詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋順子「紅娘哀悼」ほか

2006-01-13 13:08:51 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 高橋順子の作風は結婚後大きくかわったと思う。そしてかわってからの作品が私は非常に好きだ。他者を受け入れるとは他者のために自分がどんなふうにかわってもいいと覚悟して生きることだが、それを楽しんでいる。余裕を持って高橋自信が、ゆったりとかわっていく。
 「紅娘哀悼」はてんとう虫を飼った日々のことを書いているが、ここでは高橋は連れ合いと同時にてんとう虫という何を考えているかわからない生き物を受け入れる。さらにはてんとう虫を食べるネズミを受け入れる。受け入れながら、そのときどきに動くこころを淡々と語る。そこに静かなユーモアと悲しみが同居する。ゆったりと生きるとは、おかしくて、悲しいことである。

「鼠に喰われてもた むざん」
「鼠が柿なんか食べるかしら」
「何もなければ何でも食べる」
さあお食べというように
皿の上にわたしたちは
ヒデコを載せて出ていったのだった
わたしたちはわたしたちの羽をたたみ
ふかく頭を垂れた

 引用部分ではあまり特徴が出ていないが、高橋と連れ合いの会話の、東京弁(標準語)と関西弁の拮抗も楽しい。連れ合いのことばは対象を語りながらこころを語る。対象とこころが溶け合っている。そのとけあった場へ高橋が自然と誘い込まれ、不思議なにおいを身につけて高橋自身の場へ戻ってくる。
 その動きもとても自然で、気持ちがゆったりとしてくる。

*

 山本かずこ「その日わたしは草であった」。

女と子供が去ったあと、風がやってきて わたしをしばらく揺らしてくれた そうすることで呼吸を整えよ、と言っているかのように そのあと わたしはふつうの草に戻った

 山本も共振力というか、共鳴力というか、そういうものが非常に強く、しかも山本は自分の肉体で共振、共鳴する。こころなどわからない。こころなばわからないが、風が吹けば風を感じる。そして風を感じるとき呼吸が整う。その瞬間に、山本は世界そのものになる。世界がその瞬間「ふつうの草」であったとしても、それが「世界」であることにかわりはない。
 名前のない草、どこにでも生えている草。それをとおして見えてくる世界がある。

 山本の肉体をはなれないことばはいつも魅力的だ。

*

 山本純子「男の子が三人」。

男の子が三人
向こうからやってきて
こんにちは
こんにちは
こんにちは
って、通りすぎるから

私も
こんにちは
こんにちは
って、通りすぎたら

ぼくの分がたりない
というつぶやきが聞こえた

 「ぼくの分」(わたしの分)は、私にとっていつもいつもとても大切なものだ。
 高橋順子も山本かずこも他者と出会い、他者を受け入れ、受け入れることで変化しながら、そっと自分の分を大切に守っている。抱き締めている。

 山本純子の詩から、再び高橋順子の詩へ戻って読み返す。

クリスマスの夜
ヒデコは仰向けになったまま動かなかった
連れ合いはもう寝てしまった
あれからたった五日しか生きていなかった
連れ合いの愛人とはいえ さみしい気持ちで床に就いた

 「さみしい気持ち」。この静かなことばの美しさは、そのまま最後の「わたしたちはわたしたちの羽をたたみ/ふかく頭を垂れた」につながる。
 どんなときにも人は、その人にだけできることがある。

 また、山本純子の詩に戻る。

こどものころ 母が
すいか、とか
ようかん、とか
おいしいものを切るとき
私の分は
って、いつも見つめた

こんにちは、も
きっと
おいしいんだ

 「こんにちは」が「おいしい」というのは、山本が発見したことだろうか。すれ違った男の子が教えてくれたものだろうか。
 両方である。区別がつかない発見である。
 高橋順子の「さみしい気持ち」も「ふかく頭を垂れた」行為もまた高橋自身のものであり、同時に連れ合いが高橋に分け与えてくれたものだろう。
 他者が分け与えてくれたものをしっかり受け止め、きちんと自分自身のできる形で返す。そのとき、世界は確実に美しくなる。
 「詩」になる。
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海埜今日子「隣睦」ほか

2006-01-12 21:25:46 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 海埜今日子の「隣睦」。「隣睦」ということばを私ははじめて読んだ。意味はわからないが、「隣」が「睦まじい」世界、というものを想像する。そして「隣」が「睦まじい」というのはどういうことかわからないながらもわかった気持ちになる。「隣」も「睦まじい」も知っているからである。同時に、知っているといいながら、その二つを組み合わせるとどうなるのか、よくわからない。海埜はその不思議な世界を描く。

それを隣、といえばよいのか。四つ辻が、彼をすうっと押すのだった。おもいだせない、おもいがけない点、点のなか、かわいた子どもがまぶしかった。ふむごとに、のように通りがけに女がわらう。古い傷がなびいていた、たどりたかったのかもしれなかった。平行が、ふれんばかりになめらかだ。

 不思議な街へ迷い込んだような感じになる。しかし、それは非常に肉体に近い。触覚に近い。目ではなく、肌が感じる近さだ。「まぶしかった」という表現が少しうるさいが、このことばはすべて触覚を刺激する。触覚のなかに潜む距離感を浮かび上がらせる。
 あ、睦まじいとは触覚で感じる世界なのだ、とあらためて思う。

ふとした隙間がやわらかになる。たちどまっては角度に追われ、線にみたててつなごうとする、あなたはころぶ速度でわすれる、から。かがむごとに男は異端だ、しずまる呼吸がききたかった。彼女の軸足がたたまれた。隣家のようにせわしなく、ぐるりをめぐる少女だった。

 「隙間がやわらかになる」。このやわらかは視覚でとらえたやわらかさではなく、触覚でとらえたやわらかさである。

 詩人はそれぞれ何らかの感覚を中心にことばを獲得する。池井昌樹は嗅覚の詩人である。海埜は触覚の詩人である。
 「押す」「ふむ」「たどる」「ふれる」「つなぐ」……そうしたことば意外にも「なびく」「ががむ」「しずまる」ということばも触覚を表現しているように響く。
 たとえば、その「なびく」。「古い傷がなびいていた、たどりたかったのかもしれなかった。」とひとかたまりになるとき、「なびいている」ものを視線が追っているのではなく、たとえば指で「たどっている」ことがわかる。触覚が世界をつないでいることがわかる。「平行が、ふれんばかりになめらかだ。」も視覚で平行を認識しているのではなく、視覚で認識しているにしろ、それを「ふれる」「なめらか」という触覚に置き換えて納得している。
 触覚のていねいな積み重ねがあって、「ふとした隙間がやわらかになる。」への飛躍が自然に展開される。

