詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(2)

2020-10-07 09:29:59 | 詩集


糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(2)(書肆山田、2020年09月30日発行)

 ことばには「音」があると同時に「文字」がある。糸井茂莉は「文字」の触れ合う「音」にも見を傾ける。「目で聞く音」といえばいいのか。
 先日引用した「パ」「pas 」の「pas 」にも、それがある。フランス語を読んだことがある人には「パ」だが、読んだことがない人には「パス」と感じられるかもしれない。「文字」は「音」を裏切る。あるいは「音」は「文字」を裏切ると言えばいいのか、そこには奇妙な「ずれ」がある。この「ずれ」を「ちがい」と呼ぶこともできる。「ずれ」を「ちがい」ととらえなおすと、次の詩がおもしろくなる。
 14ページ。

百を白と読みちがえて、日のいちばんたかい時間の明るいめまいの
なかに置かれる。すこしぼやけたうれしいずれのなかに。けれど頭
上の一点、見あげるいちばんたかいところは不動のまま。日はま白
く百とおりにもずれ、この白さ。目の愉悦。

 「読みちがえ」と、くりかえされる「ずれ」。「目」が「まちがえる」とき、その目で見た「対象」が「ずれ」。対象のなかに「ちがい」が反映され、「日」は「白」に、「白」は「百」になるのか、「百」が「白」、「白」が「日」になるのか。どちらにしろ「白」がその中心にあって「ちがい」と「ずれ」を結びつけ、同時にその結合を分解する。
 この瞬間を「めまい」と定義し、さらに「愉悦」と言い直す。そして、それは「頭」のなかに起きるのだ。「頭上の一点」と「頭」ということばを引き出してしまうのは、単に「目」が「頭」のなかにあるからというだけではない。「空の、見上げるいちばんたかいところ」でも意味はおなじだけれど「頭上」と糸井はいいたいのだ。
 もし糸井のこの四行のなかで、言い換えの聞かないことばがあるとすれば(私は言い換えたが、糸井には言い換えられないことばがあるとすれば)、それは「頭」なのだ。そして、これこそ糸井の「キーワード」なのだと思う。
 「パ」と「pas 」。これをおなじ「音」と理解するのは、「頭」なのである。
 「頭」で聞く音(ことば)、「頭」で見る文字(ことば)がふれあって、世界を作り上げていく。
 そしてそのときの「頭」は、直感的にいうだけなのだけれど、高貝弘也の「頭」(ことばを選択するときに働く意識)とは少しちがう。高貝は日本の「古典の音(どちらかというと柔らかい)」のに対して、糸井は「pas 」のような「柔らかさとはちがう何か」を含んでいる。高貝の音は「肉体的」であるのに対し、糸井の音は「知的(より頭的)」である。
 こういう抽象的なことは、書いてもしようがないか……。
 26ページに、

             番いにもなれずにいる言葉が浮かんだ
りとどまったりしている。

 という表現がある。「言葉」と糸井は、ここで明確に書いている。「言葉」こそが糸井の関心事なのだ。高貝も「ことば」に関心を中心があると思うが、糸井のように「言葉」と直接的には書かないだろうと思う。高貝ならば、たとえば「こと(言)とは(葉)」のように「番い」そのものを分離させた何かとして書くような気がする。
 これもまた抽象的で、直感的な、思いつきにすぎないが。

 もう一度、別の詩で(断片で)、「ちがう」と「ずれ」、「文字(視覚)」について感想を書いてみる。34ページ。

白い夢の記述。ちがう。白い記述の夢。紙について、打ち捨てられ
た風にあおられる布について。骨。石灰。乾いた小石。白の固さに
ついて。日輪。その充溢について。文字を燃やす。思考はいっとき
覚醒する。始まりについて。そして恐らく破綻について。光る湖。
雪。落下するもの。水。白い記述の夢。ちがう。夢の白い記述。

 くりかえされる「ちがう」。それは、「発見した」ちがう、なのか。あるいは、ちがうと叫ぶことで「生み出した(発明した)」ちがうなのか。おそらく「発見したもの」ではない。最初から、そこにあったものではない。「ちがう」と叫ぶことで、そこにあるものを否定し、否定のあとに、別のものを生み出している。だから、そこには「連続性」がある。ちがうものなのに「連続性」がある。凸凸ではなく、必然がある。意識が連続しているのだ。紙は白い、布は白い。骨も石灰も小石も、羽毛も月も、日輪も。そこには「連続」と同時に「対比」(ちがうことの強調)もある。やわらかさと、固さ。さらに光を発する日輪と、光を反射する月。ここから「思考」がはじまり、「覚醒する」。それは「始まり」であると同時に「破綻」でもある。常に、すでに存在したものを破壊するとき、それは破壊であると同時に断片の誕生でもある。
 何とでも言える。「論理」だから。「論理」については、いつでも「ちがう」と異議をとなえることができる。ことばは。
 と、書いて。
 私は再び、直感的に思うのだ。糸井のことばは、いつでも「発明」の方へ動く。これに対して高貝は「発見」の方へ動く。高貝のことばを読むと、「あ、このことばの響きは遠い古典につながっているなあ、何か忘れてしまっていた音を呼び覚ますなあ、肉体の奥を刺戟してくるなあ」という印象があるのに対し、糸井のことばの運動は「頭」が覚醒する(攪乱される)という感じがする。
 おなじなのに「ちがう」といのうが、糸井。ちがうのに「おなじ」へと誘うのが高貝、という印象がある。












**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」8月号を発売中です。
162ページ、2000円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168079876



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする