詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

15 黒を分類する

2019-04-21 15:23:36 | アルメ時代
15 黒を分類する



   1
川がひらかれる
血のようにくろく流れていたもの
ビルを隈取り街の底部をつらぬいていたものが
朝の光に切り開かれる

(だがほんとうだろうか 昨日私は
夜が都市の内部を切り開くのを見た
黒いものが形の殻をとかし
内臓のそこで光っているものを
浮かびあがられる時間を歩いた)

   2
川がくろくなる
はねかえされた真昼の光が
疲労に沈む目を射抜くとき
周辺がくろくなる
光と同じ垂直な色に

    2′
日がかげる
やなぎのみどりが一瞬ふかくなる
海のように なつかしい
水のように
(橋の上から
私の上を あるいは私の下を
流れる水を見た
あるいは水が含むくろによって
なめらかになった影を
透明な形を)

   3
日が西へ動いていく
川は光にとざされる

窒息しそうになった内部は
つよく呼吸する
空にひそむ金の翳りを
熱を放射するアスファルトの気分のわるいにおいを
薔薇の花弁をながれる静脈を
一つを分類するとき周辺に集まってくるすべての黒を
美術館の肖像画を縁取る硬い線を
(存在をほどくように)

川はかえっていく
ぬれた黒
際限のないひろがり



(アルメ237 、19855年11月10日)
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吉川伸幸『脳に雨の降る』

2019-04-21 11:12:01 | 詩集
吉川伸幸『脳に雨の降る』(土曜美術社出版販売、2019年03月02日発行)

 吉川伸幸『脳に雨の降る』の「真夜中の段ボール」。

真夜中
蒸し暑い台所の段ボール箱に
キャベツがいた

いつからいたのか
まるまるとした硬いからだも
月日にはたえきれず
無残にもくずれ異臭を放っていた

 一連目の「キャベツがいた」、二連目の「異臭を放っていた」。同じ「いた」ということばがつかわれている。
 「異臭を放っていた」はふつうにつかう。しかし「キャベツがいた」とはふつうはいわない。ふつうは「キャベツがあった」。でも吉川は「キャベツがいた」と書く。そうすると、その瞬間から「キャベツ」は人間か生き物のように思えてくる。人間を擬人化したもの、キャベツを擬人化して語ろうとする「意志」が見えてくる。
 「擬人化」を受けて、二連目には「からだ」ということばつかわれる。そのあとに「放っていた」とことばがつづくとき、それは「現象」というよりも、「意志」になる。異臭が自然に生じたのではない。意図して異臭放っているのだ。「擬人化」は、「放っていた」の「いた」に引き継がれている。

キャベツの下には茄子や玉ねぎなどもいて
足首やお尻や髪の毛やらをのぞかせている
さらに下にはトレイらしきものが見てとれるだろう
鳥肉か魚かは知らぬが
黄ばんだ汁の中を線虫の類がうごめいているのはあきらか
箱をかさこそとひっかく音もする
たたくと応えるように
複数のかそかそが軽快に走りまわる

 擬人化は、茄子、玉ねぎに引き継がれていく。そして「足首」「お尻」「髪の毛」とことばにされると、もうそこには野菜は存在しなくなる。かわりに「人間」が姿をあらわしてくる。
 見すてられ、放置された人間。
 何の譬喩か。
 次に登場する「鳥肉」「魚」は「肉体」の言い換えかもしれないが、すでに「肉体」が出てきているから、ここで「鳥肉」「魚」を出すと、逆に「人間」が消えてしまう。そういうものを間にはさまずに、直接「線虫」へと結びつけた方が、「人間」のなまなましさが出ると思う。
 もう「人間」ではなくなって(もちろん、キャベツ、茄子、玉ねぎでもなくなって)、「線虫」に生まれ変わって、抗議している。放置されたことに対して文句を言っている。「かさこそかさこそ」。ことばにはならない。しかし抗議である。抗議は生きている。
 それを「軽快」と呼ぶところに、いのちへの讃歌がある。
 
複数のかそかそが軽快に走りまわる

 この一行は「いた」のように「過去形」ではない。「現在形」は「のぞかせている」にすでに登場している。その前の「玉ねぎもいて」も「現在形」ととらえることができる。「いた」が「擬人化」を経ることで、「現在形」に変わっている。
 この「暴走」あるいは「過剰」のなかに詩がある。

鳥肉か魚かは知らぬが

 は、「論理のいいわけ」のようなもので、詩を弱くしている。それが残念。もっとことばを暴走させればいいのに、と思う。

 巻頭の「かもしれない」の二連目。

きいてくれるかもしれない
こばまれるかもしれない
くりかえすしかもしれない
とめることができるかもしれない
しんじていいのかもしれない

 五行で終わるのではなく百行つづけば、私は詩を信じる。






*

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池澤夏樹のカヴァフィス(123)

2019-04-21 08:57:09 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
123 小アジアのあの町で

 アクティウムの海戦。予想しなかった結果をどう書くか。最初から改めて書き直す必要はない。

名前だけ入れ替えればいいのだ。
最後のところの「カエサルの紛い物である
オクタヴィアヌスの災厄から
ローマを解放した」を
「カエサルの紛い物である
アントーニウスの災厄から……」とすれば
きちんと帳尻が合う。

 こういうことは、あらゆる歴史に適用できるだろう。戦いの結果など、市民には関係がない。市民に関係があるのは、自分の存在、自分のアイデンティティだけである。

ゼウスが彼に与えし才能を尊び、力強きギリシャの保護者にして、
ギリシャの風習の名誉を尊重し、
ギリシャの領土全体で敬愛され、
(略)
業績をギリシャ語によって、韻文と散文の両方によって、
栄誉の正しき器であるギリシャ語を用いてこそ
永く伝えるであろう」

 繰り返される「ギリシャ」。それだけが市民の求めるアイデンティティだ。だれが統治しようが知ったことではない。ここに「市民の知恵」がある。
 カヴァフィスは「ギリシャの慣用句」を多用しているのではない、ギリシャのシェークスピアではないか、と私は勝手に推測しているが、この「市民の知恵」にもそれを感じる。「慣用句」とは「市民の知恵」の結晶である。

 l池澤は、こんなふうに書いている。

 彼らにとって戦いの帰趨はどうでもいい。ローマの勢いの前でいかにギリシャ文化を守るかだけが関心事なのだ。

 カヴァフィスは「慣用句」を多用することで、ギリシャ文化を守っている、守ろうとしているのだろう。「永く伝える」のは「オクタヴィアヌスの業績」ではなく「ギリシャ語」の強さだ。




カヴァフィス全詩
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