*

 城戸朱理「相背くように」。城戸は完全に視覚の詩人である。

このあたりでは まだ
夏の名残りの光が
震えるように降っている
その透明な振動は いずれ
凝(こご)って形を成し
しずかな雪にかわるだろう

 「夏の名残りの光」。それを人は視覚で感じることもできるし、触覚で感じることもできるはずだ。あたたかな広がりと感じれば、それは触覚の世界だろう。また嗅覚でも感じることができる。草のくたびれた匂いを思い起こすならば、それは嗅覚の世界である。
 しかし、城戸はあくまで視覚でのみ世界を把握する。
 「振動」さえも城戸は目で見ている。振動がこおりかたまってひとつの形になる。つまり「雪」になるのを目で認識している。

音もなく雪は降り
言葉もなく人は斃(たお)れ 人は
折り重なって斃れ
そのために山裾はなだらかになるだろう。

 この「なだらかさ」もあくまで視覚でとらえた「なだらかさ」である。手でたどってみたなだらかさではない。(触覚の詩人ならば、人が「折り重なって斃れ」てできた形をだいたいなだらかとは表現しないだろう。視覚の世界が冷たく感じられるのは、触覚を拒絶しているからだろう。触って確認するというのは自己と他者の距離がなくなるということである。触覚にはそういう危険が伴う。視覚にはそうした危険がない。)

このあたりでは 旅人は
肺のなかまで蒼ざめていくだろう
どんな言葉も聞かれない ただ
その声は水の色をして。

 城戸は「聞く」べき「声」さえも見ている。聴覚を拒絶している。「水の色」と、音を色に変えて把握している。

 この作品に出てくる「旅人」ということばのせいだろうか、私は西脇順三郎を思い出したが、西脇は耳がとても敏感だった。世界を絵画的に描いているようでも、いつも音楽だけが世界を支配していた詩人だと思う。耳の詩人だ。「旅人かへらず」の「ああかけすが鳴いてやかましい」の新鮮な音楽。溢れ出る水のきらめきよりも、そのかなでる音よりも新鮮で、何にも汚れていな音の美しさ。たとえば同じ「旅人かへらず」の「五」の「やぶがらし」という一行の美しい音。

*

 西脇とは違った「耳の詩人」もいる。桑原茂夫「愛(うつく)しき言(こと)」。

聞かせてよ 愛しき言
愛しき言尽くしてよと
きみはささやく。
耳にしみいるそのささやき
そのささやき はや
ぼくの海を波うたせる。

 しり取りのようにつながる行はそのまま「音楽」だが、その行のなかに散りばめられた音も互いに響きあう。「きみ」「みみ」「しみ」「いる」「うみ」「なみ」。

 蜂飼耳「食うものは食われる夜」も桑原の作品と同じように、ことばのどこかでしり取りをしている。

音たてちゃ いけない 今夜は
もお音たてちゃ いけない
背をあわせ うつろの胴は長くして
横たわる 濡れた目玉に
すがた映し合い寝たりは しない
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「ダイエット」が詩になるまで

2006-01-11 14:34:56 | 詩集
 読売新聞に「子供」向けページがある。三木卓が週に一回、詩を紹介している。11日は吉野弘の「紹介」。

一歳です
おいた、します
おなか、空きます
おっぱい、たっぷり飲みます
お通じ、あります
よく眠ります
夜泣き、しません
寝起き、ご機嫌です
固太(かたぶと)りです
ダイエット、まだです
女性です
柔肌です
おしめ、まだ取れません

 「ダイエット」からの行が傑作だ。「ダイエット」「女性」「柔肌」と若い女性を連想させておいて「おしめ」へ引き返す。すけべ心を「へへへ」と笑い飛ばしている。その笑いが健康である。お茶目である。
 こういう詩を読むと、詩が楽しくなる。

 「ダイエット」というような、「古典」にないことばを文学に持ち込むには時間がかかる。なかなか詩にならない。こうしたことばを詩にしてしまうところに吉野の詩人としての魅力がある。

 こうした作品を読むと、詩の中に「ダイエット」を取り込んで書きたい気持ちに誘われる。しかし、難しい。

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豊原清明「黄色い森」ほか

2006-01-10 15:20:53 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 豊原清明のことばには肉体がすーっと滑り込んでくる。「黄色い森」の前半。

黄色い戦争が雨にゆられた。
戦争は黄色い戦争をうとんじていた。
孤独な兵隊はいなかった。
木の枝の最先端の風を
軍艦は追い出した。
それが黄色。
山の風に似た美少年の友達は?
そこにいた。
海辺で笑っていた。
その歯は
真っ白。
チッ!
いつも黄色を
かくす人。

 「黄色」が肉体として見えてくる。白い歯に追い出された歯の黄色。それが戦争の色。軍艦に追い出された木の葉の先端の風の色。黄色。それが戦争の色。無防備なもの。自然なもの。生の肉体。手入れされていな生の力。黄色。

神がいた。
雲がいた。
詩人は
酒を
たくさん飲んだ。
詩人は
馳走をたらふく食った。
雪の中
黄色い車が
転がっていた。
黄色い戦争の森だった。

 「詩人は/酒を/たくさん飲んだ。/詩人は/馳走をたらふく食った。」それが黄色の状態。「僕」の状態だ。
 こうるさいイデオロギーに頼らない、自然な肉体の声が、そのまま「反戦詩」になっている。もちろん、豊原は「反戦詩」などとはいわないだろう。そこがまたすばらしい。



 豊原の詩をよんだあと稲川方人のことばを読むのはつらい。「聖-歌章」。

汚れたその小さな足が濡れた地面に生えた草に隠れている
 のを、ただ思いつめるように見つめる、
この雨の通りに生き残った一匹の犬を、
私は自分の背のいまだ血を滲ませている傷に触れるよう
 に、おまえもそうしてここを動かずに、
いずこにかいまも維持されてある治安に叶う満ち足りたひ
 と皿の肉をさえ忘れているのだろうと抱き締める

