詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「庶民目線」って、何?

2020-10-14 16:04:44 | 自民党憲法改正草案を読む
「庶民目線」って、何?

   自民党憲法改正草案を読む/番外405(情報の読み方)

 読売新聞が奇妙な連載を始めた。2020年10月14日の読売新聞(西部版・14版)は1面に「菅流政治 始動」というカットの記事がある。見出しは、

早期の実績作り優先

 とあるが、実際に何をやるのか。

 たたき上げの政治家である菅がこだわってきたのは、「庶民目線」だ。読売新聞の連載「人生案内」を愛読し、官房長官時代には、雑誌「プレジデント」で人生相談のコーナーを持った。菅が掲げる携帯電話料金引き下げなどは、庶民目線に立った政策だ。

 ここで強調されているのは「庶民目線」である。しかし「携帯電話料金引き下げ」は「政策」なのか。単なる電話会社への「圧力」だろう。もし政治にやることがあるとすれば、電話会社に値下げを迫ることではなく、「5G通信網の確立のための整備」というような基礎の部分だろう。電話会社にまかせるのではなく、設備投資は政府でやる、というようなことだろう。
 「庶民にわかりやすい」が「庶民目線」とは言えないだろう。
 「庶民」にわかりやすいだけなら「消費税の値下げ(あるいは廃止)」というものがあるが(一部の政党が主張しているが)、これはやってしまうと「国家財政」に影響してくるからやらない。電話料金の値下げは、電話会社の「収支」には影響するが「国家財政」には影響しない(電話会社からの法人税の収入が減るという問題があるかもしれないが)から、ひたすら電話会社に値下げを迫る、というだけのことだ。
 この「庶民目線」は、一面では「人生相談」という形で書かれている(読売新聞の宣伝を含む)が、1面の記事は4面「携帯料金下げへ速攻/政策推進信念と覚悟」という見出しの記事につづている。そして、その「信念」とは、記事にはこんな具合に具体的に書かれている。

 批判もいとわない姿は、昔から変わらない。同級生らは、菅を「信念を貫く力がある」と評する。
 故郷・秋田での中学生時代、菅は指導者から野球の打撃フォームの変更を助言されたが、「この方が打ちやすい」とかたくなに拒否したという。高校卒業後、工場勤務を経て2年遅れで入学した法政大では空手サークルに入った。サークルの同期は「アルバイトをしながら練習は一日も休まなかった。当時から芯が通っていて、今と一緒だった」と振り返る。

 いわば「ひとがら(?)」の紹介だが、ここに書かれている「信念(芯が通っている)」に何の意味があるのだろう。
 打撃フォームで言えば、イチローが独特だった。そして、イチローはそのフォームで実績を上げた。打撃ではないが、投球フォームでは野茂が独特だ。そして実績を上げた。菅は、たとえばそのフォームを貫くことで甲子園優勝に貢献したとか、ドラフトに指名されたとかということがあったか。実際に、そのフォームで実績がないなら、「信念」というようなものには値しない。他人の助言を聞き入れる能力も、自己変革の能力もなかっただけである。
 「アルバイトをしながら練習は一日も休まなかった」というのは、どんなアルバイトか、どんな練習かということと合わせてみていかないと、それがたいへんなことなのかどうかわからない。練習は休まなかったがバイトは休んだということがあるかもしれない。つまり、バイトをしないと学生生活が送れないということではなかったかもしれない。さらにバイトが、夜の9時から12時までの駐車場料金所の係員というようなものならば、練習と時間が重なるというとはないだろうから、こなせるだろう。「芯が通って」いたという「証明」にはならないだろう。
 問題は。
 菅にはこんなエピソードしか「庶民視点」につながるものを持っていないということと、読売新聞はこうしたエピソードを書けば「信念を持った庶民(芯のある庶民)」像として読者を説得できると考えること。
 私は、あきれてしまった。
 「苦学」の証拠のようにして言われる「工場勤務を経て2年遅れで法政大学に入学した」ということも書かれているが、すでに合格していたが学費がないので2年間は学費を貯めるために工場で働き、その間休学した、ということなのか。合格できなかったので、受験勉強をしながら工場で働いたということなのか。工場で働いていたときは、受験勉強をしなかったのか、勉強しながら工場でフルタイムで働いたのか。よくわからないが、工場で2年働くと、その後4年間の学資は貯蓄できるのだろうか。工場で働いているときでも、「生活費」はいる。大学生のときも、学資(授業料)以外に「生活費」は必要だ。4年分の「生活費」を2年間で貯める(大学生のときもバイトをしたというが)ということは可能なのか。高校卒業して間もないとき、「給料」はいくらなのか。
 私は自分の家が貧乏だったせいか、こういう話は、にわかには信じられない。私もバイトはしたが、父は老いていたが日雇い労働で金を稼ぎ仕送りをしてくれた。仕送りのためには、毎日、働くしかなかった。我が家には貯金などなかった。そういうことを知っているから、どうしても具体的に考えてしまう。菅の工場で働いていたときの給料はいくら? そこから月々いくら貯金した? 2年間でいくら貯まった? そういう「証拠」というか「証言」がないと、ほんとうに菅が何をしてきたのかがわからない。
 だれの「証言」かわからないけれど、打撃フォームを変えなかったとか、バイトと空手の練習(部活動)を両立させたとかという話しだけでは「庶民」とも、「信念がある」とも思わない。

