詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

正津勉「羊歯」

2007-12-16 11:27:22 | 詩(雑誌・同人誌)
 正津勉「羊歯」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出「北冬」5号、2007年02月発行)
 正津勉の詩は妙にうさんくさい。たとえば「羊歯」。その1連目。

いちめん羊歯の群落のなか
わたしは何を考えているのか
いまその根方のそこに仰向けている
湿気た気色悪い背中の腐食土
薄緑にすきとおる葉裏

 「わたしは何を考えているか」。その「考え」ということば。こういう基本的なことばについての定義はあいまいである。考える、思う、感じる--は微妙に入り交じる。そういうあいまいな部分を利用して正津のことばは動いていく。
 羊歯の群落に寝転んでいる。その背中で「湿気た気色悪い」「腐食土」を正津は「考えている」のではなく感じているのだと思う。しかし、「気色悪さ」は「感じ」ではあるけれど、それを「気色悪い」と感じるかどうかは、実はそれを「気色悪い」と考えるかどうかという基準によっても違ってくるということができるので、かならずしも正津が「湿気た気色悪い」「腐食土」について「考えている」という主張(?)を否定できない。
 そういう部分、考える、感じる、思うのあいまいな部分へ正津はすーっと入っていくのである。
 「薄緑にすきとおる葉裏」にしても同じである。「すきとおる」と感じているのか、その透き通り方はたとえば太陽の光線と葉の厚みとの関係によってたまたまそうなっていると考えているのか断定できない。「すきとおる」と感じているのか、そう思うおうとしているのかもわからない。
 そのわからなさは、けれども、そこに書かれていることが複雑であるとか、専門知識を必要とするのでわからないというものでもない。むしろじめじめしたものの気持ち悪さ、葉っぱが太陽にすけてみえるということは誰もが知っていることであるからこそ、それを私たちが考えているのか、感じているのか、思っているのか、その区別がつかない。
 そんなあいまいさのなかへ読者をさそっておいて、2連目。

みはるかす湿原のいったい
わたしのほかに人影などはむろん
ただときおり鳥の声がとどくばかり
どこかで水が湧き流れるらしい
涼やかな音がしていて

 ここには多くのことばが省略されている。正津は、それを読者にまかせてしまっている。
 「みはるかす湿原のいったい」の「いったい」は何を言いたいのだろうか。「一帯」のことだろうか。1連目1行目に出てきた「いちめん」と同じ(あるいは類似した)意味だろうか。それとも「いったい誰がいるだろうか」ということばを引き出すための「いったい」だろうか。2行目「わたしのほかに人影などはむろん」は「むろんいない」という意味だろうか。
 「誰もいない」ということを正津が書こうとしているのだと仮定すれば、ここでもう一度「考える」ということばが問題になってくる。そこに誰もいないと「感じる」ならば、本当はそこには誰かいることになる。誰かがいるけれども、誰もいないと「感じる」。「思う」も同じだろう。誰かがいるにもかかわらず、誰もいないと「考える」ということも可能ではあるけれど、それは特殊な場合である。(たとえば、誰もいないと考えることで、たとえば感情を解放する。あるいは思考を集中させる。)ここでは、正津は状況から判断して、「誰もいない」と単純に「考えている」。
 1連目の「わたしは何を考えているか」の答え(?)は、いま、正津のまわりには羊歯があるばかりで、そこには誰もいないと考えているということになる。
 しかし、正津は、そんなことは書かない。誰もいないと考えていると書くことを拒絶し(明確な省略がそこにある)、かわりに考えていないことを書く。感じていることを書く。

ただときおり鳥の声がとどくばかり
どこかで水が湧き流れるらしい
涼やかな音がしていて

 鳥の声、水の音--それは聴覚(感覚)が感じることである。「涼やか」であるかどうかも感じである。考えたことは省略し、感じたことを「考えた」こととして提出する。そして、それは3連目以降へ読者を誘い込む方法でもあるのだ。

そよそよの風にゆらめく
ぎざぎざの葉先がこやみなく
むずがゆく眉をまた瞼をなでている
そんなまるで爪のようだったり
そうそれかと唇みたくも

 このはっきり言い切ってしまわない文体は2連目の「みはるかす湿原のいったい/わたしのほか人影などはむろん」を踏襲したものである。2連目では「考え」を書くことを拒絶し、3連目では「感じ」を途中までは書きながら最終的には拒絶し、宙ぶらりんにする。宙ぶらりんにすることで、たとえば読者自身の男と女の愛撫の世界を引き込む。そこには具体的なことは何も書かれていないから、読者は自分の体験で書かれていないことを自在に補うことができる。
 正津は、こういうあいまいさを詩ととらえている。
 え? 何? あ、そのこと? 知ってるでしょ?
 何も言わない。読者に勝手に言わせる。思わせる。いつでも、そんなことは言っていない。書いていない、と主張できる。
 湿原に誰もいない、とは書いていない。誰もいないと考えたとは書いていない。羊歯の葉先を爪のように感じたとは書いていない。唇みたいと感じたとは書いていない。考えたとも、思ったとも書いていない。そんなふうに読むのは読者の勝手だ。読者が(あなたが、つまり私・谷内が)自分の欲望をわたし(正津)のことばに託しただけでしょ、と正津はいつでも言えるのである。

 こういう手法を私は「うさんくさい」と言うのである。もちろんこれは、いい意味でそう呼ぶのである。
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平林敏彦「ある冬の光景」、新藤凉子「ひとひらの雪」

2007-12-15 10:54:23 | 詩(雑誌・同人誌)
 平林敏彦「ある冬の光景」、新藤凉子「ひとひらの雪」(「現代詩手帖」2007年12月号)
 詩人の書こうとしたものと私が読み取ったもの、感じたものが一致しているとは限らない。むしろ違っているだろう、と思う。違っていると思いながらも、その間違ったままの感想を、私はなぜか書きたい。
 たとえば平林敏彦「ある冬の光景」(初出は「詩学」2007年1、2月合併号)。

雪に埋もれた
釣り橋のたもとで目をさます
せせらぎは凍っているか
はるかな光りの破片は
暗く地平にこぼれているか

 ひとりさまよう精神の情景。「はるかな光りの破片は/暗く地平にこぼれているか」。その光と暗さの対比のなかに、生きる意思を感じる。その生きる意思が出会った生と死が平林を突き動かす。
 雪原の彼方に火葬場、あるいは、アウシュビッツのような場に平林を連れて行く。
 平林が何を書こうとしたのか、正確にはわからない。しかし、私は、ふとアウシュビッツ、行ったことのない場を想像したのである。
 特に、次の行に。

なにが眼前をよぎったのか
おびただしい数の虫のようなものが
ざわめきながら擦過していった
覚えているか そのとき不意に
背後から白い手が伸びてきて口をふさがれ
生きよ とおまえの耳元でささやいた

