詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「私はそういうことは一度も言っていない」(2)

2018-09-15 23:32:13 | 自民党憲法改正草案を読む
「私はそういうことは一度も言っていない」(2)
             自民党憲法改正草案を読む/番外227(情報の読み方)

 2018年09月15日朝日新聞朝刊(西部版・14版)4 面に、とんでもない記事が掲載されていた。自民党総裁選の「討論会」の詳報である。(4面は13版S)

記者 安倍政権は、拉致問題を解決できるのは安倍政権だと。現状、見通しは。
安倍氏 拉致問題を解決できるのは安倍政権だと私が言ったことはない。ご家族でそういう発言をされた方がいることは承知している。あらゆるチャンスを逃さない、という決意のもとに進めてゆきたい。

 安倍が否定したのは「安倍政権だけ」の「だけ」の部分かもしれないが。
 これは「トリクルダウンと言ったことはない」「TPP反対と言ったことはない」とは全く違って、言わなかったとしたら、言わないことが問題なのだ。
 こういうことは「できる」という確信がなくても「できる」と言い張り、その実現に向けて努力しないといけない。
 「拉致問題は絶対に私の手で解決する。そのために、いまこういうことをしている。もう少し時間がかかる。だから、もう少し自分に時間をくれ。総裁をつづけさせてくれ」と言わなければならない。
 それが首相の責任だろう。
 「拉致問題を解決できるのは安倍政権だと私が言ったことはない。だから解決できなくても私の責任ではない」
 という論理は成り立たない。
 安倍は責任逃れのためなら、何でも言うだろう。
 「拉致問題は、私が首相のときに起きたのではない。責任は当時の首相にある」
 とさえ言いだすだろう。
 「自衛隊が憲法に明記されていなかったから、自衛隊が拉致を防げなかった」とも言いかねない。

 この首相のもとで、9 条を改正し、実際に戦争を始めた場合、どうなるだろう。
 「私は戦争に勝つと言ったことは一度もない。私は日本が戦場になると言ったことは一度もない。私は日本人が戦争で死ぬことはないと一度も言ったことはない」
 平気でそう言うに違いないのだ。

 言わなければならないことを言わない人間は、言ったことを言わないということ平然として言う。

 安倍は人間として完全に失格している。
 人間には、嘘をつかないといけないときがある。できないとわかっていても「できる」と言い、そのできないことをできるようにするよう努力しないといけない。
 自分の子どもが誘拐されたとき、妻をはじめとする家族に、「なんとか助け出して」と泣きつかれたとき、何をしていいかわからなくても「大丈夫、絶対に助け出す」と答えるのが父親だろう。もし事件が不幸な形で展開し、妻から「お父さんが助けるといったのに、嘘つき」と非難されたとしても、そのときは「何もできなくてごめんよ」と答えるのが普通であり、「私は誘拐事件を解決できると言ったことは一度もない」と言う人間がいるだろうか。
 今回の発言は、安倍は拉致問題を解決する気持ちがまったくない、ということを証明している。人の悲しみ、苦しみによりそう気持ちなどどこにもないということを証明している。
 その場その場で、批判をかわせばいいと思っている。
 その安倍が学校に「道徳」を持ち込んだ。安倍には「道徳」を言う資格がない。自民党は「家長制度」の復活を目指しているようだが、安倍のような「家長」が「家長制度」の頂点にいるのは、その家の不幸である。








#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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「私はそういうことは一度も言っていない」

2018-09-15 12:25:52 | 自民党憲法改正草案を読む
「私はそういうことは一度も言っていない」
             自民党憲法改正草案を読む/番外226(情報の読み方)

 2018年09月15日の読売新聞(西部版・14版)。安倍と石破の「討論」が載っている。「討論」になっていない。だいたい安倍の主張が

新しい国造りに挑戦

 というのだから、あきれかえる。「新しい」は初めて総裁選に立候補するときにつかうことばであって、三期目で「新しい」はないだろう。「新しい」という限りは、これまでの二期が間違っていたことになる。実際、間違っているのだが、間違っていたから「新しい」国へと方向転換するというのなら、どこが間違っていて、それをどう訂正するかを言わないといけない。
 安倍は不都合な事実を突きつけられると、「私はそういうことは一度も言っていない」と主張する。安倍の発言で一貫しているのは「私はそういうことは一度も言っていない」だけである。
 読売新聞には掲載されていないが、アベノミクスとトリクルダウンについて石破から問われたとき、安倍は「私はトリクルダウンとは一度も言っていない」と反論している。安倍のブレーンの竹中が言っただけだと言い逃れるつもりだろうが、ブレーンが言ったときに、それをその場で否定しない限りは安倍が言ったに等しい。TPPのときもポスターに安倍の顔と「TPP反対」と書いてあるのに「一度も言っていない」と主張した。ポスターに書いてあるだけというこだろう。「何も言っていない、まわりがそう決めたこと」というのが「お坊っちゃま」の考え方である。

 いちばんのポイントの「憲法改正」についてはどうか。
 記者とのやりとりで、答えている。

 --9条2項の削減論だったのではないか。変わったのはなぜか。
 安倍氏 政治家は学者でもないし、評論家でもない。正しい論理を述べていればいいということではなく、政策として実行し、結果を出していくことだ。自衛隊が誇りをもって任務を全うできる環境をつくっていくことは私の責任だ。

