岡井隆「『鼠坂』補注など三篇」(「現代詩手帖」2008年03月号)
3篇の詩がおもしろい。川村二郎を追悼している。
ここに書いてあることは何か。川村二郎がどういうひとであったか、ということはあまりわからない。知っているひとにはわかるが、私のように川村二郎を知らない人間には何が書いてあるのかわからない。わからないけれど、ヘルダーリン詩集を訳したことはわかる。朔太郎とか鏡花に関心があった評論家だったこともわかる。--しかし、こういうことは詩とは関係がない、というといいすぎになるかもしれないが、あまり関係がない。川村二郎がどういう人間であるかによって、詩の価値が(おもしろさが)変わるわけではないからである。
岡井は、川村が書いた幻の(?)「朔太郎論」を読みたい、と切実に思っていること。そういうふうに思うことが追悼になっているということである。川村二郎なら、どういうか。そんなふうに、相手のことば(意識)を探すことを超える追悼というものはない。尊敬というものはない。最上級の尊敬、敬意というのは、いつでも自分はこう思うけれど、その考え方はあの人の考えとどう違うだろうか、あの人ならどう考えるだろうか、という「指針」のような形で姿をあらわす。
とても自然で、とても美しい追悼詩だ。
ところで、この詩は、追悼のなかに川村二郎のことばを抱き抱えている。ひとつはヘルダーリンの詩集への解説、もう一つはヘルダーリンを訳した時のことば。そこには川村二郎が生きている。
そして、このこと--岡井のことばのなかに川村のことばを含むこと、そういう作品の構成が、実は、ここでは重要な「意味」を持っている。川村を追悼するに当たって川村のことばを引用したという形をとりながら、ここでは実は岡井は、「補注」(解説)とはどういうことかということについて述べている。ただし、そのことは「川村二郎氏を悼む」という1篇を読んだだけでは明確にはわからない。「補注」とは何か、というとこは「現代詩手帖」に掲載されている3篇を読み通すと、あ、あそこで書こうとしていたことはそういうことだったのか、とわかる仕組み(構造)になっている。
途中を省略して、要点だけを書いておく。
「3 鴎外『鼠坂』補注」。その終わりに近い部分に次のことばが出てくる。
注解に、注解者の「答え」(解説)はいらないのだ。ただ「水」を注いでやればいい。
しかし、「水」とは何?
そこに書いてあることばとは関係ない何か、である。そこにはない何か、である。なんだってかまわない。川村二郎の追悼詩にもどって言えば、川村二郎以外のもの。存在しない「朔太郎論」(あるいは鏡花論)。そういうものを注ぐことで川村二郎がふいにほどけてゆく。どんなふうにその論をみせ、どんなふうにそれを取り上げたか。そのときの肉体の動き、精神の動きが、川村二郎を知らない私にも、ふいに見えてくる。
そして、そんなふうにゆったりと解きほぐされた「土」(川村二郎)の内部から、川村二郎のことば自身が(川村のヘルダーリンに対する解説、詩の訳が)新しい湧き水のように噴出してくる。
岡井は川村二郎を追悼するために川村のことばを引用したのではない。岡井が、存在しない川村の「朔太郎論」というエピソードを水のように注いだら、その水が誘い水となって、岡井のことばがかってに噴出してきたのである。「かってに」というのはもちろん私の方便だが、そんなふうに、かってに川村が動いていると私に感じさせるくらいに、岡井は川村を動かしてみせている。いきいきと描写している。でも、それは描写だけなのだ。ほんとうの川村はいない--その、激しい落差のなかで、追悼のこころ、あ、ほんとうに大事なひとがいなくなってしまったんだ、悲しい、取りかえしがつかないという気持ちがわきあがる。
「現代詩手帖」に掲載されている3篇は、どれもしり切れとんぼというか、「あれ、しめのことばは?」という疑問を誘うような形をしているともいえるが、これも、実は深い深い意識的な操作なのだということがわかる。
岡井は「注釈(注解)」というものがどうあるべきかを詩の形で実践している。ある作品(土)に「水」を注ぐ。「土」はやわらかくなる。そして、そのやわらかくなった「土」の奥から新しい水が噴出する。そうしたら、その水が自由に噴出するにまかせる。そこまでが注解者の仕事である。そこから先、新しい水がどう動いていくかは注解者の仕事ではない。その水をどう動かしていくかも注解者の仕事ではない。
ちょっと叱られたような気持ちにもなる。私はいつでも自分のことばを最後まで動かしてしまう。それは結局、作品が動きを自分の感じたもののなかに閉じ込めてしまうことである。私は「注解者」ではなく、単に感想を書いているだけの人間だからそれでもいいのかもしれないけれど、感想にしたって、やはり作品そのものがかってに動いていくような感想の方がいいに決まっている。私が感じたことがそのまま読者に伝わるのではなく、私の書いていることを無視して、読者がかってに(自由に、という意味である)、それぞれの感想を抱きはじめる--そういう形の感想・批評がいいに決まっている。私以外の読者と、私が感想を書いた作品が、私を超えて(私の感じたこととはまったく関係ない形で)、新しく動きはじめる--そういう形の感想・批評が、たしかに理想形だ。
でも、そんな難しいことは私にはできない。あ、岡井はやっぱりすごいなあ、と、思う。(あたりまえだ、そんなことさえ知らなかったのか、と今度は読者からしかられそうだが。)
3篇の詩がおもしろい。川村二郎を追悼している。
川村二郎氏は旧制高校では敬意をこめて川村さんと呼ばれた
小柄で白絣の和服を着てわれわれ後輩どもの間へいきなりうしろから
手を出して一たん呉れた自筆原稿をさっさととり上げた
寮誌編集側のわれわれは残念とうなだれたものだ
萩原朔太郎論だつたと記憶してゐるが本人はずつとあとで
いや鏡花論だつた
と言つたので耳を疑つたものだ
『月に吠える』を荒い戦後の空気の中で
評価してゐたのは戦後詩批判じやなかつたかと確信してゐる
「もちろん詩の世界では、古を慕つて今を嘆くといふのは、普遍的な表現の定式に属す
る」。(『ヘルダーリン詩集』解説)と
ちやんと本人も言つてをられる
川村さんのゐなくなつた世界の底辺で「あまりに早く運命の女神が
わが夢を終らへぬように。」(ヘルダーリン)
などと呟くのは遅い! あの時川村さんに貰つた原稿は死守すべきだつたのだ
ここに書いてあることは何か。川村二郎がどういうひとであったか、ということはあまりわからない。知っているひとにはわかるが、私のように川村二郎を知らない人間には何が書いてあるのかわからない。わからないけれど、ヘルダーリン詩集を訳したことはわかる。朔太郎とか鏡花に関心があった評論家だったこともわかる。--しかし、こういうことは詩とは関係がない、というといいすぎになるかもしれないが、あまり関係がない。川村二郎がどういう人間であるかによって、詩の価値が(おもしろさが)変わるわけではないからである。
岡井は、川村が書いた幻の(?)「朔太郎論」を読みたい、と切実に思っていること。そういうふうに思うことが追悼になっているということである。川村二郎なら、どういうか。そんなふうに、相手のことば(意識)を探すことを超える追悼というものはない。尊敬というものはない。最上級の尊敬、敬意というのは、いつでも自分はこう思うけれど、その考え方はあの人の考えとどう違うだろうか、あの人ならどう考えるだろうか、という「指針」のような形で姿をあらわす。
とても自然で、とても美しい追悼詩だ。
ところで、この詩は、追悼のなかに川村二郎のことばを抱き抱えている。ひとつはヘルダーリンの詩集への解説、もう一つはヘルダーリンを訳した時のことば。そこには川村二郎が生きている。
そして、このこと--岡井のことばのなかに川村のことばを含むこと、そういう作品の構成が、実は、ここでは重要な「意味」を持っている。川村を追悼するに当たって川村のことばを引用したという形をとりながら、ここでは実は岡井は、「補注」(解説)とはどういうことかということについて述べている。ただし、そのことは「川村二郎氏を悼む」という1篇を読んだだけでは明確にはわからない。「補注」とは何か、というとこは「現代詩手帖」に掲載されている3篇を読み通すと、あ、あそこで書こうとしていたことはそういうことだったのか、とわかる仕組み(構造)になっている。
途中を省略して、要点だけを書いておく。
「3 鴎外『鼠坂』補注」。その終わりに近い部分に次のことばが出てくる。
昔注解者が地方の大学街に住んでゐたころ高名な考証学者N先生が教へを垂れておつしやるには「註釈とか註記註解などと言扁はいらんのだ。注解とは水を注いでやはらかく解くことを言ふのでサンズイ扁が正しいのだ。」
注解に、注解者の「答え」(解説)はいらないのだ。ただ「水」を注いでやればいい。
しかし、「水」とは何?