 稲川が抱きしめたのは犬の肉体だろうか。私にはとてもそんなふうに感じられない。犬の観念(そういうものがあったと仮定してだが)さえも抱きしめていない。犬に自分のイデオロギーを押しつけて、押しつけた分だけ稲川の観念が身軽になっている。観念としての自己を身軽にするためにことばを犬におしつけている、というふうに感じてしまう。
 豊原は「チッ!」と舌打ちして自分の感情を放り出す。放り出して、そのあいた部分へ他人を引き寄せ、抱きしめる。たとえ、「チッ!」が「美少年」を一瞬拒絶するとしても、その拒絶の行為が見えることで「美少年」と「僕」の距離は縮む。そこには肉体があるからだ。
 ところが稲川は「抱き締め」ながらも犬を受け入れはしないのだ。犬に自分の観念を押しつけ、自己の孤独に酔うだけである。
 引用はしないが、以後、稲川のことばは「犬」を離れ、ひたすら孤独な稲川(孤独だと酔いしれている稲川)の観念だけが疾走する。
 長い長い疾走の果て、疲れた観念はどうするか。

中断/対位している「国」と「国」の権限(ヒエラルキー)のほうへ、私
 はゆっくり下身を出し小便をしに行く

 動けなくなったからといって、「下身を出し小便をしに行く」と言われてもなあ……と私はいやな気持ちになる。

 (稲川の詩がすばらしく見えるときがある。不思議なことに、それは平出隆の詩を読んだ跡に読むと、稲川のことばは輝く。平出のことばが20行、あるいは200行かかって書く世界を稲川は2行で書く。そんなふうに感じる。)



 「現代詩手帖」12月号には平出隆の作品が載っていないので、1月号から「踝とテラス」を読む。

くるぶしを襲う
風邪のウィルスの確かさ


いままで見えなかつた近隣を
あきらかにしていく菩提樹の落葉


遅れとつた復興の途にようやく就こうとしている 城
中庭を過ぎてテラスを行く

 観念に拮抗するようにして立ち上がる肉体。たとえば「くるぶし」。そして2連目の視線のしずかな動き。視線のしずかな驚き。それが3連目の「行く」という歩みにつながる確かさ。
 観念を肉体に引き寄せ、肉体で消化しようとすることばの運動。しかし、それは、ふいに破られる。ことばが噴出する。最後の2行。

そのことを惜しむ声が
惜しむ権利を奪われたまま そこここにひそむ
        (注 「そのこと」には本文に傍点あり)

 「そのこと」と書かざるを得ない平出にとって、稲川の、現実をひとっとびしてしまう観念の断絶は(平出なら飛躍というだろうか。しかし私にとっては飛躍ではない。平出の綿密な行の展開こそが「飛躍」と呼ぶにふさわしい力業だ)うらやましい限りだと思う。

 それにしても、平出の作品の「そこここにひそむ」という音の静かな響きの美しさはなんだろう。「そこここに」と音の奥深くを訪ねるような「お」の音の繰り返しのあと、「ひそむ」とそれこそ潜んだものを浮かび上がらせるような押え方。
 私はいつも平出を読んでから稲川を読むようにしていたが、今回逆に読んでみて、平出のことばの動かし方は天才的だとあらためて感じた。
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大庭みな子の「ゆく舟」ほか

2006-01-09 14:57:59 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 大庭みな子の小説は大好きだ。詩は少し読んだことがある。「現代詩手帖」12月号には以前読んだときの印象とは違った作品が載っている。大庭の小説の構造を語っている作品のように感じられた。

言わなくてもよかった言葉は
一度言われてしまうと
一人で歩き始める
一人で歩き始めた言葉は
濡れた瞳と紅い唇をきらめかせて
つぎつぎと言葉を生む

 大庭の小説の魅力は、ことばの一人歩きにおんなの肉体の印象がついてまわることだ。「濡れた瞳」「紅い唇」だけではない。濡れた瞳の奥にある脳さえも精神ではなく肉体として登場する。紅い唇がときどき開いて見せる美しい歯、強靱な歯、艶かしい舌からさらに喉をくだって胃、腸、肛門までつづき、さらに横にそれるように(あるいは、それが本当の道であるかのように)、性器にまでつづく。温かい血のにおいのまま。
 ここまでは、小説で知っていることである。
 しかし、つぎが違った。

生まれた言葉は 立ち上がって
逆立つ波にのりあげる舟
舟をあやつるのは
過去と未来の霊
数限りない子孫が
つぎつぎと交替するので
船頭はけっして疲れない

 ことばを大庭は個人のものではなく先祖からのもの、そして未来へつづくものと考えている。これは、ことばを常に肉体をくぐらせて語ることで自己の刻印を押し続ける大庭の小説を読めば納得できることである。
 私が驚いたのは、ここに「舟」が登場することである。
 大庭のことばは荒れ野を行くのではない。大都会を行くのではない。海を行くのだ。
 「あ」とことばを漏らしてしまう。
 大庭にとって海外で生活したこと(「三匹の蟹」)がことばを動かすひとつの契機になっていると感じたのだ。海はどこへでもつづいている。アラスカへもつづけばヨーロッパにもつづいている。アラスカで、大庭のことばは新しい土地とのみ向き合ったわけではないのだ。繰り返し繰り返し太平洋を往復していたのだ。往復しながら、そのたびに過去と未来とに向き合い、それに拮抗するために大庭の肉体をくぐるしかなかったのだ。
 もう一度「三匹の蟹」から読み直してみようか、と思った。

*

 谷川俊太郎「Larghetto」。

こころは疑いで一杯なのに
からだは歌わずにはいられない
夜の道は死の向こうまで続いている

 この作品を構成することばは、大庭の「思い」につながっているのか、それともまったく別のものなのか。

 谷川のことばの不思議さは、それが肉体をくぐりぬけたもの、というより、肉体の外からふいにやってきて、その一撃に肉体が反応して音楽を奏でているという印象があることだ。
 「からだは歌わずにはいられない」
 これは、強烈な表現だ。谷川にしか書けないことばだと思う。「こころ」が歌うのではない。「からだ」が歌うのだ。しかもそれは「こころ」の思いに反して歌ってしまうのだ。

 大庭は「過去と未来の霊」と書いていたが、谷川の感じているのは「霊」ではなく、むしろ肉体であると思う。過去と未来の肉体が、今、ここで谷川の現在のからだと共鳴する。そのとき、その震えのなかからことばが沸いて出てくる。

 「夜の道は死の向こうまで続いている」は、ことばが生き残るという意味ではないだろう。からだ、肉体こそが死の向こうまでつづいていくのだ。もちろん、それは谷川の肉体という意味ではない。それを超えて存在する肉体というものがある。命というものがある。それがつづいていく。
 私たちの肉体は、そうした肉体に共振し、そこからことばを引き受けるにすぎない。そして、その肉体というのは、人間の肉体だけではなく、白樺や青空や蛇苺だったりする。そういうものに嘲われなぶられて、ことばがからだから飛び出して行くのだ。

 谷川のことばには苦役のにおいがしない。(と、私は感じる。)それはなぜなんだろう。長い間疑問に思っていたが、具体的に考えてみたことはなかった。しかし、何となく、この詩を読んでいて感じるものがあった。
 からだの外に巨大な宇宙がある。そこから何かが谷川のからだを揺さぶる。それがうれしくて、楽しくて、谷川はことばを発する。しかも、死の向こうまでつづいていくのは「ことば」ではなく、こんなふうにして外から刺激をうけて反応する肉体(からだ)だと知っている。からだと宇宙は、そうやって死をこえるのだと知っている。

*

 池井昌樹の「弓」。

こんなまっくらやみのなか
ぼくをゆめみるものがある
あとかたもなくなったあと らんらんと
ゆめみつづけるものがある

 これは谷川の世界とは反対の世界である。常に詩人を見守る力が存在し、その力が詩人を存在させるということを感じている。ただし、それは詩人を池井に限定してでのことではない。
 「詩人」は常に何者かによって存在させられている。池井はそんなふうに感じている。それゆえに他の詩人に共振する。
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はじめて読む詩人

2006-01-08 21:50:18 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 倉本竜治という名前をはじめて知った。「いらだち」。

ぼくが食道癌で死んだ
詩人の詩をよんでいると
もう直ぐ四つになるヒロキが
来てのぞきこむのだ
そして漢字カードで覚えたばかりの
「草」の字に目を輝かすのだ
ワレハクサナリと読み出すのだ
幼い全身で重い引き戸を開けるみたいに
するとぼくはちょっと緊張するのだ
子どもの見つめる空間に
目をすえるのだ
ああやっぱりだ つまずいた
「生きんとす」の箇所だ
そこそこそこでだ父親であるぼくはいらだって
イキと言葉をそえるのだ
それなのにヒロキはまたまたひっかかるのだ

 淡々とした行運びのなかに口語が非常によく響いている。「そこそこそこでだ」という部分など、思わずうなってしまう。口語のリズムが「イキと言葉をそえるのだ」という行のなかでは「声」そのものになってあふれてくる。
 この詩のおもしろさは、その口語のリズムと、口語にもならずにそこに存在する「生きんとす」の重さ、その重さなどいったい何なのと無視して生きている4歳の命ののびやかさの不思議な出会いにある。
 倉本には「生きんとす」の意味はわかる。4歳のヒロキにはわからない。ことばをそえてやっても読むことさえできない。それは単に読むことができないという以上のことである。それは実は4歳のヒロキに対して「生きんとす」と詩人が書いたときの気持ちを倉本が教えられないということを意味する。
 いや、それ以上に、倉本自身にとっても「生きんとす」の意味がわからないということを意味する。もちろん、頭の中でなら理解できる。4歳の子どもが「草」を「くさ」と読む程度になら理解できる。しかし、口語にして、「そこそこそこでだ」というような生々しい感じでは言い表せない何かがある。
 本当の「いらだち」はそこにある。
 4歳のヒロキのつまずきは4歳のヒロキのものであると同時に、倉本自身のつまずきでもあるのだ。

 「幼い全身で重い引き戸を開けるみたいに」の比喩の美しさ、強さは、単にヒロキのありようだけではなく、癌で死んだ詩人の詩集を読む倉本自身の姿でもある。
 比喩はこんなふうにしてつかうのだ、とあらためて思った。比喩の力というものをあらためて感じた。



 内川吉男もはじめて知った。「苺になった少女」。倉本のことば運びと共通するものがある。比喩をとおして非常に自然に自分を超え、対象に重なり、再び自分に帰って来て、その比喩の運動のなかでの精神・感情の動きをしっかりと受け止めようとする。
 こうしたことばの運動があるからこそ、詩は生き続けるのだと思う。
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ふいの1行

2006-01-07 12:09:30 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 三角みづ紀「窓のおんな」

さっき殺した
ばかりの
おとこは風呂場で
平行線上に
倒れて
いる。
逆におんなは
垂直に立ち尽くしたまま

 「平行線上に」に私はつまずく。そのあとに出てくる「垂直に」と呼応するなら「水平に」が普通だろう。しかし三角は「平行線上に」と書く。
 そして、このことばが不思議な世界を引き寄せる。
 「平行線」ということばが頭に残っているために、「垂直に」立っているおんながただ単独で立っているというより、「私」がいて、その私の立方と「平行線」をなす形でおんなが立っているという風景が浮かび上がる。

おんなは私ではないか

 最終行の、「おんなは私」という世界が自然に納得できる構造になっている。
 そして、この「おんなは私」という構造、自分を「おんな」として見る視線、自己分離(自己分析、自己批評)の世界が、三角が書いている世界である。
 そして、その世界では「おんな」と「私」が一体になることはない。つまり、「私」にとって「おんな」はわからない存在として、常に「私」に「平行に」(つまり併存して)存在していることになる。
 「私」はその「平行して」存在する「おんな」を殺すことで自己に帰ろうとしている。あるいは、「私」を殺すことで「おんな」にかわろうとしている。さらには「おんな」を殺し、「おんな」とともにいる他者(たとえばおとこ)を殺し、それが「私」を殺すことであり、同時に「私」を超えて何者かにかわるということを意志しているのかもしれない。
 そうしたさまざまなことを、三角のふいの1行は考えさせる。



 糸井茂莉「暗い夢の空地」。「アルチーヌ」という人物、というより「ことば」の変奏。微細な精神の振動。そのなかにはさまれた次の1行。

シーツが裏返っていて眠れない。

 ふいに肉体感覚がよみがえる。観念の運動から現実に引き戻された感覚になる。しかし、それは一瞬のことである。

シーツが裏返っていて眠れない。そんな妄想にとらわれた夜はきまってアルチーヌのことを思う。

 読者を肉体感覚に引きずり込んでおいて「そんな妄想」と突き放す。その手際は、逆に、糸井に描く観念ことが生々しい現実だと告げる。
 この作品の「ふいの1行」、「詩」として輝きを放っているのは、実は「そんな妄想にとらわれた夜はきまってアルチーヌのことを思う。」という、きわめて散文的な行だとわかる。
 「そんな妄想にとらわれた夜はきまってアルチーヌのことを思う。」には、何の魅力もないような(思わずまねしたくなるようなもの)がない。「連歌」でいえば、ただ世界を押し動かすだけの「やり句」のようなものである。
 しかし、ここにこそ糸井の「詩」がある。
 糸井にとって「詩」とは精神の運動である。「シーツが裏返っていて眠れない。」という行では、私たちの思考は立ち止まる。しかし、立ち止まってはならないのだ。うごいていかなければならないのだ。立ち止まった精神を動かすために、糸井は「散文」としかいいようのないものを挿入する。そのとき、その「散文」のなかで「詩」が輝く。



 久谷雉「大人になれば」。彼の描くことばの運動は糸井と対極にある。観念のふりをしながら観念から遠ざかる。ことばを突き動かしているのは「精神」などではないと宣言する。

おもいだしたくなくても
いつかは おもいだすんだろう
たましいにはくちびるもなければ
おしりさえもなかったというかんたんなことを
そして ただぺらぺらとした耳が
つばさのように生えてるほかは
おでんの具にしかならないことを
いつかはおもいだすんだろう

 肉体をとおしてしか実存を確認できない。すべては肉体で確認できるものから成り立っている。
 「おでんの具」。ひとつの鍋のなかでぐつぐつ煮えている。味を染みだし、味を染み込み、自己が自己でなくなりながら自己でしかない。そうしたもの。

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岡井隆の「死について」、ほか

2006-01-06 14:19:13 | 詩集
 「現代詩手帖」1月号に岡井隆の「死について」という作品が載っている。傑作だ。

死の瀬の磯(そ)の洲(す)との差 と言つて遊ぶ
死つて曲がることなんだと声高に宣言して遊び
曲がり切らないうちに向かうから来る と言つて遊ぶ
死を束ね/てゐる黄金(こがね)の/帯がある と作つては遊び
逝くことだといふ嘘を青空を喪ふことと言ひかへて遊ぶ

 1行目の「さしすせそ」の遊びが何度読んでも楽しい。
 岡井の作品は「死について」というタイトルがついているが、この作品を読むと「生」とは何かがわかる。「生」とは人間からはみ出したもの、人間を逸脱させるものである。岡井の作品にあらわれた表現をつかえば「遊び」が「生」である。

 21の断章でできた構成されたこの作品は、どれも死について言及している。しかし、死そのものにはなり得ていない。つまり、死に接近するけれど、死にはしない。
 こうした行為(言語運動)そのものが「遊び」である。
 「遊び」のなかには、岡井自信の歴史(生きてきた時間)、つまり岡井の今を構成しているさまざまな要素が立ち現れてくる。人は知らないことを遊べない。自分が熟知していることをつかって遊ぶ。その瞬間瞬間が美しい。



 「現代詩手帖」1月号の入沢康夫の作品も「遊び」が美しい。連載詩・偽記憶2「藁の蛇の思ひ出」。

祠の横の槐(ゑんじゆ)の木の股に かねてから掲げてあつた 太い藁の蛇の頭とおぼしいあたりが 確かに血に汚れて黒ずんでゐた

 たぶん、この末尾の「記憶」だけが本当の記憶だろう。その「藁の蛇」から「十七歳」の入沢が何を想像したか。どんな物語をつくったか。(これは作品を読んでいただきたい。)
 物語をつくる、あらゆる存在を時間軸を中心に構成し直し、世界を確認する、というのは入沢の散文詩の特徴だ。こうした行為を「詩」をつくるということもできるし、「遊ぶ」ということもできるだろう。
 その行為の中から立ち上がってくるのは、作者の時間である。生きたきた生活そのものである。これは岡井の詩の場合と同じである。



 天沢退二郎「嘘売岳ブルース」(「現代詩手帖」1月号)になると、「遊び」はもっと徹底している。

嘘売岳へ登るには
まず白無沙(しらなさ)峠をこえるんだ
するとだな
顔にも頭にも真珠をいっぱいつけて
女が歩いてくる
と思ったらそれはみんな水玉
つまり涙というやつではないか?
これは気持ちわるい!

 天沢のことばは「生活」の奥へは入り込まない。「生活」の表層のことばをはねとばしながら疾走する。そのスピード感が「遊び」である。
 疾走のための「鞭」があるとすれば、3行目の「するとだな」ということば、そしてタイミングだ。ここに天沢の「詩」がある。
 「嘘売岳」「白無沙峠」という、いかにも偽物のことばを出しておいて、読者が疑問に思う寸前に「するとだな」とスピードアップする。この感覚の中に「詩」がある。

 入沢のことばは「真実」らしく見えるものから出発して虚構へたどりつき、虚構へたどりつく運動のなかに「詩」を確立する。天沢のことばは「嘘丸出し」から出発し、現実を蹴散らしながら疾走する、その運動のなかに「詩」を確立する。
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藤井貞和の音楽

2006-01-05 20:09:31 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 日本語のリズムについて考えるとき忘れてならないのは藤井貞和である。「白い子猫」という作品の冒頭。

あれから何年も、ページをひらいて待っていた、
短編集のおくの産室で。ひだりは金色の目の小犬、
さあ生まれるよホームページに。神の小犬がやってくる、
やってくるそいつは金色の瞳で、みぎの目が銀色。

 高貝弘也のリズムとは違う。野村喜和夫のリズムとも違う。藤井のリズムは口語の自然なリズムだ。とても自然だ。耳で聞いて、すぐに意味がわかる。わかった気持ちになる。口語とはそうしたものだ。論理よりもリズムの正確さ、感情の一貫性が、何かを納得させてしまうのである。
 高貝のリズムも何かを納得させる。そしてその何かとは「古典」である。野村のリズムは「現代」を感じさせようとして、それが崩れ「古典」を露呈してしまう。しかし、藤井のことばは「現在」を納得させ、同時に「未来」を予感させる。日本語は、将来、こんなふうに動いていくだろうと感じさせる。
 明快で、軽くて、スピード感がある。
 その進み方は直線的ではなくじぐざぐである。しかし、動きがはっきりみえる。
 引用した4行を読めば、どんな読者でも左目が金色、右目が銀色の子猫を思い浮かべるだろう。その子猫が「短編集」といういわば「古典」の世界を突き破って「ホームページ」という「現代」の世界へ誕生してくることがわかる。この一気に時間を突き破る運動ゆえに、その世界は「神話」的になる。小犬が「神の小犬」であるのは、そのためだ。

 藤井の作品を読むとき、私たちは「日本語神話」の時間を生きる。時代を超えて運動していく日本語の動きのありように触れる。その中心となっているのがリズムである。正確で軽やかで速い響きである。
 私は、その音の変幻自在さを「音楽」のように感じる。



 私たちは日本語から逃れられない。日本語で考えてしまう。そのことをあらためて感じさせられたのが中上哲夫の「夜の鷹」である。

店内を見まわすと
カウンターの背後の若い店員は
日本語でいうと舟を漕いでいた

 日本語の「古典」(伝統)はいつでも生きている。強く意識するか無意識かは別にして。

 鷹貝や藤井は日本語の「古典」を強く意識している。しかし、野村は自覚していない。無意識に逆襲されている。そんなことも、ふいに思った。
 (4日の「野村喜和夫と高貝弘也」の補足。)
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野村喜和夫と高貝弘也

2006-01-04 23:23:54 | 詩集
 「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 野村喜和夫の『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』(河出書房新社)はとても読みづらい詩集だった。ところが高貝弘也の「なでしこ」を読んだあとではとても気持ちよく読むことができる。

ふしぶしの
  撫(なで)し子よ
あなたの名は もう
   こえに 出さない

ふしぶしの
  芽 瞬く間で
あなたの名は もう
   こえに出せない

(それは儚(はかな)く 淡い種子)  (「なでしこ」)

 ここに書かれているのは意味でも思想でもない。抒情でもない。高貝のことばを貫いているのは日本語に対する愛である。「なでしこ」という音が好き、という音に対する愛である。愛とは、自分がどうなってもかまわないという覚悟で対象に全身を捧げることだが、高貝は、たとえば「なでしこ」ということば、音にすべてを捧げる。すべてというのは、高貝がそれまで読んできた日本語のすべてという意味である。「なでしこ」と響きあい、呼応する日本語。そのことば同士の対話を高貝は試みる。それは単に「単語」(名詞、形容詞)だけのことではない。
 「なでしこ」という音は、私には美しく感じられない。「な」と「で」のつながりが私はどうも好きになれない。特に「で」がなぜかいやなのだ。
 高貝の好みは知らないが、私は「で」が気になってしようがない。その「で」に高貝は、この作品ではこだわっている。
 「瞬く間で」「この世のさきで」「かがみのうらで」「死なないで」。
 繰り返されるとき、ふいに日本語の見えなかった何かが感じられる。ねばねばとしたことばのつながり、ことばをとおしてつながってしまう感情のうねりのようなものが。
 高貝の作品は、いつでも私にとっては、日本語の歴史(日本語をとおして積み重ねてきた日本人である私の感性の根っこ)を揺り動かしているように感じられる。

 野村の「(街の、衣の、)」の書き出し。

街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、
街の、衣の、いちまい、下の、虹は、蛇だ、

 野村が書いているのも思想や意味ではない。日本語の呼吸だ。リズムだ。そして、そのリズムは高貝のことばが文語的(古典的)であるのに対抗するように、ひたすら現代風を装っている。

(meta)の、
蛇は、虹だ、
らむ、だむ、
らむ、だむ、

と書いてみても、そのスピードに乗って加速するわけではない。飛翔するわけではない。逆に、加速しようとして日本語の尻尾をつかまれてしまう。

だむ、たむ、蛇の、
たむ、たふ、下は、
いちまい、叫び、
うふ、らむ、熱だ、
ひたた、たむ、舌の、ひだだ、
ひたた、らむ、ひだの、(meta)だ、

 あ、まるで高貝になるまいと必死になって短いリズムにすがりついているようではないか。しかし、必死になればなるほど、日本語の懐かしい懐かしいリズムにのみこまれていく。私には、そんなふうに感じられた。

 また、高貝がなだらかな音の響きでことばを通い合わせるのに対し、野村は視覚でことばを通い合わせる。「虹」「蛇」は似た者同士。「蜥」「蜴」「蟋」「蟀」は、えっ、どっちだっけ?と思わせる違和感。野村の、こうしたことばの操作も、どこかで高貝と似ている。通い合う。日本語の歴史、古典にこだわるという点で。

 日本語の歴史にこだわっている、と感じたときから、野村の詩集は気持ちよく読むことができる。日本語の世界から逃れられないとわかったときから、不思議な安心感を帯びてくる。
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安藤元雄のことば

2006-01-03 13:42:46 | 詩集
「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)

 安藤元雄の「不機嫌な目覚め」。なかほどに

背中の痒みのようにわかっている

 という表現が出てくる。「わかる」ということは頭脳の理解ではない。肉体の納得である。
 このことばを中心に、自己としっくりこないものが描かれる。自己の外部(周囲)にあるもの、したたる「しずく」(1行目)や「暖まらなかった寝床」(4行目)との違和感が語られる。
 不機嫌とは、「わかっている」ものが自分に好ましくなく、しかもそれが常に肉体として感じられる(肉体に進入してくる)ことだ。
 安藤は、それをなんとか自己の外部へ押し出そうとする。

広大な庭園のゆるい傾斜を
ゆらゆらと降りて行く青い傘
セージが咲きサルビアが咲き
何も匂わない
鳥も啼かない
向うに海が覗き島が覗き
そんな光景のもたらす何というとりとめのなさ

 安藤のことばは、ひとつの空間を描き出す。自己と空間の関係を明るみに出す。それは、自己と他者の「距離」のことである。「交通」のことだ。
 たとえば花の匂いがする。そのとき、自己と外部は嗅覚によって結ばれ、嗅覚によって交通する。外部と感覚が密接に結びつくとき、つまり交通がスムーズなとき、自己は自己の肉体から解き放たれ、空間へ広がっていくことができる。豊かな距離が生まれる。これが「機嫌のいい」状態というものだろう。「抒情的」な状態と言い換えることができるかもしれない。
 今、安藤が感じているのは、そういう感じではない。それとは正反対の「不機嫌」な感じである。しかし、これもまた「アンチ抒情」という抒情である。抒情とは、自己と外部との「気分の交通(感覚の交通)」のことである。

 安藤のことばは、感覚の交通と、その時間における気持ちの有り様を、きわめて構造的に描き出す。揺るぎがない。「背中の痒みのようにわかっている」という行を中心に、世界を構造的に描いている。安藤の詩の安定感は、そうした構造の確かさにある。



 構造的な詩を書く詩人に清岡卓行がいる。「現代詩手帖」12月号には「ひさしぶりのバッハ」が収録されている。

懐かしいではないか
ひさしぶりの存在感。
いや 待て
どこか少し違うようだ。

 清岡は「少し」を丁寧に分析する。「少し」と感じられたものを拡大し、その内部に何が存在するかを明確にする。「少し」の構造分析が清岡の「詩」である。構造分析によって、内部は豊かに広がる。「少し」が「少し」ではなくなる。つまり、それは清岡自身の肉体となり、清岡自身を外部へと拡大する。そして読者は、その拡大された清岡の体にすっぽり抱きしめられたような感じになる。
 悲しい詩、切ない詩であっても、ほーっと生きが漏れるような安心感につつまれるのは、そのためだろう。

 清岡のことばは「少し」というような、ちぢこまった部分を押し広げ、ゆったりとさせる。「少し」のなかで精神はこんなふうに動いて行けるという導きとなる。
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詩はどこにあるか(100)

2006-01-02 14:22:04 | 詩集
 清岡卓行の「出発と到着」(「現代詩手帖」1月号)を読んだ後、大江健三郎の『さよなら、私の本よ!』(講談社)を読むと、清岡の詩の「結」の部分を急に思い出す。 「出発点と到着点」のずれのことを書いているわけではないが、大江の文章に次の部分がある。

 恢復期に入って、老年の自覚は動かしがたいものになるのに、古義人は自分のなかに、どこかおかしなところのある、もうひとりの自分が、カラー印刷のズレのように、ダブって実在していると自覚するようになった。(16ページ)

 清岡が

とにかく そのとき
笑うなかれ
夢の中止点はその開始点と
まったく同じ布団のなかであった。

と書くとき、やはり「ズレ」を感じているのではないのか。同じ布団と自覚するとき、同じではない何事かを自覚している。

出発と到着には時刻の差が
わずかながらあったことだろう。
また それらには気分の差も
いくらかはあったことだろう

 清岡自身のことばをつかえば「時刻の差」、「気分の差」が、大江の「ズレ」にあたるかもしれない。
 この「ズレ」にどう向き合うか。「ズレ」のなかの自分(清岡の場合なら、道を間違えてしまう自分)をどう制御しつつ楽しむか、そのわずかな差をどうやって濃密に描き出すか、描き出すことで楽しみ同時に抑制するかが詩のテーマかもしれない。

 私たちは、こころのどこかで知っているのだと思う。今ここにいる自分と「ズレ」てしまう自分がどこかにある。そして、その存在がなければ、実は人間ではなくなる。「ズレ」のなかにのみこまれてしまうのではなく、「ズレ」があることを自覚しつつ、今ここと「ズレ」のあわいを往来し、生きているということはどういうことなのかと問うのかもしれない。



  中村稔「冬の朝の食卓にて」(「現代詩手帖」1月号)には、そうした「ズレ」が「妖怪」として描かれている。

日光にあふれる朝の食卓を前にし、
私は妖怪が私の心を啄み私の体を喰いあらすに任せている。
私はやがて私という存在が消え去り
真冬の闇の中にまぎれていくことを願っている。

 この行を清岡のことばにつづけて読むと、「私」そのものではなく、「私から逸脱したもの」(たとえば、道に迷って出発点へ戻ってきてしまう私のなかの何か、あるいは旅の途中を、移動の時間だけを次々にさまよう夢のなかの私を突き動かす何か)、そういうものが私の死後にも残ることになる。
 たぶん、そうなのだと思う。
 そして、私たちが(私が、と書いた方が正確かもしれない)他人のことばを読むのは、自分自身がどんなところへ逸脱し、さまよい、また出発点である自分自身へどうやって戻ってきたかを確かめるためかもしれない。
 「詩」は、あるいは「文学」は、そうした道案内の働きをしているかもしれない。



 受贈誌4冊。
 米田憲三『ロシナンテの耳』(角川書店、歌集)。

リラ今朝をむらさき淡く咲かす窓 少女声あげて「桐壺」を読む

 「リラ今朝をむらさき淡く咲かす窓」といったねじれた翻訳調のことば運び、強引にイメージを展開することばの力業がつくりだすリズム。そこから生まれる叙情に米田の世界がある。

神の遊びの一つならむかパレットのエメラルドグリーンを溶かせるダム湖

 こうした世界は、どうしてもことばの数(?)が増えてしまう。その結果、日本語全体をつらぬくなまなましい律動が消えてしまう。目には鮮やかだが、耳にはうるさいという印象を持ってしまう。
 そうした作品群の中にあって、次の歌は印象がすっきりしている。「無防備」という固い表現(米田はこういう表現が好きである)もくっきりと立ち上がってくる。

無防備はわれのみならず駆けてゆく少女ら幾度も驟雨は襲う


 好きな歌を思いつくままに引用しておく。

明るみし静寂(しじま)を土鳩鳴き出でぬ今日より暑さ募る兆しか
耐えてきし永き時間を反芻する今際のきわの父の喉ぼとけ
能登は寒し 皐月と言いながらみずがね色に咲くさくら花
ジョギングの汗ひからせて近づける青年 冬の風となり過ぐ
変身もかなわぬにやがて雪は来む 小春日和を舞う白き蝶


 「孑孑」63号。田代田「どっちだ、」はリズムが生き生きしている。生きている呼吸を感じさせる。
 「六分儀」25号。小柳玲子「年の終わりに」の「部屋はあまりに小さかったので隅々まで西日に洗い出され コップ 壁の雨じみまで あかあかと夕日を孕んでしまうのだった。」という丁寧な描写と、最後の3行までの間にある「逸脱」は、清岡や中村が書こうとした世界に通じるものだ。「私はいつかほんとうにひとりになり 馬鹿らしいことに泣いているのだった」という行に触れ、あらためて涙(泣く)というものの存在意味を知らされた気持ちになった。
 「侃侃」8号。石川敬大が安藤元雄論を書いている。何を書いているのか(石川が安藤の誌をすきなのかどうか)が読んでいてまったくわからなかった。石川は最後に

