詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田清子「秘密」、青柳俊哉「水平線上の祈り」、徳永孝「カラス」

2020-10-02 17:32:09 | 現代詩講座
池田清子「秘密」、青柳俊哉「水平線上の祈り」、徳永孝「カラス」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年09月29日)


秘密 池田清子

三畳一間 三千円
半畳の押し入れ付き
本間の一帖は広かった

部屋にも玄関にも鍵はない
机とこたつとりんご箱
西日だけがよく入った
マーガリンはどろどろ
首筋にあせもができた

壁には手作りの大きなカレンダー
ロートレックの絵に十二カ月の日付をつけた
隣とはベニア板一枚 音楽がグラグラ

知った 学んだ 迷った 聞いた 話した
驚き つまずき 見つけ 考え あせった
没頭し 気づき 沈み あきらめた
静かに声をたてて笑い 思い 想った

三畳の部屋は 秘密にあふれていた

そして 今 私は
ここに こうして 在る

 学生時代の一人暮らし。アパートか、下宿か。1970年代の風景だ。私も他の受講生も、こうした空間、時間を経験してきたことがあるので、それぞれの青春を思い出し、共感が広がった。手作りのカレンダー、ロートレックには池田の個性が反映している。
 その「個性」のさっと一筆書きしたような描写のあと。
 四連目が印象的だ。
 「何を」という目的語がなく、「知った」「学んだ」という具合に動詞がつづいていく。部屋の様子だけではなく、池田の「息づかい」のようなものが感じられる、という感想があった。
 池田は、「怒った」など、「悪いことば」(否定的な印象を引き起こすことば)が足りないかなあ、反省していたが、私はこの連では「静かに声をたてて笑い」ということばが効果的だと思う。ここだけ、ことばが長い。「笑う」という動詞を説明している。
 そして、その「静かに」ということば、内省的な響きのあることばが、つぎの「秘密」に静かに、深くつながっている。
 私はこういう関係を「ことばの呼応」と呼んでいる。
 もしこの部分が、「明るく声を上げて笑い」だったら、「秘密」は「秘密」ではなく「青春の宝石」になったかもしれない。四連目のなかに、よろこびや輝きを感じさせる動詞がもっと多かったかもしれない。
 人に語らなかった秘密(内省)が、最後の「私」に結晶化していく。「私」がここに「在る」というとき、それは肉体的な「存在」だけを意味するのではない。精神や感情を含んだ「内的立体性」をともなっている。
 何気ないように書かれているが、だれにでも共通する「三畳一間」からはじまり、「手作りのカレンダー」というたったひとつのもの、個性的なものを媒介にして、様々な自己を動詞で描写し、そこから「秘密」を経て、「今の私」までことばを運ぶ。このことばの運動はとても自然だ。



水平線上の祈り  青柳俊哉

労働を終えたはれやかな舌へ 
祝福される 一日の光に焼かれた
黄色いナスと
空から注がれる自家製の白いワイン

菜園の果てを上りつめて石垣に腰かけ 
巨大な梨のような太陽が
海中に没していくのをみた
一日の終わりの 深い眠りの中へ

水平線のうえの 光を失っていく言葉が
葡萄(ぶどう)や玉蜀黍(とうもろこし)を積んだ船の祭壇をきずいて 
海の太陽に祈る 
あすの労働の すこやかな実りへ

 この作品には、多くの「ことばの呼応」がある。
 一連目、一行目の「はれやかな舌」について考えてみよう。「はれやかな舌」とは何か。労働を終えたあと、舌ははれやかだろうか。むしろ肉体の疲れのために、はれやかとは違うものが舌を支配していることが多いだろう。苦さ、酸っぱさが舌を刺戟しているかもしれない。けれど青柳は、「はれやか」と書く。
 ここには「はれやかな舌」ということばを読んだだけではとらえきれないものがあるのだ。
 「はれやか」に似たことばに「祝福」がある。「祝福」に似たことば「ワイン」がある。「祝福」のとき「ワイン」を飲む。そうすると、この一連目は、全体としては、働いたあと、食べて、飲んで、一日を祝福する。そういう雰囲気が「舌」のよろこびをよみがえらせているということにならないだろうか。「空から注がれる」ということばは「祝福」を強調するだろう。そのとき「はれやかな空」ということばを思い浮かべる人もいるかもしれない。
 文法的には「はれやかな」は「舌」を修飾している。だが、コンテキストの全体としては「舌」というよりも、労働のあとの「お祭り」を表現している。「祝祭」を先取りするようにして動いている。
 こういうことばが動くと、詩は,とても生き生きとしてくる。
 三連目の「光を失っていく言葉」という表現も、とてもおもしろい。「水平線のうえの 光を失っていく」ということばにつづくのは、ふつうは「太陽」だろう。たぶん、これは「太陽」の比喩なのだ。沈んでいく太陽の前を荷物を満載した船が横切る。そのときできるシルエットは「祭壇」のように見える。「祭壇」も比喩である。比喩とは「言葉」であらわした何かである。「言葉」そのものである。船のシルエットを「言葉」で「祭壇」と名づけたとき、そこに「祭壇」が浮かびあがる(きずかれる)のだ。
 この「祭壇」には一連目の「祝祭」や「空」も関係しているだろう。「空」は「天」であり、「神」でもある。
 「言葉」はこのとき、「太陽」の比喩というよりも、人間のこころの動きをあらわす「総体」になる。「言葉」で一日を振り返り、「言葉」で一日をつなぎとめる。そして、いのる。
 地中海やギリシャの海を連想させる明るく澄み切った世界だ。



