佐々木貴子『嘘の天ぷら』(土曜美術社出版販売、2018年09月30日発行)
佐々木貴子『嘘の天ぷら』はタイトルが語っているように、「嘘(ことば)」がテーマである。ことばでしかあらわせないことを語っている。
この詩は、詩集の本編(?)を構成している作品群とは少し違っているのだが、佐々木の詩がことばでできていることをよくあらわしている。
「歯に衣を着せた」という一行は、「衣」が「天ぷら」を連想させる。そして同時に「嘘」というものが、「こころ」に「着せた」何かであることをも教えてくれる。「衣」という名詞にひっぱられて見逃してしまうが、「着せる」という「動詞」が佐々木の思想(肉体)をあらわしている。
「裸」というか「ほんもの」がある。それをそのまま存在させるのではなく「衣(衣装)」を着せて人前に出す。そうすると、ここからは「天ぷら」の話ではなく、これは「人間」の話になる。
でも、「衣」は、それでは「にせもの」なのか。
そうとは、なかなか断言できない。
「衣」は自然にできるわけではない。やはり「人間」がつくるものだからである。
というようなことを佐々木は書いているわけではないが。
佐々木が書いているのは「具(裸/ほんもの)」と「衣(嘘)」が、簡単に入れ代わってしまうということである。入れ代わってしまうというよりも、入れ替えずにはいられないのかもしれない。
で、このときに「論理」というものが動く。
「論理」というのは不思議なもので、動かしていけば「結論」にたどりつく。「論理」と「結論」はとても「閉鎖的な関係」にある。「結論」にしてしまえば、それは「結論」になる。「異論/反論」を挟む余地はない。つまり「完結」してしまう。「閉ざす」ことで「完結」を強力なものにしてしまう。
「天ぷら」と違って、固まってしまった鉄のようなものだ。
「影」という詩は、は「影」のない「わたし」が主人公である。「影」がないから「影踏み」ができない。それである日、死んだ子の影を接着剤でくっつけることになる。その影は、一度くっつけると、もう剥がせなくなる。そのうちにわたしと影は入れ替わり、影ではなくわたしが入れ代わる。「影は頭が良かったので、成績はぐんぐん良くなった。」そのため、家族も影を大事にする。わたしは見向きもされなくなる。
これは学校(成績の良い子が、良い子という判断)によって殺される「わたしという個性」を象徴的に語っている。その結果、どうなるか。
佐々木の「論理」は「象徴/比喩/嘘」をつかって、「いま/ここ」を別の角度からとらえなおすという展開をする。そこには矛盾がない。もともと「論理」のために用意された「嘘/比喩/象徴」なのだから、矛盾が生まれるはずがない。
で。
こういう「完結した論理」が好きな人には、佐々木の詩はおもしろいだろうなあ。
「論理」をひっくりかえすことを「詩」ととらえる、あるいは「新しい論理」の「新しい」を「詩」ととらえる人間には、おもしろいだろうなあ。
まあ、そうでない人にもおもしろいかもしれない。
私も、最初は、おもしろいと思って読んだ。でも、つづけて読んでしまうと、ああ、またか、と思ってしまう。「論理の新しさ」というのは、一度見てしまうと「新しさ」を失ってしまう。どんなに変更を加えてみても、「完結」へ向かって動いていくしかないものである。
ときどき、思い出したようにして読めばいいのかもしれない。
「嘘」は、どうしても飽きてしまう。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
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佐々木貴子『嘘の天ぷら』はタイトルが語っているように、「嘘(ことば)」がテーマである。ことばでしかあらわせないことを語っている。
今夜は
一人で揚げる
薄衣をつけた
あなたの言葉を
ジュワッと揚げる
もう
わたしを一人にしないと
約束した言葉を
歯に衣を着せた
あなたの優しさを
心、焦がさぬように
丁寧に揚げましょう
何がホントで
何が嘘
騙され続ける幸福に
サヨナラ言って
涙をこらえて
カラリと揚げましょう
嘘の天ぷら
傷つく前に
一人で食べる
この詩は、詩集の本編(?)を構成している作品群とは少し違っているのだが、佐々木の詩がことばでできていることをよくあらわしている。
「歯に衣を着せた」という一行は、「衣」が「天ぷら」を連想させる。そして同時に「嘘」というものが、「こころ」に「着せた」何かであることをも教えてくれる。「衣」という名詞にひっぱられて見逃してしまうが、「着せる」という「動詞」が佐々木の思想(肉体)をあらわしている。
「裸」というか「ほんもの」がある。それをそのまま存在させるのではなく「衣(衣装)」を着せて人前に出す。そうすると、ここからは「天ぷら」の話ではなく、これは「人間」の話になる。
でも、「衣」は、それでは「にせもの」なのか。
そうとは、なかなか断言できない。
「衣」は自然にできるわけではない。やはり「人間」がつくるものだからである。
というようなことを佐々木は書いているわけではないが。
佐々木が書いているのは「具(裸/ほんもの)」と「衣(嘘)」が、簡単に入れ代わってしまうということである。入れ代わってしまうというよりも、入れ替えずにはいられないのかもしれない。
で、このときに「論理」というものが動く。
「論理」というのは不思議なもので、動かしていけば「結論」にたどりつく。「論理」と「結論」はとても「閉鎖的な関係」にある。「結論」にしてしまえば、それは「結論」になる。「異論/反論」を挟む余地はない。つまり「完結」してしまう。「閉ざす」ことで「完結」を強力なものにしてしまう。
「天ぷら」と違って、固まってしまった鉄のようなものだ。
「影」という詩は、は「影」のない「わたし」が主人公である。「影」がないから「影踏み」ができない。それである日、死んだ子の影を接着剤でくっつけることになる。その影は、一度くっつけると、もう剥がせなくなる。そのうちにわたしと影は入れ替わり、影ではなくわたしが入れ代わる。「影は頭が良かったので、成績はぐんぐん良くなった。」そのため、家族も影を大事にする。わたしは見向きもされなくなる。
ひたすら踏まれ続ける日々。血が流れた。わたしの血が学校中に滲みた。
これは学校(成績の良い子が、良い子という判断)によって殺される「わたしという個性」を象徴的に語っている。その結果、どうなるか。
時々、思い出したように影が下を向いて、ごめんね、と言う。勉強が忙しいので、誰も影踏みをしない。誰一人として影を見ない。今日、影はわたしを細かく切り刻んだ。もう、わたしには血の一滴も無い。
佐々木の「論理」は「象徴/比喩/嘘」をつかって、「いま/ここ」を別の角度からとらえなおすという展開をする。そこには矛盾がない。もともと「論理」のために用意された「嘘/比喩/象徴」なのだから、矛盾が生まれるはずがない。
で。
こういう「完結した論理」が好きな人には、佐々木の詩はおもしろいだろうなあ。
「論理」をひっくりかえすことを「詩」ととらえる、あるいは「新しい論理」の「新しい」を「詩」ととらえる人間には、おもしろいだろうなあ。
まあ、そうでない人にもおもしろいかもしれない。
私も、最初は、おもしろいと思って読んだ。でも、つづけて読んでしまうと、ああ、またか、と思ってしまう。「論理の新しさ」というのは、一度見てしまうと「新しさ」を失ってしまう。どんなに変更を加えてみても、「完結」へ向かって動いていくしかないものである。
ときどき、思い出したようにして読めばいいのかもしれない。
「嘘」は、どうしても飽きてしまう。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」7月の詩の批評を一冊にまとめました。
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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