監督 エラン・コリリン 出演 サッソン・ガーベイ、ロニ・エルカベッツ、サーレフ・バクリ
フランス、イスラエルの合作。
エジプトの警察音楽隊(といっても8人)がことばのわからないイスラエルで迷子になる。田舎町。どこにもホテルはない。食堂の女主人の好意で8人が3家庭に分かれて宿泊する。(1グループは食堂に、だが)そのときの交流を描いている。
どのシーンもとてもおもしろい。「音楽警察隊」というかたぐるしいのか、やわらかいのかわからないような性格が自然なユーモアをかもしだす。「音楽隊」にひとりまぎれこんだ(?)プレイボーイも、とてもいい感じだ。
おもしろいシーンはいろいろあるが、傑作は、プレイボーイの警官が、童貞少年に恋の手ほどきをするシーンである。少年のデート。少年の隣で少女が泣いている。ハンカチをわたし、涙を拭かせる。それから「何か飲むといい」とささやく。これはもちろん「こういう時は、何か飲み物を買ってきて、いっしょに飲むといい」という助言なのだが、少年はそのことばをそのまま少女にささやく。少年は警官のコピーしかできないのである。助言を助言として受け入れ、そこから自分の行動を考え出すというようなことができない。それくらいウブである。だから、警官はもうことばでは助言しない。少年のとなりにすわったまま、警官が少年だったら少女にするようなことを少年にする。つまり、膝に手をおいて、その手が拒まれなかったらゆっくり手を動かす。これをそっくりそのまま少年は少女に繰り返す。このパントマイム劇がほんとうにおもしろい。
それに先立って、少年が警官に「セックス(初体験)ってどういう感じ?」という質問をする。それに対する答えが、また、とてもおもしろい。肉体の快感というようなことはいわず、セックスこそが愛なんだということを、純粋な、至高の愛として語る。プレイボーイはただ肉体の欲望のままに行動しているんじゃない。いのちの愛し、生きていることを愛している。
このことばが、少年と少女がキスする瞬間に、ふっとよみがえる。
ぎこちなく、そこにユーモアがただようからこそ、その「愛」のことばが忘れられないものとして強く印象に残る。
映画はことばを聞くものではなく、あくまで映像と音楽を楽しむものだと私は思っているが、もう一か所、とても感動的なセリフがある。
夫婦喧嘩ばかりしている家庭に副団長が宿泊する。彼は作曲もする。ただし、それは未完成である。夫婦喧嘩を見られた男が、副団長を赤ん坊の部屋へつれていく。(そこが彼らの仮の寝室になる。)そこで男は副団長に語るともなく語る。「音楽の終わりは沈黙がいい。小さなものがいい。赤ん坊のいるこの部屋とか、ランプとか」。その瞬間、男が、そういもの、小さな小さなしあわせ--そっとみつめているだけで、こころが安らぐようなものを求めていることがわかる。そのあと、副団長の耳に音楽が流れてくる。それは突然の、未完成の曲のつづきであり、その最終楽章でもある。男の悲しみと、副団長の音楽が、ひとつのこころとなって静かに流れる。はっと息をのむ美しさである。
この映画では、ことばと映像と音楽がとても自然に結びついている。ことばがけっして映像を邪魔しない。音楽も映像を邪魔しない。副団長が聞く音楽は現実には存在しない音なのに、現実の音として聞こえる。この絶妙な美しさは、タビアーニ兄弟の「父、パードレ、パドレーネ」で主人公が遠くから聞こえるアコーディオンの音をフルオーケストラの音として感じるシーンに通じる感動的なシーンに似ている。
ラストにも美しいシーンがふたつある。
団長が、団長にひそかに思いを寄せる食堂の女主人と別れるシーン。団員全員が町を離れるシーン。団長が手を振る。そっとためらいがちに、手を挙げずに、ほとんど下の方で。そして、後ろに並んだ団員たちに手を振るようにうながす。プレイボーイの警官だけが元気に手を振る。彼は、最後の最後になって、団長から女主人を寝とった(?)。一夜限りの恋人に、楽しかったよ、ありがとう、という感じでよろこびの別れの手を振る。団長はそれを受け入れている。女主人も、別れにやってきた少年も、夫婦喧嘩の絶えない男も、その8人を見ている。
ここで映画は終わってもいい。私は、そこで終わるものとばかり思っていた。それくらい美しいシーンである。余韻もたっぷりある。
そこにもうひとつ、美しい美しいシーンが追加される。食後の大切な大切なデザートのように。
「警察音楽隊」は無事に目的地に着きコンサートを開く。そのシーン。団長が歌い、指揮をする。導入部を歌い、バックの隊員に音楽をうながす。そこにプレイボーイがアドリブで音をはさむ。それはプレイボーイから団長への挨拶なのである。旅の間(そして、旅に出る前からも)、プレイボーイは堅苦しい団長が嫌いだった。でも、不思議な一夜、迷子の一夜をすごすことで、団長から女主人を寝とることで、団長とこころが通ったのである。ひとがこころを開き、交流することは楽しい--という思いを共有することができたのである。そういうことがいっしょにできて楽しかったね、よかったね、という挨拶である。
それを受け、団長がふたたび歌いだし、隊員が演奏をあわせる。
とってもいい。
この映画は音楽隊員と田舎町の住人の交流だけを描いているように見えて、同時に隊員同志のはじめてともいえる交流を描いている。人間はいっしょにいるから交流しているとはかぎらない。いっしょにいなくても(別れても)交流できる。こころを開いて語り合う瞬間、それは一瞬だけれど永遠だ。一瞬だけれど消えない。繰り返し繰り返し、音楽のようにこころによみがえってくる。出会いは一期一会。でも、それは永遠だ。