 ここでは珍しく「9条2項を削減するとは一度も言っていない」と主張していない。つまり、以前は「9条2項の削減論」だったことを認めている。そのうえで、「政治家は学者でもないし、評論家でもない。正しい論理を述べていればいいということではなく」と主張している。論理的に正しいかどうかは問題ではない、という考え方である。人間の行動を規制するものとして「論理」を認めない。「論理」よりも重要なものがある。何か。「誇り」である。「自衛隊の誇り」こそがいちばん重要だと述べている。
 「誇り」というのは個人的な感情である。自衛隊員がほんとうに「誇り」をもっていないのかどうか、私は知らない。安倍はどうやって自衛隊員が「誇り」をもっていないと判断したのか。根拠は示されていない。この発言は、単に「自衛隊が憲法に明記されないと、安倍の誇りが傷つく」という意味ではないのか。憲法に明記されていない自衛隊を指揮しなければならない状態になったとき、安倍の「誇り」が傷つく、ということだけではないのか。言い換えると、敵国から「安倍は憲法で明記されていない自衛隊を軍隊として指揮している。あれが日本の現実だ」と指摘されたら恥ずかしいと感じている(想像している)だけなのではないか。さらに踏み込んで言えば、「自衛隊を誇りをもって指揮したい」というだけなのだ。戦争をしかけて、自衛隊(軍隊)を指揮する。「私は絶対的な最高責任者だ、憲法に書かれているのだから」という「誇り」を持ちたいだけなのだ。
 安倍は「私は一度もそういうことを言っていない」と主張するだろう。だが、ことばとは、「言った人」がいれば、一方に「聞く人」がいる。これが問題である。「言ったことば」を「聞いた人」がどう理解したかを無視して、「私はそう言っていない」と後で言っても仕方がない。大事な話は必ず「どう聞いたか」を確認する。重要な「契約」は必ず文書にして残し、互いに交換する。それは「こう主張した」というだけではなく、「こう聞いた」ということを明確にするためである。外交文書では「翻訳」のすり合わせがおこなわれるが、これも「どう聞いた/こう聞いた」を明確にするためである。

 改憲に関する記者とのやりとりがもうひとつ掲載されている。先の安倍の発言を引き継いでのものである。

 --憲法改正の自民党案を国会に出そうと自民党に号令をかけている。
 安倍氏 憲法について、国会に提出するかどうかという(党総裁としての)権限を、私は実行しようとは思っていない。(改憲は)結党以来の自民党の方針であり、党首として基本的な考え方を述べるのは当然のことだ。

 この発言には問題点がいくつかある。「(改憲は)結党以来の自民党の方針」というが、誰が、そう言っているのか。安倍がそう言っているだけなのではないのか。「自民党(自由民主党)」は1955年。自衛隊ができたのは1954年。だから自民党が、その当時から、「憲法を改正しなければならない。自衛隊を憲法を明記しないといけない」という主張がおこなわれていたと「仮定」することはできる。だが、その「証拠」は? 結党以来の方針という限りは、明確な「文書」が残っているだろう。まさか佐川事件のように、廃棄したということはないだろう。
 古い「党の方針」は文書として残っていないかもしれないが、最近の文書ならネットでも公開されている。2012年に自民党は「改憲草案」をまとめている。それは「安倍の方針」ではなく「自民党の方針」である。その案では9条2項を完全に削除している。そのうえで「第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」と定めている。その後、2012年の「改憲草案」が更新されたとは、どこにも書いていない。
 つまり、安倍は「党の方針」についてダブルスタンダード(二重基準)で動いている。「改憲は党の方針」と一方でいい、他方で「2012年の党の方針」を無視している。「総理」だから気に食わない「党の方針」は自分の都合にあわせて変更するのが「当然」と主張している。
 これは「独裁者」の主張である。あるいは感情と言ってしまった方が正しい。「論理」など、ないのだ。
 すべてを安倍の都合に合わせる、それが「当然」という主張は、すでに安倍周辺を支配している。佐川事件(籠池事件)、加計事件を思い出すだけでいい。安倍が批判されるのは安倍にとって不都合である。不都合な資料はすべて廃棄しろ、ないものにしろ、ということが起きている。
 この調子でゆくと「2012年の自民党改憲草案」というのも廃棄される可能性がある。廃棄されなくても、安倍がかつて主張したように「改憲草案は谷垣総裁のときにつくられたもので、私は関係がない。私は一度も9条2項を削除すると言ったことはない」と言うだろう。

 あらゆることを「私は一度も言ったことがない」という主張で押し通す安倍。「おぼっちゃま」は何も言わない。まわりが「忖度」し、願いをかなえてくれる。「独裁者」はますます暴走する。それを批判する人がどこにもいない。対抗馬の石破れでさえ、準備してきた原稿を棒読みしているだけである。一部の動画を見ただけの印象だが。










#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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高橋睦郎『つい昨日のこと』(69)

2018-09-15 11:08:01 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
69 ギリシアは永遠

彼らの日常 実効支配したのは オリュンポス社交界のお歴歴ではない
名もない災いの神神か 顔のない復讐の女神たち いずれ卑しい魍魎ども
それらは決った社を持たず 路地裏や家の中の闇を絶えず徘徊していた

 「光のギリシア」ではなく、「闇のギリシア」、言い換えるなら情念のギリシア、バッカスのギリシアか。
 高橋は、こう要約する。

われらの中でギリシアは永遠 とりわけ闇の 病んだギリシアは

 この詩でも「闇」と「病んだ」がわからない。
 高橋の「肉体」をとうして具体化されていない。意味(主張)は「頭」ではたどることができるが、「肉体」に響いてこない。
 いくら「闇」「病んだ」と書かれても、そこに引き込まれて逃れることができないという苦悩と、苦悩と共にある愉悦が伝わってこない。

 どうしてこんな詩を書いたのだろうか。













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