 声を上げることが死をもたらすときがある。上げた声が、そこに生きているものがいることを告げる。いのちが発見される。そして、発見されて殺されることがある。たとえばアウシュビッツで、その惨劇の場でひっそりと隠れているそのときに、声を上げることは隠れていることを発見してくれというのに等しい。何を見ても、何があっても、声を上げてはならない。それが生きるというとこである。
 「背後から白い手が伸びてきて口をふさがれ/生きよ とおまえの耳元でささやいた」。その手は誰の手であろうか。
 「神」の手だろうか。救いの手だろうか。「悪魔」の手だろうか。絶望へ誘う手だろうか。
 絶対にわからない何者かの手である。
 そして、それは常に平林を引き裂く。生と死に。平林のいのちがあるのは、そのとき声を上げなかった。生を、その一瞬において殺した体験があるからだ。生きるために、何かを殺す。「声」を「殺す」。「口」を「ふさぐ」。
 この体験が「冬」なのだ。
 平林の書いてるのは「象徴」としての冬である。
 平林が書いていること、体験が具体的に何をさしているかはわからない。「廃屋」「得体のしれぬあまい酸性の臭気」(ともに引用していない部分に出てくることば)が何をさしているか、わからない。わかるのは、平林がそれを具体的なことば、私たちの社会に流通していることば(たとえば、アウシュビッツ)では書きたくないと思っているとういことだけである。流通していることばをつかえば、「意味」は読者と共有しやすくなる。しかし、「意味」を共有した瞬間から、平林のほんとうに感じていることは失われてしまう。「意味」になりきれない、あいまいなもの。こころのなかにうごめいているもの。それをことばとしてとどめておく(ことばとして自分自身でしっかり抱きしめてみる)ためには、流通している「意味」を拒絶しながら書くしかないのである。流通している「意味」を拒絶しながら何かを書こうとすれば、どうしても「象徴」しかない。

 「象徴詩」というのは、たぶん、古いジャンル(?)の詩である。(そういう分類は、もうないかもしれないが……。)平林の詩が一瞬古い感じ、古いことばの運動に見えるのは、それが「象徴詩」だからかもしれない。
 だが、平林の「象徴詩」には「象徴」のなかでしか書けない何かがある。強い緊張感がことばを動かしている。それがあまりに強いので、たとえば私はその緊張感に引っ張られる感じで、アウシュビッツという幻を見てしまう。



 新藤凉子「ひとひらの雪」(初出「明日の友」165 号・冬、2007年01月)。
 ここに出てくる雪は、やはり象徴といえば象徴なのだが、平林の書く象徴とは性質がずいぶん違う。

このひとひらの雪にひとひらの思い出があると
このとしになって気づいたの
防空壕のなかで寒さと怖さにふるえていた頃
南方で戦死していた初恋のひとのために
ひとひらの雪
父や母が必死になって屋根の雪下ろしをしていた姿に
ひとひらの思い出
(略)
雪はかたまって降ってきません
ひとひらひとひら降ってくるのよ
わたしはこの土地から出て行きません
どんなに重く苦しくても
ひとひらひとひらの思い出のためにね。

 この雪は流通することを願っている。流通を願うからこそ「初恋」「父や母」という流通することばとともに書かれるのである。流通することで、読者を静かに、その流通の源へと誘うのである。

 詩には、流通することによってさらに輝くことばと、流通することを拒むことによって輝くことばがある。

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吉田広行「来るべきしろいノートのための、素描」

2007-12-14 10:44:12 | 詩(雑誌・同人誌)
素描、その果てしなさとともに
吉田 広行
思潮社

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 吉田広行「来るべきしろいノートのための、素描」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出は『素描、その果てしなさとともに』2006年12月発行)
 詩はひとつの破壊である。たとえば昨日取り上げた大岡信の「ニーナさん」には文体の破壊(破調)があり、「批評家」ということばの破壊がある。破壊の瞬間に、その破壊のなかから生成する何かがある。一種の自由がある。ことばが加速し、それまでのことばを超越していく。そういう動きがある。
 吉田広行「来るべきしろいノートのための、素描」はむしろ加速しない、加速を拒否するという自由を選ぶ。停滞でもなければ後退でもない。加速しないのだ。1行目からして象徴的である。

なにかに、遅れること。遅れることの、ゆるやかさにおいて。

 何かが先行する。それから「遅れる」。そして、「遅れる」ということばのなかで吉田はさらに「遅れる」。もう、先行するものなど、吉田の意識のなかにはない。「遅れること。遅れることの、」という繰り返しが明らかにするのは、吉田のことばが先行するものを追いかけることを拒絶し、「遅れ」のなかで、どれだけ「遅れ」続けることができるかを明らかにしようとする欲望である。「遅れ続ける」--その「持続」が問題になる。
 その「持続」のひとつの性質として「ゆるやかさ」がある。不透明さがある。速いものもとらえることはむずかしいが、「ゆるやか」なものもとらえることがむずかしいことがある。その動きが「ゆるやか」すぎると、動いているかどうかわからない。
 「遅れ」、しかもそのなかの「ゆるやかさ」。それはほとんど停滞に等しいかもしれないが、停滞ではない--そのことを明確にするために、吉田は句読点「。」「、」を多用する。それはまるで、吉田のことばが停滞しているのではなく動いていることを明確にするための刻印のようである。1センチ進んだ、2センチ進んだ、と定規ではかって、その1センチずつに印をつけているような感じで、句読点が差し挟まれる。

なにかに、遅れること。遅れることの、ゆるやかさにおいて。
あなたが、透明な、塵のうつわであることにおいて。
その、微かさと、やわらかさにおいて。
よろこぶ縁であり、かなしむ縁であること、において。

 4行目「よろこぶ縁であり、かなしむ縁であること、において。」の「こと」と「において」のあいだの読点「、」はそれまでの読点が1センチ刻みだとすれば、その1センチの下の単位、ミリの刻みである。1行目から3行目まで「……において」と繰り返すことで一種のリズムが生まれ、そのリズムの結果としてことばがリズムになれ、加速する。その加速を、単位を切り下げることで、もう一度「遅れ」のなかの「遅れ」へと遅れようとしているのである。(同じことが「……として」という形の行が繰り返される数行先にもあらわれる。)
 この吉田のことばにはもうひとつの特徴がある。「遅れ」は単位の切り下げだけではないのである。いま引用した4行だけからでもそのことは指摘できるが、読み進むと吉田自身が、その特徴を説明していることばが出て来る。

とるに足りない、にごり水のような、ものとして。木片として。
どこまでも続く、きれぎれの、接線として。

 「接線」の「接」。それは「接続」の「接」でもある。(詩の後半には「かろうじて接ぎたそうとする、ものだから」という「接続」にむすびつくことばのつかい方でもう一度つかわれている。)
 「遅れる」。そして、その内部においてさらに遅れ、その遅れを明確にするために、ひとつひとつを単位として区切りながら持続する。その瞬間にあらわれる「接点」。句読点は、単位の区切りであり、同時に接点なのである。
 「……において」と「……、において」という表現が明らかにしているは、ことばの接続のなかにも「接点」があり、それを意識することができるという意識の存在である。「……において」はかならずしもぴったりとくっついているわけではない。そこにも「接点」というものがあるのだ。ぴったりくっついているはずのものにも「接点」があるとすれば、くっついていないものにも「接点」があるかもしれない。いままで「接点」を認識できなかったものにも本当は「接点」があるかもしれない。そして、実際に、そういうものはあり、それは速いスピードでは見えて来なかった種類のものである。
 吉田は「遅れ」をさらに遅れ、どんどんスピードを微分化することで、新しい「接点」を見つけ出し、そこから「接線」を伸ばしはじめる。それは、もう最初に先行していた「なにか」とは無関係に広がっていく。そのひろがりに限界はない。果てしない。
 この無関係さ、あいまいさ、はてしなさ--明確なものを拒絶し、意味になることを拒絶する破壊力--しずかな破壊力に、吉田の詩がある。吉田は、「遅れ」ることで先行するものと吉田の関係を破壊し、同時に、遅れないで動いてしまったときは見えなかった存在を誕生させるのである。はてしなさを誕生させるのである。
 まねをしたくなるような、魅力的な文体である。


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大岡信「ニーナさん」

2007-12-13 12:01:34 | 詩(雑誌・同人誌)
 大岡信「ニーナさん」(「現代詩手帖」2007年12月号、初出は「文芸春秋」2007年01月号)

小柄な色じろの 青い瞳のニーナは
盗賊に惨殺された、スイスの山荘で。
宝石のコレクターとして有名な
彼女の宝石が目当てだつたが、
貴重な思ひ出のつまつた
夫カンディンスキーの絵は 手つかずだつた。
こんな変な絵は値ぶみさへできぬと
賊は転じて批評家として思つたのだ。
昔 セーヌを見下ろすヌイイのお宅で
逢つたことがある ニーナさん。

 「賊は転じて批評家として思つたのだ。」の「批評家」に詩がある。賊はもちろん批評家ではないし、批評家に転じたわけでもない。批評眼を持たなかった。宝石に対する「批評眼」は持っていても。
 その存在しない批評眼を「批評家」と位置づけて呼ぶとき、そこに大岡の批評が入ってくる。大岡はわざと、賊を「批評家」と呼んだのだが、その「わざと」のなかに、大岡の批評眼が入ってくる。宝石よりも絵の方がもっと価値があるのに、という批評が入ってくる。何も書いてはいないけれど。
 「わざと」のなかには、大岡の愛も含まれている。
 賊を「批評家」とわさど呼ぶとき、そこから人間が作り上げる芸術に対する愛があふれ、それがそのままニーナさんにつながってゆく。
 芸術を愛するとは「思ひ出」を大切にすることである。芸術とは、なにかに対する「思ひ出」が結晶したものである。「思ひ出」とは記憶であると同時に、精神そのものである。何を大切にするか、何に基準を置くかという精神そのものである。--そういうことを、一瞬のうちに、さっと言ってしまうために、わざと「批評家」ということばをつかったのだ。
 その定義が静かにニーナさんの記憶、大岡がニーナさんに逢ったときの記憶に結びつく。カンディンスキーの記憶に結びつく。カンディンスキーを大切にするニーナさんに結びつく。記憶が、大岡を、いま、ここではなく遠いヨーロッパへつれて行く。そして同時に、遠いヨーロッパを、過去を、いま、ここに呼び出し、宝石のように輝かせる。宝石は盗まれたが、けっして盗むことのできない「思ひ出」という宝石が、そのとき輝くのだ。

 不思議なことだが(そして、もしかすると不謹慎な感想なのかもしれないが)、あ、ニーナさん、あなたは殺されたけれども大切にしている夫、カンディンスキーさんの絵は盗まれず、いまもあなたとともにある。よかったですね、といいたくなるような詩である。殺されたのに「よかった」もなにもないのだけれど、そうした不幸のなかにも、哀しみではなく、静かな安らぎを呼び込む愛がここにある。芸術を愛するものの愛、共感というものがある。
 不幸なのに、悲しまなければならないことなのに、安らぎと、そして少しの笑いと。
 ほんとうにいい詩だ。いい追悼詩だと、しみじみ思う。



 この詩には、ほかにもびっくりさせられた。技法というと奇妙かもしれないが、ことばの動かし方が、この詩の短さ、そして「批評家」を中心としたことばのすばやい動きにぴったりと合っていることに、とても感心してしまった。(大岡のような大詩人の詩に感心してしまった、というのは奇妙な、というか、あたりまえすぎる反応なのかもしれないけれど……。)

小柄な色じろの 青い瞳のニーナは
盗賊に惨殺された、スイスの山荘で。

 この2行目の倒置法はとてもスピード感がある。1行目が頭でっかちというか、修飾語が重たくて、ゆったりした動きなのに、2行目で突然スピードが増す。改行しなければならない理由が、ここにある。「小柄な色じろの 青い瞳のニーナは スイスの山荘で、盗賊に惨殺された。」なら散文になってしまい、改行の必要はない。
 散文のスピードを超えること(散文のスピードを拒絶すること)で、ことばは詩になるのである。
 そして、この2行目の加速があるからこそ、それにつづく4行がいきいきと動く。2行目のスピードに乗って、通常の散文の文体を破壊して動いてしまう。その動きを自然なものに感じさせてしまう。

宝石のコレクターとして有名な
彼女の宝石が目当てだつたが、
貴重な思ひ出のつまつた
夫カンディンスキーの絵は 手つかずだつた。

 この4行は、これがもし散文なら、悪文である。主語がふたつあり、そのふたつの主語をつなぐための接続詞のつかい方が奇妙である。正確な(というか、論理的な?)散文ならば、「(盗賊は--これが主語)宝石のコレクターとして有名な彼女の宝石が目当てだつたので(「が」ではない)、貴重な思ひ出のつまつた夫カンディンスキーの絵には(「は」にすると、主語が盗賊から絵に変わってしまう) 手をつけなかつた。」になるだろう。
 「が」という逆説の助詞では、「宝石が目当てだったが、宝石には手をつけなかった」という文章にならないと奇妙である。「ので」という理由を説明することばなら、そのまま「盗賊」を主語にして、「絵には手をつけなかつた」とつながる。
 しかし、私が書いたような散文にしてしまうと、主語が盗賊のままのさばり、この作品の重要な主語(ニーナと同等の主語--映画で言えばニーナが主演女優なら、カンディンスキーの絵は主演男優)である「カンディンスキーの絵」がことばのなかに埋没してしまう。重要な主語を埋没させず、逆にくっきり浮かび上がらせるために、大岡は、わざと、文章を乱しているのである。文章の乱れ(破調)を利用しているのである。
 そして、この破調を破調と感じさせないための「誘い水」のような働きをしているのが2行目の倒置法なのである。倒置法という文法的に認められている破調で、読者の意識をほぐしておいて、さらに破調へと進んで行く。加速する。
 加速に加速を重ねることで、

こんな変な絵は値ぶみさへできぬと
賊は転じて批評家として思つたのだ。

 という、この詩のことばのクライマックスに達する。常識(散文的意識)ではありえない表現、「賊は転じて批評家として」に到達する。それまでの口語的な表現から、文語的な文体へとも転換する。
 それ以前の文、2行、4行が、いわば「起」「承」ならば、この2行は「転」である。
 この詩は明確な「起承転結」という形式で書かれているのである。

 そして、この形式ゆえに、この詩はとても静かで落ち着いていて、そこにゆったりと故人を思う気持ちをただよわせている。
 ほんとうにいい詩だ。すばらしい詩だ。

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中上哲夫「海蛍観察会」、白石公子「海岸沿いバス」

2007-12-12 09:59:22 | 詩集
 中上哲夫「海蛍観察会」、白石公子「海岸沿いバス」(「現代詩手帖」2007年12月号)
 抒情はどこへ行くのだろう、とふと思った。これは、抒情はどこからやってくるのだろう、と意味はほぼいっしょかもしれない。
 中上哲夫「海蛍観察会」の後半。

ざぶざぶと海へ入っていって
海水を汲んできた者がいて
防波堤のコンクリートにぶちまけると
青白く発光したのだった
威嚇や求愛のために光るのだという話だったけど
それだけではないように思った
風来坊にも定住者にもなれないわたしは
唐突に
宇宙の果ての波打ち際に打ち上げられた漂流物のような気がした
わたしだったら
さびしくて光るかもしれない、と

 行わけを利用した(?)、気のゆるんだような、緊張感のないことば運びである。その象徴的なことばが「わたし」の繰り返しである。前半には「わたし」は省略されて書かれている。
 書き出し。

秋の長い夜
海蛍を見に行った
ホテルの車で
妻と、友人夫妻と
アメリカ人一家と。

 日本語は「わたし」を省略する。省略して、そのかわりに周囲の人物を描く。そして、その関係のなかに「わたし」を塗り込め、隠してしまう。敬語が、その典型である。敬語をつかいわけることで、「わたし」の位置を「人間関係」そのものに変えてしまう。中上は敬語こそつかっていないが、中上は「わたし」を巧みに隠し、同時に、人間関係を描いている。「わたしの」妻、「わたしの」友人夫妻、という形で。さらにていねいにその「わたしの」そのものをいっそう見えにくくするために「アメリカ人一家」が登場させている。その一家は「わたしの」知り合い? それとも「友人夫妻の」知り合い? あいまいにすることで、「わたしの」の関与を完全に消し去ろうとする。
 そんなふうにして日本語の特質をいかしながら「わたし」を隠しつづけた中上が、突然、最後にきて2回もつづけて「わたし」という主語を書く。日本語をしばっていたひそかな規律がここで一気に乱れる。そのために、散文を行分けして書いただけのような感じの文が、いっそうゆるんだ感じがするのである。
 そして、そのゆるみこそ、中上の抒情である。「風来坊にも定住者にもなれないわたし」と中上は書いているが、ここにある意識は「わたし」の排除である。「わたし」から「わたし」さえ排除している中上。中上がどういう職業についているか、どんな生活をしているか、私は知らないが、自己を排除する(自己主張をしない)という生き方が身にしみこんでいるのかもしれない。その中上から、一瞬「排除」の意識が消える。「排除」しつづけてきた「わたし」が(すでに見てきたが、前半には実際に「わたし」はことばとして登場しない)、ふいにあらわれる。あらわれるだけではなく、まるで小学生の(初級の)感想文かなにかのように「わたしだったら」と言い出すのである。「だったら」と仮定のなかへ逃げ込みながら、自分の思っていることを語るのである。「かもしれない」と、仮定を完結させ、「わたし」に一定の「枠」をあたえる。まるで、それは「ほんとうのわたし」ではなく、あくまで仮定、空想にすぎないと明確にすることで、もう一度わたしを「排除」するかのようである。
 しかし、それはわたしを「排除」しながら、同時に「排除」の構造(仮定形)を強調することで、「わたし」を静かに提出する巧みな方法なのである。
 「さびしくて光る」というような、この1行だけを取り出すと、もうどういっていいかわからないような、つかいふるされたような抒情のことばは、中上の「わたし」の「排除」という構造があってこそ、それこそ静かに光を放つのである。
 中上は、抒情を取り戻すひとつの方法を提示したのだといえる。



 白石公子「海岸沿いバス」。比喩におもしろい部分があった。

ほどけることだけを夢見るセーター
転がる毛玉を追いかけるバスに揺られ
海が見えてくると毛玉の先は
ふらつく初冬の蝶を追って上空へ
編んではほどき、ほどいては編んで
しずくをまとう毛糸の雨
海面がオルゴールの張りではじかれたように波打つとき
入り江の曲線は、点字の地図をなぞりながら
ほどけてゆく

 「海面がオルゴールの張りではじかれたように波打つとき」。これは形の描写なのだが、ちいさな音楽を運んでくる。記憶のなかの音楽を運んでくる。そして、それは中上の詩がかくしていたように「わたしの」音楽である。他人のもの、あるいは誰のものでもない音楽ではなく、「わたし」が聞いたオルゴールの音なのだ。
 白石の聞いたオルゴールと、私が聞いたオルゴール、そして他の読者の聞いたオルゴールはそれぞれ違うだろう。しかし、それはまぎれもなく「わたしの」オルゴールであり、そこに「わたし」が隠されている(たとえば、特別な曲をあげることで「わたし」を強調するようなことを白石はしていない)。「わたし」が隠されているがゆえに、それぞれが「隠されたわたし」を重ね合わせることで、「わたし」を消し、抒情そのものとして、その瞬間に存在する。
 一瞬を利用した、短い時間を利用した抒情である。長編詩では、こういうことは、たぶん不可能である。

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椎野満代「秋刀魚」、岡野絵里子「永遠の一日」

2007-12-11 11:06:36 | 詩集
秋刀魚
椎野 満代
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発語
岡野 絵里子
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 椎野満代「秋刀魚」、岡野絵里子「永遠の一日」(「現代詩手帖」2007年12月号)
 「現代詩手帖」の「アンソロジー2007」に収録されている。椎野満代「秋刀魚」は2006年11月発行の『秋刀魚』のなかの1篇。

あの男のネクタイは活きがいい
頭から尾ヒレまで
ぴしりと糊のきいた
サンマ

都会の潮の流れは速い
大きな
時代のうねりにのって
タイミングよく回遊し
商談は
やはり
相手のネクタイのサンマの
捕獲にかかっている

首をしめられたまま
くたびれた男の多いなか
あの男だけは
なにやら
サンマと交渉しながら
気運の高まりの絶好調のとき
めでたく
成立の判を押す
人のきもちの潮の満干(みちひ)も心得ている

 やり手商社マン(?)をネクタイに焦点をあてて戯画化している。ただネクタイを描くだけではなく、さらにネクタイを「サンマ」に戯画化している。2度戯画化することで、ことばが軽くなっている。スピードもアップしている。この軽さとスピードが詩を支えている。それこそ、「活きのいいサンマ」のようである。
 タイトルを「秋刀魚」と古臭く書きながら、本文では「サンマ」とカタカナにして「意味」を剥奪してしまっているのも、とてもいい。本文が「秋刀魚」のままだったら、スピードが鈍って、重くなったに違いない。「ぴしりと糊のきいた」というばかげた比喩(ネクタイはワイシャツではないし、いまどき糊のきいたシャツでもないだろうし)でつまずいてしまうが、「秋刀魚」ではなく「サンマ」であるために、軽くジャンプして、躓きの石を、逆に不規則な(変化に富んだ)リズムにしている。楽しいものにしている。



 岡野絵里子「永遠の一日」(『発語』2006年11月発行)は、椎野の軽さ、スピードとは違った場でことばを動かしている。

雨が降りはじめたようだ
葉を叩く水の音がする


 私は柔らかい灰色の下にいて 長い一日の物語を書こうとしている

 1連目のあとの2行アキ。1行ではなく2行にこだわる呼吸。これは速さと対極にある。わざと減速するのである。スピードを落とし、世界のなかへ、自分の世界のなかへ沈んで行く。自分から出ていかないために、1行アキのをと、もう一度1行アケ、ことばの通路を閉ざすのである。
 さらに「柔らかい」「灰色」ということばによって「あいまいな距離」を増幅させ、そのうえにさらに「長い」「物語」と現実世界からどんどん遠ざかることで、その遠さのなかにこそ岡野の「現実」があると言うのである。
 この「距離」の取り方は、1行目「雨が降りはじめたようだ」の「ようだ」のなかにすでに存在している。
 「雨が降りはじめた」ではなく「ようだ」と距離をおく。テーマは岡野の外の世界ではなく、岡野の内部なのである。「ようだ」と感じるこころなのである。

雨粒は地上に触れる直前に 翼をたたみ そっと爪先を揃える

 光がこの地上のものとなる その瞬間を 私は見ていたい 降りてきた言葉の爪先が私に触れる

 これはもう、現実の世界ではなく、岡野のことばによって何重にも隔離された岡野の内部である。何重にも隔離された内部世界であるからこそ、「雨粒」の「爪先」と「言葉」の「爪先」が見分けがつかなくなる。岡野には明確な区別があるのだろうが、読者は(私は)、その区別がわからない。同じものに見えてしまう。「雨粒の爪先」=「言葉の爪先」であり、それは1行目の「ようだ」によって初めて成り立つ世界である。
 「永遠」は岡野にとっては「ようだ」と言ったその瞬間にはじまり、岡野の内部で広がって行く--岡野を超えて行くもののように思われる。

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粕谷栄市「大鴉」

2007-12-10 10:23:22 | 詩(雑誌・同人誌)
 粕谷栄市「大鴉」(「ガニメデ」41、2007年12月01日発行)
 「故吉田睦彦氏に」と献辞がついている。戦地の病院で知り合ったひとらしい。

