詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎「ほたる」

2007-12-06 11:55:38 | 詩(雑誌・同人誌)
 谷川俊太郎「ほたる」(朝日新聞・西部版、2007年12月05日朝刊)
 朝日新聞(西部版)に谷川俊太郎が三重県のいなべ市立立田小学校でやって授業が紹介されている。「オーサー・ビジット(こんにちは作者です!)」というページである。
 小学生を小学生としてではなく、ひとりの人間として、きちんと向き合っている。そのことが短い文章から伝わってくる。途中を省略して引用すると。

 「きょうは全員で詩をつくりましょう。まずはアクロスティックをやります」
 (略)
 「え? 何それ?」
 でも谷川さんはおかまいなし。

 この「おかまいなし」の部分に、谷川らしさがでている。相手が小学生でも小学生としあつかうのではなく、ひとりの人間、詩人としてむきあっている。「アクロスティック」ということばなど、意味はない。そんなことは実際に詩を書けばわかる。「アクロスティック」ということばは忘れても、実際につくった詩ならきちんとわかる。そのすべての行を記憶できなくても、どんな特徴をもっていたかはわかる。その特徴をくだくだと説明するのが面倒なとき、ひとは「アクロスティック」ということばをつかうだけであって、それがどんなことばであるかなど関係ないからだ。
 「アクロスティック」からはじまった授業は、小学生に思いつくことばを言わせて、それを拾い上げて、次の詩になる。

ほうせきかな?
たつたのろうかでひかってる
るすばんしてるよ だれ?

 いちばん上の文字をつなげると「ほたる」になる。これが「アクロスティック」という次第。
 それにしても、いい詩だなあ。
 ことばが動いている。ことばをしばるものが何もない。まるで初めてこの世界に登場し、よろこびと不安をかかえて、そのまま冒険にでるみたいな動きである。詩とはことばの冒険なのだ、ということが、この3行からも伝わってくる。谷川の詩は、すべて冒険なのである。
 この冒険のことを、谷川は、つぎのように小学生に説明している。

 「自分の気持ちや心をそのまま書く詩もあるけれど、自分の気持ちと関係ない色々な言葉を集めて、組み合わせて作り上げていく詩もあるんだ」

 これは西脇順三郎が主張した「態と」に似ている。詩は自分の気持ちを書く必要がない。むしろ、自分の気持ち、自分が感じていることを書かないことが詩なのである。自分が感じていないが、こんなふうに感じることができる、という可能性(冒険)を書くことが詩である。
 次に谷川はみんながやりたいと思っていることをいわせ、それを一篇の詩に仕上げる。

立田小4年生の「やりたい」の詩

空の上に土地を作りたい
空で雲を食べたい
世界をほろぼすためにブラックホールをぬすみたい
たねをまいてうちゅうに花をさかせたい
せなかにはねをつけて大空をとびたい
地めんの中にともだちとへやを作りたい
おかしの家を作ってたべてみたい
かぞくといっしょに天国にいってみたい
ともだちと家でばればれひみつきちを作りたい
木の上に家をつくりたい
ともだちといろんなところにいけるよう
 とうめいマントをもらいたい

 思い思いの1行が並べ替えられ、並べられることで詩になる。まったく別なものが出会いながら、それまで存在しなかった世界を浮かび上がらせる。どんなにかけはなれたものであっても、ことばなら、その別々のものをすぐとなりに並べることができる。そして、そうすることで新しい世界が誕生する。

 これは超絶技巧で書かれた「詩論」である。

 それにしても、と思う。
 この11行の詩は小学生が「やりたい」と思ったことばを並べたものだが、そこに侵入(?)している谷川の「思い」の根深さが、当然といえば当然なのだけれど浮き彫りになっていて、とても興味深い。
 この詩が成立するまでの過程を新聞では、谷川が「やりたいと思ったことを言ってみよう」という誘いから書きはじめ……。

 すぐに手が挙がって「土地が欲しい!」。「それじゃあ、変な大人みたいだ。どんな土地かを考えてみよう」と谷川さんが苦笑しながらアドバイス。やがて11人の夢が並んだ「『やりたい』」の詩が生まれた。

 「アドバイス」が自然に小学生を谷川ワールドに引き入れているのである。宇宙と孤独。そして孤独ゆえの「ともだち」(つながり)をもとめる祈り。離れて存在しながら、よびかけあう心。「冒険心」--それは、「ほたる」にもあらわれていた。見知らぬ人に「だれ?」と呼びかけ、接近しないではいられない思い。そのとき両者のあいだに広がる無限の宇宙。近いけれど、遠い。遠いけれど、近い。
 小学生の前で、生まれたままの、裸の状態の谷川がいる。裸でむきあうこと--それが他人と対等に向き合うこと、詩の出発点だと谷川は言っているように思える。
 そうした出発点が見える授業のレポートである。

コメント (1)
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