詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

サム・ガルバルスキ監督「やわらかい手」

2008-03-19 10:47:39 | 映画
監督 サム・ガルバルスキ 出演 マリアンヌ・フェイスフル、ミキ・マノイロヴィッチ、ケヴィン・ビショップ

 イギリス、フランス、ベルギー、ドイツの合作だが、色調はイギリスそのものである。舞台がロンドンだから色調がイギリスといってしまえばそれまでだが、細部の「個人主義」の感覚がいかにもイギリスである。「個人主義」を「プライバシー」と書き換えると、もっとわかりやすくなるかもしれない。人にはそれぞれ秘密がある。そして、その秘密を大切にする。それがイギリスの個人主義だ。
 この映画では、難病の孫のために女性が風俗店で働く。息子は気になって、その働き場所まで追跡するが、彼以外の人間は、彼女が自分から打ち明けるまでは、その事実を知らない。気になっているが、本人が言わないかぎりは、それについて知らない。また、そういうことは陰口となって広がるけれど、直接聞いた人以外は、聞かなかったこと--つまり知らないという姿勢をとる。このとき生まれる人と人の距離感がイギリスの個人主義である。
 そしてこの個人主義を体現するのが主役の女性の「歩き方」である。駅で知り合いにあい、どぎまぎするシーンもあるが、基本的に堂々と歩く。風俗街も姿勢をくずさずに歩く。事情があって彼女は風俗店で働くのだが、その事情(秘密、プライバシー)を、行き交うひとは知らない。そして、彼女は、街の人々が事情(秘密、プライバシー)を知らないし、知ろうともしないことを体験的に知っている。その距離の感じがソーホーの街そのものの描写にもあらわれている。狭くひしめき合っているにもかかわらず、「空間」というか「距離感」が常に存在する。
 この距離感はイギリスに共通するものといえば共通するものだと思うけれど、特に、主役の女性がその距離感をリアルにつむぎだす。描き出す。たとえば、彼女の職場。そこは単なる金を稼ぐ場所にしかすぎないのだが、彼女はその部屋へ「個人の生活」というものを持ち込む。壁に自分の好きな絵をかける。それは単に働きやすくする、こころを落ち着かせるというよりも、そうした場所であっても「個人」の「秘密」をかかえこむ場所にしてしまうということである。彼女の手によって快楽を得る男たち--そういう男たちはもともとその手の持ち主がどんな女性であるかなど気にはしないのだが、そういう暴力から身を守るために「個人」を「秘密」を彼女は持ち込むのである。だれも知らないこと、彼女がどの写真を気に入っているか、どんな絵が好きか、だれも知らない。その知らないことを自分自身だけが守っている。そのことが、彼女の尊厳である。
 何をしていても、どんなことをしていても、生きている人間には尊厳がある。イギリスの「個人主義」はその尊厳への敬意の具体的な実現方法なのである。
 風俗店を開くしかない男、そこでしか金を稼げない女性。そのふたりにも尊厳はある。そして、その尊厳の存在に、ふたりは互いに気がついている。互いに、その尊厳に対して敬意を払っている。この敬意が、やがて愛にかわる。--この恋愛は、若者の愛よりも純粋である。ラストシーンのキスはとても美しい。そばにいる、いっしょにいる、そして触れ合っている、そのことの喜びに満ちている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする