詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

近藤久也「ぶーわー 44 あとがき」

2020-10-16 11:33:30 | 詩(雑誌・同人誌)
近藤久也「ぶーわー 44 あとがき」(「ぶーわー」44、2020年10月15日発行)

 近藤久也「ぶーわー」44の「あとがき」がとてもおもしろかった。

 サラリーマン生活を退いてから時々、障害者の移動支援に従事している。ほとんどが知的障害者といわれるひとたちである。朝、家を訪ねる。家族の方からその日の行きたいという場所を確認する。ご本人が決めたのか家族が決めたのか、或いは相談して決められたのか、私はこだわらない。言われた場所に行く。美術館、博物館、動物園、映画館、演芸場、プール、野球場、スポーツ施設、公園どこへでも行く。その人と一日を過ごす。会話が成り立つ人もいれば、そうでない人もいる。最近よくご一緒する方に、行き先が鉄道の駅の地名を指定する人がいる。二時間も三時間もかけてそこへ行くのである。別に鉄道マニアのテッチャンではないのである。どのようにしてその地名を決められたのか私はこだわらない。その駅に着き、列車を降り改札を出る。駅前に出る。その人を見ると、少しきょろきょろしている。お昼だからどこかで食事をしようかと誘ってみる。本の少し沈黙の間があり、帰るときっぱり言う。列車に乗って今来たのとは逆に大坂に帰ると言う。せっかく来たのだからの「せっかく」はその人にはないようだ。

 私は、ここで「へええええええーーーっ」と声を出してしまった。

「せっかく」はその人にはないようだ。

 「せっかく」は「ない」といけないものなのか。「へええええええーーーっ」。私は、そんなふうに思ったことがない。「せっかく」という意識が、私にはないのかもしれない。近藤の「つれ」のように。
 そうか、近藤はこういうとき、「せっかく」ということばが動くのか。近藤には「せっかく」が「ある」のか。
 私がもし近藤と一緒にその駅へ行った人間なら、「せっかく」ということばを聞き、きょとんとしただろうと思う。「せっかく、ってどういう意味?」と聞き返したと思う。知っているはずだけれど、聞き返したい、いまなんて言った?と問い返したいような、不思議な気持ち。
 近藤は、たぶん「せっかく来たのに……」とは言っていないだろうから、つれがきょとんとすることはないと思うが、いや、ほんとうに不思議な感動にとらわれてしまったのである。

 「爪のさき」は爪を切る詩。このなかにも「せっかくがない」のようなものが潜んでいる。「へえええ」と声を上げなかったが、何か書きたい気持ちになるのは、私のつかわないことばが近藤の肉体として動いているからだ。それは、どのことばか。

夜中
背まるめ
爪切っている足や手
伸びすぎて困るので
でも
すっぱり切って
こいついったい
どこ行く?
どこ行って
消える?
宙の
まっくら

みえないところでひとり
思案している行方
生きすぎて困るので
すっぱり別れて
はてこいつ
どこ行くのかしら
どこまで行って
みえないまんま


くっきり
からだから
離れて行く

を切る
おと

 くりかえされる「どこ行く」ということば? どうもちがう。そこには「意味」がありすぎて、「噴出してくる」という感じがない。「くっきり」も印象に残る。でも、何か、絶対にこれ、という印象ではない。なんというか、想像がつく。予想がつく。
 私の予想外のことば。
 それは最後の「爪/を切る/おと」の「を」である。
 この「を」は書き出しに探せば「背(を)まるめ/爪(を)切っている足や手」という部分にある。そこでは省略されている。「助詞」の省略は「どこ(へ)行く?」へという部分にもある。近藤はしばしば助詞を省略し、その省略によってことばを「口語」(肉体)に近づけている。
 この流儀にしたがえば、最後は「爪/切る/おと」でいいはずである。それなのに近藤は「を」を書いている。そして、その「を」の存在が「くっきり」ということばを明確にしている感じがする。「くっきり」だけではなく、最終連のことばを、それぞれ明確にしている。
 「せっかく」のように、知っていることばだけれど、「ない」ということばと一緒に動くと、はじめてみることばのように見える。おなじように「を」が書かれることで、こそに書かれていることばが「知っている」を通り越して、ひとつひとつ、それこそくっきりと感じられる。
 (私は近藤とは逆、助詞を省略せずに書くので「を」があることは私にとっては自然なのだが、近藤の詩のなかでは、何か意表をつかれる感じがするのである。「せっかくが/ない」と同じように。)
 読み終わったあと、「ふーん」と思うのである。それはことばにならない何かなのだが、その何かのなかに、しばらくとどまっているのは、なんとなく楽しい。行きたいところへ行って、「ここか」と思うのに似ているかも。「ここか」と思ったとき、「せっかく」ということは思わない。「せっかくが/ない」とは思わない--と書くと、何か違ってしまうが。







