服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』(書肆山田、2020年10月20日発行)
服部誕『そこはまだ第四紀砂岩層』はソネット形式(4・4・3・3行)で書かれている。「形式」があると、ことばは「意味」を持ちたがる。
「屋根を越えて」は、
抜けた上の歯は縁の下へ
下の歯は屋根の上にと
すっかり歯のなくなった祖父母に教えられて
思いきり抛りあげた最後の乳歯
とはじまる。これは二連目で「屋根に投げ上げたゴムまり」、三連目で「スズメと猫」を経たあと、こう結ばれる。
屋根の向こうに消えた昨日には
どこか遠い場所に通じている
ひそかな抜け穴が開いていた
おさない日の記憶は消えても「昨日」のように思い出される。「屋根」の上は見えない屋根の向こうも見えない。けれども、その見えないものを「記憶」は見てしまう。見えないものを見てしまう力を「ひそかな抜け穴」と呼ぶとき、それは「除き穴」のようにも感じられる。そして、この「穴」は、この詩では歯の抜けたあとの歯茎の穴の「肉体」の記憶にも通じる。
そこがおもしろいところなのだが、こんなふうに「意味」が完結してしまうと、「納得」はするけれど、もう一度読んでみよう、というよりも、次の詩を読んでみようという具合に私は感じてしまう。
こんな言い方は正しくないのだが、「ストーリー」を追うみたいに詩集のページを繰ってしまう。
うーん。
私はもう少しちがうものを読んでみたい。
「書いてあること」が、そのまま「意味」として存在してしまうのではなく、「意味」以外のものとして存在することばを読んでみたい感じがする。
こういう言い方は抽象的なので、少し、言い直そう。
「屋根を越えて」の前のページには「スズメの万愚節」という作品がある。その作品に逆戻りしてみる。
すっかり暖かくなった
春の日
スズメがアクビをしているのを
はじめて見た
カーテンを開けた
窓のそと
ベランダのへりに止まって
わたしの目を見ながら
スズメのまんまるの眼が細くなり
ちいさなクチバシがおおきく開いて
あかい喉の奥が見えた
ああーあぁ アクビはうつる
アクビをしたわたしを見届けてから
スズメはついっと飛びたった
ここには「意味」はない。ただ、スズメのアクビを見た。スズメのアクビがうつった。ということだけが書かれている。「アクビをしたわたしを見届けてから」に「意味」があるといえばあるが、これは「ナンセンス」という意味。
そこから「先」がない。
だから「ベランダのへり」の「へり」ということばが妙に柔らかくていいなあ、とか、「スズメのまんまるの眼が細くなり」を読み返し、あ、これを見てみたいなあと思ったりする。
こんな感じをぱっと与えてくれるものの方が、私は「詩」だなあ、と思う。
「ソネット仕立てのかぞえうた」も楽しい。
ひとびとが集い
市、が立った
にぎわいは溢れ
荷、は行き交った
--さん、と名が呼ばれる
詩、が詠われる
語、が語られる
ロック、がロールする
質、は流れ
鉢、は割れ
球、は転がりつづけた
銃、が撃たれた 日ならずして自由、は奪われた
それから幾百年ものあいだ
霊、は祟った
一連目だけが、もたもたしているというか、ひとつの数字が一行でおわらず、二行かけてひとつの数字を言っている。ここが、妙におもしろい。「ひとつ」のなかに二つがある。「もたもた」と書いたが、視覚の「もたもた」(一行ではなく、二行)を吹き飛ばす音の楽しさがある。「が立った」「は行き交った」という音の響きあいも音楽的だ。この響きあいには、実は「が」と「は」の呼び掛けもある。そしてこれは「と」を挟んで、「が」(二連目)「は」(三連目)の対比を経て四連目で「が」「は」の同居にもどる。
四連目は「銃、」の行が長いのだが、乱調を経たあと「霊、は祟った」とまた短くなるところもいい。
この詩も、なんとなく、もう一度読み返したくなるでしょ?
その読み返すところが、一連目か、二、三連目か、あるいは四連目(最終連)かは、人によってちがうと思う。
そういうことが、また楽しい。
何人かでこの詩を読んで、「どこが好き?」というようなことを語り合うと楽しい。「スズメの万愚節」も、どこが楽しい?という問いかけから語らいがはじまると思うが、「屋根を越えて」は、どこが楽しい?という問いかけからは語り始めるのがむずかしいかなあ、と思う。
服部はどちらかというと「思考派」の印象があるので、「どこが楽しい?」からはじまる広がり方は、服部の狙いとはちがうかもしれないけれど。
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