詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「現代詩手帖」12月号(15)

2022-12-24 10:11:16 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(15)(思潮社、2022年12月1日発行)

 多和田葉子「きっと来る」。

一度ひらいてしまったら
もう取り返しがつかない
散るまでに闇に戻れない

 この「に」は何だろう。「散るまで闇に戻れない」ではなく「散るまでに闇に戻れない」。「散る前に」闇に戻りたいのだろうか。「散らないかぎり」闇に戻れないということを強調しているのか。
 詩は、

ひらいてしまって大丈夫なの?
汚れやすく傷つきやすい白を
寒気にさらけだして枝に咲く

 とはじまっていた。桜の花を描いているように見えた。ほかの花よりも早く咲いてしまった、桜。
 しかし、桜ではないかもしれない。開花ではないかもしれない。どこかに、ロシアのウクライナ侵攻の、取り返しのなさが隠れていないか。
 一度、武器が火を噴いたら(開戦したら)、取り返しがつかない。何もかもが破壊されないかぎり、元に戻れない。

侵略と感染に怯える沈黙の中
あなただけが花火のように満開だ
春が来ることを全身で信じて

 最後の三行も桜を語っているのだが、ロシアのウクライナ「侵略(侵攻)」、コロナウィルス「感染」を思うのである。
 思うに、闇には二種類あるのだ。何もはじまらない無としての闇、何もかもがなくなってしまったあとの無としての闇。何もはじまらない闇、何もなかった闇には、もうだれも戻れない。戻るためには、何かをしなければならない。
 多和田は「に」にどんな運動を託したのか。「わざと」なのか、無意識に(自然に)なのか、わからない。しかし、非常に、ひっかかる。強い印象を残す「に」である。

 中村実「冥土(六)」。死んだら、死者と会えるか。かつての知り合いと会えるか。

そうだ、冥土にはあらゆる時と場所にかかわりなく
死者が送りこまれてくるのだから、知り合いと簡単に出会えるはずがないね。
こうなったら、いっそ、あの世が恋しいねえ、あそこに戻れば
あの道角にも、あの通りにも知った人たちばかりだから、懐かしくてたまらない。

 「あの世」と書かれているが、これは「冥土」からみた「あの世」だから、実は、この世。多和田の書いていた「闇」は、これに似ているかもしれない。「この世」がいいわけではないが、「あの世」に行ってしまうと、「あの世」になってしまった「かつての、この世」が懐かしい。それが「闇」であっても。あるいは「闇」だからこそ。
 生きているときは、知った顔にばかり会う。いやになってしまう。そして、「この世は闇だ」と言ったりする。そのときの、「闇」。そこに戻るのは、ほんとうにむずかしい。

きみのいう知り合いもみんなもう冥土に来ていることを忘れているのじゃないか。
いまさら、あの世に戻りようもないけれど、戻っても誰と会えるわけじゃないのだよ。
そう言われればそのとおりだな、ぼくたちはこの小径を行くより他はないのだね、
この広場を抜けて、いつまでもうす暗い小径を行くより仕方がないのだねえ、と答えた。

 しかし、私は「この小径」を受け入れることはしたくない。「この小径」は小さく見えるだけで(大きさが見えないだけで)、ほんとうは「取り返しがつかない」(多和田の詩の中にあったなあ)くらい大きい。そして、それは「闇」ではなく、唯一の光のように提示されているというのが、いまの「現実」だと思う。
 そう、私は、とんでもない防衛費の拡大のことを言っているのだ。「敵基地反撃能力」と、奇妙な名前で語られている軍隊の拡大。それは、ロシアのウクライナ侵攻によって、まるで「希望」のように語られている。そんな「希望」よりも、「専守防衛では死んでしまうかもしれない」という不安な闇の方が、はるかに安全だろう。
 「闇」に二種類あるように、「安全」にも二種類ある。

 野崎有以「貝拾いの村」。いま、この「寓話」が書かれる理由は何だろうか。野崎は、どうして古くさいストーリーを書くのか。たぶん、古くさいストーリーは、すでに共有されているからだ。そこへ帰っていく。

男はかつて本当に愛した女によく似た少女と出会った
若かった頃 あのどんよりとした暗い女に見つかる前の話だ
その少女もまたひどく傷ついていた
男は理由も訊かず少女を抱きしめた

 しかし、野崎の書いている「暗い(暗さ)」、それは、多和田の書いた「闇」や、中村の書いた「あの世(冥土から見たこの世)」とは違うような気がする。むしろ、「敵基地反撃能力」のような「かつて見た(以前もあった)希望」のように私には思える。そういう意味では、野崎は、「時代を先取りし続けてきた詩人」なのかもしれない。野崎の書いたものを全部読んでいるわけでもないし、順序立てて読んでいるわけでもないが、私は、どうにも納得できない「いやあな暗さ」の反復、反復の「いやあな暗さ」を感じる。
 野崎は「わざと」書いているのだと思うが、その「わざと」が誰に向けてのものか、私にはわからない。

 

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「現代詩手帖」12月号(14)

2022-12-23 12:12:32 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(14)(思潮社、2022年12月1日発行)

 新井啓子「クラウドボウ」。故郷へ帰るとき、こんな描写。

峠のさきに海岸線がある
背骨のような稜線は
起き上がり
波打ち
折れ曲がってつづき
その末に するどく
海原に突き出た
(細長い岬
昔 ちちははが巡った

 「昔 ちちははが巡った」という一行が、それまでの描写を新井個人の視点から、両親の、さらにその祖先の視点(記憶)に変える。「細長い岬」だけが「両親のことば」かもしれないが、その岬を見て「細長い岬」をまるではじめて見るかのように発見するとき、そのことばにたどりつくまでに動いたことば、「峠のさきに海岸線がある」から「海原に突き出た」が、「両親のことば」になる。「歴史/記録/記憶」になる。それは、単にことばではなく、そのことばをたどる「肉体」になるということだ。だからこそ「巡る」という動詞が出てくる。繰り返し繰り返し(巡るように)、そこを歩いたのだ。
 この「自然」は、とてもいい。
 「わざと」ではない。「巡る」ことで、土地が、風景が、「自然」そのものになる。「自然」として生きるものになる。両親が生きたように、土地も生きている。人間と土地が組み合わさって「自然」になる。「自然」が人間の精神の「自然」を育て、生きていく。