わたしが冒頭で、安藤詩に対する入沢の評言の「重厚な」「本格的作品」のことばに疑義を感じたのも、安藤詩が獲得した、抒情というものが本来的に持っている、頼りなさ寄る辺なさといった特質とは相反する性質のものであるからではないだろうか。

は、特にわからない。安藤詩が獲得したものと抒情の関係がわからない。好意的に読むと、安藤の詩には、叙情詩特有の頼りなさ、寄る辺なさがあり、それは入沢のいう「重厚さ」「本格的作品」ということばと相反する、ということだろうか。
 私は抒情を「頼りなさ」や「寄る辺なさ」とはあまり関係がないと思うので、石川の論はなおのことわかりにくい。

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詩はどこにあるか(99)

2006-01-01 23:40:30 | 詩集
 1月1日の楽しみは「現代詩手帖」で清岡卓行の詩を読むことだ。読みながら、あれこれ考えることだ。2006年の作品は「出発と到着」。

散歩の到着点が
一時間ほどまえの
その出発点であったとは。

ひとつの方向をめざし
ほぼまっすぐ歩いたはずであるのに
そんな馬鹿げた
いや そんな愉快な
いやまた そんな不愉快なことが
日常の このいとしい生活に
あっていいのか

 歩いている途中で方向を間違えて出発点に戻ってしまうというのは多くの人が経験することかもしれない。
 清岡はこうした体験をきわめて静かに語り始める。

一九四〇年
大陸からやってきた
十八歳の受験浪人のわたしは
好天の秋の午後
東京の見知らぬ町に
すぐ 少しでも親しみたかったのだろう
暇をつくって
中央線中野駅の北側から
新宿に向かい
ほぼまっすぐのつもりの散歩をしたが
一時間ほどすると
行く手の街路の先に
中野駅の南側が現われたので
仰天した。

そこから自分の下宿まではすぐで
その点 気楽ではあったが。

 あまりに静かで淡々としたことば運びのために、どこに詩なのか、という疑問が浮かぶ。清岡の詩はいつもそうである。
 清岡の詩は、ある一行に「詩」があるというよりも、ことばの展開に「詩」がある。構造のなかに「詩」がある。
 一九四〇年の体験につづいて、清岡は一九四一年の体験を書いている。神田神保町から駒場まで歩いたつもりが神田に戻ってしまったと書いている。そして、その時の感想。

その場で電車に乗り
不安のなかを
まず 渋谷まで戻った。

 二つの体験の、二つの感想。この差異のなかに「詩」がある。一九四〇年は「気楽」であったが、一九四一年は「不安」である。「気楽」と「不安」の感情の間に、いったい何があるのか。いったい何を見落としているのか。それを清岡は丁寧にたどる。そして、その丁寧なたどり方、精神の、繊細な動きのなか、軌跡のなかに、清岡の「詩」は姿をあらわしはじめる。
 一九四二年には、清岡は「魔の山」を読み、主人公が清岡と類似の体験をしていることを知る。そして、感想。

わたしはその憤りと怖れに
懐かしいような共感を深く覚えたが
多くの人間には少なくとも可能性において
そんな舞い戻りがあるようだと
安心もした。

 「気楽」「不安」「安心」この精神の動きの間に、他人の経験への「共感」がある。「共感」が人と人を結びつけ、同時に「共有」されなかったものもあることを教える。中野駅から中野駅への舞い戻りを清岡と「魔の山」の主人公は共有したのではない。雪山に迷うことを清岡と「魔の山」の主人公は共有したわけではない。人は出発点へ舞い戻るという体験をすることがある、という、いわば動きを共有したのである。同じ体験というのは、実は同じ運動であると知ることが「共感」につながっている。

 ここからが、すごい。
 清岡の詩はしばしば起承転結の構造をとる。「魔の山」の主人公と体験を共有するところまでが、「起承」である。「転」で、清岡は夢、自分の見た夢を描く。それは出発点と到着点が同じであるという、それまで描いてきた体験とはまったく違う。出発点と到着点を欠いた、いわば中間の移動だけの夢である。

たとえば 昆虫の名前の駅で電車に乗ると
途中のプラットフォームで
その向かい側にいたバスに乗りかえさせられ
遠い海まで直行だと言われる。
(略)
さらにたとえば 自分の乗る汽船が
湖から不意に空中に躍りあがり
行く手に見える連峰のなかに
つぎの湖を求めて飛んで行くという
奇想天外の危険さ
そして おもしろさ。

 14ページの14行にわたる展開は、そこだけ取り出してみても詩と呼べる不思議な美しさがある。しかし、清岡は、そうした奇想天外な何かを「詩」とは考えていないようだ。感じていないというのだ。70代に入ったころから、清岡は、そうした移動の夢を本能的に拒み、目覚めるようになったという。

なぜかは知らない。

 このぽつりと挿入された1行。これこそが起承転結の本当の「転」であり、清岡のこの作品の「詩」である。
 「気楽」「不安」「安心」と軌跡を描いて動いてきた精神は、突然、「知らない」というところへたどりつく。

 この1行には、本当に驚く。清岡のことばから、私自身が放り出されてしまったような、驚愕としかいいようのない衝撃を受ける。

 人にはたしかに「知らない」としか言いようのないものがある。自分の感情、精神であっても「知らない」としか言いようのないものがある。
 それこそが「詩」である。
 「気楽」も「不安」も「安心」も他人に共有され、それぞれの居場所を見つける。そこに安住し、穏やかな詩になる。奇想天外の夢さえ、「おもしろい」という居場所を見つけだすだろう。
 だが、作者が「知らない」としか語らないものは、けっして共有されない。

 「結」は穏やかで、笑いに満ちて、しかし、ぞくっとする。

とにかく そのとき
笑うなかれ
夢の中止点はその開始点と
まったく同じ布団のなかであった。

出発と到着には時刻の差が
わずかながらあったことだろう。
また それらには気分の差も
いくらかはあったことだろう
暗さと明るさと。

よかったら
自分を批判することだ。
現実から
浮き上がっていたかいないか
浮き上がっているかいないか と。

 「気楽」「不安」「安心」は気分の差にすぎない。その差のなかにも私たちの「詩」はある。たしかに存在する。
 そして、それは点検しなければ見えないものである。点検することが「詩」である。そして点検するとき、必ず人は「知らない」という部分にたどりつく。たどりついて、踏みとどまる。「自分を批判する」。そのときこそ、本当に「詩」が、ことばをこえて立ち上がってくる。
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