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「抵抗をぶち壊す」の意味は?

2020-10-16 09:28:23 | 自民党憲法改正草案を読む

「抵抗をぶち壊す」の意味は?

   自民党憲法改正草案を読む/番外407(情報の読み方)

 読売新聞は、いま、菅政権の動きをどう伝えているか。「菅政権 始動」という連載は、菅を持ち上げるだけの「作文」。2020年10月16日の朝刊(西部版・14版)の3面に「菅内閣1か月」という「作文」(政治部 藤原健作、山崎崇史)が載っている。「作文」なのだから、「新事実」が書かれているわけではない。読むべきものは「新事実」(ニュース)ではなく、「表現」そのものである。
 見出しは、「政策決定過程 様変わり/首相が直截指示■スピード感」とある。まあ、これは「あわてふためいている」を当たり障りのないことばで言い直しているにすぎない。私が注目したのは、「本文」の書き出し。

 「俺の仕事は抵抗をぶち壊すことだ。何かあったら相談しろ」
 菅首相は、平井デジタル改革相ら特命を与えた閣僚を首相官邸に呼んでは、こう発破をかけている。

 ふーん。
 コロナで疲弊している日本を立ち直らせることがいちばんの課題ではなかったのか。政府のコロナ対策に対して「抵抗している」ものが、いったいどこにあるのだろうか。私はコロナ対策と組織の動きについてはよく知らないが、私が知っている「抵抗」は国民の間から聞こえる「gotoキャンペーンは強盗キャンペーンだ」という批判くらいである。
 国家組織の、いったい、どの部分が「抵抗」しているのか、記事を読んでもどこにも出てこない。読売新聞の記者が「菅評価」を「スピード感」を持って書き上げたというだけだろうなあ。
 と、思いながら、私は実はほかのことを考えている。