カラス 徳永孝

パチンコ店のビルの上 バルコニー
送電線 電柱の上
その先に広がる枯れた畑

何千 何万のカラス
大きな群れ 小さな集まり
じっとしているもの 互いに話すようにしているもの
時に数十羽が飛びたち
また どこかからか戻ってくる

遠くの家並みは
人の気配が無く 車も通らない

ここは見すてられた植民地星
発見されたときはパラダイスと言われた
温暖な気候 豊富な水 四季さえ有る
地球に似た生物

多くの人が移住してきた
しかしこの星の生物は
全て地球生命に毒だった

人々はてってい的に消毒しドームを作り
その居住地を広げていった
だが原生生物の死がいやかけらは
雨やあらしにまぎれドームのすきまから侵入してくる
そのたびに人々はけんめいに排除した

その努力もついに力つき
じょじょにこの星を離れる人が増え
ついに完全に放棄された

でも あきらめきれず きどうえいせい星から観測をつづける
時々、我々のような調査隊が地上に降りたち
何らかの変化がないか調べるが
何の違いも無い

カラスは原生生物で
地球のカラスに似ているのでそう呼んでいるだけ

もっと大きく力強い
こう質の羽は金属質にかがやきはるか遠くまで滑空する

人類の侵入など
かれらにはほんの一エピソードにすぎないのだろう

いつか人類がこの星を征ふくできるのか?
それとも彼らの世界に侵入しようとするのは
人類のごうまんなのか?
答は、まだ見つからない 

なんてことを 空想し
遊んでいます

 この詩は、長い。最初の三連は日常の風景を描いている。それが四連目から「植民地星」という架空の場が舞台になる。この瞬間、一、二、三連は「架空の場」として読み直され、そこに登場するカラスも日常と架空を結ぶ存在となるのだが、その二重性がうまく動いているとは感じられない。
 「こう質の羽は金属質にかがやきはるか遠くまで滑空する」という魅力的な行がある。そういうことばを利用してカラスが二重させ、パチンコ店なども二重させる。ことばが「呼応する」感じが強くなると世界は生き生きしてくると思う。
 ドームの街とパチンコ店、カラスが二重になると、読者の想像力の中では、たとえば「侵入してくるもの」がいま世界を騒がせている「コロナウィルス」の比喩のようにして動く(世界をさらに二重化する)。ここに書かれていることは、空想なのだろうか。それともいまを象徴しているのだろうか。そういうことを読者に考えさせるようになると詩はおもしろくなると思う。
 ただし。
 そのときは、最初に書いたことと矛盾するが、この長さでは足りないかもしれない。詩ではなく「小説」になるかもしれない。
 受講生から「最後の二行はいらない」という指摘が出たが、私もそう思う。






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アリバイづくりをする読売新聞(「監督権行使」の追加記事)

2020-10-02 14:49:41 | 自民党憲法改正草案を読む
ニュースの価値判断
   自民党憲法改正草案を読む/番外401(情報の読み方)

 「日本学術会議」の問題についてはすでに書いたが、もう一度書いておく。
 2020年10月02日の読売新聞(西部版・14版)は「学術会議」の新会員問題を25面(第三社会面)で、

①学術会議会長に梶田氏 ノーベル賞受賞者
②首相 会員候補6人任命せず

 という2本の見出しを立てて書いていた。(番号は、私がつけた。)
 少し気になって、図書館で他紙を読んでみた。
 朝日、毎日新聞は1面に「本記」、他面にサイド記事(関連記事)。西日本新聞、日経新聞は第2社会面(右側のページ)、産経新聞は内政面(?)に載っていた。
 いずれも、読売新聞が②の見出しでとっていることを「本記」として書いている。①の見出しをとっているのは毎日新聞だけである。その毎日新聞も見出しは1段見出し。ただ見出しがついているだけということである。
 どの新聞も、菅が、日本学術会議が推薦してきた名簿から6人を外して任命したことに問題がある。今後も、そのことが問題になるという認識でニュースを伝えている。
 すでに書いたが、日本学術会議の会長がだれであるかは、会長をめざしている人には関係があるかもしれないが、国民には関係がない。そんなことはニュースではないのだ。
 読売新聞は、そんなニュースでもないことを大扱いしている。これは、任命拒否が「学問の自由」を侵害するという問題を含んでいるということを隠すためである。
 「なぜ、そのことを書かないのだ」と批判されたときに、「いえ、ちゃんと書いています」という「アリバイづくり」のために、読売新聞は会長選任のニュースのあとに任命拒否のニュースを掲載しているだけなのだ。

 2015年の戦争法をめぐる国会前のデモ。国会前を国民が埋めつくした。このとき読売新聞は、多くの新聞が国会前を埋めつくしている航空写真を掲載した。しかし、読売新聞(西部版)は社会面に、デモに参加する人たちが集まってくる写真(大集合になる前の写真)を法案に賛成を呼び掛けるデモの写真と並列して掲載している。(確かめていないが、東京の紙面もおなじだろう。)法案に賛成と反対の人がおなじ程度だという印象づけるための「操作」である。そして、読売新聞も国会前のデモを報道していますという「アリバイづくり」である。
 姑息な「忖度」報道が「事実」を隠す。
 批判されたときは、「読売新聞も、ちゃんと報道しています」といいわけをする。
 ニュースとは何よりも価値判断である。価値判断を放棄し、政権よりの視点からニュースを伝え、批判されたら「事実は伝えているから、批判の指摘にあたらない」と菅のように開き直るつもりなのだ。
 「弁解」をあらかじめ含んだニュースは、もうニュースではない。伝えないよりも、悪い。「伝えていないじゃないか」という批判を封じているからである。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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監督権行使

2020-10-02 10:33:35 | 自民党憲法改正草案を読む
監督権行使
   自民党憲法改正草案を読む/番外400(情報の読み方)

 2020年10月02日の読売新聞(西部版・14版)は「学術会議」の新会員問題を堂取り扱っているか。
 西部版では25面(第三社会面)に書いている。記事は二本立て。(番号は、私がつけた。)

①学術会議会長に梶田氏 ノーベル賞受賞者
②首相 会員候補6人任命せず

 さて。
 学術会議の会長がだれかということ、知っていた? いままで、だれが会長をしていた? 知っているひとは学術会議のメンバー(学者)だけだろうなあ、と思う。記事によると朝永振一郎もやっていたそうである。
 だいたい「日本学術会議」の存在自体、ふつうの国民は知らないと思う。(私は、知らない。私は自己中心的な人間だから、自分を基準にして「ふつうの国民は知らないだろう」と推測しているだけだが。)なぜ知らないかというと、その「会議」に私が出席することはないからだ。「学術会議」だからいろいろなテーマが語られると思う。私の関心のある分野もあるかもしれないが、梶田や朝永の「物理学」は、聞いてもわからない。だから、まあ、知らなくても、関係ないなあ、と言っていられる。
 そういう意味では、会長がだれであるかなど、ほとんどの国民には関係がない。国民にとってのニュースではない。会議のメンバーにとっては(特に、会長になりたい、と思っている人には大ニュースだと思うが。)
 もし、だれが会長かが「問題」になるとしたら、その人が「特異な」「思想」を持っているときだろう。そして、それを主張しているときだろう。たとえば「科学は武器の開発に有効なものでなければならない。平和は保有している核兵器の数によって保障されている」とかね。そういう学者もいるかもしれないけれど、まあ、会長になることはないだろう。そういう人が会長になったら、それは私の見方では、とても困る。新会長の梶田がどんな思想の持ち主なのかわからないが、

梶田教授は「近年の科学技術の急激な発展によって、科学と社会の距離が狭まっている。今後、学術会議と外部との対話をさらに進めていきたい」と抱負を述べた。

 というのを読むかぎり、これは変だぞ、と感じることはない。

 問題は、会長がだれかよりも、②首相 会員候補6人任命せず、である。読売新聞にも、こう書いてある。

 加藤官房長官は1日の記者会見で、日本学術会議が推薦した新会員候補105人のうち、菅首相が6人を任命しなかったことを明らかにした。推薦を受けて首相が任命する制度が導入された2004年以降、任命が見送られたのは初めて。

 「任命が見送られたのは初めて」。
 「初めて」のことがニュースである。梶田が会長に選ばれたのも「初めて」かもしれないが、会長はいつでも選ばれていたのだから、それは単に「習慣」のひとつであって、「初めて」というほどのことでもない。
 そして、いちばんの問題は、その「初めて」が、なぜ、いま「初めて」おこなわれたのか、である。
 これを追及するのがジャーナリズムの仕事。
 読売新聞は、どう伝えているか。いろいろなところで「学問の自由の侵害」という声が起きている。それは政権にも届いてている。

