血のたらちね古賀 忠昭書肆山田、2007年10月30日発行このアイテムの詳細を見る |
「ちのはは」「血の父」「血の遠景」の3篇。どの詩も壮絶である。すでにこの日記で何回か書いているので、今回はこれまで書かなかった部分について書く。
私はたとえば「血の遠景」の「39」の部分が好きである。
母の極楽の話は貧困だった。ただ「くうて、ふろはいって、ねる」たった、それだけだった。でも、いまになって思うと、なんてしあわせな、ほほえましい極楽だろうと、涙さえでてくる。極楽は単純なほど、いい。
古賀が書いている世界と私の生きてきた世界はそっくりそのままのかたちでは重ならないが、この「母の極楽の話」はぴったり重なる。私はそういう母を「物語」としてではなく、現実に知っている。古賀の母が実際にそれをことばにしたのに対し、私の母はそれをことばにしなかった。ことばにしないけれど、そんなふうに生きていた。
あらゆる生活には、それをことばにして生きる生活と、ことばにしないで生きる生活がある。あるいは、あらゆることばにはことばとして言えることばと、ことばにはなれないことばがある。ひとがことばを語るとき、それは語れることばを語っているだけであって、ほんとうに感じていることばは別にある。あることばが語られるとすれば、それはそのことばを語ってもいいと、そのひと自身が判断したからである。
つまり、何かをことばにして生きる生活があるからといって、生活のすべてがことばになるわけではない。古賀の母は「ままくうて、ふろはいって、ねる」という生活を「極楽」として語ったが、そうした生活を「極楽」と呼ぶとき、その語られたことばの奥には、さらにことばにならない無数のことばがある。それを「極楽」と呼ぶときの、ことばにならない思いが渦巻いている。肉体の奥に。
私の母の語らなかったことば、いつも声に出そうとして出せなかったことばは「ままくうて、ふろはいって、ねる」ことが「極楽」である、ということだが、古賀の母の場合は、それを突き抜けている。古賀の母は「ままくうて、ふろはいって、ねる」はことばにできるが、その奥のことばはことばにできない。それがことばにできないからこそ、それを語る変わりに「くうて、ふろはいって、ねる」というのである。
そして、その語ることのできることばは、古賀の母の周囲、つまり古賀の周囲によって共有される。それを共有することによって、古賀の母の周辺にいる人々、古賀をふくめた人々は、そのことばの奥にある、まだことばにならないことば、語ってはならないことばを共有する。
その、ことばにできない世界--母がことばにしようとして拒絶したことば、それを、いま、古賀は救い出している。
それは、ことばにならなかった「世界」そのものを救出する試みでもある。そうやって、世界の封印は解かれるのである。
「20」の部分も、とても好きである。
死人のはなしは日常茶飯事だった。みな、たのしそうにそのはなしをした。はなしの種がつきると仏壇の中から死人をひっぱり出してきて、はなしの種にした。いつ、おのれが、その死人になるかわからないというのに。
この「死人」との融合。「私」と「死人」の区別がなくなる世界。--それは人間が語ってはならない世界である。しかし古賀はそれを語るのだ。そして、それが「たのしい」のである。この「たのしい」はもちろん「苦しい」でもあるが、その対立したものがむすびついているからこそ、封印された世界の封印がほどかれ、それに私は度肝を抜かれるのである。
壮絶な「内容」を書いた部分もすごいが、それと同じくらい(もしかするとそれ以上に)、「極楽」や「たのしい」ということばをつかうことでしか語れない世界の方がほんとうは壮絶かもしれない。その「極楽」や「たのしい」は、そのかろやかさに乗って、どこまでも広がる。たとえば、私の母が語らなかった「極楽」「たのしい」を巻き込むことによって、私そのものをも巻き込む。
--私は、たしかにその世界を知っている、というしかなくなる。
壮絶は古賀自身の壮絶ではなく、そのとき、私の、そして私の両親の、さらにはその両親の、いわば血になる。血が、肉体の「枠」をこえて、つながり、流れるのである。
たいへんな詩集である。