そこに書いてあることばとは関係ない何か、である。そこにはない何か、である。なんだってかまわない。川村二郎の追悼詩にもどって言えば、川村二郎以外のもの。存在しない「朔太郎論」(あるいは鏡花論)。そういうものを注ぐことで川村二郎がふいにほどけてゆく。どんなふうにその論をみせ、どんなふうにそれを取り上げたか。そのときの肉体の動き、精神の動きが、川村二郎を知らない私にも、ふいに見えてくる。
そして、そんなふうにゆったりと解きほぐされた「土」(川村二郎)の内部から、川村二郎のことば自身が(川村のヘルダーリンに対する解説、詩の訳が)新しい湧き水のように噴出してくる。
岡井は川村二郎を追悼するために川村のことばを引用したのではない。岡井が、存在しない川村の「朔太郎論」というエピソードを水のように注いだら、その水が誘い水となって、岡井のことばがかってに噴出してきたのである。「かってに」というのはもちろん私の方便だが、そんなふうに、かってに川村が動いていると私に感じさせるくらいに、岡井は川村を動かしてみせている。いきいきと描写している。でも、それは描写だけなのだ。ほんとうの川村はいない--その、激しい落差のなかで、追悼のこころ、あ、ほんとうに大事なひとがいなくなってしまったんだ、悲しい、取りかえしがつかないという気持ちがわきあがる。
「現代詩手帖」に掲載されている3篇は、どれもしり切れとんぼというか、「あれ、しめのことばは?」という疑問を誘うような形をしているともいえるが、これも、実は深い深い意識的な操作なのだということがわかる。
岡井は「注釈(注解)」というものがどうあるべきかを詩の形で実践している。ある作品(土)に「水」を注ぐ。「土」はやわらかくなる。そして、そのやわらかくなった「土」の奥から新しい水が噴出する。そうしたら、その水が自由に噴出するにまかせる。そこまでが注解者の仕事である。そこから先、新しい水がどう動いていくかは注解者の仕事ではない。その水をどう動かしていくかも注解者の仕事ではない。
ちょっと叱られたような気持ちにもなる。私はいつでも自分のことばを最後まで動かしてしまう。それは結局、作品が動きを自分の感じたもののなかに閉じ込めてしまうことである。私は「注解者」ではなく、単に感想を書いているだけの人間だからそれでもいいのかもしれないけれど、感想にしたって、やはり作品そのものがかってに動いていくような感想の方がいいに決まっている。私が感じたことがそのまま読者に伝わるのではなく、私の書いていることを無視して、読者がかってに(自由に、という意味である)、それぞれの感想を抱きはじめる--そういう形の感想・批評がいいに決まっている。私以外の読者と、私が感想を書いた作品が、私を超えて(私の感じたこととはまったく関係ない形で)、新しく動きはじめる--そういう形の感想・批評が、たしかに理想形だ。
でも、そんな難しいことは私にはできない。あ、岡井はやっぱりすごいなあ、と、思う。(あたりまえだ、そんなことさえ知らなかったのか、と今度は読者からしかられそうだが。)
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