 いつも黒ずくめの洒落た格好をして、片脚で立っている男がいて、気がつくと、私に見えるところにいる。

 この冒頭の1行が、後半で変奏される。

 そして、死ぬ前に、是非、彼の故郷の島へ行くべきだと、言っていた。何でも、その島には、とても美しい森がある。沢山の鴉が、全て、片脚で立って、そこに眠っている。人間は、一度、それを見るべきなのだと。
 (略)
 彼を見ると、私は、親指を立てて、合図を送ることにしている。その瞬間、この世では、とっくに死んでいるはずの二人が、どうやら、まだ生きているのである。

 思い出すこと--思い出すたびに生きる。そういうことが静かに、ていねいに語られている。
 そして、この静けさを演出しているは、「何でも、その島には、とても美しい森がある。」の「何でも」である。「何でも」が、それからつづくことばを、真実と受けとってもいいし、ただ「あ、そう」と聞き流してもいい、嘘だと思ってもいい、という感じをかもし出す。
 粕谷は、その本当かつくりごとかわからない話を、そして真実と信じて書いているわけでもない。やはり同じように、真実と受けとってもいいし、そうでなくてもいい、という感じで書いている。ただし、その真実であるかどうかわからないものを、粕谷は吉田とかさねる。真実であるかどうかわからないが、そのことばを語ったということだけは真実だからである。
 「何でも」は、その吉田が語ったということ、吉田がいたということ、吉田の存在の真実を静かに提示することばである。そして、それは吉田を信じるということでもある。

 この「何でも」を粕谷の作品自体もつけくわえてみたい衝動に、私は襲われる。最後の部分である。次のように。

 「何でも」彼を見ると、私は、親指を立てて、合図を送ることにしている。「何でも」その瞬間、この世では、とっくに死んでいるはずの二人が、どうやら、まだ生きているのである。

 粕谷のこの詩は「何でも」の世界なのである。確かなのは、粕谷がいるということ。そして吉田を思い出しているということだけである。吉田と粕谷がどんなふうにして世界に存在しているかは「何でも」の世界である。
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山田まゆみ「履歴」

2007-12-09 11:43:03 | 詩(雑誌・同人誌)
 山田まゆみ「履歴」(「ガニメデ」41、2007年12月01日発行)
 山田まゆみの「履歴」の書き出しの2連は衝撃的である。

激しい嘆きは嬉々とした心の跳躍に変わることを鳥は知っている

ここから見上げると中天にひとつの黒い影
鳥があのようにいつまでも高みにいられるのは
密度の濃い哀しみの堆積があの鳥の胸毛あたりまでせりあがっているからです
海のように深い空をこわくないのは悲哀が満ち満ちているからです

 こんなふうに抒情詩が成立することが、私にとっては衝撃的であった。「中天」に「ひとつの黒い影」として存在する鳥--それはどんな鳥かは名前が明らかにされていないが、どんな鳥でもいいのである。抽象としての鳥である。いわば象徴である。こういう存在は肉眼で見えていても、実は肉眼でとらえているわけではない。「頭」でとらえている。だからこそ、肉眼では見えないものが、その鳥の本質として提示される。

密度の濃い哀しみの堆積があの鳥の胸毛あたりまでせりあがっている

 遠い中天の黒い影にすぎない鳥の「胸毛」とはどんなふうに見えるのか。見えはしない。地上からは見えはしない。それでもそう書くのは、実は山田が鳥を見ていないからである。もとより抽象の鳥である。見えなくてもかまわない。
 見るかわりに何をするか。山田は鳥になってしまうのである。鳥になる夢を見るのである。それも楽しい夢ではなく、切ない夢を。
 山田の哀しみがとても濃度の高いものであり、それが山田の胸のあたりまでこみ上げてくれば山田は鳥になって空に止まっていることができる。激しい哀しみがあれば、そしてそれが胸までたまってくれば、こころはその哀しみを土台にして中天に存在することができるのである。
 
 鳥は雀でもツバメでも鳩でもワシでもタカでもない。鳥である。鳥という抽象である。抽象であるからこそ、それは山田のこころを矛盾なく吸収し、純粋になる。そうして純粋なものは、どんな矛盾(?)というか、かけ離れたものでも平然と結びつけることができる。

海のように深い空

 いま、そこにないものを引き寄せ、抽象のなかで、かけ離れたものと結びつくことで、いまという場と時間を超える。そして、感情になる。中天、その高み。海、その深み。その高みと深みを結んで広がる哀しみ。それが一瞬、鳥に結晶する。鳥の「胸毛のあたり」に結晶する。

 一方で山田は「日々のうた」で結晶化を拒んだ哀しみも描いている。

何度も追いやられてここにたどりついた
わたしをここへ追いやったあの人は
こうすることで自分自身の辻褄を合わせたのでしょう
わたしの知らないところで
耐えきれない思いに耐えてきたからにちがいありません
もう行くところはないけれど
もしふたたびあの人が望むならここもあけわたすでしょう

 「ここ」さえも失って、山田は鳥の「胸毛のあたり」という他人のやってこない場所で哀しみを結晶化させる--そういう抒情を生きている、生きようとしているということかもしれない。


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スザンネ・ピア監督「ある愛の風景」

2007-12-08 12:38:29 | 映画
監督 スザンネ・ピエ 脚本 アナス・トーマス・イェンセン 出演 コニー・ニールセン、ウルリッヒ・トムセン、ニコライ・リー・コス

 デンマーク版「ディアハンター」という内容の映画だが、印象はまったく違う。戦場よりも家庭に重心が置かれている。夫がアフガニスタンへ行く。戦死の知らせが届く。女がこども二人をかかえて生きている。その女と、夫の弟が親しくなる。こどもたちも弟にこころを開いて行く。そこへ戦死したはずの夫が帰ってくる。過酷な体験が夫の人格を変えてしまっている。女とも、こどもたちとも距離ができる。その距離、家庭のなかの「空気」のゆれをこの映画はていねいに描いている。
 どんなことでもそうだが、影響が一番大きくあらわれるのは弱者である。この映画ではこどもである。こどもには理解できることと理解できないことがある。「頭」で、いま起きていることを整理できないことがある。しかし、「頭」では整理できないが、「こころ」がなにかを感じとってしまい、「頭」を経由しないで、「こころ」が肉体を動かしてしまう。
 アフガンに出兵する前、最後の別れのシーンで、二人のこどものうち、姉の方が父に距離をとる。うまく「いってらっしゃい」が言えない。きちんと「いってらっしゃい」をいわなければならないのはわかっているが、言えないのだ。
 戦死の知らせを受けての葬儀のシーンにも似たシーンがある。姉は喪服を着ることを拒む。父の死を受け入れたくないのだ。母は最初、姉に喪服を着せようとするが、あきらめる。そして、母自身も喪服を平服に着替え、葬儀に参列する。
 このあたりから、こどもたちが母親の思いを代弁する形でこの映画が展開していることがわかる。
 妻は帰ってきた夫の異変に気がつく。だが「頭」で夫は戦場で特異な体験をしてきてその影響を受けている、それを受け入れなければならない、と判断し、行動する。一方、こどもたちは、父親が前にもまして「かたく」なったという印象だけをもち、とまどう。冗談も通じなくなる。うまくなじめない。こわい、と感じるようになる。たのしく遊んでいたぶらんこも、父の姿を見ただけで、遊べなくなる。こわくて、身構えてしまうのだ。
 そして、家族団欒の場で、父と母のあいだを裂くような嘘までつく。
 これは、すごい。すごい脚本である。
 いちど壊れかけたものは徹底的に破壊してしまわなければ、きちんと組み立て直すことはできない--という人間関係をテーマにして、その重要な役割を、こどもの傷つきやすいこころに代弁させる。本能的な嘘までつかせる。その嘘は、父の疑念そのものをことばにしたものである。誰かがそれをいわなければならない。父が言わない。だからそれをこども(姉)が言う。また女がこころの奥底に隠している夢でもある。こどものなかで、そのこころのなかで「頭」では理解できないおとなたちの「声」が入り乱れ、出口をもとめて暴れている。それは、いわば、家族全体のピリピリした空気そのものなのである。
 男と女がいる。そのあいだにある「空気」(雰囲気、関係がつくりだすさまざまな距離)。男と女のあいだにこどもがいるとき、こどもは「空気」のように二人の関係を浮かび上がらせる。そして、そのこどもの「空気」、濃縮した「空気」は「頭」で整理されていないだけに、直接的に大人の肉体に触れてくる。おとなの肉体の発するものを増幅させる。
 (こうした関係は、別の部分にもあらわれる。男はアフガンで捕虜と出会う。その男は非常に弱々しいが、それはそのまま、かれがデンマークに残してきた乳飲み子の息子の反映である。)
 男と女、戦争と男--を描いているようで、そこにこどもをていねいにもぐりこませることで、それは男と女を超えて、家族を描き、そのまま世界を描いている。国家を、世界を射程にいれた脚本であり、それを声高にならず、常に男と女の関係にひきもどしながら、ていねいにていねいに映像を積み重ねる。
 俳優陣も、男を女を演じながら、そのこどもの視点、こどもの欲望のようなものを吸収し発散させるようにして「空気」そのものをつくりだしている。
 男が刑務所に入り、女が男に会いに行き、その異質な「空気」のなかで、もう一度「空気」をつくり直す--その過程をとてもていねいに描いたいい映画だ。

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阪本つや子「くず芋(一九四四年)」

2007-12-08 11:17:13 | 詩(雑誌・同人誌)
 阪本つや子「くず芋(一九四四年)」(「すてむ」39、2007年11月25日発行)
 戦時中の「買い出し」の体験を書いている。その2連目。

 小さい噛みに描かれた地図の皺を伸ばすと道はそれだけ伸びる

 この1行にこころを奪われた。遠いのである。その遠さが、地図を広げた瞬間、目に見える形になって迫ってくる。地図を広げようと広げまいと、実際の道は伸び縮みはしない。けれども肉体のなかで伸び縮みをする。伸び続ける。

 小さい噛みに描かれた地図の皺を伸ばすと道はそれだけ伸びる いつも足の裏が燃えた 口の奥に湧水の夢の音がする

 伸びた道は肉体の感覚を、その道に沿って伸ばす。道を歩くのか、肉体の記憶を上書きするように歩くのか。その肉体の、上書きの、上書き。常にいまある肉体の感覚を、より苦しい感覚で塗り替えていくことができたときだけ、いのちはつながる--そういうことを阪本はていねいに書き続けている。地図の皺が伸びるように、肉体の感覚の皺も常に伸ばされ、その触手はつねに新しいものをつかんでくる。知っているけれど、常に新しい苦しみと、それを乗り越えるための夢、そうした夢が覚醒させるさらなる苦しみ、悲しみを。--それはたたまれ、伸ばされ、さらにたたまれては伸ばされる地図のようでもある。
 「買い出し」が成功したあとは、次のように描かれる。詩の最終行。

夕暮れの帰路は近く荷は軽く耳の後に翼の透明な羽搏きが聴こえた

 実際の道は同じ距離でも、それは短く感じる。そして芋を背負っているから実際は荷は重いはずなのに、逆に軽く感じる。買い出しが成功しなかったら、袋が空っぽでもそれは重く感じる。--そうした肉体の感覚がていねいにあがかれているからこそ、途中にはさまれる批判が力あふれるものになる。

お国の為だって? お国ってなんなの? あたし達の為じゃないみたい

 「お国」は肉体を持たない。戦場への距離は肉体ではなく「数字」ではかられる。戦場での肉親の死は血のつながりを、肉のつながりを無視して「数字」で語られる。戦場から離れた日本の国内においても、人間はひとりとひりの肉体を持った存在ではなく「数字」で語られる。
 そうした「数字」を乗り越えるために、肉体が必要である。ことばは常に肉体をくぐりぬけることで真実になる。真実は「お国」の数え上げる「事実」とは異なる。そのことを阪本の詩はいつも語りかけてくる。

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三井葉子「冬」

2007-12-07 09:48:55 | 詩(雑誌・同人誌)
 三井葉子「冬」(「楽市」61、2007年12月01日発行)
 1連目がおもしろい。

曲り角を
曲ってから
ふと 思い出した
胎児と話しているお母さん
を 思い出した

 「思い出した」の繰り返し--それが奇妙におもしろい。ただ単に思い出すだけではなく、繰り返すことで思い出の中へ入っていく、そうすることで思い出そのものが変質して行く。そんな予兆のようなものが、この繰り返しの中にある。「思い出した」ということばは同じだが、最初の「思い出した」と繰り返された「思い出した」は何かが違う、という感じがする。
 この微妙な「ずれ」のようなものは「曲り角を/曲ってから」という書き出しからはじまっている。「曲り角」「曲って」という重複のなかに、「角を曲がる」を超えるなにか、角をまがる行為の中にある意識--どこかいままでとは違ったところへ行く、迷い込んで行くという予感のようなものがある。
 「思い出した」はこの詩の中では、あと2回繰り返される。

波動は胎のなかも
すうい すういと通り抜けるが

胎児がうずくまっていると
そこが発信所になるのを
思い出した

胎児はひげもあって ぬるっとしている
それがいるとむこうが
見えない

生き物が波動の発信所だったのを思い出した
わたしは生き物は波動の中継地だと思っていた

 「思い出した」は2回繰り返され、それから突然省略される。「思っていた」--ことは正確には「思っていた」ことを「思い出した」である。
 三井の「思い出した」は正確には「思っていた」ことを「思い出した」という形をとっている。それがはっきり自覚されずに、1連目では「思い出した」が5行のあいだに2回繰り返されるのだ。そして「思っていた」ことを「思い出した」とわかった瞬間から、「思い出した」は省略される。
 そして、飛躍する。「思っていた」ことの世界、「思い出す」を突き抜けて、「思い出」、あるいは「思い」そのもののなかへ侵入していく。
 その部分が非常に美しい。

あのね

角を曲る

まあ
こんなところで
眠って

お母さんが
抱き上げると
濡れていた

あれはいつごろだったのだろう
カンナ屑のなかで眠ってしまって
目が覚めたら
光が
ぽたぽたと
落ちていた
冬。

 「思い出した」がここでは省略されているが、それは「思い出した」と意識しているからではなく、三井自身が「思い出」(思い)のなかに没入し、そこでは胎児のように純粋ないのち、母親に守られて世界のなかへ飛び出してきた誕生の一瞬として存在しているからである。
 詩の前半と後半を分断し、同時につないでいるのが「思い出した」ということばの省略、三井の意識の変化である。
 最終行の「冬。」の句点「。」もとてもいい。世界が完結する、その一瞬の美しさが句点のなかにある。

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谷川俊太郎「ほたる」

2007-12-06 11:55:38 | 詩(雑誌・同人誌)
 谷川俊太郎「ほたる」(朝日新聞・西部版、2007年12月05日朝刊)
 朝日新聞(西部版)に谷川俊太郎が三重県のいなべ市立立田小学校でやって授業が紹介されている。「オーサー・ビジット(こんにちは作者です!)」というページである。
 小学生を小学生としてではなく、ひとりの人間として、きちんと向き合っている。そのことが短い文章から伝わってくる。途中を省略して引用すると。

 「きょうは全員で詩をつくりましょう。まずはアクロスティックをやります」
 (略)
 「え? 何それ?」
 でも谷川さんはおかまいなし。

 この「おかまいなし」の部分に、谷川らしさがでている。相手が小学生でも小学生としあつかうのではなく、ひとりの人間、詩人としてむきあっている。「アクロスティック」ということばなど、意味はない。そんなことは実際に詩を書けばわかる。「アクロスティック」ということばは忘れても、実際につくった詩ならきちんとわかる。そのすべての行を記憶できなくても、どんな特徴をもっていたかはわかる。その特徴をくだくだと説明するのが面倒なとき、ひとは「アクロスティック」ということばをつかうだけであって、それがどんなことばであるかなど関係ないからだ。
 「アクロスティック」からはじまった授業は、小学生に思いつくことばを言わせて、それを拾い上げて、次の詩になる。

ほうせきかな?
たつたのろうかでひかってる
るすばんしてるよ だれ?

 いちばん上の文字をつなげると「ほたる」になる。これが「アクロスティック」という次第。
 それにしても、いい詩だなあ。
 ことばが動いている。ことばをしばるものが何もない。まるで初めてこの世界に登場し、よろこびと不安をかかえて、そのまま冒険にでるみたいな動きである。詩とはことばの冒険なのだ、ということが、この3行からも伝わってくる。谷川の詩は、すべて冒険なのである。
 この冒険のことを、谷川は、つぎのように小学生に説明している。

 「自分の気持ちや心をそのまま書く詩もあるけれど、自分の気持ちと関係ない色々な言葉を集めて、組み合わせて作り上げていく詩もあるんだ」

 これは西脇順三郎が主張した「態と」に似ている。詩は自分の気持ちを書く必要がない。むしろ、自分の気持ち、自分が感じていることを書かないことが詩なのである。自分が感じていないが、こんなふうに感じることができる、という可能性(冒険)を書くことが詩である。
 次に谷川はみんながやりたいと思っていることをいわせ、それを一篇の詩に仕上げる。

立田小4年生の「やりたい」の詩

空の上に土地を作りたい
空で雲を食べたい
世界をほろぼすためにブラックホールをぬすみたい
たねをまいてうちゅうに花をさかせたい
せなかにはねをつけて大空をとびたい
地めんの中にともだちとへやを作りたい
おかしの家を作ってたべてみたい
かぞくといっしょに天国にいってみたい
ともだちと家でばればれひみつきちを作りたい
木の上に家をつくりたい
ともだちといろんなところにいけるよう
 とうめいマントをもらいたい

 思い思いの1行が並べ替えられ、並べられることで詩になる。まったく別なものが出会いながら、それまで存在しなかった世界を浮かび上がらせる。どんなにかけはなれたものであっても、ことばなら、その別々のものをすぐとなりに並べることができる。そして、そうすることで新しい世界が誕生する。

 これは超絶技巧で書かれた「詩論」である。

 それにしても、と思う。
 この11行の詩は小学生が「やりたい」と思ったことばを並べたものだが、そこに侵入(?)している谷川の「思い」の根深さが、当然といえば当然なのだけれど浮き彫りになっていて、とても興味深い。
 この詩が成立するまでの過程を新聞では、谷川が「やりたいと思ったことを言ってみよう」という誘いから書きはじめ……。

 すぐに手が挙がって「土地が欲しい!」。「それじゃあ、変な大人みたいだ。どんな土地かを考えてみよう」と谷川さんが苦笑しながらアドバイス。やがて11人の夢が並んだ「『やりたい』」の詩が生まれた。

 「アドバイス」が自然に小学生を谷川ワールドに引き入れているのである。宇宙と孤独。そして孤独ゆえの「ともだち」(つながり)をもとめる祈り。離れて存在しながら、よびかけあう心。「冒険心」--それは、「ほたる」にもあらわれていた。見知らぬ人に「だれ?」と呼びかけ、接近しないではいられない思い。そのとき両者のあいだに広がる無限の宇宙。近いけれど、遠い。遠いけれど、近い。
 小学生の前で、生まれたままの、裸の状態の谷川がいる。裸でむきあうこと--それが他人と対等に向き合うこと、詩の出発点だと谷川は言っているように思える。
 そうした出発点が見える授業のレポートである。

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司茜「若狭 小浜公園展望台にて」

2007-12-05 11:59:14 | 詩(雑誌・同人誌)
 司茜「若狭 小浜公園展望台にて」(「楽市」61、2007年12月01日発行)
 地村保志さん、濱本富貴恵さん(「富」は正確には「ワ」冠)のことを描いている。そのなかほど。

先生は縦け
私は横やで
富貴ちゃんが言うたんや

子宮筋腫の手術の後の傷の話やけんど
それを聞いた時 泣けたで
わけのわからへん国に二十四年もおって
どんな苦労したんんやろ
まだまだ話されへんこといっぱいお腹に持って
ほんまに小さい頃から不憫な子や
もう何にも思い出さんでええ
静かにしとったってほしいんや
しあわせになってほしいんや

 こうしたことばに出会った時、私は不思議な気持ちになる。「先生は縦け」の「け」は疑問の「か」が訛ったものである。方言である。口語である。それは、たとえば西脇がいったような「わざと」を含まないことばである。「わざと」いうのではなく、ほんとうに思っていることを思っているままに書いているのである。特に、それまでの標準語から方言(口語)まじりになった部分(引用部分)は思っていることをそのまま書いたことばである。思っていることを「わざと」そのまま書くことによって、思っているということを強調しているといえば言えるのだけれど、その「わざと」は、「思っていないこと」を書くときの「わざと」ではない。それがちょっといやなのである。

もう何にも思い出さんでええ

 この深々としたことば、それが「わざと」書かれたものならばいいけれど、「わざと」ではないと思う。それがちょっといやなのである。



 きのう取り上げた古賀忠昭の『血のたらちね』の全編は「わざと」書かれている。そこに書かれている「母」や「父」は「わざと」書かれたものである。繰り返し繰り返し繰り返し同じことを書く。「わざと」書く。そんなふうに「わざと」書かなければ、書くことによってことばを延々と積み重ねなければたどりつけないものがあるからである。繰り返される同じことばを次々に削除して行けば簡便なストーリーが浮かび上がるが、その簡略化したストーリーは古賀が書きたいものではない。古賀はそこで語られている特異な「内容」をつたえたくて書いているのではない。「内容」ではなく、その「内容」(意味)のまわりにうごめていいるつかみきれない黒々としたもの(ときには黒光りさえするもの)を、うごめきのまま、そしてその力強さのままとらえようとして「わざと」読みにくく書いているのである。
 読みにくく書くことのなかに、古賀の詩がある。そしてそれが「現代詩」とつながる。
 私の書いていることは、たぶん司には伝わらないかもしれない。

 --これは、雨意味で、古賀の詩の魅力を補足するために書いた文章である。司の詩を利用して申し訳なかったかもしれない。

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古賀忠昭『血のたらちね』

2007-12-04 02:26:20 | 詩集
血のたらちね
古賀 忠昭
書肆山田、2007年10月30日発行

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 「ちのはは」「血の父」「血の遠景」の3篇。どの詩も壮絶である。すでにこの日記で何回か書いているので、今回はこれまで書かなかった部分について書く。
 私はたとえば「血の遠景」の「39」の部分が好きである。

 母の極楽の話は貧困だった。ただ「くうて、ふろはいって、ねる」たった、それだけだった。でも、いまになって思うと、なんてしあわせな、ほほえましい極楽だろうと、涙さえでてくる。極楽は単純なほど、いい。

 古賀が書いている世界と私の生きてきた世界はそっくりそのままのかたちでは重ならないが、この「母の極楽の話」はぴったり重なる。私はそういう母を「物語」としてではなく、現実に知っている。古賀の母が実際にそれをことばにしたのに対し、私の母はそれをことばにしなかった。ことばにしないけれど、そんなふうに生きていた。

 あらゆる生活には、それをことばにして生きる生活と、ことばにしないで生きる生活がある。あるいは、あらゆることばにはことばとして言えることばと、ことばにはなれないことばがある。ひとがことばを語るとき、それは語れることばを語っているだけであって、ほんとうに感じていることばは別にある。あることばが語られるとすれば、それはそのことばを語ってもいいと、そのひと自身が判断したからである。
 つまり、何かをことばにして生きる生活があるからといって、生活のすべてがことばになるわけではない。古賀の母は「ままくうて、ふろはいって、ねる」という生活を「極楽」として語ったが、そうした生活を「極楽」と呼ぶとき、その語られたことばの奥には、さらにことばにならない無数のことばがある。それを「極楽」と呼ぶときの、ことばにならない思いが渦巻いている。肉体の奥に。
 私の母の語らなかったことば、いつも声に出そうとして出せなかったことばは「ままくうて、ふろはいって、ねる」ことが「極楽」である、ということだが、古賀の母の場合は、それを突き抜けている。古賀の母は「ままくうて、ふろはいって、ねる」はことばにできるが、その奥のことばはことばにできない。それがことばにできないからこそ、それを語る変わりに「くうて、ふろはいって、ねる」というのである。
 そして、その語ることのできることばは、古賀の母の周囲、つまり古賀の周囲によって共有される。それを共有することによって、古賀の母の周辺にいる人々、古賀をふくめた人々は、そのことばの奥にある、まだことばにならないことば、語ってはならないことばを共有する。
 その、ことばにできない世界--母がことばにしようとして拒絶したことば、それを、いま、古賀は救い出している。
 それは、ことばにならなかった「世界」そのものを救出する試みでもある。そうやって、世界の封印は解かれるのである。
 「20」の部分も、とても好きである。

死人のはなしは日常茶飯事だった。みな、たのしそうにそのはなしをした。はなしの種がつきると仏壇の中から死人をひっぱり出してきて、はなしの種にした。いつ、おのれが、その死人になるかわからないというのに。

 この「死人」との融合。「私」と「死人」の区別がなくなる世界。--それは人間が語ってはならない世界である。しかし古賀はそれを語るのだ。そして、それが「たのしい」のである。この「たのしい」はもちろん「苦しい」でもあるが、その対立したものがむすびついているからこそ、封印された世界の封印がほどかれ、それに私は度肝を抜かれるのである。
 壮絶な「内容」を書いた部分もすごいが、それと同じくらい(もしかするとそれ以上に)、「極楽」や「たのしい」ということばをつかうことでしか語れない世界の方がほんとうは壮絶かもしれない。その「極楽」や「たのしい」は、そのかろやかさに乗って、どこまでも広がる。たとえば、私の母が語らなかった「極楽」「たのしい」を巻き込むことによって、私そのものをも巻き込む。
 --私は、たしかにその世界を知っている、というしかなくなる。

 壮絶は古賀自身の壮絶ではなく、そのとき、私の、そして私の両親の、さらにはその両親の、いわば血になる。血が、肉体の「枠」をこえて、つながり、流れるのである。
 たいへんな詩集である。

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野村喜和夫「斧の平和」

2007-12-03 10:49:49 | 詩(雑誌・同人誌)
 野村喜和夫「斧の平和」(「hotel 」18、2007年10月20日発行)

 リチャード・ダッドの絵のことから書き起こされている。野村は「童話作家入神の腕前」というタイトルで紹介しているが「The Fairy Feller's Master Stroke(お伽の樵の入神の一撃)」の絵のことだろうと思って読み進めた。
 この絵の世界を野村はどんなふうに描くかというと。

駐車場の奥間で行くと、とある車の後部座席に、獣のように戯れる男女の影がうごめく。男の腹のうえで女がペニスに指をそえてくわえている。(原文の「くわえ」は口偏に至)
 という状況と重ね合わせて語る。男(私)と女がセックスをしている。それを別の男が包丁で襲おうとしている。その瞬間とダッドの絵を重ねるのである。
 そしてさらにつづける。

 実は、メキシコの詩人オクタビオ・パスもその『大いなる文法学者の猿』という著作のなかでこのダッドの絵を取り上げていて、「木樵と画家とを同一視したい気持ちを私は押えがたい。ダッドが精神病院送りとなった理由は、郊外にハイキングに行った際、突然強度の発作に襲われて父親を斧で叩き殺してしまったからだ。木樵は同じ行為を繰り返そうとしているわけだが、その象徴的繰り返しの結果は、もとの行為がもたらした結果とは正反対になる」と述べている。すなわち榛の実が割られて、魔法は解かれる。
 周囲の人たちは、その決定的瞬間をいまかいまかと待ちかまえているわけだ。しかし同時に、そういう瞬間は永遠に訪れないだろうという気もする。つまり、じっさいに斧が振り下ろされてしまうしまうことは、永遠にないだろうと。そのふたつの可能性のはざまの息苦しさが、ダッドの絵のすべてだ。

 「そのふたつの可能性のはざまの息苦しさ」。
 このことばを書きたいために、野村は、あれこれと仕掛けをしているのである。つまり、西脇順三郎がつかったことばでいえば「態と」、駐車場でのカーセックスとか三角関係とか、男女のなかの笑い話になるようなこととか。そういう仕掛けで、絵にたいするまっすぐな批評を隠している。照れ隠し、というよりも、これは、こんなふうにも語ることができるという一種の「話術」の披露である。オクタビオ・パスのことばにも野村は影響を受けている。だからそれをそのまま引用もしているのだが、その引用もセックスのなかにかき消して、あくまでもセックスの瞬間と重ねてみせようとしている。
 「そのふたつの可能性のはざまの息苦しさ」--ということばは、どこにあったかなあ。どこかで遠く(深く)響いているのだが……という感じで作品全体を揺さぶろうとしている。
 とても楽しい。

 もうひとつ、先の引用にはおもしろい(興味深い)ことばがある。野村が意識しているかどうかわからないが、この作品、あるいは芸術全般に通じる重要なことばがある。オクタビオ・パスの文章のなかに出てくる「繰り返す」という動詞である。

木樵は同じ行為を繰り返そうとしているわけだが、その象徴的繰り返しの結果は、もとの行為がもたらした結果とは正反対になる。

 ごていねいにも2度「繰り返す」が使われている。そして、この「繰り返す」が芸術なのである。「態と」繰り返すのが芸術なのである。ある美を(あるいは衝撃的な事実、あるいは体験を)ひとはわざと繰り返す。繰り返すことで自分自身のものにする。自分のものではないものを、そっくり繰り返すことで自分のものにする。
 そして、それはそっくり繰り返しても、ほんとうはそっくりにはならない。ずれる。「ずれ」が生まれる。それを拡大する。小さなずれを増幅し、その振幅がとらえられる範囲を広げ、共振できる何かと響かせ、和音をつくる。
 野村はダッドの絵のなかの「ふたつの可能性のはざまの息苦しさ」を増幅させ、共振させ、その倍音として駐車場のカーセックス、三角関係、さらには男の「お母さーん」という情けない叫びという和音を作り上げる。とても楽しい。

 (繰り返しとずれから、フランスの現代思想かの「キーワード」へと考えを進めてもいいかもしれないけれど、--たぶんそうすれば、「現代詩手帖」や「ユリイカ」向きの批評になるかもしれないけれど、私は他人のことばを踏まえながら自分の考えていることを書くというのが苦手なので、省略。)

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