東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

復刻「アメリカのホロコースト犯歴」2

2007-08-15 08:20:07 | 社会・経済

ナノ秒の大虐殺(1)

今の日本の子供たちはかわいそうだ。幼いときにロボトミー手術を強制的にされている(ロボトミー手術とは前頭葉白質を切断破壊し廃人化する手術)。はしかワクチンの強制接種は止めたのにね。ちぐはぐなことだ。

さて例の久間大臣の発言だが、彼に求めるのは辞任、罷免ではなくて、名誉回復のために原爆投下非難決議案を率先提案することである。野党もトンチンカンなことを言っている。

非難決議案は踏み絵にもなる。久間発言を非難しながら、決議案に反対することができるだろうか。

星条旗よ永遠なれ、だ。虐殺、リンチではアメリカは他国の追随をゆるさない。ナチスの強制収容所でのホロコーストを含めても世界歴史のなかでアメリカの大虐殺の規模、生産性は抜きん出ている。ナチス、正確にはドイツ人の、と言うべきと考えているが、そのナチスとの比較は後に述べるとして、いわゆる戦略爆撃、都市爆撃の非モラル性において、その高い生産性においてアメリカが群を抜いていることを述べよう。

民間人が犠牲者となる都市爆撃のはしりとしてスペインのゲルニカに対する爆撃があげられる。これはもっぱらピカソが描いた絵のおかげで有名なのであるが、田舎の小さな町にたいする爆撃であって被害者の数もよく分からない。ピカソというシンボルをうまく利用した主義者たちの宣伝努力がおおきい。

年代的につぎに来るのは、中国奥地に逃げ込んだ蒋介石政府のあった重慶への日本軍の爆撃である。爆撃は1938年暮れから1941年9月まで断続的に行われた。中国側資料によるとこの期間の死者は11,800人である。終戦前半年あまりにわたってアメリカが行った日本本土各都市への爆撃により100万人近くを焼き殺した行為とは比較にならない。それも最初の高高度から夜間に行った軍事施設に対する爆撃から、あっという間にエスカレートして、1945年3月の東京の大空襲では下町の住宅密集地の住民を二時間で10万人を焼き殺し、同年8月には広島、長崎に原爆を立て続けに落としてナノ秒に何十万人を焼き殺すというように幾何級数的に生産性をあげてきている。

東京大空襲では野球のナイター中継も終わらないような短時間のうちに10万人を焼き殺し、百万戸の家屋を焼失させたのである。その非人道的生産性はさすがT型フォードの生産国と言わざるをえない。

このペースで重慶爆撃と同じ期間続けられたら日本人はひとりもいなくなっただろう。昭和天皇の終戦の詔勅にあるように、敵は残虐で非人道的兵器を使用して戦地より数千キロ後方にいる女、子供を皆殺しにしたのである。日本民族を抹殺しようとしていたのである。「忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え」ポツダム宣言を受諾したのである。

一部婦女子がさけぶように「歴史を鏡とする」のはいい。歴史を正しく認識しているならだ。しかし、日本人がうらみを忘れるのも将来へのステップである。一種の自己防衛メカニズムといえよう。あまり苦しいこと、むごいことは忘却の底に沈める。これが無力な幼児や子供に見られる一種の自己防衛心理メカニズムである(ジムクンドのフロちゃん参照)。これをトラウマという。しかし、原因不明のPTSD症状になやまされる。いつかは白日のもとにトラウマをさらして、相手の非道に適切に対処することが必要である。問題は日本人がそこまで、トラウマに正対できるまでに成熟したかということだ。

今回だいぶおどろおどろしい話になった。本当は書きたくなかったのだが、世界の客観情勢の進展は上記の史実に忘却の重しを乗せるのはまだ早いことを痛感させられた次第である。