詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇92)Joaquin Llorens Santa Serie. C. 4

2020-09-21 00:09:02 | estoy loco por espana


Joaquin Llorens Santa Serie. C. 4

写真は、ひとつの作品を別の角度から撮ったもの。
インスピレーションを得て、こんな詩を書いた。


Un hombre de cuatro retrato

El hombre tiene cuatro retrato.
El fuerte voluntad de hierro.
La pasión caliente del fuego.
La tranquila sabiduría del agua.
El espíritu perdonador del aire.

Los cuatro se pueden combinar y mover libremente.
¿Qué vi?
No, ¿qué vas a ver?
Nadie sabe nada.

Pero estoy seguro.
Hay algo que nace por primera vez cuando nos encontramos.
Esa es la quinta retrato verdadera.


四つの顔を持つ男

男は四つの顔を持っている。
鉄の強い意思。
炎の熱い情熱。
水の冷静な知恵。
空気の寛容な精神。

その四つは組み合わさって自在に動く。
私は何を見たのか。
いや、これから何を見るのか。
誰にも何もわからない。

だが、私は確信している。
私たちが出会うとき初めて生まれてくるものがある。
それが五つ目の真実の顔。
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白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」

2020-09-20 17:58:08 | 詩(雑誌・同人誌)
白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」(「幻竜」31、2020年05月30日発行)

 白井知子「ヴォルガ河 真夜中の晩餐」はタイトル通り、ヴォルガ河を旅行したときのことを書いている。
 その書き出し。

秋の夕ぐれから寝いってしまい
真夜中のヴォルガ河
船室への電話で呼びだされた レストランへ
左舷 窓際の一卓 そこだけ ほのかに灯がともっていた

 なんでもない書き出しに見える。そして、実際なんでもないのかもしれないが、ここには不思議なリズムがある。すべてが唐突なのだ。そしてその唐突が自然だ。意識が動いた順にそのままことばになっている。あるいは意識が動く前に「もの」があらわれ、それを意識がことばにしていくのだが、その「あらわれ」から「ことば」になるまでのリズムに嘘がない。自然な力がこもっている。学校教科書の「正しい散文」(てにをは、のととのった文章)にしてしまうと消えてしまう自然な意識の流れがある。
 古い表現になるが「意識の流れ」を書いているとさえ言える。「もの」(存在)と拮抗しながら、意識がより明確になり、それが「もの」(存在)に強い輪郭を与え、「もの」(存在)そのものが意識になってしまうような感じ。
 と、抽象的に書いたのでは、何も書いたことにならないかもしれない。
 白井が「呼び出された」テーブルでは、何が起きるのか。ひとり、男が遅れてやってくる。

アルスカヤさんが囁く
ウリヤノフスクで下船して あの男が生家を訪ねたでしょう
ベートーヴェンの「熱情」を好んだ男だわ
古い鍵盤 生家のピアノを
かれの最愛のママが弾いている
聴こえてくるでしょうと わたしに

小柄の老人がやってくる
狷介でも どこか 焦燥感につつまれているような覚束ない歩きよう
革命の魔物にとりつかれたのが
この男だったのか
ウラジーミル・レーニン
男は咳きこみ 腰かけるのをためらっている
郷愁にかられた職業革命家の横顔

 「わたしに」の位置が非常におもしろい。「アルスカヤさん」のささやき声にしたがって(ことばにしたがって)、白井は昼の小旅行で見た家を思い出す。記憶を思い出す。それを聞いた「わたし」は、そのときそこにいなかった男を、いまここで思い出す。ことばの「主体」が「アルスカヤさん」から「わたし」に交代して、「わたし」が男を描写しなおす。
 それを、さらに「副船長」が言い直す。それが次の連。

副船長 吐きすてるようにして
この男が屍体を見たのは 生涯に わずか 三人
父親と妹 妻の母親
夥しくも流された血は 彼にとっては紙の上のことだった
〈おれたちは 時代に選ばれてしまった〉
〈おれたちは 選ぶことはできなかった〉

 ことばが存在になり、存在がことばを強化して、意識を生みなおす。そのことばを聞くとき、白井は単に副船長のことばを聞いているだけではない。副船長の「人生(肉体)」を共有する。
 白井だけでは動かすことのできない「精神」が、そのとき動くのだ。
 この緊張感が、白井のことばを統一する。

斜かいによぎる
そこはかとなく 精霊がしのびよる 精霊の殺気だ
霊魂ごと刺しつらぬかれようとも
わたしは 心の秘境 辛苦の声を聴きたい ロシアを大地とする無名の民の
切に会いたい人を予覚させるためだったのか
招かれたのは
真夜中 一卓の晩餐へ
遠すぎた人 名もない人にこそ出会うよう
かれらの嗄れ声はちぎれながらも
混迷の霧 岸辺の草 この船上にも漂っている 紛れこむのは
わたしだ
ヴォルガ河 古くからの羊水

 遅れてやってきたのは(招かれたのは)レーニンだったのか。そうではなく、「アルスカヤさん」「副船長」、そのひとたちと連なる「名もない人」こそ遅れてやってきて、「わたし」を肉体の内部から作り替えていく。出会った人の力で、白井は生まれ変わる。
 「羊水」はそういうできごとの象徴である。
 生まれ変わるために、白井は旅をする。









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Estoy loco por espana(番外篇91) Javier Messia ETHOS

2020-09-20 15:23:34 | estoy loco por espana


Javier Messia ETHOS

Hay cinco a’reas.
Unas manchas espeluznante invade la tranquilidad. ..
?’Que’ es esto?
Los no identificados invaden desde la izquierda, pero se pueden ver rastros similares a la derecha.
Ha habido intrusiones espeluznantes en el pasado.

Ahora, en 2020, las manchas espeluznantes parecen un virus corona : covid 19.

" manchas espeluznante ", escribi’. Sin embargo, se ve hermoso por alguna razo’n.
Azul que mantiene su belleza frente a la suciedad invasora. Y el cambio de azul.
Hay un equilibrio misterioso.

Si esta mancha fuera del color dorado que Javier habi’a usado hasta ahora, no habri’a sido molesto. Simplemente se vei’a hermoso.

Pero la belleza no es el u’nico arte.
Tambie’n es un arte despertar ansiedad y hacer visible lo que ahora no puedes ver.

Si no es 2020, puedo ver diferente.
A menos que fuera 2020, Javier podri’a haber usado un color diferente.

Las obras e impresiones conviven con los tiempos.

五つに区切られた領域がある。
その静謐を犯すように侵入してくる不気味な汚れ。
これはなんだろうか。
正体不明のものは左から侵入してくるが、右側には類似の痕跡が見える。
不気味な侵入は、過去にもあったのだ。

2020年のいま、コロナウィルスの象徴のように思える。

「不気味な汚れ」と私は書いた。しかし、なぜか美しくも見える。
侵入してくる汚れに対抗して、なおかつ美しさを保ち続ける青。そして、青の変化。
不思議なバランスがある。

もしこの汚れが金色だったら、これまで見てきたハビエルの作品と同じように不安を与えることはなかっただろう。ただ美しいものに見えただろう。

だが、美しいだけが芸術ではないだろう。
不安を呼び起こすもの、いま見えないものを見えるようにそそのかすのも芸術だろう。
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外国人材?(だんだん頭に来るぞ!)

2020-09-20 09:09:15 | 自民党憲法改正草案を読む
外国人材?(だんだん頭に来るぞ!)
   自民党憲法改正草案を読む/番外397(情報の読み方)

 2020年09月20日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

金融 外国人材増へ税軽減/政府・与党検討 法人税や相続税/「英語で手続き」対応

 見出しを読んで考え込んでしまった。何のことだろう。しばらく考えて、もしかするとこれは「金融機関」に限った対策のこと? と思った。それも地方にある銀行などのことではなく、東京にある金持ち相手の資産運用に関する「金融機関」のことだろうなあ。
 前文には、こう書いてあった。

 政府・与党は、日本の国際金融センターとしての地位向上に向け、外資系金融機関や海外の金融人材の受け入れ拡大につながる制度を検討する。法人税や相続税の負担軽減、事業の許認可手続きでの英語対応の強化などが柱となる。菅首相は金融の専門人材の受け入れ拡大に意欲を示しており、必要な環境整備を急ぐ。

 ネットでは【独自】のマークがついている。「特ダネ」か。でも、私のような年金生活者になんの関係があるのだろうか。どうしてこんなニュースが1面のトップなのか。
 外国人の金持ちが日本で金儲けをする。その法人税や相続税を軽減して、それで日本がどうかわる?

 資産運用会社が業績に連動して支払う役員報酬は、金額のぶれが大きいなどの理由で、日本では損金算入できないケースがある。その場合、課税対象の利益を減らせず、法人税の負担が大きくなる。

 こんなことは、企業が考えればいい問題ではないのか。どこだって「損金」が出る可能性を抱えているだろう。それを承知で「商売」というものがあるのではないのか。というようなことは、きっと、素人考えで、もっと複雑な構造なのだといわれそうだが。
 その素人の私が読んでいて、どうしてもわからないのが、見出しの最後の部分。

「英語で手続き」対応

 だいたい日本で金儲けをしようとやってくる外国人相手に、法人税や相続税の「英語で手続き対応」って、変じゃない? もし日本人が、外国で金儲けをしようと考えて外国へゆく。そのとき、その国のことばを覚えていくというのは「常識」なんじゃないだろうか。何を話しているかわからない国へ行って「金融」の仕事をする? そんなのは、だまされにゆくようなものじゃないか。
 それに「外国人」というのは「英語」だけを話すわけじゃないだろう。まあ、これも「国債金融人なら英語が常識」ということなのかもしれないけれど、素人の私には、あ、そうですか、としか言えないが。
 いちばん驚いたのは。
 見出しにはとっていないのだが、その「外国人支援」の「生活の利便性向上」という項目。まるで「隠しごと」のように書かれている。

海外で雇っていたヘルパーなどの在日資格取得の要件緩和

 何これ? 外国人が、外国で雇用していたヘルパー(どんなヘルパー?)をそのまま日本につれてこられるよう(日本で引き続き働けるよう)、資格取得を緩和するというのだけれど、そんなことまでする必要がある? どうしてもヘルパーが必要なら日本人を雇えばいいだろう。わざわざ外国からつれてくる必要はないだろう。というか、専用のヘルパーをつれてこられるように、ヘルパーの資格取得を緩和する、なんて、どう考えても奇妙。
 よほどの金持ちの「外国人人材」が「専用のヘルパーがいないと生活がスムーズに行かない(だから日本にゆきたくない)」と苦情を漏らしたりしたんだろうなあ。そうでもないかぎり、誰も思いつかないだろう。
 なんというか。
 政府が「外国人の金融のエキスパートが日本に来るようにしよう」と計画を考えた段階で、専用ヘルパーをつれてくること、その専用ヘルパーの在日資格取得の問題まで頭が回るというのは、よほど想像力がないとできない。いままで、こんな細部にまで想像力をはりめぐらせた「政策」があっただろうか。

 それにねえ。

 いま日本が抱える問題は、「金融人材」や「外国人が外国で雇っていたヘルパー」ではないだろう。
 日本では、いろんなことろで「人手不足」。「ヘルパー」でいえば、介護現場ではいつも人手不足。そして、そのために「英語圏ではない外国(ベトナム、フィリピン、タイ)」から「介護師」としての「人材」を受け入れるために、いろいろな対策をとっていないか。そして、その対策のひとつに、日本に長く滞在し働き続けるのを拒むために、一定の日本語能力を要求するというものがあるのではないか。一定期間に日本語のレベルが達しないなら、研修だけで母国へ追い返す。一定期間で日本の資格がとれないなら母国へ追い返す、という「使い捨て政策」をとっていないか。
 別の角度からも問題点が見えてくる。
 そうやって日本で働いてくれる東南アジアの人たちの、日本での暮らしはどうなっているか。家族をいっしょにつれてくるための条件は? その家族に子供がいるときの教育の問題は? 相続税ではなく、そのひとたちの社会保障はどうなっている?
 大事なのは、一握りの(ほかの職場で求められている人数に比べればはるかに少ないと思う)金融外国人ではなく、もっと低所得の外国人の待遇の問題だろう。相続税などは無関係の人たちだろう。

 記者が「私はこんな情報を手に入れた」と喜んで記事を書くのも、また、その誰から教えられた(リークされた)かわからない「特ダネ」を自慢するのも、それはそれで「正直さ」があふれていて笑いだしてしまうが、笑ったあとで悲しくなる。もっと日本の現実そのものをみてほしい。きっとこの記事をリークされた記者は、自分には記事をリークしてくれる「政府・与党」関係者がいるということが自慢だし、また、こういう記事を書くことでその人との「接触」をいっそう強めていくのだろうと思う。「おかげさまで、特ダネを1面のトップに掲載できました」と言う具合にね。「また、特ダネ書かせてくださいね」と言うわけだ。

 えっ、日本語もできないのに、日本で金融の仕事ができるんですか? えっ、外国で雇っていたヘルパーをそのまま日本につれてくることができるんですか? しかし、ヘルパー付きの暮らしってすごいなあ。そんなひとの税金の心配をどうしてしなければいけないのだろう。
 そんなふうに思わないとしたら、この特ダネを「リークされた」記者は、よほど一般の暮らしとはかけはなれた生活をしているね。
 ばかげた政策以上に、何の疑問も持たない記者の姿勢に、私は頭に来てしまった。
 「疑問」を持てよ。
 なぜ、一部の特定の人間だけが優遇されるのか。日々の暮らしで一生懸命の人が、なぜ、報われないのか。










*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



*

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目玉政策?

2020-09-19 18:12:25 | 自民党憲法改正草案を読む
目玉政策?
   自民党憲法改正草案を読む/番外396(情報の読み方)

 2020年09月19日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップ。

首相、目玉政策急ぐ/形態料金下げ、デジタル庁/担当相に相次ぎ指示

 多くの人がどう考えているのか知らないが「携帯料金値下げ」というのが「目玉政策」になるんだろうか。もちろん携帯の使用料が下がるのは大歓迎だが、そういうことが「社会のあり方」とどう関係してくるのか。私は、そのあたりに非常に疑問を感じている。携帯料金が下がると、社会がどう変わる?
 私は、シムフリーのスマートフォンを使っているが、月々の料金は2500円くらい。以前使っていた携帯電話が変な仕組みで月々3000円近くかかっていたので、シムフリー・スマートフォンの方が安いとわかって乗り換えた。
 こういうことは市民がある程度工夫すれば都合がつく。そういうことを「目玉政策」と言われてもなあ、と感じる。
 それにスマートフォンの料金は企業が決めるもの。もし、料金を下げることで赤字になったり、従業員の給料が下がった場合、菅は責任を持つのだろうか。料金を引き下げるために従業員が大量に解雇されたり、非正規社員に切り換えられた場合はどうなるのか。「政府が料金を下げろといっているから、従業員の給料を下げることで対応する」と経営者が言ったとき、労働者は誰に対して苦情を言えばいいのか。
 デジタル庁にしたって、いったい何がしたいのか、よくわからない。コロナ対策でも、感染者の集計をファクスに頼っていたというようなことが問題になったが、こういうことは「デジタル庁」をつくらないとできないことではないだろう。どこの会社でも「デジタル庁」などに頼らずシステムをつくっている。
 そうなると。
 デジタル庁をつくることで、どんな情報を、どう処理するか、ということを先に明示しないとおかしいだろう。同じコロナ対策で給付金のデジタル申請がうまくいかなかったというような問題は、システム構築の出発点が間違っていたということだろう。いまからデジタル庁をつくってシステム再編をするなんて、どうもおかしい。
 狙いは違うところにあると考えないといけないだろう。給付金問題では、マイナンバーカードが問題になった。マイナンバーカードが普及しないのはなぜか。「情報管理」にたいして国民が不安を持っているからだ。不都合な情報を「黒塗り公開」するような政府が、国民の情報をほんとうに守るのか。むしろ、収集した情報を国民を支配するためにつかうのではない、と国民が恐れているからだろう。「議事録」さえ公開できない政府に、どうして「個人情報」をまかせることができるだろうか。何か問題があったとき、自分の情報なのに知らせてもらえないということが起きるのではないか。つまり、かってな「情報」があつめられるのにつかわれるのではないか。
 きっとそうだろうと思う。
 「縦割り110番」も不思議な仕組みだ。市民が行政機関に何かを要請する。しかし、ここの担当ではないなどという理由でたらいまわしになる。そういう苦情を市民がいちいち「110番」するのではなく、「縦割りでは限界、横との連携が必要」と判断したら、その「現場」が主体になって組織改変を上部に訴えていけばいいのではないのか。市民があそこの組織がおかしいと思ったとしても、それは組織全体がわかって言ってることではない。そういう苦情を受けた「110番」は、それが事実かどうか、現場に再確認するという作業も必要。つまり、「市民の声」なんかではなく、「現場の組織の声」をくみ取る能力がないから「縦割り」の弊害が起きている。役人が自分の仕事以外はしたくないという意識で働いているから起きている問題。それを、なんというのか、市民が声を上げないから改革が進まないというような「転嫁」をしてもらっては、困る。
 実際の「110番」を考えてみればいい。市民の力ではできないことを処理してもらうために「110番」する。市民間の問題を受け付けるのが「110番」。
 市民間の問題ではないこと(しかし市民から見て非常識と思うようなこと)、たとえば、佐川や黒川が退職金を受け取って退職するのはおかしい、と感じてそのことを「縦割り110番」に電話したとき受け付けてもらえるのか。安倍はそのたの閣僚たちは「財務省で適切に処理した。法務省で適切に処理した」と言うだけで、その「縦の内部処理」に追認している。そういう国家組織が、いったい、どんな「縦割り」を改善しようとするのか。どこまで国民の「声」を聞く気があるのか。よりいっそう「縦割りの既得権」を守るための奇妙な組織ができるのではないのか。

 問題は違うところにある。
 携帯料金の値下げなど、企業に言うのではなく、国民に対して「シムフリースマートフォンに切り換えると料金は三分の一以下になります」と言ってみればいい。「私はそうやって、携帯料金を節約しています」と菅が言えば、それだけで状況はかわるだろう。実際に、そういうことを言えば大手企業から営業妨害と言われるかもしれないけれど。
 私の書いていることは、社会の仕組みや政策に詳しい人から見れば「でたらめ」かもしれないが、私のような素人から見れば菅の言ってることは、やっぱり「でたらめ」。
 私は間違っていてもいいから、自分の身の回りで起きていることを中心に、自分で考えてみたい。読売新聞のように「菅がこう言っているから」ということを、そのまま信じることができない。







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ボルヘスの詩

2020-09-19 09:52:03 | 詩(雑誌・同人誌)


ボルヘスが好き、でもスペイン語で読んだことがない、と言ったら、アルゼンチンの友人が、短い詩のページをアップしてくれた。
基本的なことばなのだけれど、私が日常つかわないことばなので、多くの単語が読み取れない。
けれど、詩はやっぱりリズム、音なのだ、ということははっきりわかる。
ものの名前をあげてゆき、積み重ねたあとで文章にする。
リズムに乗って、そのリズムで「精神の運動」をぱっと描き出す。
その最後。
duraran mas alla de nuestro olvido
を「;」を挟んだだけで、言い直す。
no sabran nunca que nos hemos ido.
そうすることで、全体のきびきびしたリズムと音の響きをつらぬく。
この部分は、ボルヘスが大好きという荘子をちょっと思い起こさせるけれどね。
やっぱり、すごいね。
奇妙なことば、奇妙な文体が多い日本の現代詩に比べると、日病に勉強になる。

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Estoy loco por espana(番外篇90)Joaquin Llorens Santa Serie. Mare Nostrum Capri

2020-09-19 06:57:10 | estoy loco por espana


?’Este es un trabajo?
?’Tres obras se convirtieron en una?
?Un trabajo va a ser tres?

El trabajo que baila en el espacio del corazo’n.

Cuando el corazo’n baila con el trabajo, un trabajo cambia innumerablemente.
Una obra se vuelve innumerable,
Innumerables obras se vuelven una.

La mu’sica nunca se detiene.

これは一つの作品だろうか。
三つの作品があつまり一つになったのか。
一つの作品が三つになろうとしているのか。

心の空間で、踊る作品。

心が作品と一緒に踊るとき、一つの作品は無数に変わる。
一つの作品は無数になり、
無数の作品は一つになる。

音楽は鳴りやまない。
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くりはらすなを『ちいさな椅子とちいさなテーブルを持つ家』

2020-09-18 17:55:42 | 詩集


くりはらすなを『ちいさな椅子とちいさなテーブルを持つ家』(西田書店、2020年03月06日発行)

 くりはらすなを『ちいさな椅子とちいさなテーブルを持つ家』。「ベニカナメモチ」という詩がある。昔、社宅に住んでいたとき、その庭に「ベニカナメモチ」の木があった。

先日 久しぶりにそのあたりまで歩いた ほぼ二時間程の散策のつ
もりである その社宅もすでに閉鎖され住む人も居なかったが 何
故か我々の住んでいたところの例のベニカナメモチの木だけが五㍍
も六㍍も空高く伸びていた 誰も世話をせずとも成長して 今や不
気味な有様となっている

私には何故かそれがどこかに残したまま放っておいた子供のように
も思える 子供は放って置かれた悲しみを糧にあんなに伸びてし
まったのではないかしら その子供と久しぶりに対面してしまった
気恥ずかしさのようなものもあった

 強く惹かれた。
 そして強く惹かれたときはいつもそうなのだが、私はこの詩を「誤読」するのである。くりはらが書いている「子供」とは彼の子供である。それは引用しなかった一連目に「一番下の娘」というように具体的なことばがあることからもわかる。(ここに書かれている子供が「一番下の娘」というのではない。)
 子供を育てる。全員に気を配っているつもりだが、どうしても「むら」のようなものが生まれる。そして、その「むら」に落ち込んだ(?)子供が、「世話」とは関係なしに育って大きくなっている。あれは、どの子供の枝だろうか、あれは何番目の子供の葉っぱだろうか。そういうことを考えると、不気味なものに見えるとくりはらは書いているのだが……。

 私は、その「子供」をくりはら自身と思って読むのである。人間のなかには、そのひとがいくつになっても「子供」が生きている。そういう「子供」をふつうは、そのひとのなかの「おさない部分」と呼んだりするのだが。
 でも、そういう「子供」は「おさないまま」だろうか。たとえて言えば「純真」なままだろうか。
 そうではないかもしれない。
 ねじくれて、大きくなっている「子供」もいるのではないか。
 くりはらが見たのは、そういう「自画像」ではないだろうか。

 くりはらが社宅に住んでいたころ、くりはらはすでに「子供」ではない。会社員である。しかし、くりはらのなかの「子供」は生きていただろう。実際に子供ができると、目の前にいる子供の世話にあけくれる。自分のなかの「子供」を世話している暇はない。自分のなかの「子供」は自分が世話をするしかないのだが、その時間がない。放っておく。そして、ときには忘れてしまう。
 そしていま、「一番下の娘」もすでに独立した。世話をする子供はすでにいない。子育てから開放されて、そのときになって、ふと自分のなかに「子供」がいた。それを放り出して、子供の世話をしたということを思い出し、「ああ、あの子供はどうなったのだろう」と振り返る。
 いま、不気味に大きくなっている。
 「不気味」と冷酷に言ってしまえるのは、それが「自画像」だからではないのか。まるで、鏡に裸の自分を映すように見てしまう。恥毛も生えていなかった「子供」は、つかいはたした性器をだらしなくぶらさげている。その姿に「気恥ずかしさ」を感じる。「子供」は何も言わずに、「これが私か」とくりはらをみつめるからである。

 どの詩にも奇妙な「かなしさ」が漂っているのは、書かれている「対象」が「対象」として存在するからではなく、同時に「自画像」になっているからだと思う。その「自画像」が端的にあらわれているのが、この詩なのだ。










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安倍インタビュー(院政の始まり)

2020-09-18 09:34:33 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍インタビュー(院政の始まり)
   自民党憲法改正草案を読む/番外396 (情報の読み方)

 2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)の1面のトップに安倍のインタビュー記事。見出しは2本。(番号は、私がつけた。)

①衆参同日選「常に頭」
②外交特使 菅氏に協力

 何とも奇妙な見出しである。
 ①は回顧、②は展望である。
 「安倍氏へのインタビューは首相在職中の15日と退任後の17日の2回行った」と本文の最後に書かれているが、なぜ、そんなに急いでインタビューし、また、それを紙面に載せないといけないのか。安倍が何を考えてきたか、これから何をしたいかよりも、いまから菅が何をするかが問題なのに。
 だから、これは逆に読まないといけないのだ。
 安倍が菅をどう動かしたがっているか、菅に何をさせたがっているか。それを語っている、と。
 同日選については、こう書いてある。

 安倍氏は政権を奪回した2012年衆院選から国政選で6連勝した。3回行われた参院選のうち16年、19年は衆参同日選が取りざたされた。いずれも踏み切ることはなかったが、「首相の判断と決断の最たるものが解散で、あらゆる選択肢を考えた。同日選は常に頭にあった」と述べた。衆院選で負ければ政権を失う一方、「国民の支持を獲得できれば、政策の推進力を得ることができる」と説明した。

 1年の任期しかない菅には衆参同日選を実行できる機会はない。参院選は予定されていない。だから菅に「衆参同日選をしろ」とハッパをかけているわけではない。後半部分から「同日選」を省略してみる。

「首相の判断と決断の最たるものが解散。衆院選で負ければ政権を失う一方、国民の支持を獲得できれば、政策の推進力を得ることができる」

 つまり、安倍は菅に早く解散し、衆院選をしろ、と言っているのだ。いまなら「御祝儀投票」がみこまれるし、河井議員の判決が出る前に選挙ができれば、判決の影響も少ない。新聞報道などで見るかぎり、私には「有罪」としか思えない。安倍から1億5000万円調達してもらった議員が有罪になれば、どうしたって衆院選に影響は出る。そして、もしかすると河井議員夫婦の有罪は安倍、菅にも波及しかねない。判決前に菅自民党が大勝すれば、判決にも影響を与えられる考えているのだろう。
 衆院選早期実施という安倍の主張を「側面支援」するように、読売新聞は「始動 菅政権」という連載(1面)を始めている。その見出しが「コロナ・解散 両にらみ」である。でも、実際は「両にらみ」ではない。

 内閣発足直後の報道各社の世論調査では、内閣支持率が軒並み6割を超えた。首相は無派閥で自民党内の基盤が弱く、政策の推進力を得るためにも「早く衆院解散・総選挙に踏み切るべきだ」(閣僚経験者)との声が上がる。首相自身はコロナ収束前の解散に慎重な発言が目立つが、17日には実績のある選挙プランナーとホテルで朝食をともにし、永田町では早期解散の臆測も飛び交っている。

 ここでも、もっぱら菅にハッパをかけている。だから、衆参同日選があり得ないいま、インタビュー記事の見出しは、

衆院解散、総選挙を常に頭に

 という菅に向けたメッセージなのだ。同時に、自民党員に向けたメッセージなのだ。2月だったか3月だったか、うろ覚えの記憶しかないが、コロナ拡大のさなかに、安倍は自民党役員会で「議員は地元にかえって、選挙のためのアピールをしろ」と言っている。そして、実際、それにしたがって動いた議員もいる。読売も「注目の選挙区」のような連載をやっていた。
 ここで安倍がしゃしゃり出てきて「衆院選をしろ」というのは、何も菅の基盤を安定させたいからではない。実際に衆院選がおこなわれ、自民党が大勝したとき「ほら、ぼくちゃんが言った通りだろう」と言うためなのである。
 安倍は、自分が引退したことを忘れ、「いまなら勝てる」と思っているのだ。そして、菅を勝たせることで、いっそうの支配力を発揮しようとしている。「院政」を確立しようとしている。「院政確立」のために、想起の衆院選、自民大賞が必要なのだ。

院政、常に頭に

 というのが、安倍のいまの状態である。

 ②の「外交特使」については、1面では、こう書いてある。

「菅政権を支えるのが私の仕事だ。求められれば様々なお手伝いもしたい」と意欲を示した。トランプ米大統領やプーチン露大統領ら各国指導者との間で築いた親密な関係を生かし、外交特使などの形で協力する意向を示した。

 しかし、「外交特使」というものは、自ら進んでなれるものなのか。菅が協力を求めているという動きがあって、「協力します」、では「特使に任命します」というのふつうの展開なのではないか。「外交特使」といえばカーターが有名だが、あのときカーターは大統領をやめて、ふつうの市民だった。安倍は国会議員のままである。国会議員が外交の前面に出るなら、それは「外相」として働けばいいだけである。なぜ「特使」なのか。
 1面の記事を読んでいるだけでは、何がいいたいのかわからない。
 自分から「外交特使」をやりたいなどというのは、「一議員の権限」を超えているだろう。今後は「球拾いをしていく」と安倍は言うが、「外交特使」が「球拾い」なのか。
 しかし、2面の記事と結びつけて読むと、1面の見出しの「狙い」がわかる。
 2面には、こういう見出し。(番号は、私がつけた。)

①菅氏、外交も「安倍路線」
②手腕未知数 米中との関係課題

 「安倍路線」継承は、菅が言い続けていることだから、①の見出しは問題がない。単に菅の主張を紹介しているだけだ。
 問題は②の見出し。これは1面の安倍のインタビューと違って、菅の主張ではない。読売新聞の菅に対する「評価」である。

 菅首相は外交・安全保障政策で、安倍前首相の路線を継続する考えを明確にしているが、安倍氏が得意とした首脳外交に関する菅氏の手腕は未知数だ。

 と、書き出しでいきなり「未知数」という評価をしているが、その根拠はどこにも書かれていない。どんな経験を積んだ人間が首相になろうと、はじまったばかりの仕事の結果は「未知数」に決まっている。
 菅自身は、どう語っているか。

 首相はこれまで、安倍外交を官房長官として支援してきたが、ペンス米副大統領らと会談した以外に、外交の表舞台に立った経験は少ない。自民党総裁選の討論会では、トランプ氏ら外国首脳と良好な関係を築き、課題の解決を目指した安倍氏を念頭に「そうしたことは私はできない」と認め、「自分型の外交姿勢を貫いていきたい」と語った。

 これは、どう読んでも、「安倍流のトップ外交はしない。自分の姿勢を貫く」としか要約できない。外交課題の「方針」は「安倍路線を継承する」。しかし、外交スタイルは「安倍流を継承しない」。
 ここから見出しを取るならば、

②首脳関係 自己スタイル模索

 くらいだろう。菅の主張を見出しにとらず、はじまってもいないことにたいして「手腕未知数」と断定するのはなぜか。
 「未知数」の菅にまかせるのではなく、経験が豊富な安倍にまかせろ、と読売新聞は言っているのだ。安倍は「外交特使」に意欲を示している。安倍にまかせろ、と2面の記事で、1面の安倍の「意欲」を支持している。

 ここから整理すると、読売新聞は、安倍は衆院の早期解散を提唱している。外交問題については、菅にまかせるのではなく安倍にまかせた方がいいという「考え」を読者に浸透させようとしているのである。
 菅が考えていることよりも、安倍の考えていることの方が大事、と、いまでも忠実に「安倍よいしょ」をしているわけだが、問題は、その「よいしょ」を紙面を使って読者に押しつけていることだ。
 私は菅を支持しているわけではないが、このあからさまな菅無視、安倍尊重という姿勢には非常に違和感を覚える。あまりにも菅に対して失礼だろう。
 読者に対しても、菅の考えていることより、安倍の考えていることの方が重要と主張するのもおかしいだろう。
 それとも菅はお飾り、安倍院政が「始動」した、と読売新聞は言うのかもしれない。まあ、そうなんだろうねえ。
 そして、そうなんだろうなあ、と思うと同時に、やっぱり読売新聞は「正直」だねえ。知っていても「隠す」ということができない。安倍院政がはじまった。私はこんなに安倍のやりたがっていることを知っている、と宣伝せずにはいられないらしい。








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「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
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#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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破棄された詩のための注釈21

2020-09-17 15:57:02 | 破棄された詩のための注釈
破棄された詩のための注釈21
                        谷内修三2020年09月17日

 窓を開けたことのない部屋の匂いがする。時間の匂いだ。動かない時間の、匂い。真昼の光さえ、ガラス窓の縁まで来て、とまどっている。
 この描写は、こう書き直される。
 悔恨がいた。悔恨は、いない。いないことによって、もとのままの姿が見える。本棚を背に、椅子に座って窓の外を見ている。顎を、肘掛けのうえにのせた手で支え、足を中途半端に投げ出している。あのときの姿のままだ。しかし、悔恨は、私の存在には気づかない。窓を閉めきっているようにこころを閉めきっている。


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桜を見る会中止?

2020-09-17 11:50:04 | 自民党憲法改正草案を読む
桜を見る会中止?
   自民党憲法改正草案を読む/番外395(情報の読み方)

 つい先程「縦割り行政打破?」という文章を書き、その最後に、「縦割り行政打破」という旗印を逆に利用して、桜を見る会の問題を追及できるはず、というようなことを書いたのだが。
  2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)2面の見出し。

「桜を見る会」来年以降中止/首相表明

 という小さな記事がある。
 あっ、と叫んでしまった。

 首相は「安倍政権発足以来、政権が長くなる中で招待客が多くなったことは事実だ。会のあり方についてもいろいろと批判がある」と指摘した。その上で、「首相に就任して、この機に来年以降、桜を見る会は中止したい」と述べた。
 桜を見る会を巡っては、安倍前首相の後援会関係者が多数招待されていることが国会などで問題視され、政府は昨年11月、今年4月の会を中止することを決め、会のあり方の見直しを検討していた。

 この記事を読むかぎり、「桜を見る会中止」は「安倍政策」の「継承」そのものである。
 しかし、狙いは違うだろうなあ。
 「桜を見る会」問題を完全に隠蔽すること。もう開かないのだから、過去の問題など気にする必要はない。同じ問題は起きない、と言ってしまえる。つまり、これは「検証」の拒否なのだ。「桜を見る会中止」は「桜を見る会問題の再検討中止」なのである。
 そして、これには、私が先に指摘した「縦割り行政打破(見直し)」と関係があるのだ。
 問題を「縦割り」のなかだけで検討するではなく、外部を含めて関係を見直していくということであれば、どうしてもホテルニューオータニの資料(安倍事務所と取り交わした見積書、契約書、ホテル側のパーティー企画書、食材の発注書)などをつかって検証することも求められるはずである。
 それを封印してしまうのだ。
 「もうホテルニューオータニで前夜祭をすることもありません。だから調べる必要もありません」
 でも「過去」の検証と「未来」はどうするかは別問題である。
 
 読売新聞の記事だけでは、どういう「経緯」で菅が中止を表明したのかわからない。もしかしたら「やらせ質問」があったのかもしれない。「縦割り打破」との関係から追及されるのを避けるために、「縦割り行政」ということばはつかわずに、「森友、加計、桜を見る会問題については、どう対処するか」というような質問をさせ、「中止します」と表明することですべてを封印する作戦を取り始めたといえる。


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#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞



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縦割り行政打破? 密告制度? 個人情報収集強化?

2020-09-17 09:58:18 | 自民党憲法改正草案を読む
縦割り行政打破? 密告制度? 個人情報収集強化?
   自民党憲法改正草案を読む/番外394(情報の読み方)

 2020年09月17日の読売新聞(西部版・14版)1面の見出し。

菅内閣 発足/「行政の縦割り打破」

 問題は、「行政の縦割り打破」のために、どういうことをするか、である。記事にこう書いてある。

 首相は(略)「行政の縦割り、既得権益、悪(あ)しき前例主義を打ち破って規制改革を全力で進める」と強調した。その一環として、国民から具体的な事例を通報してもらう窓口「縦割り110番」を設置する考えを明らかにした。電話や電子メールで受け付ける方針だ。

 この読売新聞の記事を読むかぎり、「縦割り110番」をどこに設置するのかがわからない。「どんなこと」を対象にするのかがわからない。そして、ここがいちばんの問題だと思う。
 「通報」はきっと「密告制度」にかわる。

 コロナ対策を思い返すだけでいい。感染したかもしれないという不安があっても「海外渡航歴がない、37・5度が4日つづいていない」などの理由で、何人もの国民が困っていた。「受診基準」は国が設置したものである。保健所を含む医療機関は、「国の基準に合致しないから診察・検査できない」と言い張った。
 「縦割り110番」がなかったから、この問題が改善できなかったのか。
 政府に、その声を聞く姿勢がなかったからである。国民の声は新聞やテレビで国に伝わっていたはずである。そして、そのとき「国民の声」を聞いた加藤は何といったか。「37・5度が4日つづかないと受診できない(4日はがまんしろ)というのは国民や保健所などの誤解である」と責任を国民と医療機関に押しつけた。加藤は、自分には一切責任がない、と言い張った。
 ここからわかることは、大事なのは、苦情の通報制度の確立ではなく、苦情に個別対応する現場の「自由度」であることがわかる。実際、和歌山県では、国の基準とは違う基準で対応し、感染者抑制に効果を上げた。現場にしかわからないことがある。現場にまかせる、いわば「権限の委譲」が必要なのだ。
 「国民の声(苦情)」を一括管理し、問題点の改善を上から指摘、指導するするというのでは、新しい「縦割り(基準)」ができるだけである。「37・5度以上が4日は、37・5度が2日」に変わるだけである。つまり「37・5度が2日つづいていないなら検査できない」と言い直されるだけである。体温には個人差がある。ふつうの体温が36度以下のひとにとっては37・5度がどんなものかが考慮されていないままである。

 こんな問題も考えてみよう。公園に、いろいろなものが捨てられている。家具、家電製品、腐った魚、医療品(注射器)。あの奇妙な黒い塊はテロリストがつくった爆弾? そういうものを見たとき、市民はどこに通報すればいいのか。通報を受けた部署は部署で、処理を別の部署おしつけないか。注射針があるなら、特別な注意が必要。もし爆弾ならば、ごみ収集車では処理できない。市でなかなか解決策が出ない。このとき国民が「縦割り110番」に電話したら、どうなるのかなあ。
 きっと、「ごみ問題は自治体の問題です。苦情は市役所にいってくれ」と言われるだけだろう。
 あるいは、こんな問題はどうだろう。米軍基地の近くに住んでいる。飛行機の音がうるさい。隣の家は防音窓が設置されたのに、自分の家には補助が出ない。基準の適応がおかしい。もっと柔軟に対応してもらいたい、というようなことを「縦割り110番」に通報したらどうなるのか。
 「そういう問題は受け付けていない」と鼻から拒否されるのではないのか。

 なんといっても、何が縦割りか、そのこと自体が国民にはわからない。「行政の縦割り組織構造」が国民にはわからない。どこからどこまでが「縦割り」内部の問題で、どこから「縦割り」を超える問題か、それがわからない。わかるのは、自分の苦情が「たらい回し」にされているということだけである。
 「縦割り行政(縦割り組織)」の問題点は、わざわざ「外部(国民)」の声を聞かなくても、その組織の内部で働いているひとならわかるだろう。こういう改善をしたいのだがと提案しても、それはよその部署の問題、という拒絶に出会うのは内部のひとだろう。国民の声を聞く前に、実際に働いている内部の声を聞くべきだろう。
 かつて田中角栄が大臣になったとき、該当の職員に、「提案(主張)があればだれでも直接私に言ってこい」と言ったそうだが、こういった「部署内部」の自由こそが大切だろう。「内部」の自由を高める必要があるのだ。「内部」の問題を「外部」の声を聞き、その声にあわせて上から改革しても内部の問題は複雑になるだけだろう。新しい「押しつけ」が生まれるだけだろう。
 だいたい菅のやろうとしていることは、「内部(下部組織)」の声を聞くということとは逆である。菅は「政府の方針に従わない職員は異動させる」と言っている。「他人」の声を聞かない、自分の主張に従わせる、と言っている。
 こういう人間が「縦割り110番」によせられる国民の声を聞くはずがない。国民に逆に何かを命令するだけだろう。命令を出すよりどころとして「縦割り110番」を利用するにちがいない。

 つまり、こういうことだ。
 「縦割り110番」が菅が打ち出している「デジタル庁」に設置され、メールで受け付けた「通報」が全部集約されるとする。マイナーバーとメールが結びつけられ、だれが、どんなことに対して不満を持っているかという情報が一か所に集められる。「苦情」というのは一回言えば解決するということはない。解決したように見えても新しい問題点が見つかる。そうすると再び「110番」する。それが積み重なると、ある人物がこういう不満を持っているということが徐々にわかり、それが「情報」として共有されることになる。(電話にしろ、電話番号は把握され、記録され、「情報」として共有されるだろう。)
 たぶん、これこそが菅の狙いなのだろう。
 「縦割り110番」という国民の意見を聞く組織を前面に出すことで、国民の「思想調査」をし、分類する。行政機関がどんな討議をし、どんな結論に達したかという記録、議事録は残さない。しかし、国民がどんなことを言ったかを、克明に記録し、集積する。国がやっていることは「情報公開」しない。しかし、国民のやっていることは「情報管理」する。
 そしてこのとき、「その問題は、縦割り110番で受け付ける問題ではない」と担当者が回答したとしても、その瞬間に誰がどんな苦情を言ってきたかということは抹消されるわけではなく、誰が何を言ってきたか、少なくとも誰が言ってきたかは記録として残る。そして、その情報は「不満分子」として共有されるようになるだろう。
 前川問題を思い出すべきだろう。前川の風俗店通いを菅は、どう説明したか。「風俗店」だけを強調したうえで、前川の人格攻撃をしなかったか。こういうことが、一般国民にまで広げられるのである。

 「縦割り行政」を改めるというのなら、まず、森友学園、加計学園、桜を見る会の問題から見直すべきだろう。「資料は廃棄した」と簡単に言うが、どの部署をの資料を廃棄したのか。財務省の資料だけを調べて「存在しない」というような対応の仕方はおかしいだろう。いちばんわかりやすいのが、桜を見る会である。各省庁経由で選ばれたひとがいるはずだ。資料は分散しているはずだ。ホタルニューオータニにも資料があるはずだ。ホタルニューオータニは「民間企業なので、対象外」というのであれば、それこそ「縦割り」の考えだろう。
 国会では、野党には、この「縦割り」を武器にして、菅を追及してほしい。「縦割りを打破すると言ったのだから、まず、いまやっている縦割りでの認識を再点検する(別の角度から点検する)」をすべきだと追及してほしい。



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松浦寿輝「人外詩篇 9」

2020-09-16 17:55:31 | 詩(雑誌・同人誌)
松浦寿輝「人外詩篇 9」(「現代詩手帖」2020年09月号)

 松浦寿輝「人外詩篇 9」を読み始めてすぐに、奇妙な行に出会う。

しかし沈黙にもじつは
いくつもの音
たくさんの音
無数の音がみなぎっている と

 「いくつも」「たくさん」「無数」の違いは何?
 これだけではわからない。わからないけれど、読んで瞬間に、はっとする。
 「いくつも」だけでは言えないことがあると松浦は感じている。その感じている「切実さ」が、「いくつもの音/たくさんの音/無数の音」という非論理的な性急なことばの積み重ねのなかにあらわれている。

わたしは知っていた
じぶんの行為にも思考にも無関係な音を
ふだんはただ 意識がそとに
排除しているだけなのだ

 これは「沈黙」の定義であって、「いくつもの音」(とりえあず、このことばでひとまとめにしておく)ではない。世界には「いくつもの音」が存在するが、自分の行為、思考とは関係ないものを排除しているので「沈黙」が存在するように錯覚する。
 この松浦の定義は、「沈黙」の定義であると同時に、人間存在の定義である。人間は自分の行為、思考を中心にして世界をとらえている。それは「音/沈黙」についてもいえる。もし、「意識を空白にして/ただ耳をすま」せば、世界はどんなふうにあらわれてくるか。

刃物を研ぐように 耳を研ぎすます
そんなうすい とてもうすい刃でなければ
真芯にあてられない繊細な響きがある
地面をはう虫の足の動き
微風にそよいですれあう葉と葉
屋内で息をひそめているヒトたちが漏らす
かすかなささやき

 「音」は「響き」と言い直され、「響き」が存在するとき、そこには「自分以外のものの行為(動詞)」が存在する。地面を「はう」、足の「動き(これは動詞派生の名詞)」「そよいですれあう」「息をひそめる」「漏らす」「ささやき(ささやく)」。そこには必ず「主語」がある。そして、その「主語」とは「わたし」ではない。「わたし」以外のものだ。そこにはもちろん「人間」もふくまれる。
 ここでは、松浦は、いわば「他者」を発見している。
 「沈黙」は自分で作り出したもの。しかし、「沈黙」は自己定義によって生まれてくるものであって、「世界」に自然に存在しているわけではない。「自己定義」をやめてしまう(意識を空白にする)と、それまで意識が排除していた「もの」が世界としてあらわれてくる。
 そして、その「あらわれ」には「響き」が伴っている。
 「響き」と「音」は、どうちがうのか。「他者」の動きが意識されるとき、「音」は「響き」になるのか。「響き」とは「他者の認識」なのか。
  もっと明確な「他者」を出現させ、詩は、転調する。

目をあけると 男とも女ともつかないきみが
立ちどまってわたしを見つめていた
しばらく見つめたあと
ことばが通じ合わないのはいいな とだけ
きみはひくいことばでつぶやいて
あとはだまってほほえんでいた

 「ことばが通じ合わない」のに、そのひとの「ことば(響き)」が「ことばが通じ合わないのはいいな」と聞こえたのはなぜか。「ことば」が「つぶやく」という動詞で定義されていることと関係するだろう。「つぶやく」のはひとに聞かせるためではない。ふつうは、言うつもりもなくて「声」が出てしまうのが「つぶやき」。話す(語る)ときとつぶやくときは、「響き」がちがう。行為と思考(意識)が違う。
 松浦は、ここでは「音」とは違うものとして、「響き」を定義しなおしている、ということになる。
 これを、さらに言い直す。

きみの顔は軒下の影のなかに入っていたが
ほほえみは直接わたしの心につたわってきた

 「響き」は「わたしの心につたわってくる」ものである。しかも、「直接」つたわってくる。「音」は「耳」をとおって聞こえてくる。しかし、「響き」は「直接」こころにつたわってくる。しかも、それは「響き(聴覚でとらえたもの)」ではなく「ほほえみ(視覚でとらえたもの)」として。
 感覚の越境がある。
 「直接」とは、この「越境」のことである。
 そして、この越境を促すのが行為(ほほえむ)ある。そこには「ことば」は存在しない。「ことば」をともなわないことを「直接」と言っていることがわかる。

 この詩の最初の方で、「自分の行為、思考」ということばが出てきた。「意識」ということばで言い直されているが、つまり「自意識」というものがある。「自意識」を「空白」にすると、「他者」がそれまでとは違った仕方で見えてくる。しかし、このときも「自意識」を中心に「自己/他者」の区別が存在する。
 その「境界」が消える瞬間がある。
 この瞬間を、何と呼ぶことができるか。

きみの足もとに 月光にうすぼんやりと
うかびあがっているあじさいの花
もし沈黙にいくつもの種類があるとすれば
ほほえみがつたえてくる沈黙は
そのもっとも上質な種類のものだ

 「沈黙」と言い直されている。「いくつもの音/たくさんの音/無数の音」は、「ことば」を経由して、また「沈黙」ということばに帰るしかない。
 これは、矛盾か。
 矛盾かもしれない。しかし、そういう矛盾でしか語れないものが、詩なのである。
 「沈黙」を定義しようとして、定義はできなかったが、「もっとも上質な沈黙」を発見するまでを松浦は描いている。








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「石破阻止」を言い換えると?

2020-09-16 09:15:48 | 自民党憲法改正草案を読む
「石破阻止」を言い換えると?
   自民党憲法改正草案を読む/番外393(情報の読み方)

 2020年09月16日の読売新聞(西部版・14版)3面に、自民党総裁選の「検証」が載っている。

「石破阻止」安倍首相動く/「後継は菅氏」麻生・二階乗る

 書かれていることに「新鮮味」はない。「検証」とは言うものの、既報のことがらを並べなおしただけである。
 こういうときは「検証」そのものを「検証」してみる必要がある。

 まず、見出し。
 ここには、ひとの名前しか出てこない。石破、安倍、菅、麻生、二階。これは何を意味するか。「人間関係」で総裁を選んだということである。「政策」を支持して菅が選ばれたわけではない。
 読売新聞は、とても「正直」なので、こういうことを隠せない。「事実」を書いてしまう。だから、おもしろい。
 記事では、どうなっているか。
 前文には、こう書いてある。(番号は私がつけた。)

 14日投開票の自民党総裁選では、安倍首相が菅官房長官を事実上、後継指名し、圧勝へと導いた。①首相は「反安倍」を鮮明にする石破茂・元幹事長の勝利を阻止することを重視し、②支持拡大が望めない岸田文雄・前政調会長よりも③自らを支え、実績を積んできた菅氏を選んだ。(政治部 藤原健作、阿部真司)

 ①「石破阻止」という見出しの要素が要約されている。「反安倍」が石破の定義なのだが、具体的にはどういうことか。記事を読み進むと、こう書いてある。

石破氏は森友・加計問題の再調査や、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について再検討を行うことを主張するなど、「安倍路線」の転換を訴えていたためだ。

 森友・加計問題再調査、辺野古移設再検討。「再」としか書いていないが、この「再」をとりあげて読売新聞は「反」と言い直していることになる。
 「再」だけでは「反」にならないことは、たとえば「再選」ということばを見るだけでもわかる。「再」が「支持」を意味することがある。
 だから、「再」を「反」と言い直すときには、そこに隠されている何かがある。「再」調査、「再」検討すると、「反対(いままで言われていることとは違ったもの)」のものが出てくることを読売新聞は知っているのである。
 知った上で「再調査阻止」ではなく「石破阻止」と言い換えることで、問題になっていることを「事実」ではなく「人間関係」にすりかえている。
 見出しを、

 森友・加計再調査阻止へ安倍首相動く

 とかえてみると、①の部分が明確になる。「石破阻止」ではないのだ。そして、それは「安倍」と「阻止」を使って言い直せば、「安倍逮捕阻止」なのだ。安倍は自分が逮捕されないようにするために菅を選んだということだ。
 なぜ、菅か。菅は、安倍と同じ「きず」を持っているからである。石破について触れた部分では書いていないが、菅については、こう補足している。

自らが入閣を後押しした菅原一秀経済産業相と河井克行法相が昨年10月に不祥事で相次いで辞任に追い込まれるなど、菅氏の求心力は低下した。

 明確には触れていないが河井はいま公判中である。妻の河井案里の選挙違反で、ふたりは起訴されている。そこには1億5000万円の資金提供問題が関係している。この1億5000万円問題は安倍の問題であると同時に菅の問題である。安倍が逮捕されたとき、菅も逮捕されるかもしれない。安倍が逮捕されないなら、菅も逮捕されないだろう。二人は「一心同体」なのだ。
 こう考えると、読売新聞の見出しは、

「安倍逮捕阻止」安倍首相動く

 と言い直すこともできるのである。そして、たぶん、これがいちばん正しい「裏事情」だと私は読んでいる。菅は自分が逮捕されないためにも、総裁になるしかなかったのである。安倍の引きずっている問題を「継承」し、隠し続けるしかないのである。
 前文にある「自らを支え、実績を積んできた菅」というのは、安倍が逮捕されないように支え、そういう実績を積んできた、という意味である。そして、それはそのまま菅の利益でもあったのだ。 
 菅は「自助・共助・公助」ということばを総裁選のとき持ちだしていたが、それは国民の側からみれば「自己責任・共同責任」のおしつけであり、国は何もしないと言っていることになる。菅は「安倍の自己責任」を「安倍と菅の共同責任」として受け止め、それを「国の責任」と自覚するから、隠蔽へと必死になるとも言える。菅も逮捕されたくないだけなのだ。

 ②に出てくる岸田は、読売新聞の見出しにはない。総裁選に出馬しているのに、石破、菅はあっても岸田はない。ここにも「秘密」がある。

 首相は「岸田氏では石破氏に勝てない」と危機感を強めた。総裁選では、出身派閥である細田派に加え、麻生派が岸田氏を支援しても、二階派や竹下派が石破氏支持に回れば、地方を中心に人気のある石破氏に軍配が上がりかねないためだ。

 二階、竹下派が岸田を支持すれば石破に勝てる。でも、支持を見込めなかった。なぜが。前段がある。

 岸田氏の評価は4月以降、下降線をたどっていた。新型コロナウイルス対策の現金給付を巡っては、実績作りにと岸田氏に取りまとめを任せたものの、調整は難航。給付額は二階幹事長や公明党の意向によって、「1世帯30万円」から「1人10万円」へと覆された。

 二階が岸田を評価していないことは明らかである。
 そして、それよりも重要なのは、二階は、二階の支持によって岸田が首相になるか石破が首相になるかのキャスティングボードを握っていると自覚していることである。安倍の認識は二階の認識でもある。
 だからこそ、いち早く菅支持を打ち出して、主導権を握ったのだ。
 岸田のことは二階にはどうでもいい。たぶん石破のこともどうでもいい。安倍が二階が石破支持に回ったら岸田は勝てないと思ったくらいだから、二階はもともとどっちつかずというか、自分のことしか考えていない。「幹事長」でいつづけるために菅を支持したということだろう。
 前文に出てこない麻生はどうか。

麻生氏は首相だった2009年7月、農相を務めていた石破氏と与謝野財務相(当時)から退陣を迫られた因縁がある。

 石破が総理になれば、麻生は大臣でいられなくなる。そう読んだのだ。菅で麻生と二階が同一歩調を取ったのは、自分の「地位」を守るためである。
 だから、ふたりとも「菅内閣」で再任されることが固まっている。

