詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』

2020-10-17 17:06:54 | 詩集


服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』(書肆山田、2020年10月20日発行)

 服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』はソネット形式(4・4・3・3行)で書かれている。「形式」があると、ことばは「意味」を持ちたがる。
 「屋根を越えて」は、

抜けた上の歯は縁の下へ
下の歯は屋根の上にと
すっかり歯のなくなった祖父母に教えられて
思いきり抛りあげた最後の乳歯

 とはじまる。これは二連目で「屋根に投げ上げたゴムまり」、三連目で「スズメと猫」を経たあと、こう結ばれる。

屋根の向こうに消えた昨日には
どこか遠い場所に通じている
ひそかな抜け穴が開いていた

 おさない日の記憶は消えても「昨日」のように思い出される。「屋根」の上は見えない屋根の向こうも見えない。けれども、その見えないものを「記憶」は見てしまう。見えないものを見てしまう力を「ひそかな抜け穴」と呼ぶとき、それは「除き穴」のようにも感じられる。そして、この「穴」は、この詩では歯の抜けたあとの歯茎の穴の「肉体」の記憶にも通じる。
 そこがおもしろいところなのだが、こんなふうに「意味」が完結してしまうと、「納得」はするけれど、もう一度読んでみよう、というよりも、次の詩を読んでみようという具合に私は感じてしまう。
 こんな言い方は正しくないのだが、「ストーリー」を追うみたいに詩集のページを繰ってしまう。
 うーん。
 私はもう少しちがうものを読んでみたい。
 「書いてあること」が、そのまま「意味」として存在してしまうのではなく、「意味」以外のものとして存在することばを読んでみたい感じがする。
 こういう言い方は抽象的なので、少し、言い直そう。
 「屋根を越えて」の前のページには「スズメの万愚節」という作品がある。その作品に逆戻りしてみる。

すっかり暖かくなった
春の日
スズメがアクビをしているのを
はじめて見た

カーテンを開けた
窓のそと
ベランダのへりに止まって
わたしの目を見ながら

スズメのまんまるの眼が細くなり
ちいさなクチバシがおおきく開いて
あかい喉の奥が見えた

ああーあぁ アクビはうつる
アクビをしたわたしを見届けてから
スズメはついっと飛びたった

 ここには「意味」はない。ただ、スズメのアクビを見た。スズメのアクビがうつった。ということだけが書かれている。「アクビをしたわたしを見届けてから」に「意味」があるといえばあるが、これは「ナンセンス」という意味。
 そこから「先」がない。
 だから「ベランダのへり」の「へり」ということばが妙に柔らかくていいなあ、とか、「スズメのまんまるの眼が細くなり」を読み返し、あ、これを見てみたいなあと思ったりする。
 こんな感じをぱっと与えてくれるものの方が、私は「詩」だなあ、と思う。
 「ソネット仕立てのかぞえうた」も楽しい。

ひとびとが集い
市、が立った
にぎわいは溢れ
荷、は行き交った

--さん、と名が呼ばれる
詩、が詠われる
語、が語られる
ロック、がロールする

質、は流れ
鉢、は割れ
球、は転がりつづけた

銃、が撃たれた 日ならずして自由、は奪われた
それから幾百年ものあいだ
霊、は祟った

 一連目だけが、もたもたしているというか、ひとつの数字が一行でおわらず、二行かけてひとつの数字を言っている。ここが、妙におもしろい。「ひとつ」のなかに二つがある。「もたもた」と書いたが、視覚の「もたもた」(一行ではなく、二行)を吹き飛ばす音の楽しさがある。「が立った」「は行き交った」という音の響きあいも音楽的だ。この響きあいには、実は「が」と「は」の呼び掛けもある。そしてこれは「と」を挟んで、「が」(二連目)「は」(三連目)の対比を経て四連目で「が」「は」の同居にもどる。
 四連目は「銃、」の行が長いのだが、乱調を経たあと「霊、は祟った」とまた短くなるところもいい。
 この詩も、なんとなく、もう一度読み返したくなるでしょ?
 その読み返すところが、一連目か、二、三連目か、あるいは四連目(最終連)かは、人によってちがうと思う。
 そういうことが、また楽しい。
 何人かでこの詩を読んで、「どこが好き?」というようなことを語り合うと楽しい。「スズメの万愚節」も、どこが楽しい?という問いかけから語らいがはじまると思うが、「屋根を越えて」は、どこが楽しい?という問いかけからは語り始めるのがむずかしいかなあ、と思う。
 服部はどちらかというと「思考派」の印象があるので、「どこが楽しい?」からはじまる広がり方は、服部の狙いとはちがうかもしれないけれど。






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2020-10-17 00:14:01 | 自民党憲法改正草案を読む
   自民党憲法改正草案を読む/番外408(情報の読み方)

 読売新聞(オンライン)に、こんな見出し。

学術会議の梶田会長、首相に6人の任命求める要望書…「政府と共に未来志向で考えていきたい」

 要望書への「回答」はなく、「政府と共に未来志向で考えていきたい」という梶田の「方針」が見出しになっている。
 これはいったいどういうこと?(番号は、私がつけた。改行も私がほどこした。)

①会談は梶田氏が要請し、約15分間行われた。
②会談後、首相は「学術会議が国の予算を投じる機関として、国民に理解をされる存在であるべきだ」と、梶田氏に指摘したことを記者団に明らかにした。
③首相によると、梶田氏は「今後の学術会議のあり方を政府と共に未来志向で考えていきたい」と応じ、井上科学技術相と学術会議の役割を検討していくことで合意したという。④梶田氏は記者団に「学術会議としても発信力が今まで弱かったことについては、しっかりと改革していきたいと申し上げた」と説明した。
⑤任命拒否の理由に関しては、「今日は回答を求めてという趣旨ではないので、特にそこについて明確なことはなかった」と語った。

