119 イタリアの岸辺で
キモス、父はメネドロス。若いギリシャ系イタリア人。
彼の人生は、ひたすら享楽の中にある。
大ギリシャ圏のこの一角の若者たちと同じように
贅沢の中で育ってきた。
書き出しだけを読むと、カヴァフィスの一連の「官能」を描いた作品群を連想する。しかし、この詩の展開は違う。港に戦利品が降ろされる。それを見て動揺する。
ギリシャからの戦利品、コリントから略奪された品々。
どう考えても、今日は遊ぶ日ではない。
この若いギリシャ系イタリア人が
愉快に過ごすことは今日はできない。
ギリシャ人の血が騒ぐ、ということなのだろう。「意味」はわかるが、私は、この詩のリズムの方に驚く。
「ギリシャからの戦利品、コリントから略奪された品々。」は抽象的で、具体的な品物が何かわからない。
そういうことは一行ですませてしまって、主人公の「動揺」に焦点を当てるのだが、その当て方が尋常ではない。「今日は遊ぶ日ではない。」と「愉快に過ごすことは今日はできない。」はほとんど「意味」としては同じだ。繰り返さなくても「意味」は通じる。しかし、カヴァフィスは繰り返す。カヴァフィスの短い詩は、こういう繰り返しが多い。繰り返すことで「意味」を「音楽」にしている。カヴァフィスが書きたいのは「音楽」なのだ。
同じことばを繰り返すしかないこころ、そのこころのなかで繰り返しうねる苦悩の音楽。そこに「陶酔」というか「愉悦」がある。苦悩さえも愉悦にかわってしまうという不思議がある。
「若いギリシャ系イタリア人」というのも繰り返しである。繰り返すことで、カヴァフィスは起きていることを「事実」に結晶させる。「音楽の愉悦」のなかで結晶させる。魔術師である。
池澤の註釈は史実を要約している。
紀元前一四六年、アカイア同盟を撃破したローマ提督ムンミウスはコリントの死骸を攻略、男をすべて殺し、女と子供を奴隷に売り、家を破壊した。そこからの荷を積んだ舟がこの港に入った。
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