詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(116)

2019-04-14 08:38:49 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
116 アンティオキアのテメトス 紀元四〇〇年

恋に溺れたテメトスが詩を書いた。
表題は「エモニディス」--これは
アンティオコス・エピファニスの寵児だった
サモタナ出身の美しい青年の名。(略)

 しかし、それは「借り物」のタイトルである。主人公はエモニディスを描いたのではない。歴史を描いたのでもない。自分の恋を書くために、名前を借りたのだ。
 池澤は、註釈でこう書いている。

 おおっぴらに言えない恋を歴史ないしフィクションに託して語るという例は文学史に無数にある。多くの詩人が身につまされることだろう。

 私は、むしろ終わりの数行がおもしろいと思う。

詩はテメオスの愛に声を与えた、
いかにも彼にふさわしい、美しい愛に。
しかしながら彼と親しい我ら、事情に通じた我らは
この詩が誰のことを謳っているかを知っている。
アンティオキアの人々はただ「エモニディス」と読むのだが。

 「事情に通じた我ら」によって詩は完成する。読まれることによって完成する。名前は借り物だが「事情」は借り物ではない。
 あるいは、こういうべきなのだろう。
 何が書かれていても、それはことばにすぎない。ことばを「事情」に変えて読む読者がいてこそ詩は生き残る。
 詩を書く人が「身につまされる」というよりも、詩を読む人、読者が「身につまされる」。言い換えると、読者は詩人のことばを通して詩人になる。ことばを自分のものにする。「エモニディス」という名前など、読者にとってはもともと「借り物」。「事情」だけが借り物ではないということが、読者に起きる。
 ひとはことばから「未知」のものを発見するのではなく、「知っている」ことを確認する。それは自分を「確かなものにする」ということでもある。
 これはテメトスについても言える。彼が詩を書いたのではなく、詩が彼の恋を書いたのだ。形にしたのだ。テメトスの愛が詩を生み出したのではなく、「詩はテメオスの愛に声を与えた」、詩はテメオスの愛に「ことば」を与えた。
 詩は現実に先立って存在し、ことばを動かす。詩は現実から独立し、ことばを生み出す。ことばによって、詩人は知っていることを、知っていると確かめる。



カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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