 それにさあ。
 もし、菅が「信念の人」「芯がある人」ならば、ひとつの学問に精通している人こそ「信念の人」「芯のある人」だと認識し、尊重すべきではないのかなあ。「信念の人」は「信念の人」を自然と尊重するものだと思う。「この人の信念は私の考えていることとに反するから、排除する」というのは、実際に、信念と信念がぶつかりあい、討論の果てに、どうすることもできなくなっておきることだろう。なんにもないうちから「目障りになりそう」というので「排除」するのは、「信念」というよりも「自分を応援してくれる仲良し優先」の考え方だね。





*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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「安倍(の犯罪)隠し」がまだつづいている。

2020-10-14 14:29:29 | 自民党憲法改正草案を読む
「学術会議」問題。
あまりに情報が、ごちゃごちゃしている。
私なりに整理してみると。
①学術会議が「候補者名簿」を提出したときは、菅はまだ官房長官。安倍が首相。
②安倍が、「候補者名簿」のなかに気に入らない学者がいることに気づき(側近が、かもしれないが)、排除を画策。
③杉田が6人排除を安倍に報告。菅「官房長官」はこれを知っている。
④6人排除後の名簿が菅「首相」に提出され、菅は印鑑を押した。
⑤赤旗が「6人任命せず」を特報。
⑥なぜ任命されないのか、と質問されたとき、菅は、「官房長官」時代のように、「総合的、俯瞰的観点から判断した」とテキトウなことを言った。自分が判断したわけではなく、安倍-杉田が決定したこと、他人がやったことなので、「官房長官」時代の記者会見の「癖」がそのまま出てしまった。まさか、自分の責任が問われるとは思わなかった。
⑦そのため、「発言」が右往左往する。
⑧加藤も、状況が正確に把握できないのでテキトウなことを言ってしまう。(菅が基準みたいなものを示し、それが共有された、という発言は、責任は菅にあると言うようなもの。)
菅の「決裁日」ではなく、学術会議が「候補者名簿」を提出した日にまで遡って、事実を点検しなおす必要がある。
一度記者会見で、「安倍の指示か」という質問が出ていたが、たぶん、そこが「核心」。
安倍とか、麻生とか、二階とか、みんな「沈黙」を守っていることが、その「証拠」になるかもしれない。
なんといえばいいのか。
「安倍隠し」は、いまもつづいている、と見るべきなのだろう。
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糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(3)

2020-10-14 10:19:39 | 詩集



糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(3)(書肆山田、2020年09月30日発行)

 45ページに、突然、こんな文字が並ぶ。

そのとききみは夢の水を払いのけて、

       フリオ・コルターサル『石蹴けり遊び』土岐恒二訳

 これは糸井のことばではない。引用と注釈である。
 75ページに類似のことが起きる。

私たちが稲妻に住まうとしたら、それこそは永遠の核心
                       
                       ルネ・シャール

 ことばは、「署名」があってもなくても、ことばである。「署名」がなくても、それはだれかのことばかもしれない。
 高貝は、「署名」を「日本語の肉体(古典)」に返している。糸井は外国語経由でも存在する「文体」にことばを返している、ということかもしれない。別なことばで言い直すと、高貝はかすかな「ちがい」に密着することで、「おなじ」を遠いところから呼び戻すようにしてことばを動かす。糸井は「ちがう」を意識しながら、その「ちがい」のなかに存在する「おなじ」を追い求める。糸井が「ちがう」ということばを多く用いるのは、そのためである。
 43ページの作品。

