菅の「学術会議新会員6人拒否」の問題。(フェイスブックに書いたことを再録。フェイスブックの書き込みは、ときどき消えてしまう。)
戦争法案のときも感じたが、日本の言論界は、なんというか「内戦状態」になっている。
そして、その「内戦」のいちばんむごたらしいと感じるのは、「論理」がかみ合っていないこと。
しかも、その「かみ合わない」状況を作り出しているのが権力側(権力を応援する側)ということ。
この「内戦」を戦うのは、とても難しい。
なぜか。
菅を批判している人は(私を含めて)、「6人任命拒否」が合法かどうか、拒否の基準は何か(だれが選別したのか)ということだけを問題にしているのに、菅を支援する人はそれにはいっさい答えない。
それだけではない。
菅支持派は、学術会議批判をし、存在意義を問うという「論点ずらし」をしてる。
この「論点ずらし」は、どこまでも拡大できる。
「学問はどこででもできる」というテキトウな発言にはじまり、とんでもない「6人任命拒否」が法的に正しいことなのかどうか、6人の排除に菅がどう関わっているのかということには応えず、学術会議の会員は学士院会員になれるとか、年金がたくさんもらえるとか、学術会議は中国の戦略に加担しているとかいう嘘まで飛び出している。その嘘には現職の大臣まで加わっている。
学者の世界(学者の実態)はふつうの国民にはわからない。そのわからないということを利用して、言いたい放題になっている。
この「嘘(間違い)」を放置しておくと「嘘」が社会に流布してしまうし、その「嘘」を指摘し、正していくと、その過程で「6人の任命拒否」の問題が徐々に隠れてしまう。
「論点隠し作戦」に「論点追及派」は必然的に敗北してしまうのだ。
もうひとつ、別の問題もある。(共通している部分があるのだが。)
「戦争法」のときは自衛隊が海外へ行って武力を行使することが「自衛権」になるのかどうか(そんなことをしていいのかどうか)が問題だったのに、日本が攻撃されたら自衛隊だけでは守れない、アメリカの支援が必要だ(なかには、アジア諸国を含めて、集団的に日本を間も間必要がある)という論点ずらし、さらには日本を守ろうとしないのは日本人じゃない(中国、北朝鮮へゆけ)というような、戦争法に反対するひとを「反日」ということばでくくってしまう言論が横行した。
今回の問題は、私の感じでは「戦争法」のときよりも危険だ。
それは「6人拒否」に杉田がかかわっていたとこからわかるように、「警察」がろこつに動いているということだ。「警察国家」が「内戦」を横から動かしているということだ。
そして、この「警察」の動きは、てとも見えにくい。
戦争法のときはデモの規制など、「可視化」されたもの(目で見てわかるもの)だったが、今回のことは、目には見えない。
「具体的な資料」は105人のリスト(99人と、6人のリスト)だけである。
あとは、「ことば」。
「ことば」で戦うしかないのに、「ことば」を隠す作戦(論点ずらし)が権力の力で動いている。
一部のジャーナリズムも、問題を報道しないことで、ろこつに権力の側に立って「論点ずらし」に加担している。
ほんとうにたいへんなことが起きる。
すでに起きている。
こういう「書き込み」もしっかりと監視されているに違いないのだが、この監視のなかで、どうやって「ことば」を鍛え直し、一人でも多くのひとと「共有」するか。
私は無名の「ことばの愛好者」にすぎないが、ほんとうに不安でしようがない。
戦争法案のときも感じたが、日本の言論界は、なんというか「内戦状態」になっている。
そして、その「内戦」のいちばんむごたらしいと感じるのは、「論理」がかみ合っていないこと。
しかも、その「かみ合わない」状況を作り出しているのが権力側(権力を応援する側)ということ。
この「内戦」を戦うのは、とても難しい。
なぜか。
菅を批判している人は(私を含めて)、「6人任命拒否」が合法かどうか、拒否の基準は何か(だれが選別したのか)ということだけを問題にしているのに、菅を支援する人はそれにはいっさい答えない。
それだけではない。
菅支持派は、学術会議批判をし、存在意義を問うという「論点ずらし」をしてる。
この「論点ずらし」は、どこまでも拡大できる。
「学問はどこででもできる」というテキトウな発言にはじまり、とんでもない「6人任命拒否」が法的に正しいことなのかどうか、6人の排除に菅がどう関わっているのかということには応えず、学術会議の会員は学士院会員になれるとか、年金がたくさんもらえるとか、学術会議は中国の戦略に加担しているとかいう嘘まで飛び出している。その嘘には現職の大臣まで加わっている。
学者の世界(学者の実態)はふつうの国民にはわからない。そのわからないということを利用して、言いたい放題になっている。
この「嘘(間違い)」を放置しておくと「嘘」が社会に流布してしまうし、その「嘘」を指摘し、正していくと、その過程で「6人の任命拒否」の問題が徐々に隠れてしまう。
「論点隠し作戦」に「論点追及派」は必然的に敗北してしまうのだ。
もうひとつ、別の問題もある。(共通している部分があるのだが。)
「戦争法」のときは自衛隊が海外へ行って武力を行使することが「自衛権」になるのかどうか(そんなことをしていいのかどうか)が問題だったのに、日本が攻撃されたら自衛隊だけでは守れない、アメリカの支援が必要だ(なかには、アジア諸国を含めて、集団的に日本を間も間必要がある)という論点ずらし、さらには日本を守ろうとしないのは日本人じゃない(中国、北朝鮮へゆけ)というような、戦争法に反対するひとを「反日」ということばでくくってしまう言論が横行した。
今回の問題は、私の感じでは「戦争法」のときよりも危険だ。
それは「6人拒否」に杉田がかかわっていたとこからわかるように、「警察」がろこつに動いているということだ。「警察国家」が「内戦」を横から動かしているということだ。
そして、この「警察」の動きは、てとも見えにくい。
戦争法のときはデモの規制など、「可視化」されたもの(目で見てわかるもの)だったが、今回のことは、目には見えない。
「具体的な資料」は105人のリスト(99人と、6人のリスト)だけである。
あとは、「ことば」。
「ことば」で戦うしかないのに、「ことば」を隠す作戦(論点ずらし)が権力の力で動いている。
一部のジャーナリズムも、問題を報道しないことで、ろこつに権力の側に立って「論点ずらし」に加担している。
ほんとうにたいへんなことが起きる。
すでに起きている。
こういう「書き込み」もしっかりと監視されているに違いないのだが、この監視のなかで、どうやって「ことば」を鍛え直し、一人でも多くのひとと「共有」するか。
私は無名の「ことばの愛好者」にすぎないが、ほんとうに不安でしようがない。