詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

5 屋上で

2019-04-04 14:39:00 | アルメ時代
屋上で



どこで飼っているのだろうか
鳩が真昼の空を広がっていく
広寿山禅寺あたりでひるがえり
旋回をくりかえす
冬の光が反射して白い
「少し増えたようだ」
髪がバサバサあおられる
両手をズボンのポケットにつっこんで
猫背の棒になって
「円の大きさは鳩の数に正比例する
ように思われる」
頭のなかをみつめている
視野は東西南北に開かれるのに
中心が気になって動けない
「まるで、あれだね」
風に背を向けて
たばこに火をつけようとするが
うまくいかない
ことばも発火しない
「まるで、なんだい」
男はたばこを捨てる
「忘れてしまったよ」
白いチョークが隅へ転がっていく
大きくなりすぎた輪の
遠心力にはじかれた鳩のように






(アルメ231、1985年02月10日)
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池澤夏樹のカヴァフィス(106)

2019-04-04 08:47:02 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
106 古い本の中に

百年にもなろうかという古い本の中に、
頁と頁の間に忘れられて、
署名のない水彩画が一枚、入っていた。
力のある画家の手になるもので、
表題は、「愛の肖像」。

 この一連目を受けて、「愛の肖像」をカヴァフィスがことばで描き出す。それはいつものカヴァフィスの詩の繰り返しである。
 最後は、

世の道徳が恥知らずと見なす類の
寝台の上にこそ向いた理想の四肢。

 「恥知らず」が「理想」と言いなおされている。
 そういうことよりも私が面白く感じるのは、この詩の「書き方」である。本の間(ことばの間)から見つかった絵を、カヴァフィスはもう一度「ことば」で挟み込んでいる。カヴァフィスの詩が「百年前」の本のように、絵を挟み込んでいる。ことばとことばの間に、その肖像は隠される。
 いや、あらわしている、いや、それ以上だ。絵をことばで「明らか」にしているというのが詩の読み方かもしれないが、私はそうは読まない。
 カヴァフィスのことばのなかに閉じ込めることで、カヴァフィスは「肖像画」よりも、その本の持ち主のこころを思っている。「ことば」(本)の中に隠しておいて、ときどき本(ことば)を開いて、ひとりで楽しむ。

 池澤は、この詩に、

 一九二二年十二月に印刷された。

 とだけ註釈している。
 そうか、いまから「百年」にもなろうという昔の詩か、と思って読んでみようということか。その「百年」前に絵が本に閉じ込められた。カヴァフィスの詩を真ん中に、二つの「百年」が出会う。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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