- アン・チファンとハンギョレ新聞 -
1980年代の韓国の民主化運動を象徴する歌手がアン・チファンだと
言われている。
△アン・チファン(NAVER人物情報)
そのアン・チファンがこの6月23日(土)、大統領直接選挙制の
復活を勝ち取った87年6月闘争の20周年を記念し、母校の
延世大学でコンサートを開くという。
実は、「ヲタク」はアン・チファンのファンだ。無理を承知で言えば、
コンサートにも行きたくて仕方がない。胸がそわそわしてくる。
・・・・・・・・・・
그래, 난 386이다!! - 안치환 콘서트
そうだ、オレは386だ!!-アン・チファン コンサート
20년이란 세월이 흘렀습니다.
뜨거운 태양아래 대한민국의 민주화를 외치던 그 함성, 87년
6월항쟁.자신의 이익보다는 서로를 위한 희생이 앞섰던
80년대의 청춘들. 민주화의 초석을 다진 80년대를 뜨겁게
살아온 그들과 함께하는 공연. 자신의 출세보다 타인의 자유를
위해서 청춘을 희생하였기에, 지금은 남보다 힘든 삶을 살고
있는 386에게 헌정하고픈 공연.
あの日から20年という歳月が流れました。
焼けつくような太陽の下、大韓民国の民主化を求めたあの叫び声、
87年の6月闘争。自分の利益よりお互いのための犠牲を大事に
した80年代の青春。民主化の土台を築いた80年代を熱く
生きた彼らとともに歌うコンサート。自分の出世より他人の自由の
ために青春を犠牲にしたがため、今は他人より困難な生活を
送っている386たちに捧げるコンサート。
<コンサート案内より>
・・・・・・・・・・
「386(サンパルリュク)」とは、この造語ができた当時、30代で
80年代の民主化闘争時代に学生生活を送った60年代生まれの
人々を意味する。
ところで、彼のこのコンサートについて記事を掲載した新聞は、
「ヲタク」の検索が正確なら、現在までのところ「ハンギョレ新聞」
1社のみだ。
ハンギョレ新聞は、同じく80年代の民主化運動のうねりの中、
「民族、民主、統一」を旗印に掲げ生まれた新聞だ。
・・・・・・・・・・
■ “그래, 나는 386이다”
「そうだ、オレは386だ」
(ハンギョレ新聞 6月6日)
-略-
꼭, 20년이 흘렀다. 작열하는 태양 아래서 민주화를
외치던 함성이 거리를 메웠던 87년 6월항쟁. 민주화의
초석을 다진 그날의 기억은 80년대를 치열하게 살아 온
청춘들에겐 평생 잊지 못할 추억의 한 페이지일 것이다.
あの日からちょうど20年が過ぎた。灼熱の太陽の下で民主化を
叫ぶ声が街の通りを埋め尽くした87年の6月闘争。民主化の
土台を築いたあの日の記憶は、80年代の青春を熾烈に生き
抜いた者たちにとって生涯忘れることのできない思い出の
1ページとして残ることだろう。
‘자유를 노래하는 시인’ 안치환(41)이 386이라 불리는
동시대의 친구, 선후배들을 위한 ‘안치환 콘서트-그래
나는 386이다’를 23일 연세대학교 100주년 기념관
콘서트홀에서 연다. 안치환은 “386이란 이름으로 개인의
명예와 명성을 얻은 이들이 아닌 한 아이의 부모로, 남편과
아내로, 이웃으로 살아가고 있는 진정한 386들에게
헌정하는 의미의 공연을 준비했다”고 소개했다.
「自由を歌う詩人」アン・チファン(41)が、「386」と呼ばれる
同時代の友や先輩、後輩たちに送る「アン・チファン コンサート
- そうだ、オレは386だ」を6月23日、延世大学創立100周年
記念館コンサートホールで開催する。アン・チファンは「386という
名で個人の名誉と名声を得た人々ではなく、平凡な親として、
夫や妻として、そして隣人として今を生きている真の386たちに
捧げるためのコンサートを準備した」と語った。
-略-
・・・・・・・・・・
アン・チファンが80年代の韓国の民主化運動を象徴する歌手
ならば、ハンギョレ新聞は80年代の韓国の民主化運動を象徴する
新聞だと言える。
87年の6月闘争から今年で20年。
「ヲタク」は、アン・チファンやハンギョレ新聞、そして何より民主化を
担った人々に心からの敬意を表する意味で「反則」を犯す。
以下、「ヲタク」に韓国語の美しさや力強さを教えてくれた
アン・チファンの歌を3曲紹介してみる。
△アン・チファン(スポーツカーン)
□사랑하게 되면
愛するようになれば
□내가 만일
僕がもしも
□사람이 꽃보다 아름다워
人は花より美しい
(終わり)