しろのふ、と書いて、シロノフという国を想い、雪の荒野に果てし
なく続く線路と白樺の林を想像するが、シロノフは人の、男の人の
名であるかもしれない。しろのふ、と書いて今、眠れないこの夜に
綴る白の譜を始めようとする。雪、紙、羽、花、雲、息、石、骨。
それぞれの固さと柔らかさが、夜の意識のただなかを浮遊しながら
落下し、それぞれの位置をきめようとすると、白と白の放つ強烈な
光りに私の譜はばらばらにほどける。シロノフの雪原を白い息を吐
いて行く人がいる。

 ここには書かれていない「ちがう」がある。簡単に言い直せば、たとえば、「雪、紙、羽、花、雲、息、石、骨。」は「雪、ちがう、紙、ちがう、羽、ちがう、花、ちがう、雲、ちがう、息、ちがう、石、ちがう、骨。」なのである。そこに「共通するもの(おなじ)」があるとすれば、それは「白」というよりも「ちがう」という意識。「ちがう」とどれだけ否定しても「おなじ」何かを呼び寄せてしまう意識というものである。
 それは、いったい、だれの「意識」か。だれの「肉体」か。つまり、だれが発したことば、だれの息を通り、声になったことばなのか。
 これは特定することはできない。
 いま、糸井がそのことばを発すれば、その瞬間「署名」は上書き更新されてしまう。詩は、そういうことを受け入れることばなのである。必要な人がいれば、その人のためにあることば。
 フリオ・コルターサルもルネ・シャールも、糸井の「文体」をとおって動くならば、糸井のことばである。
 引用した詩では、「しろのふ」は「シロノフ」という男になり、最後は「シロノフの雪原を白い息を吐いて行く人」になる。そのとき、その人(男)には「署名」すべき名前がない。もちろん、この断定は「ちがう」。否定するための「署名」を最後に登場する「人」はもっている。それはけっして書かれることはないことによって、「永遠」になる。
 46ページ。

不穏な睡蓮の池をまえに、みずたまり、と言うと、泥のような、と
応え、地下茎はのびにのびて私たちの足元を掬う。水面に倒立する
まぼろしの像。反転して水に映るその淫らな内部。誰と回遊したか
忘れた池の、遠い夏の日。      

 43ページでは「書く」という行為が「ちがう」を呼び覚ましていた。ここでは「言う」という動詞が「ちがう」を呼び覚ます。「書く」も「言う」もテーマは「ことば」である。むしろ、ことばが「主語」であると言った方がいいだろう。「私(糸井)」が書く、言うのではなく、「ことば」そのものが「書き」「言う」のである。何を「書き」、何を「言う」か。
 「ちがう」
 そのひとことを「書き」「言う」のである。その「ちがう」という運動は糸井の「肉体/思想」になってしまっている。だから、しばしはそれは無意識に省略されてしまう。書かれていない「ちがう」の方が、書かれている「ちがう」よりも、もっと強いのだ。
 この作品では「ちがう」は「応える」という動詞になって動き、それは「足元を掬う」。つまり、「私」を不安定にさせ、そこから「倒立する/反転する」という動きがはじまる。そして、それは「のびる」という運動、回遊するという運動であり、そのすべては「映る」ということもできる。
 「雪、紙、羽、花、雲、息、石、骨。」は「ちがう」ということばではなく、43ページの動詞をつかって「雪は紙と言い、紙は羽と応え、羽は花へのび……」という具合に。それは固定されない。それは「もの」というよりも「像」そのものとして軽やかに動くのである。
 その「像」は「誰」と回遊したか、「誰」が同伴者であったか。特定は「意味」がない。「誰」という「署名」も瞬間瞬間に「ちがう」と否定され、「無名」とし上書き更新される。








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