詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高貝弘也『紙背の子』

2020-10-05 10:26:37 | 詩集


高貝弘也『紙背の子』(思潮社、2020年09月20日発行)

 高貝弘也『紙背の子』。
 難しい。ルビがついていることばがあるのだが、それを私のワープロ(と、ブログ)で再現するのはむずかしい。括弧でルビを表記する方法があるが、それでは、たぶん高貝の表現とは違ってきてしまう。「意味」は単に「ことば」だけにあるわけではない。表記の方法も「コンテキスト」のうちのひとつだからだ。ここでは、ルビを省略して引用する。一行空き、二行空きと「行空き」にも変化があるのだが、すべて一行空きで引用する。(正確には何行なのか判断できないからである。)また、おなじタイトルの詩があり、その「識別」をどう表記すればいいのか、悩ましい。ページ番号がないから、〇ページとはできない。このことは、あとで考えることにする。
 
 「逆光」という作品。

そこに、透かし入り

かみのよの

(……かみのよの、)

浅いあかみの黄色

 「かみのよ」とは何か。「神の世」「紙の世」「紙のよ(う)」。「透かし」とは存在を主張するのか、存在を否定するのか。「ある」のなか「ない」のか。ことばは、「意味」に直結しない。「意味」は揺さぶられる。
 「浅いあかみの黄色」という一行にも「かみ」は紛れ込んでいる。
 「かみのよの」と書いたあと、「(……かみのよの、)」と言い直す。そのときの括弧、……、読点は何か。声にならない意識。声にならないけれど、存在している。
 でも、それが「表記」として出現してくるということは、どういうことなのか。「表現」に変わるのは、なぜなのか。
 欲望があるのだ。
 それは高貝の欲望か、それとも「ことば」の欲望か。「ことばの欲望」に高貝が反応しているのか、高会の欲望を「表記されたことば」が反映しているのか。
 これは、よくわからない。
 ただ、ことばが「呼び掛け合っている」ということだけが、私の印象として残る。それは「かみ」(神/紙)という「意味」の二重性を超えて、もっと複雑になる。というか、この「かみ」は「あかみ」ということばのなかへ動いていったときから、「意味」を失い、「音」そのものとして響き始める。

さしかわし そのあと、揺れあう
紙背の子と
裏の水 もののすみ

 「あかみ」の「か」は「さしかわし」の「か」へ動き、「さしかわし」ということばのなかの「さ行」の音は「紙背」と響きあう。
 それこそ「紙の裏側(書かれていることばの裏側)」にあるものと響きあう。
 高貝の場合、その「裏にあるもの」(そのままでは見えないもの、意識できないもの)とは「音」なのだと私は感じている。 
「裏の水 もののすみ、」には「の」の繰り返しがあり「水」と「すみ」は音が逆転しながら(裏返りながら)重なり合う。まるで「透かし」のように、と私は一行目に出てきたことばを借りながら思うのだ。

--さようなら

とけこむかげから
かみの、きれはしを
ひかりのなかで

 ふいに転調したあと、ここでは「か行」が交錯する。「か」の音がくりかえされる。その「か」を少し響かせ、最終連は、

あの かげの
あわいひの、
浅い さみしいあさみどりよ

 「あの」「あわい」「浅い」。ふと漏れてしまう「あ」に導かれ、違う音にかわる。「さ行」にかわる。
 「浅い さみしいあさみどりよ」。「あさ」の繰り返し。「あさみどり」のなかには「あさいみどり」が隠れている。逸脱した「い」が「あさ」と「みどり」をさらに強く結びつける。「さみしい」の「み」の音も、非常に美しく感じられる。

 さて。

 何が書いてあったのか。「透かし」の入った「紙」を逆光で透かしてみたとき、動いたことばを、透かしの繊細さと響きあわせる形でととのえたということかもしれない。
 息継ぎとか、無言とか。いわば「肉体」の調子のようなものも反映させることで、その繊細さを強調している。繊細さを高貝の存在と重ねるように提示する。
 これをととのえなおして言えば「批評」になるかもしれないが、そうしてしまうことに、私はためらいを覚える。「結論」のようなものを書いてはいけない、と感じる。
 だから、こう言い直す。
 「浅いあかみの黄色」の「あかみ」ということば、そこから「さしかわし」ということばへ変化する響き。「裏の水 もののすみ」という行、「浅い さみしいあさみどりよ」の音の美しさが、私の「肉体」に響いた、と。








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「学術会議不要論」のひとは、なぜ菅批判をしないのか。

2020-10-05 08:18:50 | 自民党憲法改正草案を読む
日本学術会議の会員任命問題で、不可解な反応のひとつに、こういうのがある。

「学術会議は不要だ。」

単独の主張ならば、これは意味を持つだろう。
だが、菅の6人任命拒否という問題と絡めて言うならば、「学術会議は不要だ」というひとたちは、なぜ、菅が99人も任命したことに対して黙っているのか。
99人と6人を比較すれば、99人の方がはるかに多い。
さらに。
なぜ、学術会議を存続させてきた安倍を批判しないのか。
もしほんとうに「学術会議」の存在を批判するならば、同時に学術会議存在させている菅を、存在させるために99人を任命した菅を批判すべきだろう。
「学術会議不要論」を持ちだした人がやっていることは、「学術会議不要論」を盾に、「菅批判を許さない」という「論理のすりかえ」である。
ほんとうに「学術会議不要論」を主張するなら、「6人を任命しなかったことを追及するだけでは手ぬるい。99人も任命した菅を許さない」という論理になるはずだが、私は「学術会議不要論」と「菅批判」をいっしょに展開しているひとの発言を、まだ、読んだことがない。
コメント (2)
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