自衛隊の明記)問題」にすりかえている。繰り返すが、この「巧みな利用」は即座に逆の形で動くことになる。「改憲」がすめば即座に「教科書に自衛隊は合憲である」と書けと迫る。
いくら9条に自衛隊を明記したところで、「前文の理念と一致しない。9条の自衛隊明記は、安倍が押しつけた違憲条項である」という批判は起きるだろう。批判を呼ばないものなど、この世には何一つない。憲法に書かれていても「自衛隊は違憲である」と主張する人間は出てくる。
学校で学ぶ子どもにしたって、単純に教科書に合憲と書いてあるからといって、それにしたがって評価を変えるわけではない。自衛隊員を父親(母親)にもつ子どもに対して、「おまえの父ちゃんは、安倍の言いなりになって人殺しの準備をしているだけじゃないか」という批判を口にする子どもが出てこないとはかぎらない。子どもはそんな複雑なことを言えないというかもしれないが、子どもは大人の口真似を、意味を理解せずにしてしまうときがある。そしてそれは、意味がわからないからこそ、あっと言う間に共有される。「悪口」として広まる。
批判(論理)というのは、どういう形にもなりうる。
批判を封じるには、やはり「教育介入」しかない。子どもを洗脳するしかない。批判力を持った人間ではなく、批判力のない、従順な人間を育てるためにはどうすればいいのか。そういう方向で、「教育介入」が激しくなるだけだ。
(2)も論理的とは言えない。「誇り」というのは個人的なものである。「自衛隊は合憲である」と言われても、だれかを殺して「誇り」を持つことができるのか。だれかを殺すことで、だれかを守ったとしても、それで殺した人のすべてが「自分は正しいことをした」と「誇り」を持てるのか。
戦場から帰った多くの人が苦悩しているというニュースはしきりに聞く。「理念」がいくら正当であっても、それを実行するとき必ず「誇り」を持てるとはかぎらない。
「情」に訴えた改憲主張は間違っている。「自衛隊」が外国からの侵略を防ぐために必要なものだとするなら、その外国とどう向き合うかという理念から出発しないといけない。国内の「情」など、侵略してくる国は配慮するはずがない。自衛隊員の子どもがどう思うか、自衛隊員がどう思うかなど、関係がない。「敵を殺した。私は日本を守った。それが誇りだ」と主張する人間をこそ、真っ先に殺しにくるだろう。ひたすら逃げるだけの人間、「助けてください、協力します」という「誇りのない」人間を殺すために武器をつかうことはない。
「情」を排除しておこなうのが戦争である。「情」を排除しているからこそ、暴走して虐殺も起きるのだ。
「誇り」の問題については、
石破氏は「『僕のお父さんは自衛官』と誇りを持つ子どもがいっぱいいる」と反論。
と紹介している。「ぼくのお父さんは、災害被災地に出かけて、人を助けだしたんだぞ」と子どもが言えば、友達はみんな感心するだろう。
ひとは誰でも、行動について評価し、それを「誇り」に思うのだ。教科書にどう書いてあるかではない。
もし、ほんとうに「教育」を利用しようとするなら、こういうことを利用すればいいのだ。「教科書に書いてあることは、ひとつの見方にすぎません。現実は、もっと複雑です。〇〇さんのお父さんは、災害救助で人のために働いています。とても立派な人です」と言うようにすればいいだけである。
学校とは、自分で物事が判断できるように人間を育てる場である。判断というのは、いつも現実の中でおこなうしかないものである。
さらに見落としてならないのは、読売新聞の次の部分である。
首相は、総裁選を9条改正を巡る党内議論の「最終決戦」と位置づける。2項を維持して自衛隊を明記する首相案は、すでに党内の有力案として意見集約されたが、石破氏をはじめ、2項削減論はなお根強い。首相は石破氏に圧勝することで、自身の案の実現を加速させたい考えだ。
安倍は、総裁選を「安倍の改憲案」を押し通すために利用しようとしている。
安倍はしきりに「憲法論議は憲法審査会で」と言う。しかし、安倍は憲法審査会の意見など聞くはずがない。安倍はだれの意見も聞かない。独裁者である。
安倍の案が、2012年の自民党の「改憲草案」を無視していることからも明確である。自民党は時間をかけて「改憲草案」をつくった。いまでも自民党のホームページには掲載されているし、改正のポイントも説明している。その「熟慮」された案を提示して、改憲を目指すというのなら「論理的」には納得できるが、それを無視して、独自に「改憲案」を提唱する。それをあたかも「自民党案」のように装っている。
安倍は、ただ自分の思う通りにしたいだけである。その最終的な思いは、戦争をはじめる。軍隊を指揮するということだ。
もちろん、戦争はそう簡単にはできない。「敵国」がどう行動するかが問題だし、味方してくれる国(アメリカ?)がどう動くかも問題だ。だいたい日本にある米軍基地は、中国や朝鮮半島に出撃するときに便利というだけのものである。日本が占領されても、それによって米国本土に危機が及ぶわけではない。大陸間弾道弾があるのだから、日本に米軍基地があろうがなかろうが、アメリカ本土は攻撃の射程に入っている。日本が攻撃されたら、日本を放棄してアメリカは引き上げるということは十分に考えられる。無駄な前線を維持する必要はない。
戦争を簡単に引き起こせないとなると、そのとき、どうするか。安倍は軍隊を「国内秩序を守るため」に出動させ、それを指揮することになる。どこかで安倍批判のデモがある。国内の秩序を不安定にする。緊急事態だ。軍隊をつかって弾圧しろ。そういうことにしか自衛隊はつかいようがない。
逆に言えば、国内の反安倍派を弾圧するために、自衛隊を合憲化しようとしている。軍隊をつかって、国民を支配する。軍事独裁国家が安倍の理想である。まず、安倍に疑問を抱かない人間を育てる、という教育から、それは実行に移されている。
自衛隊、緊急事態、教育介入は三点セットで動いている。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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