①梶田が要請したのに、「回答」がないのは、なぜ? 15分で終わるような会談で、いったい何を話したのか。
②もし、6人が「任命拒否」ではなく、いま会員だった6人の「解任(除名)」なら、菅の言っていることはまだわからないでもない。6人の「学術会議」での活動が「国民に理解をされる存在」ではない。だから「解任(除名)する」なら、菅の発言の意味はわかるが、「学術会議」で何も発言していない段階で、その6人が「国民の理解を得られない」というのはおかしい。人間なのだから、発言は変わる。「学術会議」のメンバーになって、いろいろな意見を聞く内に自分の意見を変えるという可能性もある。そう考えると、菅の言っていることは「6人任命拒否」とは無関係なことだとわかる。いわゆる「論点ずらし」である。
③は、菅が理解した梶田の発言であって、梶田がほんとうにそう言ったのか、よくわからない。まさか、まったくちがうことを言っていないとは思うが、微妙にニュアンスがちがうかもしれない。こういうことは伝聞(菅の口から)ではなく、梶田本人のことばでないといけない。
さらに、 (ここがポイント)
②③の発言は「時系列」にしたがっていると思う。つまり、菅がまず「「学術会議が国の予算を投じる機関として、国民に理解をされる存在であるべきだ」と言い、これに応える形で梶田が「今後の学術会議のあり方を政府と共に未来志向で考えていきたい」と言った。読売の記事ははっきり「応じた」と書いている。
これでは、ほんとうに梶田が菅に会談を要請したのか。この時系列のやりとりを読むかぎり、菅が梶田を呼びつけ、菅の要望を梶田に伝え、梶田が「はい、わかりました」といっているように見える。
(他紙はどういう表現になっているかわからないが、こういうことを「正直」に書いてしまうのが、読売新聞の非常におもしろいところ。)
 で、話は(会談は)、そこで終わらない。なんと、
④は、「反省/謝罪(発信力が今まで弱かった)」を語ったうえで「改革」していくという。つまり③の補足である。念押しである。これでは菅の指摘をそのまま肯定することである。そう言うことを言うために、梶田が会談を申し入れたのか。そういう一種の「謝罪」のようなことを言うための会談なら、「6人の任命求める要望書」を出すのは不適切だろう。「学術会議改革」を申し入れるということは、「要望書」を撤回すると同義であるだろう。国の方針がどうであれ、「学術会議」は「学者の立場」から提言、勧告、答申をする、というべきだろう。さらに、そういうことをするためには、菅が言っているような見直しではなく、「もっと会員が必要、予算も必要」というのが、普通の要望だろう。
⑤「今日は回答を求めてという趣旨ではない」は、「回答には時間がかかるだろうから、きょうの回答を求めているわけではない」という意味であるなら、「〇日までに、文書での回答を求めた」というようなことを明確に言うべきである。それに対して菅は何と答えたか。「明確なことはなかった」とは、まるで、こどものつかい。

 で、思うのだ。
 まず、「要望書」を梶田は、いつの段階で菅に提出したのかということである。読売新聞の記事からは、その「時系列」がわからない。
 もしかすると、「要望書」は菅の言い分を聞いて、梶田が最後に「要望書」を出したとも考えられる。
 もし、梶田が先に要望書を出したのなら、その要望書について梶田がまず説明し、それに対して菅が応える、というやりとりがあるはずである。そのやりとりが、読売新聞にはまったく書かれていない。いきなり、菅の「指摘(注文)」から書き出し、それに対して梶田はひとことも反論をせずに、「協力する(共に、と書いている)」応えている。
 これが、とても不思議。
 さらに。
 読売新聞の記者は、なぜ、菅は、梶田が「今後の学術会議のあり方を政府と共に未来志向で考えていきたい」と言ったと言っているが、それは正確な表現か、を確認しないのか。なぜ、菅の「伝聞」として伝えるのか。

 前後するが。
 いちばんの問題点は。
 梶田は、要望書を渡したとき、「〇日までに、文書での回答を求める」というようなことは言わなかったのか。言わなかったとしたら、なぜなのか。もし、言ったとしたなら、菅は何と答えたのか。そういうことを追及してもらいたい。
 ふつう、言うでしょ? 私なら、要望をするかぎりは、いつまでに回答してほしいと伝える。それを言わなければ、受け取った方は、受け取ったということで問題を終わらせてしまう。「できるだけ速やかにお答えします」という形式的な回答さえ聞き出していないというのは、問題ではないだろうか。
 そういう「やりとり」があれば、梶田の「本気度」がわかる。
 逆に言えば、この記事からわかることは、梶田は「本気」ではない。すでに、怯えている、という印象である。多くの団体が「抗議」をしている。それは梶田の耳にも届いているはず。「学術会議」のなかでも「任命拒否」に対する抗議が起きているはずである。「要望書」をまとめるくらいである。そういう「要望書」をもって会談する人間の態度としては、あまりにも弱々しい。
 そして、そういうことを指摘しない読売新聞というのは、もうこの段階で菅に肩いれしている。もし「学問の自由」を守らなければいけないという意識があるなら、梶田の態度を批判する(批判していることがわかる)記事を書くべきである。
 要望書への反応(今後どうなるのかを含め)を書かずに、菅の言い分は正しい、梶田はそれを受け入れた、と報道することで、読者を誘導している。







*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#菅を許さない #憲法改正 #読売新聞



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「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977

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