詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(74)

2018-09-20 08:46:26 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
                         2018年09月20日(木曜日)

74 老いについて

 高橋は一篇一篇の詩を独立した状態で書いているわけではないようだ。前に書いた詩をひきずりながら次の詩が書かれることもある。この詩は「72 裸身礼讃」から始まった「若者礼讃」のつづきとして読むことができる。「若者(裸身)」を高橋が礼讃するのは、高橋が「老人」であり、「裸身」の美しさを失っているという自覚があるためだ。

いまにして思い知る 老いはなんとひりひりと老いなのだろう
なまなましく感じ なまなましく苦しむ まるで若者のように

 「ひりひりと」は「なまなましく」と言いなおされている。老いを「なまなましく」感じる、と高橋は書く。そして、その「なまなましく」のなかの「若さ」にすがっている。それを「いたいたしい」と言いなおせば「ひりひり」とことばが通い合う。「痛み」として、高橋は「老い」を感じている。「痛み」という感覚は、「若者」にもあって、それは「なまなましい、痛み」だ。「なまなましい」ものは、またその「なまなましい」力によって回復する。ところが「老い」の「ひりひり」は回復とは無縁のものだ。だからこそ、「ひりひり」「なまなましく」は書き分けられている。
 高橋は、こう言いなおしている。

いや 若者の比ではない 若者は好もしさの甲冑に守られているが
老人を守るものは何もない あるものは醜さと頑なさだけ

 「なまなましく(なまなましい)」は「好もしさ」と言いなおされる。そこに「いのち」があり、それがひとを惹きつける。「好もしさ」は「美しい」と言いなおすこともできる。だからこそ「老い」の「醜さ」と対比される。「醜さ」は「頑なさ」と言いなおされる。「頑なさ」ということばのなかには「硬い(固い)」が隠れている。それは「なまなましさ(やわらかさ)」と向き合っている。
 これを高橋は、さらに言いなおす。

そのくせ魂だけが剥き出しに無防備 これもギリシアが
教えてくれたこと 何も鎧わない赤はだかのギリシアが

 「剥き出し(無防備)」は「(鎧わない)赤はだか」。しかし、それは「ことば」だけの「赤はだか」であって「肉体」ではない。主語は「魂」。
 ことばの運動としての「必然性」は感じられるが、ことばがいくら自在に動いても、「肉体」が消えてしまっている。「肉体」を脇においておいて「老い」をことばの言い換え(言い直し)で語られても、惹きつけられない。










つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社


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自民党総裁選(あるいは、おぼっちゃ政治の行方)

2018-09-20 00:00:01 | 自民党憲法改正草案を読む
自民党総裁選(あるいは、おぼっちゃ政治の行方)
             自民党憲法改正草案を読む/番外228(情報の読み方)

 きょう2018年09月20日は、自民党総裁選の日。いろいろなことが報道されたが、いちばん驚いたのは、誰かが石破支持の大臣に辞表を書けと迫ったか、というもの。
 この問題は、単に自民党や閣僚の問題ではない。

 総裁選でこういうことが平然とおこなわれているということは、あらゆる社会(ひっくりかえせば、会社、つまり企業)でも起きているということ。
 みんな国のトップのまねをする。
 安倍は、今回の総裁選ではないが、国政選挙で暴力団をつかって選挙妨害をしたことが報じられている。報酬をけちったために、火炎瓶を投げ込まれるということが起きた。火炎瓶を投げ込んだ方が、そういうことを主張している。
 暴力団をつかっての「圧力」は目に見えるが、側近の議員をつかって辞表を書けという圧力は、なかなか目に見えない。
 この目に見えない「やり方」がとても問題である。
 こういうことが横行すると、その結果、社会(会社)がどうなるか、ということなど「お坊っちゃま」首相にはわかっていない。

 すでに、これは「企業(会社)」の枠をこえて、さらに広がっている。
 だれも「トップ」を批判しない。
 トップに近づき、その威を借りることがトップになる「コツ」と思い込んでいる。威を借りることこそがトップを支持していることを具体的にあらわす手段となっている。「目的」と「手段」が完全に一致する。
 それは単に「トップの側近」の枠を超えて、広がっている。
 トップの子分、そのまた子分を批判すれば(方針に反対すれば)、「下っ端」は簡単に排除される。側近もびくびくしているかもしれないが、下っ端はさらにびくびくしている。下っ端は切り離されてしまえば、生きていけない。ただただ上に気に入られるように動くようになる。

