韓国を代表する3大全国紙の一つ、東亜日報に「광화문에서
(光化門にて)」と題するコラムがある。論説委員や部長・次長と
いった同社の幹部クラスのベテラン記者たちがリレー形式で
担当するコーナーだ。
東亜日報の本社ビルが光化門(景福宮の正門)前の大通りに
あることから付いたコラム名なのだろう。
ところで、3月16日付けの同コラムは「잘 사는 게 최고의 복수
(豊かに暮らすことが最高の復讐)」という、ちょっとドキっとさせ
られるようなわかりにくい題名を持つ記事だった。
筆者はあるベテラン女性記者。
題名に引かれて内容に目を通してみると、テーマは日韓関係に
まつわるものだった。
部分的には、韓国人の複雑な対日心理の機微が読み取れて、
非常に参考になるコラムだった。
しかし、正直に言えば、彼女の体験談にはディテールの部分で
具体性に欠ける印象が残ったし(下記の翻訳練習では「ヲタク」の
想像も一部加味しながら意訳した)、コラム全体の論旨についても、
よく理解できなかった。
もしかすると、「日本を憎み罵り続けることに情熱を傾けるよりも、
勇気を出して日本のいい部分を認めながら、韓国がもっと豊かな
国になるよう努力するほうが建設的だ」という思いをコラムの
行間に込めたのかもしれない。
いずれにしろ、「ヲタク」が怪訝に感じたこのコラム記事の題名の
意味については、どうやら「韓国人が豊かに暮らすことが日本人に
対する最高の復讐になる」と解釈しても間違いはなさそうだ。
復讐される立場の日本人の一員としては、たとえこの解釈が
正解だったとしても、大して愉快な話ではないが・・・。
論旨の不明確さという問題はあるものの、妙に印象に残りそうな
内容だったので、このコラムの全文を翻訳練習してみた。
なお、紙面の関係で韓国語の本文の引用は省略する。
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■ 豊かに暮らすことが最高の復讐
(東亜日報 3月16日)
私が個人的に初めて日本人と会話を交わしたのは1998年、
オーストラリアでのことだった。旅行中の日本人学生と長距離
バスで隣りあわせに座る機会があったのだ。最初は、同じ東洋人
なのでうれしい気持ちもしたが、彼がかばんの中から取り出した
日本の本を見た瞬間、私の中に拒否反応が起きた。日本といえば
収奪と植民地支配の歴史しか学んで来なかったこともあり、
「日本は悪」という当時の私の思いはごく自然なものだった。
では、彼にとって韓国とはどういう国なのだろう?そう思った私は、
その場で「韓国についてどう思うか」と尋ねて見た。すると、帰って
きた答えは「別に関心ありませんけど・・・」の一言だった。その時
私が感じた虚脱感と言ったらなかった。被害者は憎悪を忘れないが、
加害者は被害者に無関心になれるという事実を確認した瞬間
だった。帝国と植民地という相異なる歴史体験は、人間の思考を
こうも見事に引き裂くものなのだ。
その後、日本を訪れ日本人に会う機会があったが、韓国に対して
無関心な印象は例の大学生と変わりはなかった。
雰囲気が変わったのは、韓流ブームの後だった。
日本人の口からは何人もの韓国人俳優の名前がすらすらと
出てきた。誰もが韓国語を学びたがっていた。「韓国が好きだ」と
言う日本人の言葉を聞いてうれしく思ったが、私には「日本が
好きだ」と口にする勇気があるだろうかと自問せざるを得なかった。
「善良なる日本」は、私の中では一種のタブーだったのだ。
ところで、今度は韓国で「日流」が話題だ。
2月というオフシーズンに、日本人でもめったに訪ねることのないと
いう日本の片田舎を旅して回る機会があった。驚いたことには、
行く先々で韓国人旅行者に出くわした。彼らは日本の物や料理が
質的に優れていて宿のサービスもよく、さらに安いと言っては
口々に日本を称賛した。そればかりか、「日本が好きだ」と堂々と
口にする彼らや彼女らに、昔、私が持っていたような罪の意識は
なかった。
旅先で出会うほとんどの日本人は親切で暖かかった。特に細かな
ところまで思いやる心遣いに、旅行者である私はたびたび感動
させられもした。
しかし、帰国の途で手にした韓国の新聞は「従軍慰安婦は
いなかった」(※)と述べた日本の政治家の発言を伝えていた。
私の頭の中で善良な日本人たちの顔に政治家の発言が重なった。
(※)安倍首相の慰安婦関連発言のこと。安倍首相を弁護する気は
全くないが、かなりの曲解だと言える。
日本を体験し知れば知るほど、政治と日常との間の引き裂かれた
断絶の溝が大きく感じられてしまうこの頃だ。今回の従軍慰安婦
問題にしろ以前の靖国神社参拝問題にしろ、安っぽい国粋主義と
民族主義を大衆に売って人気を稼ごうとする日本の政治家は
実に卑屈な人間だとも言える。
「日本は長い間、自分たちが悪人として非難されて来たと感じる
だろうが、過去の過ちと責任を認める自信を持ち得なかったことも、
また事実だ。」(ポク・コイル「慎重なる楽観」)
いつにも増して民間交流が活発化した現在であるからこそ、
こうした日本を見つめなければならないのは一層、心苦しい。
「従軍慰安婦の動員に政府が介入した証拠はない」と主張する
彼らの論理を聞きながら、この際、私たちもそれこそ「精密な
日本観」を持つべき時が来たと感じさせられた。
私たちも論理と証拠で武装するためには、何よりも感情を抑制し
冷静になることが必要だ。植民地時代を収奪と抑圧の視点から
だけではなく、その時代を生きた生身の人間の多様な視点から
見つめなおす作業はその第一歩だ。
何といっても豊かに暮らすことが最高だ。考えてみれば、私が
出会った「親切な日本人」の見せた「親切さ」とは、自分たちの
商品を買ってくれ観光してくれる消費者に対する親切さであり、
それ以上のものでもそれ以下のものでもなかった。
いずれにせよ、私は日本人から心のこもったサービスを受けながら、
ポク・コイル氏が述べているように「豊かに暮らすことに勝る
復讐はない」ことを悟ったのだ。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)/語学・英会話