「俺の仕事は抵抗をぶち壊すことだ」

 これは、いま話題になっている「学術会議」そのもののことではないか。新会員6人の任命拒否につづいて、会議そのものの見直し(予算削減など)を進めようとしているが、これは「学術会議」を政府の方針に「抵抗」する組織と判断し、それを「ぶち壊し」にかかっているということである。
 菅は「何かあったら相談しろ」と言っているが、「学術会議」ぶち壊すために方々に相談したんだろう。
 そして、菅がいう「ぶち壊す」は「気に入らない人間(自分の方針にしたがわない人間)は排除する」という単純なものだ。すでに「政府方針に反対のものは異動させる」と言っている。官僚への「方針」を「学術会議」にあてはめているだけだ。
 「抵抗にであったら、その抵抗している人間を説得する。納得させ、その人の持っている力を活用する方向へ導く」
 これが指導者のすべき仕事だと思うが、反対意見を説得するだけの論理(ことば)をもっていないから、ただ「排除する」のである。
 「ぶち壊す」だけでは、何も生まれない。壊したあとに、どう再構築するか。その設計図を示さないことには、単なる破壊活動である。国家が解体し、とんでもないことになる。生き残っているのは菅と、菅に登用されたと喜んでいるごますりだけということになるだろう。
 そして、この「ぶち壊す」(排除する)の方針は「学術会議」から、さらに拡大し「大学組織」にまで及びそうである。中曽根元首相の内閣と自民の合同葬に合わせ、文科省が国立大に、弔旗の掲揚や黙とうをして弔意を表明するよう求める通知を出した。これはきっと「通達」だけでは終わらない。実際に、弔旗の掲揚や黙とうをしたか、「事後調査」がおこなわれ、実施しなかった大学には「処分」がだされるだろう。つまり、政府方針にしたがわないものは「排除する」が適用されるだろう。
 「6人任命拒否」につづく、第二弾の「学問の自由」への侵害である。
 しかし、まあ、なんというか……。
 菅はよほど「学問」が嫌いというか、「学者」を支配したいらしい。狙いは「洗脳教育」という点では安倍と変わらないが、菅は「ボトムアップ」(小学生のときから)というのとは逆に「トップダウン」(大学/学者から)という方法で、これを推し進めようとしている。なぜ、上からなのか。たぶん、「学者/大学」というのはふつうの暮らしからはなかなか見えない。小学生や中学生の変化は、親が見ていれば、なんとなくわかる。でも、大学や学会(学界)でどんな変化が起きているかは、遠い世界なのでわかりにくい。わかりについところから手を着け始めれば、国民の反発は少ない。そう読んでいるのだろう。
 こんなふうに考えてみるだけでいい。
 中曽根の葬儀への「弔意表明」は義務教育現場の小学校や中学校に「通達」されたわけではない。小中学校にまでそういう「通達」がだされたのなら、世の中の親の反応はもっと出てくる。いろいろな人が反対する。(もちろん、賛成する人もいるだろうけれど)。騒ぎが大きくなる。これが「国立大」というのが、あまりにも巧妙な「作戦」である。「私大」は、含まれない。国立大には国の予算が出ている、ということなのかもしれないが、私大になって補助金が出ている。そして、その国の予算の「原資」である税金は、政府の意見に反対の人も納めている、ということを考えると、国立大になら一方的な「通達」を出してもいいという根拠にはならないだろう。

 あ、脱線したか。読売新聞批判にもどろう。
 いま問題の「日本会議」については、どう書いているか。読売新聞は「別項仕立て」で、こういう見出しをとっている。論点を「解散/総選挙」にずらしている。

最初の試練 「学術会議」/26日から国会 論戦 解散戦略にも影響

 「最初の試練」という表現が泣かせる。まだ菅はやっていないが、首相の最初の大仕事は「施政方針演説」である。そこで菅が何をいうかよりも、読売新聞でさえ、「学術会議」問題で、どういうことばを発するのか、それを心配し、「試練」と呼んでいる。
 ときどき、奇妙に「正直」が出るのが、読売新聞の特徴である。
 それにしても、この文章の「末尾」には、大笑いしてしまう。私は笑い出すと止まらなくなる癖があって、あまりに笑いすぎて、すっかり目がさめてしまった。何も書くことがなくて、「作文」の「結末」に困った小学生か中学生のような締めくくりである。

 首相周辺は「東京五輪や経済で結果を出し、コロナの克服を印象づけるまで仕事をするのではないか」と指摘し、解散・総選挙は来年秋にずれこむとの見通しを示した。

 ここからわかることは、菅が「総選挙」の勝敗がどうなるかを非常に心配しているということだけ。
 何がおかしいかといって。
 「解散・総選挙は来年秋にずれこむとの見通し」って、どういうこと?
 いまの衆院議員の任期は「来年の秋(21年の秋)」じゃない? 来年の秋は、もう解散をしなくても選挙がある。1か月か、2か月前倒し。それが「解散・総選挙」? たしかに任期を1日残していても、任期前に「解散」すれば「解散」には違いない。しかし、そんなドタバタをやって、いったい何になるのだろうか。読売新聞は、そういうドタバタを支持しているのか。あるいは菅へのごますりで神経を使い果たし、衆院議員の任期がいつまでなのか、その基本的な知識さえ頭から抜け落ちてしまったということなのか。
 ここがおかしい、と誰か気づけよ。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

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