フランス、イスラエルの合作。
エジプトの警察音楽隊(といっても8人)がことばのわからないイスラエルで迷子になる。田舎町。どこにもホテルはない。食堂の女主人の好意で8人が3家庭に分かれて宿泊する。(1グループは食堂に、だが)そのときの交流を描いている。
どのシーンもとてもおもしろい。「音楽警察隊」というかたぐるしいのか、やわらかいのかわからないような性格が自然なユーモアをかもしだす。「音楽隊」にひとりまぎれこんだ(?)プレイボーイも、とてもいい感じだ。
おもしろいシーンはいろいろあるが、傑作は、プレイボーイの警官が、童貞少年に恋の手ほどきをするシーンである。少年のデート。少年の隣で少女が泣いている。ハンカチをわたし、涙を拭かせる。それから「何か飲むといい」とささやく。これはもちろん「こういう時は、何か飲み物を買ってきて、いっしょに飲むといい」という助言なのだが、少年はそのことばをそのまま少女にささやく。少年は警官のコピーしかできないのである。助言を助言として受け入れ、そこから自分の行動を考え出すというようなことができない。それくらいウブである。だから、警官はもうことばでは助言しない。少年のとなりにすわったまま、警官が少年だったら少女にするようなことを少年にする。つまり、膝に手をおいて、その手が拒まれなかったらゆっくり手を動かす。これをそっくりそのまま少年は少女に繰り返す。このパントマイム劇がほんとうにおもしろい。
それに先立って、少年が警官に「セックス(初体験)ってどういう感じ?」という質問をする。それに対する答えが、また、とてもおもしろい。肉体の快感というようなことはいわず、セックスこそが愛なんだということを、純粋な、至高の愛として語る。プレイボーイはただ肉体の欲望のままに行動しているんじゃない。いのちの愛し、生きていることを愛している。
このことばが、少年と少女がキスする瞬間に、ふっとよみがえる。
ぎこちなく、そこにユーモアがただようからこそ、その「愛」のことばが忘れられないものとして強く印象に残る。
映画はことばを聞くものではなく、あくまで映像と音楽を楽しむものだと私は思っているが、もう一か所、とても感動的なセリフがある。
夫婦喧嘩ばかりしている家庭に副団長が宿泊する。彼は作曲もする。ただし、それは未完成である。夫婦喧嘩を見られた男が、副団長を赤ん坊の部屋へつれていく。(そこが彼らの仮の寝室になる。)そこで男は副団長に語るともなく語る。「音楽の終わりは沈黙がいい。小さなものがいい。赤ん坊のいるこの部屋とか、ランプとか」。その瞬間、男が、そういもの、小さな小さなしあわせ--そっとみつめているだけで、こころが安らぐようなものを求めていることがわかる。そのあと、副団長の耳に音楽が流れてくる。それは突然の、未完成の曲のつづきであり、その最終楽章でもある。男の悲しみと、副団長の音楽が、ひとつのこころとなって静かに流れる。はっと息をのむ美しさである。
この映画では、ことばと映像と音楽がとても自然に結びついている。ことばがけっして映像を邪魔しない。音楽も映像を邪魔しない。副団長が聞く音楽は現実には存在しない音なのに、現実の音として聞こえる。この絶妙な美しさは、タビアーニ兄弟の「父、パードレ、パドレーネ」で主人公が遠くから聞こえるアコーディオンの音をフルオーケストラの音として感じるシーンに通じる感動的なシーンに似ている。
ラストにも美しいシーンがふたつある。
団長が、団長にひそかに思いを寄せる食堂の女主人と別れるシーン。団員全員が町を離れるシーン。団長が手を振る。そっとためらいがちに、手を挙げずに、ほとんど下の方で。そして、後ろに並んだ団員たちに手を振るようにうながす。プレイボーイの警官だけが元気に手を振る。彼は、最後の最後になって、団長から女主人を寝とった(?)。一夜限りの恋人に、楽しかったよ、ありがとう、という感じでよろこびの別れの手を振る。団長はそれを受け入れている。女主人も、別れにやってきた少年も、夫婦喧嘩の絶えない男も、その8人を見ている。
ここで映画は終わってもいい。私は、そこで終わるものとばかり思っていた。それくらい美しいシーンである。余韻もたっぷりある。
そこにもうひとつ、美しい美しいシーンが追加される。食後の大切な大切なデザートのように。
「警察音楽隊」は無事に目的地に着きコンサートを開く。そのシーン。団長が歌い、指揮をする。導入部を歌い、バックの隊員に音楽をうながす。そこにプレイボーイがアドリブで音をはさむ。それはプレイボーイから団長への挨拶なのである。旅の間(そして、旅に出る前からも)、プレイボーイは堅苦しい団長が嫌いだった。でも、不思議な一夜、迷子の一夜をすごすことで、団長から女主人を寝とることで、団長とこころが通ったのである。ひとがこころを開き、交流することは楽しい--という思いを共有することができたのである。そういうことがいっしょにできて楽しかったね、よかったね、という挨拶である。
それを受け、団長がふたたび歌いだし、隊員が演奏をあわせる。
とってもいい。
この映画は音楽隊員と田舎町の住人の交流だけを描いているように見えて、同時に隊員同志のはじめてともいえる交流を描いている。人間はいっしょにいるから交流しているとはかぎらない。いっしょにいなくても(別れても)交流できる。こころを開いて語り合う瞬間、それは一瞬だけれど永遠だ。一瞬だけれど消えない。繰り返し繰り返し、音楽のようにこころによみがえってくる。出会いは一期一会。でも、それは永遠だ。