 どこかで読んだことがあるが、中国人は金で動き、韓国人(朝鮮人)は思想で動き、日本人は政治で動く、ということばがある。最後の「政治」は「人間関係」のことである。ひとを利用して自分を守る、ひととのつながりでものごとが決まる。
 安倍は都知事選の最中に「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と言ったが、そのことばのなかにあらわれた「排除」の考え方、「あちら」と「こちら」をわけて、人事によって「こちら」を強化する。
 そういう「人事(政治)」がこれからさらに強くなるのだ。菅はすでに内閣の方針に従わない官僚は異動させると言っている。「異動」とは人事そのものである。

 もう一度、読売新聞の見出しにもどってみる。ほんとうは、何があったのか。

「人事優先」安倍首相動く/「再任密約」麻生・二階乗る

 なのである。「人事優先」だから、石破の「政策優先/事実尊重」は阻止されたのだ。人事と理念や事実は相いれないときがある。そのとき人事を優先するというのが日本の「政治」なのだ。そのことをきょうの読売新聞は強調していた。見出しに出てきたのはひとの名前だけなのだから。

 しかし、傑作である。デジタル版で読むと、この作文(記事)の見出しの前に、【独自】と書いてある。こんなことを「特ダネ」とわざわざ言うなんて。総裁選の裏側を知っているというよりも、新内閣の「人事の裏側」を知っている、といいたいんだろうなあ。だって、菅が総裁に選ばれたあと、どうして菅が選ばれたよりも、内閣の顔ぶれはどうなる?の方に読者の関心は行ってしまっている。1面のトップも「内閣人事」である。「内閣人事の裏側検証」と書けば「特ダネ」なのに、そう書くだけの度胸がないのが、読売新聞の「正直」なところだね。









*

「情報の読み方」は10月1日から、notoに移行します。
https://note.com/yachi_shuso1953
でお読みください。
 

#安倍を許さない #憲法改正 #読売新聞
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鎌田尚美「涸れ井戸」ほか

2020-09-15 11:21:44 | 詩(雑誌・同人誌)
鎌田尚美「涸れ井戸」ほか(「現代詩手帖」2020年09月号)

 鎌田尚美「涸れ井戸」は「現代詩手帖」2020年09月号の投稿欄の作品。書いていることはわかるが、これを書いている鎌田の気持ちがぜんぜんわからない。これを選んだ暁方ミセイと時里二郎の気持ちもわからない。
 たとえば、

天井から下がる蠅取紙にはいくつかの命が囚われ、これも扇風機の風に揺れていた

 これは鎌田の記憶なのか、それともだれかから聞いた話なのか。あるいは、想像なのか。「蠅取紙」をほんとうに見たことがあるのか。
 詩は(文学は)事実を書かなければいけいなということはない。事実というのは、ひとの数だけあるだろうから、どんな嘘にもそのひとなりの「必然」がある。そして、その「必然」だけが「事実」だと私は思っているのだけれど。
 「蠅取紙」をほんとうに見るとは、ただ見るだけのことではない。その部屋でその人が動いたことがあるかどうか、ということである。こどもならば、思わず走り回ったりする。そうすると何かの拍子で蠅取紙が髪にくっついたり肌にくっついたりする。つまり自分が蠅になる。そういうことを体験したことがあるか、ないか。自分が蠅になって、はじめてわかる「いのち」というものがある。死を、蠅やなにかの生き物に平然と押しつけて、人間の「いのち」というものがある。鎌田が「命」と書いているのは、この詩の中に形を変えて動いている「死」である。
 この詩にはいろいろないのちと死が出てくる。私の知らないいのち/死もあるが、こういう肉体で覚え込んでいるいのち/死に出会うと、このひとはほんとうに知っていて書いているのか、と気になってしまう。
 この疑問は、次の連(?)で、いやあな感じになって吹き出す。

まさおは鶏舎で餌をあげていた
一羽だけ餌に寄って来ずまさおから離れていくものがいて、あの鶏は腹が減っていないんだねと云うと、まさおは卵を産まなくなった鶏は人を避けるんだと云った

 これは、鶏が卵を産まなくなったら絞め殺され(食べられる)ことを本能的に(あるいは直感的に)知っているからだ。そういうことが暗示されている。これは実際に鶏を飼ったことのある人なら、肉体で覚えていることだ。その肉体を、鎌田、暁方、時里は共有しているのか。
 こんな疑問を持つのは「餌をあげた」「腹が減った」ということばの間には、私の「肉体」では受け入れることのできない齟齬があるからだ。鶏に餌を「あげる」ということは、絶対にない。あくまで餌は「やる」ものだ。やがて腹が減ったら食べるものに餌を「あげる」ということはない。餌を「あげる」人間が、「腹がへる」というのも、私にはなじめない。「あげる」ということばをつかうひとは「おなかが減る」と言わないだろうか。こういうことばの行き違いを指して、私は「齟齬」と呼んだのだが。
 さらに鶏が放し飼いにされている建物を「鶏舎」とはいわないなあ。私の肉体は「鶏小屋」ということばで、そういう場所を覚えている。「鶏舎」と言えば、ケージに鶏が閉じこめられ、ずらりと並んだ「産卵工場」だ。ケージの床は斜めになっていて、産んだ卵は手前に転がり出てくる。そういうケージができてからは、私の住んでいたような田舎でも鶏小屋はなくなって、2、3羽であっても、壁にケージをくっつけて、ケージで飼っていた。そして、そういうときは絶対に餌を「あげた」とは言わない。大切にする「気持ち」をこめない。大切なのは鶏ではなく、生きている自分である。
 肉体で覚えている「事実」と、肉体で覚えている「ことば」が合致しない。これを合致させる肉体とはどういうものなのか。私は鎌田も知らないし、時里も暁方も知らない。彼らがどんなふうにして自分自身の肉体、ことばと向き合ってきたか知らないから、このことを合致させてきたき言われれば、あ、そうなんですね、と言うしかないが。

 朝比奈信次「マンボウザメ」は「気仙川」でマンボウザメを見たときの思い出を書いている。選者は暁方。ほんとうにマンボウザメを見たのかどうか知らないが、次に書かれていることはほんとうだろう。

あくる日ひとりのクラスの子にこっそり
告げると
話はかんたんに広がり
彼らはうれしがった
夕方そっと言って
沢山のひとみを動かしたが
マンボウを見かけることはなかった

 たぶん嘘なのだ。そして嘘であるとわかっていても、真実であってほしいと思う気持ちが、こどもを「かんたん」に動かしてしまう。うれしがらせてしまう。そして、嘘とわかっている真実を確かめにゆく。「ひとみ」という「肉体」がそのとき、はっきり動く。朝比奈の「ひとみ」は動かずに、仲間の「ひとみ」が動くところを見ている。そのとき、だましたはずの朝比奈が仲間によって裏切られる。だまされる、のではなく、「だます/だまされる」とは違った真実のようなものが生まれるのだ。
 そういう瞬間が、「肉体」と「ことば」によって一つになり、いままで存在しなかったものが出現する。それを朝比奈は、こう書き留める。

川の水のどこかで
マンボウが信仰になる

 鎌田も「信仰」のようなものにまでことばを動かしていきたかったのだと思うけれど(わたしはそう理解しているけれど)、「神話/信仰」のようなものは、「素材」を揃えればできあがるのではない。「肉体」と「ことば」が緊密に動かないと、「よくできた思い出」におわる。

 佐藤しづ子「貝殻状断口」は、時里が選んでいる。

氷砂糖をおかずにカンバンをかじり
夜空を眺めてみる
たにみるものも
よむあかりも
ながれるねがいもないので

 読みながら、あ、暁方の選びそうな詩だなあ、と思った。朝比奈の詩のときは時里が選びそうな詩だなあと思った。ところが、逆の選者が選んでいる。別に、どうということもないのだけれど、二人のあいだで、微妙な「影響」が動いているのかもしれないと思った。







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