 荒川洋司「真珠」。男女の連れが喫茶店に入ってくる。男が話している。野球の話だ。

選手の予想に飛び、根尾、今年もどうかとなり
転じて昔、西部から中日に移ったコーチ某は
現役で二年しか投げなかった、いつだったか
七回裏に逆転満塁ホームランを浴びて、など
異常なこまかさが世の根幹となる

 「世の根幹」。
 新井の書いていた海岸の風景もその類だ。語らなくても、それは存在する。男の話も語らなくても、すでに存在し、知っているひとは知っている。男の話を荒川が再現できるのは、荒川がそれを知っているからである。私は野球のことは何も知らないから、荒川が聞いた男の話をことばに再現しようとすると「嘘」になる。何か資料をつかって点検しながら書いたとしても(たとえば、七回裏、とか)、それは「嘘」なのだ。いいなおすと、私が「肉体」として知っていることではなく、どこか、他人の「知識」から引っ張りだしてきたものにすぎない。それは「わざと」書かれた正確さになる。「自然」がなくなる。
 「わざと」を排除した「自然な積み重ね」(変わらぬ海岸の風景のようなたしかさ)というものが「根幹」なのであり、それは「世」に共有される。新井の両親が見た風景が、新井に共有され、さらに土地の人に共有される。それは、私がその「場」へ行くことがあったら、その瞬間に共有できる。私が野球に詳しく、たまたま男の話を聞いたら、「七回裏の逆転満塁ホームラン」が共有できるのと同じだ。
 荒川は、どんな「わざと」(西脇の言う、わざと)を書いても、それを「自然」になじませることができる。西脇とは別の「教養」がある。それは「世」というものがもつ「智慧」に通じるかもしれない。
 「真珠」は「身のほどが輝く真珠」という一行からはじまっているが、その「身のほど」の「身」が大事。そのことを荒川のことばは知っている。

 最果タヒ「恋は無駄死に」。

恋が恋だという確証はどこにもないまま
死体になっても手を繋いでいたらその愛は本当って
信じている人のため
死体の手を結びつける仕事をしている
本当の死神の仕事

 この「わざと」は、どんなに時間をかけても「自然」にはならないだろう。そういう「逆説」が青春ということか。
 私は古い人間なので、

「キスしたかった すごくしたかった それだけだった だからしたし 好きかどうかはそこから考えようと思った

 このことばが「自然」になってくれればいいなあと思う。
 私は詩を読むとき、年齢とか、性別とかはふつうは考えないが、新井、荒川、最果とつづけて読むと、最果のことばは若いなあ、と感じる。それは、私が若さを失っているということかもしれない。
 『さっきまでは薔薇だったぼく』には、もっと「自然な輝き」にあふれたものがあったとも思う。

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇263)Obra, Jose Abel

2022-12-22 22:10:06 | estoy loco por espana

Obra, Jose Abel
Seleccionado en el XXI Certamen Cultural Virgen de las Viñas 2022, con mi obra "Brumas en Londres" Feliz

En el dique seco 150x100
Mixta con fuego sobre tabla

 El negro de José Abel tiene "memoria". Más bien sería mejor decir "récord".
 Una cosa existe. Con el tiempo, pierde su forma inicial y se convierte en otra cosa. Aunque se haya convertido en otra cosa, algo permanece en ella. Cuando hablamos de "memoria", hablamos de algo espiritual o humano; el negro de José es mucho más material. Es un "récord" que existe sin espíritu humano, sin emoción.
 Un "récord" es también un "crueldad". Piense lo que piense, siente lo que piene, el negro de José sigue existiendo. No tiene nada que ver con las emociones humanas.
 Cuando las cosas se convierten en "récord", las personas también se convierten en "récord": los enormes barcos y edificios urbanos que dibuja José quedan como "récord" de que allí vivía gente. El "récord" trasciende las cosas y se convierte en el propio "tiempo", y seguirá existiendo eternamente. El color negro de José me dice que lo que los humanos podemos dejar atrás no es el espíritu ni las emociones humanas, sino un "récord del tiempo" en que hemos vivido.

 Jose Abel の黒には「記憶」がある。むしろ「記録」と言った方がいいかもしれない。
 ものが存在する。そのものはやがて最初の形を失い別なものになる。別なものになってしまっても、そこには何かが残っている。「記憶」というと、精神的なもの、あるいは人間的なものになってしまう。Joseの黒は、もっと物質的である。人間の精神、感情がなくても存在する「記録」なのだ。
 「記録」とは「非情」のことでもある。私が何を思おうが、私の思いとは無関係に、Joseの黒はそこに存在し続ける。「非情」とは、そういう意味である。
 ものが「記録」にかわるとき、人間も「記録」になる。Joseの描く巨大な船や都会のビルは、人間がそこに生きていたという「記録」として残る。「記録」はものを超えて「時間」そのものになり、永遠に存在し続けるだろう。人間が残しうるのは、人間の精神、感情ではなく、人間が生きてきた「時間の記録」だと教えてくれる。

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「現代詩手帖」12月号(13)

2022-12-22 11:42:30 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(13)(思潮社、2022年12月1日発行)

 山崎佳代子「旅は終わらない」。一連目、

耳なれぬ国々の言葉たちが
通りすがりの町にあふれ
重い足音と混ざりあい
音楽となっていった
人の列はとぎれず
長旅の叙事詩に
終わりはない

 意味よりも、音よりも、一字ずつ減っていく連の形に目がとまる。そのために何が書いてあったか、印象に残らない。一字ずつの増減は、他の連でも繰り返されるから、これは山崎の狙いである。この形が崩れたら、その乱れが印象に残る。
 それが三連目。

この夢のなかへ
曇りガラスのむこうから
知らない男と女の声がとどく
やっと心が安らいできた、と女
だが、何一つ、解決したわけではない、と男

 突然、「ドラマ」になるのである。これは「わざと」である。そして、この「わざと」は一瞬だから、いい。

 青木風香「お前風俗行くなよな」。「お前」ということばが、ここにはドラマがある、と告げる。でも、それが「風俗行くなよな」ということばで閉ざされると、私は、とても窮屈に感じてしまう。風俗の客になるな、風俗の店員になるな、のどちらを言っているのかわからないが、とても古いドラマ、映画で言うと「赫い髪の女」(神代辰巳監督)の世界だな。四、五十年前の映画だから、いまは、これが新しいのかもしれないが。

自分を大事にしろよ
見栄なんて捨てろよ
二人で旅行にいこう

 これは「わざと」かなあ。「わざわざ」かなあ。私には、よくわからない。どちらにしたって、このことばは、「肉体」を要求している。つまり、「過去」という肉体をもった役者が、「ことば」を隠して肉体をさらけだすときにだけ輝く類のものだと思う。
 なぜだかわからないが、「赫い髪の女」で、女が「このあたり、卵がめちゃくちゃ安い」と怒るように言っていたシーンを思い出してしまう。肉体がそこにあるとき、どんなことばもドラマになる。
 詩は、役者の肉体に頼らず、ことばそのものの肉体を見せるものだ。青木のことばの肉体は、妙に古い感じがする。「わざと」? 

 暁方ミセイ「白椿」。

あなたをわたしが見
わたしをあなたが見

 「見つめ合う」ということばを拒絶しているところが、とてもおもしろい。「見」という単独の漢字が、ふたりの「関係」を象徴している。
 で、これは、こうつづく。

その関係のあいだで生じたものは
流れ流れて
いまごろ春の湊の渦の
永久にとどまる水滴の一瞬です

 意味なのか、イメージなのか、よくわからない。しかし、「あっ」と思う。それが「ことばの肉体」というものだろう。役者がスクリーンに出てきた瞬間、「あ、宮下順子だ、女が出てきた」と思うようなものだ。暁方の詩にふさわしい例ではないが、青木の詩を読んだあとなので、そんなことばが動く。山崎の書いていた女と男も、「赫い髪の女」の世界を生きているのかなあ、と思い出したりもする。
 私はいつでも何かの影響を受けながら、ことばを読んでいる。
 脱線したが。
 この「一瞬」は、最後に、こう言い直される。

白椿に似た
居もしないあなた あなたの気配が
ぽったりぽったりと
曇りの空から
温み 落ちてくる
 
 「白椿」に似ているのは「あなた」なのか、「あなたの気配」なのか、あるいは「居もしない」ということ自体なのか(だから気配というのか)、いろいろ思うのだが「ぽったりぽったり」はそういうことを消してしまって「白椿」そのものになっていく。「温み」にもなっていく。
 この「連続性」は、やはり「ことばの肉体」である。
 「肉体」というのは、手にしろ足にしろ、目にしろ耳にしろ、それは単独で取り出せない。どこかでつながることで「一体」(存在)になっている。こういう「切り離せない感じ」を感じる瞬間が楽しい。裸を見ている感じ。
 こんなことを書くと「セクハラ」と批判されてしまうかもしれないが。
 しかし、私は詩を読む(小説を読む、哲学を読む)というのは、私のことばと他人のことばがセックスすることだと思っているし、セックスの果に自分が自分ではなくなる(エクスタシーに達する)ことだと思っているので、「わざと」「わざわざ」、こう書いておくのである。
 

 

 

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「現代詩手帖」12月号(12)

2022-12-21 13:22:56 | 現代詩手帖12月号を読む

 福田拓也「垂直の聖地」は、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」のようなものかと書くとジョイスのファンが怒るか、喜ぶか。

日々割れたレターの字づらから覗く日の火刈り蚊蛾焼苦る染み

 ことばは「表記」からどれだけ自由になれるか。ジョイスのこころみがどんなものかを理解できるほど私は英語を知らない。福田の書いている部分についてなら言える。
 「火刈り蚊蛾焼苦る染み」には、火に飛びこんできて死んでしまう蛾の苦しみが隠れているが、こういう常套句を「連想定型」のままの漢字をあてはめてみてもおもしろくないだろうなあ。「苦しみ」を「喜び」の漢字で、「官能の愉悦」を「苦しみ」の漢字で書かないことには、「わざと」にはならないし、「わざわざ」に発展しない。。
 福田の詩には、ときどきルビがある。私は引用するとき省略したが、「当て字」をルビつきで読むくらいなら、万葉集の、どう読むべきか特定されていない(いくつか説がある)歌を、万葉仮名で読む方が楽しいだろうと思う。

 細田傳造「まーめんじ」。これは、「わざわざ」の詩である。こんなことは書かなくてもいい。だから、書く。

てんねん好色児童の山崎が
ケッコンケッコンとわめきながら
むりやり美子と挙式しようとして
騒ぎになった
あれからぼくたちはみんな
野球少年になってそれを忘れた

 「あれからぼくたちはみんな/野球少年になってそれを忘れた」が特に「わざわざ」なのだが、「わざわざ」書いたことは、さらに「わざわざ」の方へ動いていく。そのとき、そこに、書かなければ存在し得なかったものが存在する。いや、書かなくてもほんとうは存在していたものが、書くことによって存在としてはじめて姿をあらわす。
 つまり、「発見される」ものがある。
 それは、何?
 それは読者が読んで考えればいい。読んで考えるために、詩集『まーめんじ』を買ってください。とてもいい詩集だ。詩集を売るために(読んでもらうために)、私は「わざと」詩の全体を引用しないのだ。引用を一部に留めているのである。「わざわざ」詩集を買うか、買わないかは、読者に任せる。詩が好きなら「わざわざ」買うだろう。ほんとうにいい詩集かどうか心配なら、「わざわざ」書店まで行って、立ち読みしてから、買うか買わないか判断するだろう。そういう「めんどう」のなかに、実は詩がある、といえば「わざわざ」の意味がよりいっそう伝わるかな?

 望月遊馬「ひょうたん島」。

だれと手をつないでも
つないだ相手が溶けて消える夢をみた

 この二行が簡潔で「わざと」詩に書いたという感じがしない。簡潔で、とても美しい。そのあと「溶ける」「消える」が「わざわざ」書かれているが、それは細田の「わざわざ」を読んだあとでは、別に読まなくていいなあと思う「わざわざ」である。
 こういうとき、私は「わざわざ」それを引用したりしない。

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇262)Obra, Jesus del Peso

2022-12-20 20:46:56 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso

 ¿Es la escultura de Jesús de la izquierda una combinación de partes que se han desprendido del cuadro de la derecha? ¿O es al revés? ¿El cuadro de la derecha está formado por partes que se han escapado de la escultura de la izquierda?
 Las formas no se solapan exactamente. Pero si se combinan bien las dos obras, se convierten en UNA. Tengo el impulso de intentar unirlos.
 En realidad, esto no es posible. Pero en un sueño, podría ser posible.
 Ah, sueño.
 ¿La escultura sueña convertirse en cuadro? ¿El cuadro sueña convertirse en escultura?
 El sueño se mueve.

 O quizás las dos obras sean amantes. Amar es seguir al otro sin miedo a cambiar uno mismo. Siento un fuerte amor entre las dos obras. Hay un amor tan intenso que casi siento celos.

 Jesus の左の彫刻は、右の絵画から抜け出してきた部分が組み合わさってできているのか。あるいは逆か。右の絵画は、左の彫刻から逃げ出してきた部分が組み合わさってできているのか。
 形がぴったり重なり合うわけではない。しかし、立体と平面をもっと分解し、さらに重ね合わせてみたい衝動に駆られる。
 現実には、それはできない。しかし、夢のなかでなら、可能かもしれない。
 あ、夢か。
 左の彫刻は平面を夢見ているのか。右の絵画は立体を夢見ているのか。
 夢が動いている。
 自分ではないものになりたいという夢が動いている。

 あるいは、これは恋人同士なのかもしれない。愛するとは、自分がどうなってもいいと覚悟して、どこまでも相手についていくことだ。二つの作品の間に、強い愛を感じてしまう。嫉妬してしまいそうなくらいの、激しい愛がある。

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「現代詩手帖」12月号(11)

2022-12-20 16:06:06 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(11)(思潮社、2022年12月1日発行)

 岸田将幸「無題(ラブソング)」。

悲しいからこれ以上
何も言わないでほしい「生」を僕らは生きるのだから

 この二行目の書き方は「わざと」である。二行に分けた方がリズム的に読みやすい。しかし、それをあえて二行にせずに一行にしている。そして、それを「わざと」一行にしたとき、不思議なことが起きる。もし、あえて二行してみると、

何も言わないでほしい
「生」を僕らは生きるのだから

 なのか

何も言わないでほしい「生」を
僕らは生きるのだから

 なのか、わからなくなる。
 どちらでもないのだ。
 二行にしてしまったら、リズムは読みやすくなるが、それは「単なる「音」のリズムである。「音のリズム」を優先させたとき、「意味の連続のリズム」がくずれてしまう。
 「生」はどちらにつながることばなのか。
 わからないまま、一気に動いていく。
 これがこの「意味の連続のリズム」なのである。「意味のリズム」ではなく「意味の連続のリズム」が、「自然に」このことばが一行であることを要求しているのである。「ねじれ」のようなものを要求するリズムである。

信念なんてないさ
あるのは独り言だけた
賭けていよう
うまくゆく
このまま口笛を
口笛をこのまま

 「このまま口笛を/口笛をこのまま」は「意味の切断のリズム」であると言える。「ラブソング」というか、愛(恋)というのは、二人の人間のつくりだす「連続」と「切断」の交錯かもしれない。それが、そのまま行の形になっている。
 「わざと」と最初に私は書いたが、それは「自然」を優先させるための「わざと」であることがわかる。

 金時鐘「二つの部屋」。

鍵を下さい。
ご臨終の
母がいます。

ここを開けて下さい。
閉ざせない眼が
あいたなりです。

 部屋(扉)によって、切断されている二人。息子は、接続を求めている。死んでしまった母もまた接続を求めているだろう。それは「閉ざせない眼」によって象徴されている。「あいたなりです」という息子の絶望がそれをくっきりと浮かび上がらせる。
 「開ける」「閉ざす」「あいたなり」。この切断された接続は、とても強烈だ。つまり、「自然」がそのままあふれている。「あいたなり」の「なり(なる)」がとてもいい。
 この「なる」は、岸田のことばでいえば「生」である。英語で言えば「be」である。ハムレットの「to be or not to be」の「be」。それは「生きるべきか、死ぬべきか」と翻訳されるときもあれば「なすべきかなさざるべきか」と訳されることもある。

 竹内敏喜「L・Bに倣って 2」。「L・B」とは、何か。一時期「BL」という略語が飛び交った時代があった。「Boys Love (男の同性愛)」。
 詩のなかに、

きみは話をそらせるとき、たいてい異性に眼をむけさせたね
でもたしかに女性の後ろ姿はより女神に似ている

 この「きみは話をそらせるとき、たいてい異性に眼をむけさせたね」なかの、「わざと」の感覚が、「Boys Love 」の感覚か。「わざと」異性に眼を向けさせる。
 でも、「女性の後ろ姿はより女神に似ている」とは、どういうことか。「わざわざ」付け足している(?)ことばが、私にはピンと来ない。「わざと」とも感じられない。ただ、とても「不自然」だと感じる。
 「納得できない」を「不自然」と言っているだけなのかもしれないが。

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇261)Obra, Xose Gomez Rivada

2022-12-20 08:48:55 | estoy loco por espana

Obra, Xose Gomez Rivada
Titulo _Falso Profeta,Tecnica Mixta,Sobre Passpartue,35x30

 El rostro representados por Xose es feo. Y hermoso. Reformulado para ajustarse al título, "Falso Profeta" es a la vez feo y hermoso. La falsa profecía traiciona a la gente. Por eso es feo. Pero lo "falso" es hermoso porque nos muestra nuestros deseos. Nadie piensa que sus propios deseos sean feos. Si piensamos que son feos, no podemos desearlos. "EL ECHO (o LA PERSONA)" no podemos dividirse en fealdad y belleza.
 La cara de este "Falso Profeta" es fea. La forma es distorsionada y fea. Los colores se mezclan y no hay pureza. La fealdad es la ausencia de pureza. La belleza es pureza. Sin embargo, el contraste y el equilibrio entre el rojo, el azul claro, el negro y el blanco es precioso. Los colores se mueven libremente.
 Si sigo escribiendo así, ya veo. Tanto la fealdad como la belleza están determinadas por ciertos "patrones de pensamiento". Si se ajusta o no a un "patrón de pensamiento existente". Esta es la base de todas las sentencias.
 También es el patrón de pensamiento que determina si algo es "falso" o "real". Lo que se necesita ahora es destruir el modelo existente. Encontrar el "EL HECHO" que no es ni falso ni real, ni feo ni bello. ----Nos lo exige Xose.

 Xoseの描く人間の顔は醜い。そして美しい。タイトルに合わせて言い直せば、「偽の予言」は醜い、そして美しい。「偽物」は人を裏切る。だから醜い。しかし「偽物」は願望を見せてくれるから美しい。自分自身の願望を醜いと思うひとはいない。醜いと思えば、願望できない。「事実」は醜さと美しさに分断できない。
 この「偽予言者」の顔は醜い。フォルムが歪み醜い。色が交じり合い、純粋さがない。醜さは純粋さがないことだ。美しさとは純粋であることだ。しかし、赤、水色、黒、白の対比、バランスが美しい。色が自由に動いている。
 そう書き進めれば、わかる。醜さも美しさも、ある「思考パターン」のなかで決められる。「既存の思考パターン」に合致するか、合致しないか。そのことが、あらゆる判断の基礎にある。
 「偽物」か「本物」かを判断するのも「思考パターン」である。いま必要なのは、その「既存のパターン」を破壊することだ。偽物でも本物でもない、醜さでも美しさでもない、「事実」を見つけること。--Xoseは、それを私たちに要求する。

 

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「現代詩手帖」12月号(10)

2022-12-19 21:08:25 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(10)(思潮社、2022年12月1日発行)

 朝吹亮二「イチゴ、木イチゴ、黒スグリ」。

イチゴ
木イチゴ
黒スグリ(グーズベリーだね)
揺らす七月の朝

 (グーズベリーだね)は、「わざと」だね。「イチゴ、木イチゴ、黒スグリ」とたたみかけるリズムは、そのままつづけてもいいのだが、つづけるのはかなり緊張をともなう。そのリズムを一旦断ち切る。断ち切るといっても、完全にではなく、ふっと息抜きみたいな感じで。「だね」という口語の響きが効果的だ。
 朝吹は、この「わざと」を強調しない。繰り返さない。そこが、いいところだ。

 池井昌樹「放鳥譚」。ある朝を境に、見知らぬ鳥が部屋に飛びこんでくる。

未知の、未見の小禽。それは私自身が私を覗き込むような瞳で凝と私を視たのだ。

 これは、私なら「わざと」書くが、池井は「わざと」は書かない。「自然に」書く。「見る」「覗く」「視る」のつかいわけも「わざと」ではないし、「わざわざ」でもない。「自然」なのだ。繰り返される「私」によって、繰り返されただけ「私」が増えていく。つまり、

その朝から私は何処か、何処が、ではない何もかも凡て変わった。

 「何もかも凡て変わった」にことばを補うとしたら、何もかも凡て「突然に」変わった、ではなく、何もかも凡て「自然に」変わった、になる。
 このあと池井のことばはとまることを知らないモーツァルトの音楽のように「自然に」動いていく。この「自然に」というのは、なかなかむずかしい。「自然」はどうすることもできない。
 だから、読んでいる私の体調がいいときは、それはとても気持ちがいい。しかし、不機嫌なときにこれを読むと、いらいらする。

けれどもほんとうに遠退いてゆくらしい意識閾の外で囁く声が、さあお逃げ、おまえもはやく。

  進められるままに、私は逃げよう。

  川口晴美「光の中庭」。

夢のなかでツジツマをあわせると

  という一行が、書き出しから七行目に出てくる。このタイミングは、詩が長くなることを暗示している。そして、実際に長いのだが。
  夢のツジツマは、現実の論理とは違う。夢は辻褄をあわせなくても、辻褄が合ってしまう。池井の詩を読み返せばわかる。だから、池井の詩は「自然に」書かれた、と私は言うのである。夢のなかでは、辻褄は合わせるものではなく、合わせられるもの、自分ではどうすることもできないものなのである。

もういないわたし
それとも生まれたことのないわたしの子どもか
えいえんにいないものがそこで
朝の光を浴びている

  「もういないわたし」とは「かつてはいたわたし」であり、その瞬間の「時間」の挿入、夢のなかへの「時間」の挿入が、「過去」と「永遠」を「それとも」ということばでツジツマあわせ(論理の整合性)を求めて動く。
 最後は、

名付けられない
中庭は
わたしだけのもの

 と開き直る。「ツジツマ」はいつだって「わたしだけのもの」である。妙に論理的すぎて、夢の実感が私には伝わってこない。
 別な言い方をすると、川口の詩は、私の体調にかかわらず、同じ調子で読むことができる。それが、モーツァルトや池井の世界とは違う。

 

 


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村上春樹の日本語

2022-12-19 17:02:40 | 考える日記
きょうアメリカ人と読んだ「1Q84」のなかに、次の文章がある。

(青豆は)ろくでもない三軒茶屋あたりで、首都高速道路三号線のわけのわからない非常階段をひとりで降りている。しみったれた蜘蛛の巣をはらい、馬鹿げたベランダの汚れたゴムの木を眺めながら。
「ろくでもない」「わけのわからない」「しみったれた」「馬鹿げた」を辞書で調べたがよくわからない、という。「しみったれた」は「ケチ」としか載っていなかったらしい。

私がした説明は、「それは英語で言えば全部FUCK(FUCKing)になる」。
日本語は、いわゆる放送禁止にあたるようなことばは少ないが、そのかわり様々な言い換えをしている。
だから、上記の文章、「ろくでもない」「わけのわからない」「しみったれた」「馬鹿げた」を入れ替えても「意味」は通じてしまう。
こんなぐあい。

「しみったれた」三軒茶屋あたりで、首都高速道路三号線の「ろくでもない」非常階段をひとりで降りている。「馬鹿げた」蜘蛛の巣をはらい、「わけのわからない」ベランダの汚れたゴムの木を眺めながら。

つくずく、村上春樹の日本語は、外国人が日本語を勉強するのに適した文体だと思う。かならず「言い換え」がある。そのために小説が非常に長くなっている。
だから、文章を読むのに慣れた人間なら、「退屈」としか言いようのないものになる。いつまでたっても終わらない。原稿料(金稼ぎ)の文体と言い換えてもいい。
 
 
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三木清「人生論ノート」から「秩序について」

2022-12-18 22:43:35 | 考える日記

イタリア人青年と読む三木清。
「秩序について」は、散らかった書斎から、外的秩序と内的秩序の違いから書き始める。
途中から、経済、物理、国家(体制)を経て、最後の一段落は「人格とは秩序である。」という短い文章ではじまる。この「人格とは秩序である。」にことばを補うと、どういうことばが考えられるか。
私の質問は、かなり抽象的な質問なのだが。

彼は「人格とは心の秩序である」と、ほとんど即座に答えた。
びっくりしてしまった。同じように即答できる日本の高校生が何人いるだろうか。50人にひとりくらいかもしれない。選択問題なら、答えを選べるが、自分でぜんぶ考えないといけない。

途中に「今日流行の新秩序論」ということばがあって、これは三木清が生きた時代を知らないと説明がむずかしいのだが(私は歴史が苦手で説明に困るのだが)、彼は東条英機を知っている。二・二六事件まで知っていて、クーデターが成功していたら日本は違っていたかも……などと私よりも歴史に詳しかった。
日本の高校生、ムッソリーニを知っているかな?

さらに、N2検定に合格したイギリス人の作文には問題が多かったのだが、その文法的間違いを直しながら、さらに文章を分かりやすくするという課題も75%クリアできた。
「民主主義国は包含的な考え方は一番大切ながいねんだと思います。」を「民主主義国は包含的な考え方をすることは一番大事だと思う。」と直した。「包含的」は、ふつうの日本人はつかわない。漢字を見れば意味は想像できるが、日常の会話でつかうと、きっと通じない。イギリス人が言いたかったことを、「包含的」をつかわずにほかの言い方で言い直せるかと質問してみたら。
「多様な(考え方)」とぱっと答える。

ちょっとではなく、とてもすごい、と私は思う。

 

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Estoy loco por espana(番外篇260)Obra, Joaquín Llorens

2022-12-18 22:19:24 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

 Cuando la persona consigue algo, hay una cosa que debe hacer. Abrir los brazos. Aunque perder aquello a lo que ha tenido.
 Había más en esa palabra, y había una palabra antes de esa palabra. Las oí todas, pero se me las olvidé.
 Los brazos permanecían abiertos. Los ojos permanecían abiertos hacia lo lejos. La boca también estaba abierta, gritando en silencio palabras que no debían pronunciarse en voz alta. Y la corazón sigue abierto.
 Y, sin embargo, la persona sigue creyendo.
 Cuando consigues algo, hay una cosa que debes hacer. Abrir los brazos. No temas perder aquello a lo que ha tenido.
 ¿Es tu autorretrato o el retrato de alguien que te quiso?

 何かを手に入れるとき、どうしてもしなければならないことが一つある。腕を広げること。抱え込んでいたものを、失うこと。
  そのことばには、まだつづきがあったし、そのことばの前にもことばがあった。すべてを聞いたが、忘れてしまった。
  腕は開かれたまま。目は、遠くへ向けて開かれたまま。口も開かれたまま、声に出してはいけないことばを無音で叫んでいる。そして、こころはぽっかり開かれたまま。
  それでも、信じている。
 何かを手に入れるとき、どうしてもしなければならないことが一つある。腕を広げること。抱え込んでいたものを、失うことを恐れないこと。
  それは、君の自画像なのか、それとも君を愛したひとの肖像なのか。

 

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「現代詩手帖」12月号(9)

2022-12-18 12:44:44 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(9)(思潮社、2022年12月1日発行)

 関口隆雄「ごはんつぶ」には、「ある老夫婦の会話」という副題がついている。ふたりとも死んだのか生きているのか、ご飯を食べたのか食べていないのか、よくわからない(よくおぼえていない)というやりとりをしている。

わたしゃ このごろ いきているのか
しんでいるのか わからなくなりましたよ
ばあさん あんたはもうしんでいますよ
そうですか いつ しんだんですかね
きのう しんだんですよ
きのうですか よくおぼえていないですね
こまりましたね

 これは、「わざわざ」「わざと」書いているとも言えるし、「わざと」「わざわざ」書いているとも言えるが、私は「わざわざ」「わざと」書いていると読んだ。どう違うのか。どうも違わない。「わざわざ」書き始めたら、それが「わざと」を含みながら広がっていき、「わざわざ」にかわってしまった。長い長い「夫婦生活」そのままという感じだなあ。
 「わざと」余分なことを書かずに、「わざわざ」書かなくていいことを書いている。「わざわざ」読まなくてもいいが、読んだら「わざわざ」なんだなあ、と感じる。
 工芸品を見るよう味わいがある。手間と時間が美しい。

 建畠晢「昭和の恋」。

誰かが、きっと若い女が、階下で三味線を弾いている

 この書き出しの「きっと若い女が」が「わざわざ」である。三味線の音を聞いて、そこから「わざわざ」若い女を呼び出している。若い女を思い出したいのである。なぜか。これから書くのが「恋」だからである。恋には「若い女」が必要。若い女を思い浮かべないことには恋が動いていかない。
 というのが、「昭和の恋」であって、いまは若い女を「わざわざ」思い浮かべないかもしれない。というか、もっと恋の対象が広がっている。いま「若い女」と書くとしたら、それは「わざと」である。
 そして、「わざわざ」若い女を登場させるのは、

叔父の恋は終わったのだ

 と書くためでもある。「恋は終わる」というのが「昭和の恋」である。だから「わざと」若い女を登場させたのかもしれないが、短い詩には、そのことばがとても効果的である。「きっと」もとても効果的。
 8行の、短い詩なのだが、短いからこそ、私は「わざと」最初と最後の行だけ引用してみた。短いのに、二回「豚足」ということばが出てくるのがおもしろい。二回出てくることばは、あと「叔父」があるが、その重複が、他の一回しかつかわれていない多様なことばの多様性を印象づけるので、ちょっと、うなってしまう。非常に短い詩なのに、ことばが非常にたくさん、しかも充実した形で結晶している。細密なことばの工芸品である。

 山本育夫「水馬(あめんぼう)」。

銀色の水袋にシュッと穴をあける
アメに似た甘い臭気が
しばらく周囲にただよう

 「甘い臭気」の「臭気」が「わざと」である。これは西脇が言った「わざと」そのまま。「臭気」でなかったら、詩にならない。「しばらく」は「わざわざ」である。この「しばらく」によって「臭気」の「わざと」が落ち着く。手工芸品のように、とてもていねいな作品。ていねいさでは、建畠の作品に通じるものがある。

 

 

 

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「防衛の視座」の視座(読売新聞記事の書き方、読み方)

2022-12-18 09:48:17 | 考える日記

 2022年12月18日の読売新聞(西部版・14版)で「防衛の視座」という「作文」連載がはじまった。「安保3文書 閣議決定」を受けての、「勤勉」な作文だ。
 きのう、
↓↓↓
 防衛研究所の高橋杉雄・防衛政策研究室長は「抑止が破られる可能性を低くし、均衡を保つには、日米の足し算が必要だ。米国の足らざる部分をいかに日本が埋められるかが鍵を握る」と語る。
↑↑↑
 という記事があることを紹介した。ポイントは「米国の足らざる部分をいかに日本が埋められるか」。アメリカが補完するのではなく、日本がアメリカを補完する。これが「集団的自衛権」の本質。
 連載の一回目は「「戦える自衛隊」へ脱皮」という見出し。この見出しには、「どこで」戦うかが書いてない。日本で? 違う。「外国で」(国外で)である。そして、この国外で戦うことを、あるときは「集団的自衛権」と言い、あるときは「反撃能力」と言う。どのようなことば(表現)も、必ず「言い漏らし」がある。それは「隠す」でもある。「集団的自衛権」も「反撃能力」も「どこで」を省略することで、問題の本質を隠している。ニュースの基本は5W1H。書かれていない要素を補って読まないと、書かれていることが把握できない。

 「反撃能力」について、「作文」はどう書いているか。
↓↓↓
 最大の柱が、戦後一貫して政策判断で見送ってきた反撃能力の保有だ。攻撃すれば反撃されると想起させてこそ、抑止は機能する。首相は、反撃手段を確実に得るため、米国製巡航ミサイル「トマホーク」の導入も決断した。11月13日の日米首脳会談では、バイデン大統領から優先的に取り組む約束を取りつけた。
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 岸田が「反撃能力」を確保するためにトマホーク(5年間に500発)の購入をバイデンに持ちかけ、バイデンは「優先的」にそれに応じる約束をした、と読売新聞は書いている。
 だが、それは本当に岸田が持ちかけたのか。バイデンが「買え」と言って、岸田が「わかりました」と答えたのではないのか。「買え」と言ったのだから、もちろん「優先的に売る」。前段の交渉が書かれていないので、わからない。
 なぜ、私が「バイデンが買えと言った」と想像するかといえば、二面にこういう記事があるからだ。
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【ワシントン=田島大志】バイデン米大統領は16日、日本が新たな「国家安全保障戦略」など安保3文書を閣議決定したことを受けて「我々は平和と繁栄への日本の貢献を歓迎する」とツイッターに投稿した。バイデン政権は「唯一の競争相手」と位置付ける中国との覇権争いを巡る日本の役割拡大に期待している。
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 バイデンは、中国を「唯一の競争相手」と位置づけている、と書いているが、何の競争相手? W杯? 軍事力? 経済力? 5W1Hの「何(what)」が欠けている。いや、ほんとうは書いてある。「覇権争い」。しかし、この「覇権争い」がまた、不透明である。軍事力の覇権争い、経済力の覇権争い。軍備のことを書いているので「軍事力の覇権争い」という点から見ていく。「どこで(where)」。これも書いていないが中国周辺(あるいはもっと絞り込めば、台湾)である。でも、なぜ、アメリカがアメリカから遠いアジアで「軍事的覇権」を握らなければならないのか。アメリカがアメリカ周辺で「軍事的覇権」をにぎり、アメリカを攻撃させないというのならわかるが、わざわざアジアまでやってきて、アジアを支配するのはなぜ? ここから「経済的覇権」の問題が浮かび上がる。中国に金もうけをさせたくない。中国がアジアで金もうけをすると、アメリカがアジアで金もうけをできなくなる。しかし、この問題は、また別の機会に書くことにして……。
 「覇権争い」に関しては、こういう記事がある。(バイデンのことばではないが。)
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 米紙ワシントン・ポストも16日、防衛費の増額に着目し、「日本の勇気をたたえるべきだ。アジア全域を防衛する重荷を米国単独で負うことはできない」との論評を報じた。↑↑↑
 バイデンでも、岸田でもない、「第三者」の論評だからこそ、「本音」が書かれている。読売新聞が岸田の「本音」をついつい書いてしまうのと同じだ。その本音とは、繰り返しになるが
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アジア全域を防衛する重荷を米国単独で負うことはできない
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 ワシントンポストは「アジア全域を防衛する」と書いているが、なぜ、そんなアメリカ以外の国を防衛する必要があるのか。これは防衛ではなく「軍事支配する」ということである。アメリカの軍事に対抗できないようにする、ということである。アジアはアメリカから遠い。そんなところをアメリカ単独で支配できないから、日本にそれを加担させようとするのである。
 これは、きのう引用した
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 防衛研究所の高橋杉雄・防衛政策研究室長は「抑止が破られる可能性を低くし、均衡を保つには、日米の足し算が必要だ。米国の足らざる部分をいかに日本が埋められるかが鍵を握る」と語る。
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 これと、まったく同じ視点。アメリカだけでは、間に合わない。日本がアメリカの「足りない部分」を補足する。政治家は、そういうことを言わないが、それはだれもが知っている。そのだれもが知っていることが、読売新聞やワシントン・ポストの記者を通じて漏れてしまう。隠しておけないくらい、その情報が流布しているということだろう。
 新聞は、こういうところを読んでいくのがおもしろい。私は推理小説(探偵小説)を読まないが(好まないが)、フィクションよりも、現実のなかに隠されている「伏線」を読むのがおもしろい。

 少し元にもどって。ニュースの基本の5W1H。繰り返し出てきた「5年」。最近は隠していたが「防衛の視座」では、復活してきて、きちんと説明している。
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 目標期限は2027年度――。16日に閣議決定された国家安全保障戦略と国家防衛戦略、防衛力整備計画の3文書では、5年後までの防衛力強化に力点を置き、「27年」が随所に登場する。今後の5年間は、計画期間の単位以上の意味を持つ。
 27年は、中国の習近平政権が3期目の集大成を図る年であり、中国人民解放軍「建軍100年」の節目でもある。安保専門家の間では、この年までに中国が台湾の武力統一に乗り出す可能性があるとの分析が広がる。
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 習近平はもちろん「台湾統一」をめざす。中国の指導者なら、だれでもめざすだろう。しかし、それが「武力統一」かどうかは、わからない。そういう見方をしているのは「安保専門家」である。ここが、問題。もし「経済専門家」なら? あるいは「文化専門家」「料理専門家」なら? 「旅行代理店」なら? あるいは、台湾に住んでいるひとなら? そう考えてみれば「安保専門家」だから、軍事を持ち出したというだけのことである。
 習近平は先の大会で「台湾独立を、軍事支援する外国の勢力があるなら、それとは戦う」というようなことは言っているが、「軍事統一」するとは言っていない。「安保専門家」は、「文章の専門家」ではないから、テキトウに読んだのだろう。
 でも、なぜ、そんなに「5年間」にこだわるのか。
 習近平の「任期」というよりも、今後5年で、コロナでつまずいたとはいえ、中国の経済は拡大する。経済の「覇権争い」で、アメリカはトップではいられなくなる。アメリカは、それに気づいたからではないのか。
 ロシアがウクライナに侵攻する前、ヨーロッパとロシアとの経済関係は、天然ガスや石油で強く結びついていた。それは逆に言えば、アメリカの化石燃料の販路が縮小したということである。同じように、中国がアジア諸国にさまざまな商品の販路を拡大し、経済的覇権を強めれば、アメリカの販路はそれだけ縮小する。金もうけができない。アメリカの強欲主義は、これを我慢できない。これがwhay。だから、経済覇権を守るために、軍事覇権を利用するのである。アメリカから遠い場所で戦争を勃発させ、ライバルを失墜させる。これがhowこの作戦は、アメリカの軍需産業にとっても好都合である。どんどん武器が売れる。
 5W1Hを整理し直してみる。
who(だれが)アメリカが
what(何を)戦争を引き起こす
when(いつ)5年以内に
where(どこで)台湾で
why(なぜ)中国の経済発展(台湾統一)を阻止するため
how(どのように)日本の軍事力を利用して(日本を戦争に巻き込み)

 日本経済はどんどん衰退していっている。5年以内、10年以内に、日本人は中国に出稼ぎに行くしかない。それがいやなら、中国と戦争をするしかない。戦争で、日本人の不満を収束させるしかない。それが岸田の狙っていること。
 アメリカの強欲主義が存在するかぎり、世界平和はありえない。アメリカの強欲主義のために、戦争の危機が窮迫している。
 戦争ではなく、アメリカも日本も(特に日本は)中国を最大の経済パートナー(貿易相手国)にする方法を考えないといけないのだが、それができないから、戦争に頼るのだ。

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斎藤茂吉『万葉秀歌』(17)

2022-12-17 20:30:02 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(17)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)
          
矢釣山木立も見えず降り乱る雪に驟く朝たぬしも             柿本人麿

 雪を描写する「矢釣山木立も見えず降り乱る」が、とてもいい。山はかすかに見えるが木立は見えない。雪が降り乱れる。もっと激しくなると、山も見えない。雪だけが見える。そのなかで馬に乗って走る。私は馬に乗ったことがないが、楽しいだろうなあ、と思う。「うくつくあしたたぬしも」は、肉体が熱くなるような響きを持った音である。馬の体と、乗っている人間の体が一体になって熱くなる感じ。

もののふの八十うぢ河の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも       柿本人麿

 音がとてもまっすぐ。現代短歌にはない響きだなあ、と思う。「矢釣山木立も見えず降り乱る」と違って、何も描写していないような前半部分がおもしろい。「八十うぢ河」は固有名詞なのかもしれないが、「矢釣山」のような存在感(?)が感じられない。焦点が「網代木」へとすっと移っていく。それもおもしろいと思う。「の」の繰り返しが効果的なのかな?

 

 

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