 加藤氏は「法律上、首相の直轄であり、人事などを通じて一定の監督権を行使することは可能だ。直ちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べ、問題はないとの認識を示した。

 読売新聞は、加藤の言い分(菅の代弁)を、そのまま伝えているだけである。これでは新聞の役割を果たしていない。どこに注目して読むべきか、それを知らせないといけない。
 加藤の「ことば」で問題になるのは「監督権」である。いったい、何を「監督」するというのだろうか。それを明確にせずに、「監督権」といってもしようがない。
 加藤はこの「監督権」を「人事」ということばといっしょにつかっている。このことが非常に重要である。「人事」を支配する(今回が、まさに、それ)によって、何事かを「監督」するのである。
 一定の予算が「学術会議」に支出される。その使い道を「監督する」というのは、無駄遣いをさせないという意味では「正しい」ことのように感じられる。しかし、、どの学問に金を使い、どの学問に金を使わせないかということを「監督する」ということは、金のつかい方を支配するということである。
 たとえばイグノーベル賞を受賞した研究には予算を出さない、ということが決定されるかもしれない。笑いだしてしまうような研究なので、それが研究されなくなったからといって、きっと多くのひとは気にしない。気にするのは、その研究をするひとだけ。なぜ、こんなことがおきるのか、それを知りたいと思っている人だけかもしれない。
 しかし、きっと、それだけではないのだ。気にならないようなところから、少しずつ「監督」というのなの「支配」がはじまっていくのだ。

 任命されなかった6人。その6人が公表されたとして、国民の何人が、この人はこんな科学的研究をしている、その功績はこれこれである、と言えるだろうか。その人がどんな考えをもって科学的研究をしているかを言えるだろうか。99%以上の国民が答えられない。だから、そのひとが学術会議の会員になれないということも、気にならない。自分の関心事ではないからだ。
 逆に言えば。
 だれが何を研究しているか、どんな考えを持って研究しているかを、菅は気にした。それを調べて、その調べた結果を「人事」に反映させた。「人事支配」をつうじて、「学術会議」そのものを支配しようとしているということだ。
 思い出そう。
 菅は「官邸の方針に従わない官僚は異動させる」と言った。「異動させる」は「排除する」である。それを「学術会議」にもあてはめようとしているのだ。「官僚の方針に従わない学者は学者として認めない(排除する)」。
 実際に、こういうことが書かれている。

 任命されなかった6人のうち、立命館大学大学院法務研究科の松宮孝明教授(略)は2017年に野党側の参考人として国会に出席し、テロ等準備罪法を批判した。立憲民主党の安住淳国会対策委員長は「(任命見送りが)政治的意図を持っていたとすれば看過できない」と記者団に語った。

 なぜ、松宮が「排除された」のか、それを追求するのがジャーナリズムの仕事である。安住に代弁させればそれでいいという問題ではない。
 加藤は、こういうかもしれない。
 「ある特定の学者は、政府と関係する分野からは排除した。しかし、排除されても学問の研究はできるから、それは学問の自由の侵害ではない」
 こういうことを「詭弁」という。
 「詭弁」は、最初はなかなか「詭弁」とは気づかない。
 「詭弁」に気づき、それを問題にしていくのがジャーナリズムの仕事のひとつである。それを読売新聞は指摘しないだけではなく、会長がだれになったかというようなことを「大ニュース」のように仕立て、本当の問題を隠している。
 読売新聞は、菅と加藤に「忖度」している、ということだ。

*

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「詩はどこにあるか」2020年9月号

2020-10-02 08:47:58 | 考える日記
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目次

小池昌代『かきがら』(2)2  笠原仙一『命の火』5
以倉紘平「水字貝」9  青柳俊哉「水面」、池田清子「慣れ」、徳永孝「振亜さん」11
冨岡悦子「文庫本」20  中村不二夫『鳥のうた』22
未知野道「雨」26  佐藤裕子「再び しびとに夢を見てはならない」30
大橋英人『パスタの羅んぷ』34  田中庸介「こぼれ、倒す」「洗濯男」、細田傳造「思想少年」40
愛啓浩一「ベンヤミンは書いている」45 村上春樹の読み方56
北野丘『字扶桑』61  小川三郎「バス」65
沢田敏子『一通の配達不能郵便が私を呼んだ』69  鎌田尚美「涸れ井戸」ほか73
松浦寿輝「人外詩篇 9」78  くりはらすなを『ちいさな椅子とちいさなテーブルを持つ家』83
白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」85   嵩文彦「生活」89
高貝弘也「黒犬/記憶」94  伊藤芳博『いのち/ことば』98
高橋秀明「春泥」102  ロン・ハワード監督「パヴァロッティ 太陽のテノール」106
冨岡郁子「朽木の空(ウロ)」109  クリストファー・ノーラン監督「TENET テネット」119
北爪満喜『bridge』121


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