 こういう「社会(世界)」が成り立つのは、その「世界(会社/組織)」に人が多いときだけ。簡単に言いなおすと、下っ端を切り捨てても、どんどん下っ端が入ってくる社会だけ。「おまえの代わりはいくらでもいるんだぞ」と言えるときだけ。
 いまは、そういう状況ではない。トップは「側近」しか見えないから、社会で何が起きているか、まったくわかっていない。
 だから、旧式の「脅し」で人を動かそうとする。

 実際の社会を見てみれば、すぐにわかる。
 日本は労働人口が激減している。あちこちに外国人労働者をみかける。私の生活圏ではコンビニの店員が多い。よく行く映画館でも外国人が働いている。外国人がいないことにはコンビニも営業できないのである。
 それなのに日本は、外国人を排除しようとしている。排除という言い方がわるければ、外国人が働きやすい環境づくりをしようとはしていない。環境をつくらないのは、結果的に排除することだ。
 いまは、まだ外国人が日本に魅力(?)を感じて働いてくれているが、きっとそっぽを向く。単に「労働力」としてしかあつかっていないからだ。「外国人研修生」という、「名目」だけ美しい「搾取組織」を国を挙げてつくっている。
 こんなことをしていては、外国人はだれも日本にやってこなくなる。もうすでにやってくる人が少なくなっているので、外国人研修生などに関する「規制」をあれこれ緩和しようとしているが、根本からかえないと破綻する。
 どうなるだろう。
 日本の社会は成り立たない。

 「おぼっちゃま」は基本的に金持ちである。そして、自分が生きている間は、親の稼いでくれた金で生きて行ける。まわりの人間は、「おぼっちゃま」の金めあてで集まってくる。ちやほやしてくれる。そういう人たちも、結局、働かない人である。「おぼっちゃまの子分」として生きているだけである。
 こういう人たちが、他人を脅して自分の「地位」を守ることに一生懸命である。
 こういうシステムには「弱い人」は敏感である。
 日本人は行くところがないから、「弱い人」のままでいるかもしれない。
 けれど、外国人は違う。
 こんな国ではやっていけない、と思えば、行き先をすぐに変更する。「日本脱出」が始まる。

 「おぼっちゃまの子分の子分」なんて、収入がかぎられている。どんなに「おぼっちゃま」にすりよっても、「おぼっちゃま」以上の金を手に入れることはできない。
 「おぼっちゃま」の子分にならないだけではなく、労働環境を整備してくれないばかりか、差別さえ受ける国では「金稼ぎ」はできない。
 「金持ち」になることはできない。
 「金持ち」になることが、人間の「理想」とはいわないが、このことが明らかになると、大異変が起きる。
 家族も呼び寄せることができない、子どもの教育もままならないということが、帰国した「外国人研修生」によって、外国に伝わる。
 外国人は日本に入ってこない。
 日本の企業をささえる労働者はいなくなる。
 労働者がいなくなれば、会社はつぶれる。
 安倍は求人倍率が高くなっているというが、そういう「みせかけ」の数字など意味がない。
 人が減っているから求人率が高くなっているに過ぎない。
 人をどうやって育てていくか、それを考えない限り、すべてが滅びる。

 10年後、どんなに遅くても20年後には、日本人は中国へ出稼ぎに行っているだろう。
 日本には「仕事」がなくなっている。「企業」そのものがないのだから、「仕事」があるはずがない。
 日本全体が「限界集落」になっている。老人だけが、ほそぼそと生きているという社会になる。

 私の書いていることは、「論理の飛躍」だろうか。
 だが、私には、どうしてもそう見えてしまう。
 自民党総裁には関心がないが、身の回りの現実の変化にはとても関心がある。いま身のまわりで起きていることとから総裁選を見つめると、どうしても、そう見えてしまう。
 私は年金暮らしの老人なので、身のまわりの変化には、とても敏感なのだ。自民党総裁が誰になるかよりも、いま近くにあるコンビニがなくなるかもしれない、映画館が消えるかもしれない、ということが大事なのだ。
 ひとが自分の意見を自由に言えるという社会にならない限り、社会は衰退する。衰退の原因をつくっているのは、「圧力」によって人を支配しようとする姿勢なのだ。
 「おぼっちゃま政治」(先代の資産食いつぶし政治)を打破するためには何をすべきなのか、何をしてはいけないのか、それが大事だ。
 「おぼっちゃま」だらけの自民党政治ではだめなのだ。









#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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